【視点】

「有事」対応 これでいいのか

朝河貫一に学ぶ
羽原 清雅

 2023年の賀状に「4大戦争に翻弄された戦前の77年間、不戦をうたいつつ起伏に揺らいだ戦後の77年間、そして今、第3期を迎えます。」と書いて印刷に出した直後、タモリが「新しい戦前」と発言した。短い言葉で言い尽くしており、完敗だ、と思った。
 
 それはさておき、ウクライナ・ロシアの攻防以来、台湾・中国の緊張は高まる一方だ。ロシアに比べて国力に劣る小国ウクライナは、中国に対する台湾を思わせ、近隣日本は不安を増すばかり。こうした背景には、日本の警戒心を強め、従来の「防衛」レベルを「敵基地先制攻撃」可能な先手必勝型の軍事体制強化に変質させる狙いがある。

 そのような日本の軍事化が急ピッチに進められる昨今の姿について、ふと立ち止まらせるのが、後述する在米生活の長かった歴史学者朝河貫一の進言や批判である。
 朝河は、日露戦争、第1次、第2次世界大戦を体験して、終戦直後に亡くなっている。彼は、戦前の日本が狭隘で孤立的な姿勢をとり、戦争に突き進む取り組みを、国際的な視野から観察し、その批判や進言を、当時の各界の政治家、研究者、有識者たちに書簡として送り続けた。それらを読むと、今日の日本が進めつつある軍事化の道を、一度立ち止まって見直した方がいい。あるいは視野を広げて、相手側の立場を読み抜き、外交自体をもっと重視したら、といった感覚に至る。

