【コラム】大原雄の『流儀』

「終り」の始まりが、始まるか、始まらないか?

大原 雄
○1年後(4月)
★「終り」の始まり
 
大江健三郎氏と同時代
 作家の大江健三郎さんが2023年3月3日に亡くなった。反核や平和、民主主義というテーマを四国の谷間の集落(定点)に落とし込んだ作品は、人類普遍のテーマとして、都市を糾弾した。谷間の小説は、世界を寓意的に写し取った。私たち70歳代のジャーナリスト、作家、評論家、詩人たちは、皆、この大江健三郎の「谷間の文学」で育った子どもたちであったのだなと思う。大江健三郎の、あの角ばった、決して能筆とは言えない文字の筆跡が紡ぎ出す難解な文学世界に魅了され続けるのだろう。私は、この後も生きている限り、何度もこの偉大な小説家を思い出すことだろう。今、日本文学で大江文学に代わる文学世界を構築している作家を私は知らない。嗚呼、大江健三郎の死後、日本文学は世界が狭くなってしまったようだ。  合掌。
 
 大江健三郎の同時代の作家たちは、私にとっても懐かしい。青春の乱読時代に作家の顔、顔を思い出し、その記憶は惹きつけられる。彼らは、作品の傾向や時代性で共通の地盤のようなものを共有していて、「われらの時代」とか、「われらの文学」などというくくられ方をしていた。大江健三郎は、おのれの「われらの時代」を見据えて、作品を紡ぎ出した代表的な作家だったと思う。大江が同時代として認識した時代は、敗戦の「戦後」が、まだ色濃く残っている時代であり、一旦全てが無に帰した「後の時代」であった。人々は、荒廃した社会の中に立ち上がり、赤裸々な人々の群像を形成する一人一人として、荒野の中、出発した。作家たちは、「戦後文学者」として、群れの中に入っていった。もちろん、大江健三郎自身もそうであった。「彼らの文学」を今の、現代文学は、誰が引き継いでいるのか。時代性と己の文学世界を強く意識している作家たち。
 ちょうど良い。4月7日の朝刊がある。2面最下段の広告は、4つの文藝雑誌の新刊広告だ。「新潮」「すばる」「群像」「文学界」。いずれも大江健三郎を追悼する文章を載せている。「新潮」は、「追悼 永遠の大江健三郎文学」と題して、12人が文章を寄せている。「すばる」は、「追悼 大江健三郎」で、3人。「群像」は、「文学界」は、「追悼 大江健三郎」で、16人。「文学界」は、「追悼 大江健三郎」で、12人であった。
 
 私が思うに、大江健三郎の後継的な作家は、順不同ながら、島田雅彦、多和田葉子、中村文則、池澤夏樹、平野啓一郎らあたりか?
 
 私には、戦後と現代の間に、歴史の「断絶」は見えているが、「持続」は見えてこない。終わりの始まりは、すでに終わってしまったのかもしれない。大江健三郎は、同時代の作家たちを「同時代としての戦後」というカテゴリーでまとめていたのを思い出すが、それぞれの継承者は、浮き上がってこない。浮き上がってくるのは、戦後文学者たちと呼ばれた、一時代前の作家ばかり。そして、彼らもすでに息絶えてしまった。息絶えるか、「生き」絶えるか。それなのに、新たな「戦前」が論じられている。純文学は、生き延びられるのか。野間宏、大岡昇平、埴谷雄高、武田泰淳、堀田善衛、木下順二、椎名麟三、長谷川四郎、島尾敏雄、森有正(以上は、大江が取り上げた「戦後文学者」)。/遠藤周作(引用者が、付け加えた作家)。
 
 ★ 哀悼!! 一亀さんと龍一さん
 
 一亀さんの一人っ子(長男)が、亡くなった。坂本龍一さんが3月28日に死去した。享年71。日本を代表する世界的な音楽家。2014年に中咽頭がん発症が判明し克服したが、2020年、別の部位に癌が見つかり、療養していた。映画の音楽を担当し、「戦場のメリークリスマス」、「ラストエンペラー」では、アカデミー作曲賞などを受賞し、世界的にも評価を拡げた。社会的な視野も広く、環境、核・原発、沖縄の基地、秘密保護法、安保法制化などにも明確に反対するメッセージを発信していた。「同調圧力」など個人の存在を無視する無慈悲な力(暴力)には、強く反対した。表現活動と心情が一致した純粋表現者だった。晩年は、竹林の中を流れる風の音とのコラボレーションを試みるなど自然と人間との対置・共存をさせるような作曲で、独創的な新境地を伐り開いていでた。
  
 因みに坂本龍一の父親は、坂本一亀(さかもとかずき)。1921年12月〜2002年9月。学徒出陣で前線に出た旧満州(中国東北部)から復員後、河出書房入社。以後、担当した編集には、順不同で、野間宏「真空地帯」、椎名麟三「赤い孤独者」、三島由紀夫「仮面の告白」、井上光晴「地の群れ」、島尾敏雄「贋学生」、高橋和巳「悲の器」、小田実「何でも見てやろう」、埴谷雄高、大岡昇平など錚々たる戦後文学の珠玉の名作が並ぶ(大江健三郎が名前を挙げていた作家たちともダブル)。
 
 その後、月刊雑誌「文藝」の編集長を務めた後、退社。独立して「構想社」を起こした。戦後社会を純文学の中に植え込んだ伝説的な編集者の一人だろう。私は、月刊雑誌は、あまり読まなかったが、20歳代の頃、「文藝」だけは、地元の書店から月極めで配達してもらっていた。
 
 このほか、引用は続く。
 「坂本一亀が『文藝』の編集長であったのは、二年たらずの短い期間であるが、彼はその間に中身の濃い凝縮した仕事を残した。半世紀以上前、まだその名が知られていない新人の丸谷才一、辻邦生、山崎正和、黒井千次、日野啓三、竹西寛子などが、すでに誌上に足跡を残している。類い稀なる大努力家だった彼は、寸暇を惜しんで同人雑誌を読みふけり、作家の卵たちを集めて、毎月『文藝』新人の会を開き、意見交換を行っていた。坂本一亀はそうした交流のなかで、刺激しあい、競いあう彼らの将来を期待し、次代を担う若者たちに夢を賭けたのだろう。坂本一亀は文学への高い志を抱き、愚直に夢を追うことの出来た時代の最後の編集者だったといえよう」(田邊園子『伝説の編集者 坂本一亀とその時代』。河出文庫版)。
 この時代、坂本一亀が純文学の編集者でなければ、日本の戦後文学は、変わっていただろう、と私は強く思う。
 
 ★ ひまわり畑と青空
 
 いやあ、本当に山がないのですね!
 