 *戦前の流れ 朝河の指摘に立ってみると、今日の状況は、戦前の軍事日本の歴史の流れと類似性があることを思い起こさせる。
 「有事」が「戦闘」に移っていく準備段階の不安を抱かせるのだ。社会状況は異なっているし、そう簡単に戦火は開かれまい、と思いつつも、歴史の流れに類似性が読み取れるのも事実だ。
 明治維新後の新政府のスローガンは「富国強兵」「殖産興業」だが、「強兵」の部分が重視・肥大化されて軍事予算の大膨張を招き、軍備の増強によって軍部が権勢を高めると、軍事優先の姿勢は資源や食糧増産などの領土拡張のための大陸侵出政策を進めることになる。それは、国民の夢となって軍事拡張・領土拡張が支持され、謳歌されることにもなる。そこには、相手国の犠牲や人的被害などへの考慮はなく、自国民の犠牲を伴いながらも利益のみがアピールされて、行け行けどんどんとなっていく。軍事の独り歩きは、ブレーキが利かなくなる。
 維新後間もなく、日本政府は先進国を見習うように台湾進出、朝鮮半島確保の味を覚える。その一方で、日清、日露戦争で勝ちながら領土返還、賠償金ゼロといった経験によって強者の狡猾さを会得する。その波に乗るように、第1次世界大戦の勃発では、それに便乗して大隈重信首相が対華21ヵ条の要求(1915年)を袁世凱に突きつけ、日本軍から不要視された軍閥の長・張作霖を謀略によって爆殺(1928年)、次いで満州事変(1931年)という作為の引き金を引き、さらに上海事変に拡大するなど、中国大陸を着々と侵攻、遂には日中戦争(1937年)、アジア太平洋戦争(1941年)に進んで挫折、敗北に至る。
 戦争の事態が計画的、継続的、段階的に仕組まれたことを、歴史の流れがはっきりと示している。
 現段階で戦争や侵略は考えられない。しかし、その可能性を否定できない準備段階は進行しつつある。
 戦争に至る道は段階的に進められ、気付いた時にはすでに遅い。繰り返しになるが、戦前の戦争に至るプロセスを見ておきたい。
 ①富国強兵策 経済力、軍事力への自信→日清、日露、第1次世界大戦の勝利→推進へ
 ②戦争のメリット 台湾、南樺太、朝鮮半島、山東半島、旧満州の植民地化、巨額賠償金
 ③軍事予算の膨張 徴兵、軍事力の強化(国家予算中の軍事費 日清期60%台・日露期80%台・第1次大戦期35-51%・第2次大戦期75-85%)
 ④財閥の成長 8大財閥の跳梁→政軍財の癒着→右翼との癒着(大川周明、北一輝、井上日召、頭山満、内田良平、平沼騏一郎、安岡正篤ら、黒龍会、玄洋社、国本社など
 ⑤侵略開始・拡大 弱みある海外に進出→朝鮮半島、シベリア出兵、山東出兵、一部地域の小規模の紛糾を経て満州事変、日中戦争に拡大→時に張作霖爆殺、柳条湖事件や盧溝橋事件など軍部の仕掛ける謀略による開戦も
 ⑥開戦の大義名分作り 貧窮農民救済・武闘移民政策(満蒙開拓青少年義勇軍養成所など)
 ⑦愛国心教育 幼時からの学校教育、束ね教育の徹底、天皇制の活用(忠君愛国、国民精神総動員、軍神、英霊、聖戦、玉砕、八紘一宇、神風、戦陣訓、翼賛など)
 ⑧各界の同調圧力 愛国運動の組織化(大政翼賛会、翼賛政治会、大日本産業報国会、大日本国防婦人会、従軍作家陸・海軍部隊、農業報国連盟、棋道、宗教など各種報告会)
 ⑨憎悪・侮蔑の定着 「敵国」意識の醸成、侵略政策の国民支持と戦意高揚、「鎖国」の近代化(鬼畜米英、米鬼、チャンコロ、kill jap! など)
 ⑩反対勢力の弾圧 治安維持法、秘密保護法などの徹底→共産・社会主義者、学者ら反対勢力の拘束や殺害(3・15事件、4・16事件、人民戦線事件/滝川幸辰、美濃部達吉、矢内原忠雄、河合栄治郎らの言論弾圧/山本宣治、小林多喜二、三木清らの殺害)
 ⑪政権・政策への攻撃 右翼勢力の横暴(浜口雄幸首相襲撃、井上準之助・団琢磨刺殺、犬養毅首相=5・15事件、斎藤実・高橋是清殺害=2・26事件/海軍軍縮、天皇機関説、国体明徴声明など)
 ⑫軍人政権の成立 山本権兵衛=海、寺内正毅=陸、加藤友三郎、斎藤実、岡田啓介=海、林銑十郎、阿部信行=陸、米内光政=海、東条英機、小磯国昭=陸、鈴木貫太郎=海など軍部の実権掌握と政府行政の追従/近衛内閣の「国民政府相手にせず」「東亜新秩序建設」「大政翼賛会」、東条内閣の「翼賛選挙」などの軍事同調策
 ⑬外交弱体化と国際的孤立 対華21ヵ条要求、浜口協調外交の挫折(海軍軍縮条約への反発、統帥権問題)、国際連盟脱退、三国防共協定、対米英蘭宣戦布告など
 ⑭相次ぐ戦時規制立法 国民生活の圧迫←輸出入等措置法、軍需工業動員法、国家総動員法、電力国家管理法、賃金統制令、国民徴用令、価格等統制令、奢侈品等統制令、生活必需物資統制令など
 ⑮大量犠牲と対応長期化 戦争当事国の犠牲は戦闘員・非戦闘員多数(第2次大戦のみで枢軸国870万、連合国1913万、アジア諸国912万)/日本の陸海軍兵の遺骨収集は半分のみ・空襲被害者救済は大半放置・原爆被害者救済は一定地域のみ

 このように、過去の戦争の積み上げ的な方向性を見ても、昨今の現状がこうした段取りのように急ピッチに進行しているようには見えてこない。もっと緩やかで、小刻みだ。ただ進む方向には共通性が認められる。戦前の歴史は年単位で括られるのに対して、現状の動きはいわば月か時間刻みに進んでいるようなものだろう。ただ、これを見逃して進められて行くことの「結果」には恐れを感じておいた方がいい。

 次に、政府、政党など各界の特徴的な流れを、大づかみにピックアップして類似性を確認してみよう。

 *政府・政権のおかしさ 日本の基軸は本来、憲法のうえに政権が築かれ、行政機能はこれに基づいて動かなければならない。「多数決」によって生まれる政権は、憲法に則って進むべきだが、果たしてそうなっているか。「現実」が優先され、多数支持を得た権力の意向に左右されているが、本来は憲法に忠実であることが求められる。

 ・憲法は守られているか 日本の憲法は平和主義をうたう。これを変えたい政党があっておかしくない。だが、憲法制定時から納得しない政党は順守することよりも、改定を求め、実際に「解釈改憲」によって政治の現実を動かし、定着させてきた。従って、憲法の原則が守られず、ご都合主義のままに進んでいる。そこに、政治のゆがみが出ている。憲法を順守したうえで改憲の必要を訴え、支持を取り付け、改憲を果たすという道をゆがめている。各国を見ても、憲法が100%実現の国などなく、改正はありうるわけで、世論の不満をとらえる努力がまずは必要だ。

 ・米国依存の可否 「日米同盟」の表現は、かつての自民党でも恐る恐る使っていた。だが、今は大手を振って常用される。それはそれでいいとしても、しかしアジアから引っ越すことのない日本は、もっとアジアでの外交を重視し、近隣との友好に努め、相互の交流を深めて、相互理解と外交的緊密化を図るべきではないか。
 米国と同盟を結んでもいい。ただ、「米国の傘の中」での庇護ばかりを期待して、言いなりでいいのか。追随だけで、日本の利益の保護を求めなくていいのか。
 1,2例だけ挙げておこう。本来なら、中国と米国との平和的な橋渡しはアジアに生きる日本の役割のはずだ。世界が核兵器禁止条約(2021年発効)に向かうなかで、日本は核保有国に同調して不参加だ。唯一の核被災国として、本来なら先頭に立つべきところ、核保有国の側につく。沖縄はじめ国内での米軍の基地利用の実態について、地元県民、そして国民を軽視し、条約の対等化さえ言い出さない。同盟とは、属国や隷属ではなく、いうべきことを言える関係でなければならない。

 ・安保3文書の怪 2022年12月に「安保3文書」が起草され、表面化した。安倍政権以来の願望が組み込まれ、日本の軍事体制強化の方向が決まった。だが、政府内部で検討された産物ながら、果たして各方面の多様な意見が検討されたか。その議論参加の関係者は民間等の有識者を含めて相当に限定的で、ひと言で言えば「軍事体制強化」陣営による方針の確認だった。別の項でも触れるが、国権の最高機関である国会審議は、単なる通過行事に過ぎず、その論議も乏しく、世論喚起すらできていないままに決定された。

 ・一人歩きの3文書 「積極的平和主義」をうたう安保3文書は、じつは軍事強化策の推進を10年間拘束するもので、「平和」の名のもとに敵機基地先制攻撃などによる「有事」「戦闘」「戦争」を呼び込む懸念をはらんでいる。そこに生じかねない自国と敵対国の人的物的被害を考えると、それが「平和主義」なのか、生命・財産を守るという憲法の基本理念を果たすことになるのか、おかしさを禁じ得ない。