 10年ほど前。ウクライナのキエフ(ウクライナの首都・現キーウ)周辺の郊外の田園地帯に行った時のことだった。キエフからチェルノブイリに向かう車は、北へ向かってまっすぐ伸びる道路をひたすら走っていた(ウクライナの旧キエフを繋ぐ主要な道路は、概ね北へまっすぐ続いている。北とは、モスクワのこと。有事になれば、モスクワから戦車群が首都を攻めてくるらしい。
 ウクライナ戦争では、ロシア軍は、旧キエフを攻めたが、失敗した)。車の中から360度の風景を見渡しても山など一つも見えない。この世は、天と地だけで構成されているということか。4月下旬とあって、まだ、畑は茶色一色だった。それでも、この開放感。これじゃ、島国育ちの日本人と田園国育ちのウクライナ人とでは世界観も違うのは当たりまえだなあと思ったものだ。海と山で細かく区切られた日本。
 
 それが、新聞を見ていたら、朝日新聞の夕刊(3月4日付)に「ひまわりの色 平和の色」という記事が掲載されていた。糸沢たかしさんというカメラマンの写真が、まさに私が昔見たような風景と同じ構図なのだった。ただし、全然違うのは、青空の下には、あたり一面の黄色い花が乱舞しているようにも見えるし、黄色い巨大なカーペットを敷き詰めたようにも見える。写真には、ウクライナ東部・ルハンスク市郊外のひまわり畑とキャプションが明記されている。2013年8月4日撮影と書いてある。私が見た風景とは、季節が違う。その違いが大きい。
 
 それが、いま、ウクライナでは、私が見たような茶色一色の風景が、あちらこちらに広がっているらしい。記事を書いた記者・畑宗太郎さんは、記事の冒頭を次のように書いている。
 「ウクライナのひまわり畑は美しく、心やすらぐ場所だった。だが、紛争(? ウクライナ『戦争』——引用者)で自分たち家族は家を追われ、畑は荒れ地になった」。糸沢さんは17年にルハンスクで見た光景を思い出す。「本来ならひまわりの大輪が咲き始めるはずの畑には、雑草が伸びていた」。今は、戦火に侵されて雑草も伸びていないかもしれない。私が11年前に見た風景も、今は失われたままなのかもしれない。ウクライナは、どこまで国土を奪われるのか。
 
 新しい兵器に助けられて反転攻勢は成功するのか。成功して戦争には勝ったとしても、失われた自然や人々、この広大な田園風景は、いつになったら元に戻ることができるのか。
 
 ★青と黄色のツートンカラー
 
 ツートンカラーは、ウクライナの国旗の色であり、デザインである。色の方は、判りやすい青は空だが、黄色は、大地。しかし、大地の黄色はひまわり畑ではなく、農業、就中(なかんずく)小麦のシンボルカラーである。
 
 ウクライナと日本人。どういう関係があって、日本人はウクライナに関心があるのか。毎朝毎日、ウクライナとロシアの戦争のニュースが日本のテレビで流れてくるし、それを多くの視聴者が見続けているから、不思議なのだ。この1年間もこの連載でも何回か触れてきたように私の場合、2012年4月17日から23日まで旅したウクライナ視察(1週間の日程)が私の体験の根底にある。この時期、ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所(以下、「原発」と略記する)周辺の現地視察が当局の許可制ながら外国人にも開放されるようになったのだ。私は日本ペンクラブのメンバーと一緒に行った。ウクライナは、まだ冬の季節だというので、日本の真冬の防寒着を用意して、私は、作家たちの一行に紛れるようにして、ウイーン経由キエフに向かった。福島第一原発にも甚大な被害をもたらした東日本大震災の翌年であった。
 
 1986年4月26日、当時の旧ソビエト連邦ウクライナ共和国の北部にあるチェルノブイリ原発で世界の原発開発史上最悪の事故が起き、多数の死亡者と現在も続く環境汚染・健康被害などをもたらしたのだ。25年後の2011年、現地視察の規制が若干緩められたというわけだ。その一方で、2011年3月11日、日本では東日本の太平洋沖で大地震とそれに伴う大津波が発生し、福島第一原発のある福島県大熊町では、震度6強の揺れに見舞われ、大きな被害を出した。2012年は、チェルノブイリ原発事故から25年+1年、福島第一原発事故から1年、という位置にある中で、福島原発事故の実相を知るためには、チェルノブイリ原発事故の実態を学ばなければならないのではないかという問題意識で、私たち日本ペンクラブ有志一行は空路、ウイーンへと旅立ったのだった。
 
 私の場合、チェルノブイリの事故という直接的な接点がウクライナと私の間にあったということがウクライナ戦争を考える場合、大きく影響していると感じている。しかし、多くの日本人は、そういう直接的なウクライナとの縁がなかったとしても、ウクライナ戦争では、マスメディアの報道ぶりから受け止めているロシア軍の動向などからロシアを批判したり、憎しみを感じたりしながらこの1年間もウクライナを応援したりしてきたのではないだろうか。日本人は、なぜ、ウクライナを応援するのか?
 
 内閣府が、今年の2月3日に発表した世論調査の結果が、マスメディア各社のニュースとして伝えられた。調査のテーマは、内閣府の「外交に関する世論調査」というものだが、調査対象をウクライナやロシアに絞った個別具体的な世論調査ではなく、各国横並びの比較調査(例えば、「好感度・親近感」調査のような概括的なものに思える)なので、このままのデータでは、方向を狙い定めて撃っていないボールのような気がする。ボールの行く先はどこに届くか、あまり役に立たないかもしれない。WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の試合で大谷翔平の打ち上げるボールのようにターゲットのスタンド奥に向かって直行する球跡を描かないかもしれない。
 
 贅言;WBC「ワールド・ベースボール・クラシック」とは、「野球の世界一決定戦」のこと。
 
 さて、この世論調査の結果が、どこまで信頼性を持てるかというと、あまりにも単純な調査方法なので、私には、心もとないが、とりあえず、ここではこのデータから窺えることだけを書いておく。
 
 それによると、ロシアに「親しみを感じる」「どちらかというと親しみを感じるという回答は、前回(2021年)調査に比べて8.1ポイント減り、5%となったという。減り幅が大きくはないか。ここは、注目すべきデータではないのか。原資料を見ていないので「解釈が間違ったらごめんなさい」だが、このデータは、ロシアに親しみを感じていた人が前回の13.1%から今回は5%に減ったということなのではないのか。これは「ロシア好意派」のかたまりが激減したということではないのか。
 ウクライナ侵攻を背景に対ロシア感情が「悪化」していると内閣府調査担当者は分析しているということであった。「悪化」という用語のニュアンスより、私の印象は「甚大」であるように受け止めた。
 ロシアへの悪感情は、戦場がウクライナ国内だけに限られていること、ロシア領土(国内)リアルなは、ほぼ無傷ではないのか。一方、ウクライナは、亡国の淵に立たされているが、ゼレンスキー大統領以下皆国民は力を合わせてロシアに抗っている。ロシア本土は、保全されたままではないのか。ウクライナでは、戦場が市民生活の場になり、市場、学校、病院など無差別にミサイル攻撃されていること、非戦闘員の市民たちが、ロシア軍の兵隊や兵器で、これも無差別に惨殺されていること、日本では特に、侵略戦争の怖さが、毎日、朝から夜までテレビやパソコンからリアルに伝えられていること、そういう場面や情報が、テレビのこちら側の全世界の人々に伝えられていること、特に、日本には「判官贔屓」という感情があり、ロシアとウクライナのような巨大な国家と小さな国家の戦争には、この感情が大きく作用しがちだということもあるのだろうと思う。
 
 贅言;「判官贔屓」(「はんがんびいき」、あるいは、歌舞伎などでは、「ほうがんびいき」と読む)。判官贔屓とは、日本人が源頼朝に負けた源義経に対して抱く客観的ではない、同情心、愛惜の心情のことをいう。
 
 ︎参考までに触れておくと、記事から見たデータでは、「現在の日ロ関係」についても聞いている。
 「良好だと思う」「まあ良好だと思う」という答えは、17.5ポイント減の3.1%だったという。この項目も、減り幅が大きい。
 
 「今後の日ロ関係」のあり方については「重要だと思う」「まあ重要だと思う」と答えた人は、前回より15.4ポイント下がって、57.7%になったという。「親近感」、「関係良好」、「今後も重要」の項目について、読売新聞の記事では、この調査としては、好感度は、いずれも過去最低になったという。
 ロシアは、嫌われている。若い頃、ロシア文学作品を愛読した身には、辛い結果である。
 
 「1978年の調査開始以来、過去最低。ウクライナ侵略が影響したとみられる」というのは、読売新聞の記事。
 
 この調査は、去年(2022年)の10月6日から11月13日まで郵送で実施されたという。対象は、3000人で、回答は、1732人、回答率は、57.7%だったという。
 
 ★「戦争犯罪」プーチン氏に逮捕状
 
 上記の見出しは、朝日新聞のだが、各社の3月19日付朝刊記事・テレビニュースなど参照。「国際刑事裁判所(ICC、オランダ・ハーグ)は17日、ウクライナから子どもを連れ去った疑いで、ロシアのプーチン大統領に逮捕状を発行した。プーチン氏が日本などICC加盟国を訪問すれば逮捕される可能性がある」という。
 以下記事をざっと紹介する。子どもの連れ去りについては、プーチンが「直接的に関与した疑いがあり、「十分な証拠がある」と新聞は伝えている。「ウクライナは、今年2月末までに少なくとも1万6221人の子どもがロシアに連れ去られたと主張している」という。一方、ロシアのペスコフ大統領報道官は「言語道断で受け入れられない」と反発。「(略)ICCの発表は、中国が習近平国家首席の訪ロを発表した日に当たる」(朝日新聞)と、背景の政治状況を示唆するような原稿の書き方をしている。
 
 そのご当人、プーチンはパフォーマンスをしている。「ロシアのプーチン大統領が、ロシア軍が占領下に置くウクライナ東部ドネツク州の港湾都市マリウポリを訪問した。19日、ロシア大統領府が発表した。侵攻が長期化して目立った成果が上げられない中で、掌握した地域への電撃訪問で支配を誇示する狙いがあると見られる」。誠に、シンプルな猿芝居である。
 
 ★ ICCとは?
 
 ICCは、国際刑事裁判所。ICCは、非人道的な行為を犯した個人を裁く世界初の常設国際裁判所として2002年に設立された。現在は、123の国や地域が加盟している。ウクライナ戦争については、日本など約40の加盟国が去年3月、ICCに捜査を付託している。ICCがプーチンに対する逮捕状を発行したことで、プーチンは戦争犯罪の容疑者になった。元首逮捕のハードルは高いが、プーチンの国外への移動は制約されることになる。ICCのホフマンスキー所長は「逮捕状の執行は国際的な連携次第だ」と述べるように、国際的な協力体制をどこまで具体化できるかが課題となる。
 専門家によれば、現職の国家元首は「国際慣習法」で逮捕・訴追されない特権があるという。これに対して「ICC規程」では、重大な戦争犯罪の場合は、たとえ元首であっても『重大な例外』として、逮捕・訴追できるとしている(この部分は、朝日新聞3月19日付朝刊記事を参照してまとめた)。
 
 プーチンがICC加盟国を訪問した場合、その国はプーチンを拘束しなければならない。ロシアと関係が深い国が国際慣習法を重視して、プーチンの逮捕を見送る場合も可能性は高いかもしれない。
 そうすると結局、国際社会はパワー(権力)が最上位の国家が判断を示すということになるのだろうか、と思う。国連の運営も、こうした国際刑事裁判所の運用も、巨大国家、先任国家など既得権を持っている国家が理に合わないパワーを発揮する余地を残すシステムが残ってしまうのか。このシステムを変えていかない限り、「後発の理念」は、「先発の現実」には、なかなか勝てないことになり、国際社会の改革は、また、また、置き去りにされ、ロシアのような国家、あるいは指導者は、いつまでもパワーをむき出しにして自らの延命だけを図るということになるのだろう。
 