 ・具体化される「国家安全保障戦略」 安保3文書のうたうこの戦略は、今後強化される課題をうたっている。だが、安保3文書が論議の乏しいままに決定されたように、具体的な軍事施策がこの1年間を見ても、当然のようにひたひたと具体化の道を歩き始めている。この進行具合が実った時には、日本の防衛は「先制攻撃」可能な段階に至っているのだろう。その論議は公開されているかのように報道されているものの、実情は関係省庁、第3者の立場を装う理解ある有識者、そして推進母体の自民・公明党といった与党など限定的なチームでの検討によって進んでいる。その結果が国会に諮られれば、当然多数決という「民主主義的手続き」を経て確定、実践されることになる。怖い話である。
 ①まず防衛装備の海外移転の構想が進む。武器輸出の原則は当初の「制約」が「緩和」となり、自民党の論議では「殺傷」兵器を許容し、輸出産業に寄与するまでに進められつつある。簡単にいえば、日本産兵器が他国の非戦闘員を殺戮することに手を貸すことを意味している。
 ②「産・学・官」の結集をうたう。官=政府は税金たる予算をつぎ込む。産=軍需周辺産業は軍事器材の開発、高性能化、ひいては輸出品目に加える。学=大学や研究機関はこの戦略に基づいて示される巨額の予算欲しさに、この方向を受け入れ、歴史的、経験的に避けてきた軍事的、戦争的研究の排除方針を徐々に崩し始める。
 この一体化の完成が、安保3文書の達成であり、先制攻撃を許容する軍事体制の実践段階ということになるのだろう。
 ③政府や防衛・軍事関係者にとって、機密保護は重要なことで、安倍政権時に一部は具体化した。これからは3文書にうたわれた「特定秘密の保護に関する法律の下、政府横断的な情報保全体制の整備等を通じ」という文言の具体化が進められ、立法化が図られることになろう。この怖さは、情報の抑制、情報管理の厳格化といった措置が拡大されがちになり、機密保持の名のもとに情報開示が制限されて国民を情報過疎の状態に置き、ひいては報道管制に至る可能性をはらむことである。かつての悪法・治安維持法は包括的で具体的な規制範囲が示されないままに、軍部や警察の圧迫を可能にしたが、同じような事態を想起させる。「軍事機密の保護」というもっともらしい名目が、言論や人権の抑圧の事態を引き起こすことを忘れてはなるまい。
 ④海洋国家の日本は四方の海、広い排他的経済水域を持つことを、安保3文書は誇っている。だが、その環境を「島国」と言い換えると、食糧自給率36%程度の国である以上、大陸等からの輸入は避けられない。だが、農業国ウクライナでさえロシアの攻勢によって財政を支える食糧輸出を阻まれ苦境に立つ。戦前の日本は、農業が軸足だったが、若い労働力を兵役に取られて高齢化し、飢餓に泣いた。兵糧攻めの苦しさは、若い世代には実感がない。敵基地攻撃の事態は当然、食糧難の到来を意味する。安保3文書は、その国民の生命、財産を守るという理念を欠いたまま、先制攻撃も辞さない、という。軍事一色に近い安保3文書の欠陥は、国民的危機に臨む配慮がないことだ。国会論議も不十分で、追い詰められた場合の対応策のない「机上の空論」のままである。

 *国会・与党のおかしさ 与党であり長期政権を支える自民党も、その姿勢はマンネリ化しておかしくなっている。
 自民党は得票率こそ50%を切るが、衆院選の小選挙区制度のおかげと野党の弱体ぶりによって、自在に我が意を得た立法を可能にしている。公明党も、ごく一部のおこぼれ的な主張を容れてもらって、追随するのが常態化している。国民に考える材料を提供しようとせず、「独断・独走」の感がある。各選挙での投票率の相次ぐ低下は、政治に興味を抱かせず、議論から生まれる可否の判断材料を提供せず、政治離れの状態になっていることをいいことに、唯我独尊を決め込むところからも生じている。
 ・自民党の奢り 得票率は低くても、議席数が多ければ、自らの決定が政治の流れを支配できる。民主主義の原則だろう。ただ、多数決主義には条件があろう。つまり、対立者、反対者の少数意見を聞き、多少とも修正の余地を残すことだ。それが果たされることが民主主義の前提にある。いまさら言うことでもないのだが、政権が長期化し、野党が成熟しないと、現状のようなデメリットが定着してしまう。
 自民党はそのやり口に慣れすぎて、上質の民主主義が身についていない。数依存の腕ずくである。政治は手口が常態化すると、変更が出来ず、愚かな手法がそのまま続いてしまう。それを正すのが野党の任務だが、野党自体が粗末なままでは変わりようもない。
 まして、衆院の小選挙区制度では、政党首脳に権力が集中するうえ、その政党の候補者は一人だけなので、党内の論議が不活発になり、議員自身も派閥などの有力者に「右へならえ」の姿勢のままになり、有権者への語り掛け、意見聴取といった作業は乏しくなってくる。
 