 立命館大学の越智萌准教授の記事を引用する(前掲同紙)。
 
 越智准教授の分類によると、プーチンが拘束されるケース(可能性)は、
 以下の通りだという。
 
 ①ICC加盟国を訪問した際に逮捕状が執行される。
 ②政権が転覆し、プーチンが引き渡される。
 ③別の国の軍隊が前線近くでプーチンを拘束する。
 
 だとすれば、プーチンを受け入れる国家が政治判断を迫られることになる。それは、どういう状況になれば、力を発揮できるのか。
 
 ★なぜ、「死亡ゼロ」にならないのか
 
 3月22日:ウクライナ中部のキーウ州で、職業訓練学校がロシア軍の自爆型のドローンで攻撃され、23日朝までに9人が死亡したという。
 学校は、首都キーウから南東へ約60キロ離れたドニプロ川沿いのルジシチウ市にあり、2棟5階建ての学校寮の上階部分と3階建ての校舎が部分的に崩壊したという。
 中西部ジトーミル州などでも、ミサイル、ドローンの攻撃あり。
 中南部ザポリージャで、集合住宅に着弾し、1人が死亡したほか子ども3人を含む33人が負傷したという。ザポリージャでは、3月2日未明にも5階建ての集合住宅がミサイル攻撃を受け、少なくとも13人が死亡しているという。アトランダムに、ロシア軍に殺されたウクライナの市民たち。歴史の隙間に落ちこぼれるように暗闇の中に吸い込まれて行く人々。日本の生活の場で起きた交通事故なら警察が調べて記録を残して行くが、ウクライナでは、
 生活の場に突然飛び込んできた兵器で戦禍が積見上げられて行くばかり。新聞も、ローカルメディアの報道を追いかけて紙面の片隅にでも、それでも記録をも越して行くのがやっとなのかもしれない。日常化しているミサイルやドローンによる攻撃。1人、2人と交通事故の被害のように死亡者が増えて行く人々。学校の寮で寝ていたら、殺されたというような社会は、なくさなければならない。
 死亡者を毎日増やさないようにすれば、「死亡ゼロ」になる日も、いつかは来るのではないか。その時、周りを見渡せば、戦争は終わっているのかもしれない。そういう細部に宿る神の姿も、ジャーナリストは、世界に伝えなければならない(朝日新聞3月23日付朝刊記事参照)。
 
 ★核兵器拡散とベラルーシ
 
 プーチンは、25日、「ベラルーシに戦術核を配備することで合意したと明らかにした」(朝日新聞3月27日付朝刊記事より引用)という。米欧側は、「プーチン氏による新たな核による脅しとみて、冷静に対応する構えだ(前掲同紙)」という。
 
 「プーチン氏は、『戦術核を引き渡すことはない』と管理権は渡さないとしながらも、すでにベラルーシの軍用機10機が準備態勢を整えたほか、核兵器の搭載が可能な短距離弾道ミサイル『イスカンデル』をベラルーシに引き渡したと述べた」という(いずれも、引用は前掲同紙)」。プーチンは、核戦争の兵器をチラつかせながら、国際社会を脅す。こういう類(たぐい)の人間に、なぜ国際社会は、国を代表させ、頭を出させては、ヤクザまがいの科白を吐き出させるのだろうか。国際政治の「装われた」幼稚さが垣間見えるようである。
 
 「ロシア国防省は3月28日、ロシア極東に近い日本海でロシア太平洋艦隊のミサイル艦2隻が超音速の巡航ミサイルを発射し、約100キロ離れた目標に命中させたと発表した」という。北朝鮮だけではないよと日本を威嚇するロシア。
 
 ★ 核戦力のデータ共有
 
 アメリカ政府は3月28日、米ロ間の「新戦略兵器削減条約」(新START)に基づく核戦力のデータ共有を停止すると明らかにした。ロシアがどう条約の履行停止を一方的に宣言し、データ交換の義務を果たしていないことを受けた対応だという(前掲同紙参照)。アメリカの副報道官は、「合法的な対抗措置だ」というが、それなら、アメリカは、もっと懐の深さをロシアに見せつけて、条約に留まる上に、データの交換も続けて見せてやれば良いのに、と思わないのか。
 
 
 ★ 「増える移民 排除強める欧州」
 
 セルビア南部プレシェボの移民・難民の保護センターのスロボダン・サボビッチさんは、「ウクライナの陰で、難民の存在が忘れられている」という。ベオグラードを拠点に難民支援に取り組むNGOのラドシュ・ジューロビッチさんは、「EUはウクライナとそのほかの国々の難民の扱いでダブルスタンダードを設けている」と話す(朝日新聞3月31日付朝刊記事参照)。「イタリアでは2月、NGO船による救護活動を制限する法律が成立した」。英国では3月7日、英仏海峡を渡ってきた不法入国者をただちに拘束して国外追放とし、再入国や将来の難民申請も認めないとする新たな法案を政府が発表した」という(前掲同紙)。
 
 ★放送法に政治は、介入(干渉)すべきではない(続き)
 
 前号で触れた問題だが、放送は新聞や雑誌と違って、本来は「民主主義のメディア」であるべきなので、継続して考えてみたいと思う。
 
 まず、放送法の構造を私なりに整理しておきたい。
 
 戦前の放送といえば、ラジオ放送である。当時の最大メディアのラジオが伝えたことはといえば、私らの世代より上の人たちは、軍部からの命令・指示を伝える大本営発表や敗戦時の天皇の「終戦の詔書」朗読の印象が強いだろう。
 
 「大本営」(だいほんえい)は、日清戦争から太平洋戦争までの戦時中に設置された日本の陸軍・海軍の最高統帥機関。大本営の設置は統帥権の発動に基づくとされる。平時には、統帥部(陸軍参謀本部と海軍軍令部)や陸海軍省に分掌される事項を戦時には、一元的に運用するために設置された。
 
 贅言;大本営発表とは、1937年11月から1945年8月までの期間、日中戦争および太平洋戦争において、日本の大本営が行った戦況の公式発表である。
 太平洋戦争の初期までにおいては、日本の大本営は戦果を概ね正確に発表していたが、1942年の作戦が頓挫した際の発表から戦果の水増しが始まった。以降は戦況の悪化にかかわらず、虚偽の発表を行なっていた。ウクライナ戦争でも、ロシアが公表する戦死者の情報などは、虚偽のフェイクニュースであるなど、時代、状況を問わず、戦況の情報には、「戦略的な粉飾」は付き物であるらしい。それが転じて、権力者などによる「信用できない情報」を揶揄する慣用句としても「大本営発表」という用語は使われている。
 
 だから、敗戦後、日本の非軍備化を目指したGHQは、ラジオの放送体制改革にも手をつけ、事実を放送するためにも、他者の介入を戒める放送法を制定した。
 従って、放送法の真髄は、第3条にあると思っている。そのために、まず、第3条を読んでいただきたい。
 
 第3条のサブタイトルには、「放送番組編集の自由」と書かれている。
 
 そして、条文には、「放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人(なんぴと)からも干渉され、又は規律されることがない」とある。
 
 この「何人」というカテゴリーには、政治家などは、真っ先に入るし、中でも強力な権限を持った権力者も当然入る。彼らは、(例えば、法律に違反することがない限り)放送番組に口を出せないし、手も出せないはずである。「干渉されることがない」という意味は、「法律に定める権限」以外の政治の「介入」は許されない、という意味である。ここでは、放送の自由、表現の自由が、権限による「干渉(いわゆる介入)」より優越しているというように読むべきである。
 
 岸田首相は、以前に福島を訪れた際、地元の青年に「どうして首相になろうと思ったのか」と聞かれて、首相はこう答えたという。「日本で一番権限が大きい人なので」と。首相の権限は、選挙を通じて国民から負託されたものであることを忘れてはならないと思う。
 
 それに従えば、放送は国民のためのもの。民主主義を資するもの。なのに、何を勘違いしたのか、放送をコントロールしたいという政治家や官僚が後をたたない。よほど旨味があると思っているのだろう。総務大臣経験者は、皆、放送、あるいは放送局を自分の権限下に起きたくてしょうがないらしい。これは、国民の安寧、公共の福祉のために権力を監視するジャーナリストならば、国民に代わって一つ一つ「政治」の勘違いを潰していかなければならないのは、当然だろう。この項目は、朝日新聞3月25日付の「天声人語」に引き出された首相と福島の青年の問答のエピソードを参照した。
 
 岸田首相のように政治体制の頂点に立つ政治家が、権力をこういう認識で振るっているのだとすれば、国民の自由度は、さぞや低かろうというものである。
 日本もロシアもあまり変わらないのではないか。
 
 ★報道の不自由度ランキング
 
 報道の自由度ランキングとは毎年「国境なき記者団(Reporters Without Borders/ Reporters Sans Frontières )、(以下フランス語の——引用者)「RSF」を使う」によって調査・発表される報道の自由に関する国際的なランキングのことである。ランクづけは、世界各国の報道機関の活動や逆に「規制」をチェックし、報道メディアの独立性、透明性、自律性など多項目をスコアか、その総計を数字かして順位をつけ、毎年発表している。この結果、各国の報道・言論の自由に対する現況や姿勢が読み取りやすくなっている。
 
 さて、最新の「報道の自由度」は、どうなっているか。
 まず、評価基準は?
 以下は、2022年から採用された項目である。
 
 1.政治的コンテキスト
 2.法的枠組み
 3.経済的コンテキスト
 4.社会文化的コンテキスト
 5.安全性
 
 以上のスコアの数値が、高いほど報道の自由度が高いと評価される。
 2022年の調査対象国は180ケ国。以下、RSFが2022年5月3日に発表したランキングとスコア(グローバルスコア)を一部引用する。グローバルスコアは100を満点とする。
 
 例えば、上位3位まででは、
 
 1位:ノルウェー   92.65 
 2位:デンマーク   90.27
 3位:スウェーデン 88.84
 で、馴染みのヨーロッパ勢の顔ぶれが並ぶ。
 私が関心を持つ国では、次の通りである(スコアは省略)。
 
 42位:アメリカ
 71位:日本
 106位:ウクライナ
 155位:ロシア
 175位:中国
 180位:北朝鮮
 
 日本は、じりじり下がっている。報道の自由度を上げる努力の効果が出ていない。
 
 ★放送法とGHQ
 
 さて、放送法である。放送法は、戦前の無線電信法に代わるものとして電波法、電波監理委員会設置法とともに「電波三法」の一つとして1950年(昭和25年)5月2日に公布、同年6月1日より施行された。占領期の戦後日本。GHQが、まだ権限を持っている時代である。
 
 贅言;GHQ(連合国最高司令官総司令部。マッカーサー連合国最高司令官)は1945(昭和20)年9月2日~1952(昭和27)年4月28日までの占領期間(7年間)に、日本政府に対して「覚書」を発し、「戦前からの脱却」を狙うさまざまな施策を行うよう命じた。「放送法」は、まさしく脱却のシンボルともいうべき重要なターゲトであった。
 
 戦前の大本営放送からの脱却を狙うGHQ、占領期間解除まで2年間ほどの国政を担当するのは、第1次吉田茂内閣(1946年5月22日から1947年5月24日)、片山哲内閣、芦田均内閣を挟んで、第2次から第5次吉田茂内閣(1948年10月15日から1954年12月10日まで)。電波三法のうち、電波監理委員会設置の取り扱いを巡って、吉田政権とGHQは、綱引きをしていた。マッカーサーが、覚書を出して委員会制定を決めたが、朝鮮戦争での原子爆弾使用を巡って、ルーズベルト大統領と対立して、解任されたマッカーサーがアメリカに帰国した後、吉田政権は、行政改革の一環と称して独立行政委員会の整理が断行され独立行政委員会である電波監理委員会(1950年6月から1952年7月)は、わずか2年で廃止された。内閣の権限強化を狙ったのは、第3次吉田茂内閣であった。あるべき放送の姿を巡って、GHQと政権が、しのぎを削っていた時代があったのだ。
 