 ・おかしな分業化 自民党内には多様な政策集団があり、さまざまな部会があって、それぞれに専門的な人材がいて、結論が導き出され、それが法律化されたり、政府の対応への賛否が下されたりする。それはそれでいい。だが、それぞれの政治家に求められるのは、総合的な判断能力である。専門馬鹿、だけでは議員の資格はない。
 問題を、軍事・防衛問題についてみておこう。軍事専門とされる議員の顔触れは閣僚経験や自衛隊幹部の経験があり、その方面の専門知識のある人材が多い。少なくとも、そのはずだろう。
 だが、問題は彼らが視野狭窄なことだ。結論を出すための検討の幅とその能力が狭い。軍事強化となると、戦争機材や戦争技術の面ばかりからの判断となる。本来なら、まず基本的には武力衝突を起こさないことから考えるはずだ。そのうえで、相手国の軍事体制や国力などのみならず、その国の長期的な方向性や国民性などの分析を踏まえ、外交面のプラスマイナスや自国の多様なものの見方を配慮し、総合的に判断していく。
 だが、NATOの方針に倣い踏襲しよう、相手国の軍事体制に対抗するにはこちらも、あるいはあの軍事機材が欲しいなあ、といったレベルである。相手国の軍事担当者に会い、話し合い、その国情を見聞きし、広い目で判断するような姿勢ではない。また、戦前の戦争に至る政策、判断などの欠陥を十分に学んだ気配はない。本当に国民の生命・財産を守る気概はあるのか、と思わせる姿勢にとどまる。国民を守る、というなら、万一の場合の食糧、医療器材などをどのように考えているのか。風力発電の強化の旗を振って期待を持たせて、実は競馬名目のわいろをせしめる、といった手合いがいるので、疑惑が募る。
 まさに任せるに任せられないレベルである。

 *国会・野党のおかしさ 国権の最高機関である国会。民意を代表する国会議員。とくに野党とその議員の場合、政府・与党の政策の方向が誤っていないか、しっかりと判断し、国民有権者に伝える義務がある。その役割が果たされていると言えるのか。
 ・日本の将来像を語らぬ野党 「政権交代の可能な小選挙制度の導入」をうたって具体化した現行の選挙システムだが、結果はどうか。確かに9回の衆院選挙を通じて、一度は野党からの民主党政権が実現したのは事実だ。だが、その後は万年野党の時代ばかりが続く。政権担当能力がなく、国民的魅力を示さないのだから仕方あるまい、と民意は思う。その通りだ。
 立憲民主党にせよ、維新の会にしろ、彼らが政権を担ったらどうか、という気にはなれない。なぜか。さらなる小野党も含めて、この国の将来をどのような姿にするのだ、という基本的なありようを示さない、いや、示す能力を欠いているし、その努力の形跡も見えないからだ。目標や夢を描かず、政権亡者のように振舞う姿に、期待など生まれるはずもない。バラ色の夢を語れ、というのではなく、<現場の政治ではこのようなマイナスを生み続ける・だからこの点をかように変えて、この方向にもっていく・論点や課題はここにあり、こうした改革に取り組もう・将来的にこのような社会を目指す>といった党首たちの演説を聞きたいものだ。久しく耳にしたこともなく、なんの理念もなく党首の座を争う見苦しさを見るばかりである。それを許して、党内の変革を言い出せない議員たちも同罪である。

 ・結果的に現政権容認 衆院選で小選挙区比例代表並立制選挙が導入されたのが1996年の橋本政権からで、3代3年の民主党政権を除くと、あとは自民党政権である。民主党時代の政権担当の経験は一面ではいい経験になっただろうが、新たな政権構想を総合的に生みだすまでにはならず、むしろ権力のうまみを味わったがために、政権を攻めるよりもその苦労に納得是認して、的確な批判をしなくなり、いたずらに政権ににじり寄るかの体質が身についた。
 例えば、国民民主や立憲民主の党首が足元も見ずに「政権」「政権」と叫ぶ姿はかえって、政党としての弱さや将来軸を構築できない一面をのぞかせている。不甲斐ない限りである。
 日本社会党時代には、政権担当はとても無理で心もとないながらも、野党としての追及能力があった。一部の人材ではあったが、問題を提起し、その問題の及ぼす影響を指摘するなど、政権の先手を打つ政治をアピールした。60年安保時の疑問点の追及、海洋汚染や水俣病といった公害問題の提起など、その時代の負わされた課題を国民的な広がりで提起し、政府をして解決の方向に向かわせた。だが、今はどうか。
 安保3文書が投げかける将来的なリスクを国会でどれだけ論議、追及し、国民に問題点やその波紋を知らせて啓発したか。それだけの問題点を事前に検討し、学んでいたか。国政の場に立ちながら、研究力や追及力を欠いた存在になっている。一議員としてはできない規模の大きさにしても、研究機関やその道の専門家らに早手回しに学ぶべきだが、そのような機能が弱まったままに見える。政党の不勉強が、政権や行政府の方針、施策を受け入れることになる。政権に楯突いているようだが、じつは弱体ぶりによって支えていることになる。国民は知ることなく、後々になってそのリスクを実感する。
 野党、そしてその周辺の責任は大きいのだ。騒がしかったかつての総評に代わった連合は、野党との連携をうたいながら、労働組合本来の非正規労働者の問題、教育現場の将来的デメリットの大きい問題などに取り組み、国民の納得を得るまでの姿を見せていない。

 *民意の課題 フェイクなども含めてメディアの発展は著しく、情報過多がかえって判断を下しにくくしたり、関心の範囲を狭めることになったり、自分なりの意見を持ちにくくしたりしている。一方で、政治への無関心、投票率の低下をも招く。情報は民主主義の土台なのだが、環境は厳しい。投票率の低下も当然、に見えてくる。
 ・政治的無関心が苦境を招く 政府の言うことは正しい、と信じる。国会論議はつまらない、と思う。結局決まった方に流れていくし、抗っても意味ない、と感じる。
 だが、決まってしまったら、その結果には従わざるを得ない。その前にやはり、社会的な問題に関心をもって、「自分は」という意見を持ちたい。賛否を考えることは、将来の動向を見通すことにもなる。声をあげ、行動すれば、さらに情報に深みが出る。考えることがあれば、後悔してもあきらめもつく・・・若い人にはそう言いたい。
 安保3文書の招く社会では、軍事予算の増大が日々の生活にどう影響するか、「有事」になることはさまざまな形で生活を脅かし、社会的制約を生み、最悪の場合には生命の危険すら招かないか、ということを考えざるを得ない社会でもある。このように感じてもらえまいか。
 ・メディアは正しいか 「台湾有事」が叫ばれ、テレビや本、新聞も不安を書き立てる。
 中国が何をするか、心配にもなる。相手国への憎悪感がなんとなく高まってくる。海外旅行は危険、と思い、足が遠退く。
 そうした一面は否定できない。台湾への攻撃があり、沖縄周辺がまたも戦火に巻き込まれるかもしれない。
 ただ、中国はいま、経済状況は悪化、少子高齢化は進み労働力不足、香港や新疆ウイグルなどの民族統治の問題などを抱え、先制攻撃に至るだろうか、との見方もある。ウクライナ戦争のロシアの対応を見て、長い混迷の歴史と多民族を擁する中国は、なにか学ぶのではないか、とも想像する。
 一方の見方だけではなく、相手の抱える環境も多様に考えておきたい。クールに状況を読もう。要は、多様な情報を見聞きして、判断材料を持っておきたい。鵜呑みにして、相手を憎悪し、対立を深めるよりも、多様な見方に触れておこう。いつか結論は見えてくるし、いつかまた親しい関係が必要にもなるだろう。
 自国から見た相手国、相手側に立ってみる自国、どちらもしっかり見ていくことが、戦争を回避することにつながる。

            ・・・・・・・・・・・・・
 このような視点を持ちつつ、朝河貫一の進言、忠言を読んでいただきたい。
 なにかいいヒントが生まれれば、幸いである。

(2023.9.20)
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