 放送法の条文で次に大事なのは、第4条である。ここの条文は、放送番組の編集の基本的なルールを簡潔に述べているので、テレビの編集者は座右の銘として、編集作業をする場所には、貼付して置くべきだろう。
 
 放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という)の放送番組の編集に当たっては、次の各号の定めるところによらなければならない。
 そして、以下のように、4つの項目がコンパクトながら、番組編集の原理を伝えている。
  
 一 公安及び善良な風俗を害しないこと。
 二 政治的に公平であること。
 三 報道は事実をまげないですること。
 四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。
 
 第4条は、内容的に第1条とダブっている部分がある。GHQは、放送の民主化を目指して、少し大雑把な「道具」を使って、荒っぽく民主主義の木を剪定しているように見える。第1条とダブっていないが、残さなくても良い部分が残っていたりする。駆け足で条文を貼り付けているように見える。
 条文は、若干、字句説明をしたい。
 
 「公安」、「善良な風俗」という用語は、GHQ、いかにもアメリカが拘りそうな戦後日本の価値観を浮き彫りにしそうな課題であった。
 
 「政治的」公平とは、「不偏不党」のこと、首長が一党一派に偏らない。形式的な平等主義。時間配分・カメラワークなどの機械的な配分。
 
 ただし、政治家が放送局に文句を言ってくるのは、自分の情報、あるいは自分が所属する党派の情報について、不公平だと思った時に文句を言ってくるようである。干渉(介入)が問題なのであって、干渉、介入をさせないのなら、事実を歪める「捏造」(あってはならないことだが、もっと本質的な表現の自由こそ大事だろう)など、論理のすり替えであり、この種の議論の対象としては問題外として切り捨てるべきだろう。
 
 第1条は、第1章 総則 (目的)第1条の条文は、以下の通りである。
 
 第1条 この法律は、次に掲げる原則に従って、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする。
 一 放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。
 二 放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること。
 三 放送に携わる者の職責を明らかにすることによって、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。
 
 ★「捏造論議」からの脱却(「放送法」のためのメモ)
 
 第一条 放送による、表現の自由、民主主義の発展、(理念)
 二 放送の不偏不党(党派に偏らない)、真実及び自律(独立性)を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。
 三 放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。
   総務大臣は、放送が民主主義の発達に役立つように努めなければならない。「捏造論」などもってのほか。干渉(介入)することこそ、違法である。
 
 第二章 放送番組の編集等に関する通則
 放送番組編集の自由(編集権)
 
 第三条 放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。「干渉」=「介入」(拒否)。「規律」=「自律」(保障)。
 
 国内放送等の放送番組の編集等
 
 第四条 (略)「放送番組の編集に当たっては、次の各号の定めるところによらなければならない。」
 一 公安及び善良な風俗を害しないこと。1950年、GHQの時代。
 二 政治的に公平であること。不偏不党 、選挙報道が典型。
 三 報道は事実をまげないですること。今なら、フェイクニュースの防止。
 四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。視聴者が判断しやすいように多元的に情報を提供する。
 
 ★ 極秘裏、岸田首相ウクライナ訪問
 
 インドのモディ首相との首脳会談を終えた後、岸田首相は、新聞の総合ページ最下段「首相動静」(朝日新聞)という活字が小さいコーナー。3月21日、22日付朝刊記事より、それぞれ引用。
 
 (現地時間20日)「午前、政府専用機でインド・ニューデリーのパラム空軍基地着。(略)日本大使公邸で日系企業関係者と食事。宿泊先のタージパレスホテル。」
 (現地時間20日)「午後、インド・ニューデリーのタージパレスホテルを出発。ポーランドに向け航空機で出発。」とのみ掲載。
 
 この時の一面は、「首相,キーウ訪問」の見出し。「ゼレンスキー氏と会談へ」(朝日新聞。情報や映像は、NHKと日本テレビが各社に比べて映像面の取材で、抜きんでていたように感じた。
 
 「首脳会談」が首相のパフォーマンスであっても良いのではないか、基本的なメッセージは、きちんと全世界に伝わったのではないか。
 
 一方、モスクワでは、プーチンと習近平の両首脳が「首脳会談」をした。
 
 ●:「国家主席の再選を直接お祝いできてうれしい。あなたの功績に対する中国の正当な評価だ」。
 これに対して、
 ●:「来年の大統領選挙は承知している。ロシアの人々があなたを強力に支持すると確信している」。
 
 二人の独裁者は、このような歯の浮くことを言い合っているのだろうか?
 同時期にキーウではウクライナと日本の「首脳会談」が開かれ、共同声明が出された。しかし、中ロの声明は、表面では「対話」を求めながら、ウクライナ東部の一方的な併合には、頬かむりをしているという不誠実な声明であった。中国の首脳は、なぜ、友人としてロシアの首脳に、侵略戦争はダメだと的確で親身な助言をしてやらないのだろうか。
 
 別の共同声明の一部:「ロシアは、直ちに敵対行為を停止し、ウクライナ全土から全ての軍および装備を即時かつ無条件に撤退させなければならない」。
 
 ★汚職か? 敗戦責任か?
 
 ウクライナ戦争は、ロシアもウクライナも、総力戦に入っているのだろう。どちらかが、消耗戦の果てに力尽きるか。ロシアは、動員兵の補給による軍事力の復活を待っているのだろうか。ウクライナは、アメリカやNATOからの軍事支援による戦車部隊を待っているのだろうか。
 
 ウクライナは、前政権やゼレンスキー政権初期から続く汚職の芽は、摘み取ったのだろうか。2月、東部軍司令官が解任された。2月26日 のロイター電やCNNなどによると、ウクライナのゼレンスキー大統領は26日、東部でロシア軍との戦闘を指揮する軍の上級司令官を解任した、という。解任されたのは、東部ドンバス地域で戦う統合軍のエドアルド・モスカリョフ司令官。
 CNNによると、この司令官は、「対ロシア統合軍事作戦」の司令官、モスカリョフ少将という上級司令官。モスカリョフ氏は去年3月、前任のパブリュク中将がキーウ州知事に任命されたのに伴い、現職に就いていたという。ウクライナの軍事体制の人事は、任命制の行政体制の人事と一体運用になっているようで、軍人・行政マンが混在しているようだ。この人事について、ゼレンスキー大統領は解任の理由を説明しなかった、という。少将は、汚職でもしたのか、あるいは、東部での敗戦の責任を取らされたのか、または、何か別の意図があって、擬制の解任劇の片棒を担がされているのか、私にはわからないが、何かありそうな「匂い」が記者の「鼻(匂い)」をくすぐる。
 
 ウクライナでは最近、汚職撲滅に向けた捜索や取り締まりが全国で展開され、政府高官らが相次いで解任されている。
 モスカリョフ氏の解任がこれに関係しているかどうかは、今のところ明らかでない。
 
 ★北朝鮮と米韓軍事演習
 
 「19日午前11時5分ごろ、北朝鮮が北西部の平安北道東倉里付近から日本海に向けて短距離弾道ミサイル1発発射した。韓国軍の合同参謀本部が発表した。北朝鮮は米韓が実施中の合同軍事演習に強く反発しており、対抗措置として弾道ミサイルの発射を繰り返している」。
 
 戦争は、こういう形のまま、ちょっとした「誤射」とか、「故障」とかが原因となって、「本番」へとなだれ込んで行くのだろうか。「勘違い」でボタンを押してしまう。「不具合」で違った回路にスイッチ・オン! ありえそうだね。
 
 ★ 国家防衛政策と有識者会議
 
 ロシアに蹂躙されるウクライナの姿は、童話に出てくる巨人国と小人国のイメージが湧いてくる。そう、「ガリヴァー旅行記」( Gulliver's Travels)。アイルランドの風刺作家ジョナサン・スウィフトの作品である。
 
 ロシアはウクライナを独立した国家としては認めていないのだろう。だから、ジェンダー、性差別と闘う人々と同様に、いわば「身内(家族)国家」というような勝手な国家観(身内ゆえに、一人前扱いしない、というような家族・国家観)の持ち主の差別主義者である独裁者には己の存在をかけて対抗しないわけにはいかないだろう。いわば国家差別主義者のプーチン。しかし、実際は、西側の民主主義の維持のためにロシアに果敢に抗うウクライナという姿も見えてくる。ウクライナを支援するアメリカ。ロシアVS.「アメリカとNATO」。東アジアでは、「ロシア・中国・(北朝鮮)」VS.「アメリカと日本・韓国・フィリピン」。中国が、台湾侵攻や海洋侵攻を狙っているような動きを見せている。中国の専制主義者は、ロシアの専制主義者同様に、侵略を狙っているのか。ロシアや中国は、グローバルサウスとの連携を狙っている。国際社会は、利害関係がこんがらがっているように見える。
 
 国際社会は、21世紀も間も無く、4半世紀(25年間)になる、というのに、というか、4半世紀だからこそ、いまだに混沌としているように見えるのかもしれない。利害主義。実力主義。弱肉強食。多極化した国際社会の荒野は、果てしない。
 
 アジアの情勢は、どうなるのか。それは、日本の防衛政策を覆う日米軍事同盟が日本列島にさらに大きな戦争の影を落とし始めたからだろうか。日本も一気に戦争の時代に大きく傾いてきているように思えるのは、哀しい。それなのに、日本の国家安全保障政策は、日米軍事同盟のアメリカの「圧力」に押されて予算だけは、椀飯振舞いで計上されているが、予算の中身は、軍事秘密に関わる部分もありという口実で、国会のような開かれた場ではきちんとしたオープンな議論がなされていないのではないのか。
 
 有識者会議について、なかなか読者サイドには、中身が聞こえてこない。朝日新聞は「安保の行方 議事録をたどる」というシリーズ記事で検証しているので、紹介したい。シリーズの1本。3月9日付朝刊記事を議事録の例示として参照したい。
 
 「議事録を読む限り、敵基地攻撃能力をめぐる議論は、必要性を強調する意見が大半を占めた。本当に必要なのか。憲法に基づく『専守防衛』との整合性、国際法違反の『先取攻撃』とならないための運用などについて突っ込んだ議論は見当たらない」。
 
 肝心の原理的な議論は棚上げか、意図的な置き忘れか知らないが、誰かが土俵に持って行くだろうとばかりにそっぽを向いている。「戦力」は、「抑止力」と呼ばれたり、「敵基地攻撃能力」と呼ばれたりするばかりで、中身を点検しないまま、いつしか国民の身近なところに積み上げられて行くのではないのか。大きな荷物を前に、とにかく危機の時代だ、戦力は必要だ、と皆が口々に強調する。それも、有識者たちでさえ、この有様だ。
 
 ★そこのけ、そこのけ「戦争」予算が通る
 
 「国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議」は、去年の9月から11月にかけて、合わせて4回会議を開いた。敵基地攻撃能力(反撃能力、いわゆる「戦力」)の保有、防衛力の増額とそのための財源が議論されたが、専守防衛の理念との整合性や法的・運用面での課題、費用対効果は議論されていないという(朝日新聞3月5日朝刊記事参照)。
 
 「時間も限られている」として第4回の会議では、有識者の発言時間を「1人1分半程度に制限し、最大でも「4分以内(第2回時)」とされた。会議では、有識者同士が別の有識者に質問、あるいは反論したりする場面はなく、メンバーの一人は(それぞれ)「短い意見表明」をしただけだったと洩らす。有識者からは、軍事だけでなく、外交、経済、財政基盤の強化について問題提起する場面も見られたが、「議論は深まらなかった」という。熟議どころか、議論もほとんどしていないことが浮き彫りになる。これでは、会議とは言えないだろう。聞き置くだけ。有識者のミニ報告会とでも言っておこうか。これで良いのか。国家の存立に関わる原理的な議論のはずなのに。
 
 防衛政策は、今、転換されようとしている。それなのに、見てきたように有識者会議は、議論らしい議論もさせず、戦後日本の国の形を構築していた防衛政策(戦争放棄)が、大きく変えられようとしている。「時間も限られている」などという非本質的な理由で熟語が拒否されている。岸田政権にこのまま政治の舵取りをさせていて良いのか。
 
 ★自衛隊配備の軌跡
 
 その例が沖縄だろう。南西諸島の自衛隊部隊(北から南へ)。「移駐」、「配備」と明記したもの以外は、すべて「新編」。
 
 2019年:陸自/奄美警備隊。地対艦・地対空誘導弾部隊。
 2022年:陸自/電子戦部隊。
 2016年:空自/第9航空団(那覇)。
 2017年:空自/南西航空方面隊(那覇)。同警戒管制団(那覇)。
 2022年:陸自/電子戦部隊(那覇・知念)。
 2019年:陸自/宮古警備隊。
 2020年:(移駐)陸自/高射特科群。陸自/地対艦ミサイル中隊。
 2023年(予定):陸自/警備部隊。(移駐)陸自/地対艦誘導弾部隊(熊本・健軍から)。(移駐)陸自/地対空誘導弾部隊(長崎・竹松から)。
 2016年:陸自/与那国沿岸監視隊。
 2022年:(配備)空自/警戒隊の一部。
 
 奄美大島、沖縄本島、宮古島、石垣島、与那国島。南西諸島は、中国が独自に設けた防衛ライン「第一列島線」と重なるように線引きされている。台湾有事となり、戦争が勃発すると、戦場最前線になりかねないという。表向きの主張には、本音を持ち込まず、従来の日本・専守防衛(盾)、アメリカ・他国領土攻撃(矛)という役割分担は外され、「日米共同で中国の侵攻に対峙する態勢が構築されつつあると見るのが正確ではないか。2016年の沿岸監視、2017年の警戒、2019年の警備と変わり、2020年の地対艦ミサイル、2022年の電子戦、2023年の地対艦誘導弾、地対空誘導弾と素人が見ても、一直線に侵攻防衛態勢が着々と構築されて行く様が浮き上がって見えてくるというものだ。地元住民は、「だまし討ちのように長射程ミサイルが配備されるなら黙っていられない」などと強く反発している。データを整理しながら、私の眼前に浮き彫りにされてきた自衛隊の配備の景色は、まさに「だまし討ち」そのものの「なし崩し」戦術論である。国民に知られずに、態勢構築を進めてしまえという意図がそこに見えてきた。3年後に、「台湾有事」というようなことにでもなったら、「南西諸島も戦場の一部になる」という見方が、専門家の間では、広がっているという。長射程ミサイルとともに、自衛隊は、「米中対立の最前線に押し出されて行く形」だという(以上、朝日新聞3月15日付朝刊参照、一部引用)。
 
 これに対して、アメリカ政府は、沖縄の海兵隊を2025年までに改編し、離島防衛に即応する「海兵沿岸連隊(MLR)」を設けるという。軽装化し、自衛隊のミサイル部隊と同様に対艦ミサイルを運用できるようにする。弾薬庫も増やし日米で共同使用するという。日米の相互運用をやりやすくし、将来は、指揮系統も一体化されるという(前掲同紙、3月18日付朝刊記事参照)。
 
 このように「敵基地攻撃能力」(反撃能力)を持つ長射程ミサイルの沖縄への配備の動きという課題を前に、地元では、警戒感が高まっている、という。
 
 軍備拡充より、そもそも戦争をさせないで済むように導く、という状況を日本政府は日米協力においても積極的につくる努力をすべきだろう。
 
 ならば、まず、ウクライナとロシアの戦争を終結させる努力をすべきだろう。専門家は、その可能性をどのように見ているのか。
 例えば、欧州政治・国際安全保障が専門の慶應大学・鶴岡路人准教授の見方はどうだろうか(朝日新聞2月27日付朝刊記事より引用)。かなり厳しい。
 
 *ロシアとウクライナの間で和平合意が結ばれる可能性はほぼない。
 *ロシア軍をウクライナの領土から追い出すことができれば、ウクライナは、軍事的に大成功と言えるが、それでも勝利とは言いにくい。
 *しかし、再び侵攻される恐れ(可能性)は、ある。ロシア領内からミサイル攻撃も可能だからだ。
 *ウクライナのNATO加盟が実現すれば、ロシアの次なる侵攻は防げるかもしれない。ゼレンスキー政権は、それを狙っているだろう。
 *ロシアは、ウクライナのNATO加盟を阻止するか。
 何れにせよ、鶴岡准教授の予測は、ウクライナにとって、厳しいものがある。
 
 ★「出て行け!」切手 
 
 ウクライナで2月24日、謎の画家バンクシーが描いた壁画(絵柄は、柔道少年が、男を投げ飛ばす)を再現した切手が売り出された、という(朝日新聞2月27日付朝刊記事より引用)。
 
 原画の壁画は、ウクライナの首都キーウ(旧キエフ)近郊のボロジャンカの破壊された壁に描かれている。
 去年の11月、バンクシーがインスタグラムに投稿した動画の中で取り上げていた。切手となった壁画は、少年に投げ飛ばされる男性がプーチンに似ていたことから、注目された、という。切手には「プーチン出て行け」という趣旨の言葉が書かれているという。キーウ中心部の郵便局には、切手を求める市民が大勢集まったという。
 
 ★岸田内閣:21世紀日本内閣では、3番目の長さ
 
 朝日新聞は、いつもの世論調査を踏まえて、世論調査部(君島浩記者)が、記者解説「『嫌われる』岸田内閣」という記事(3月6日付朝刊)を掲載しているので紹介したい。それによると、21世紀に入ってから日本で誕生した10の政権の長さは、以下の通り(データは掲載時。上位のみ引用)だという。
 
 ①第2次安倍晋三政権:7年8ヶ月。
 ②小泉純一郎政権  :5年5ヶ月。
 ③岸田文雄政権   :1年5ヶ月。
 ④野田佳彦政権   :1年3ヶ月。
 
 記事では、「内閣支持率は(略)低空飛行状態が続いており、高揚感は感じられない」と書かれていた。「低空飛行」、「低位安定」など、マスメディアは、岸田政権の支持率をいろいろな新語で書き付ける。
 
 以下、記者は国民に嫌われる理由を世論調査結果(不支持率)から、分析する。
 「政策の面」の不支持が、去年の7月の8%から今年の1月で、33%と急増するという。内閣「不支持率」が30%を超えたのは、10の政権のうち、管政権の31%(21年8月)と今回の岸田政権の33%だけだという。
 
 個別の政策でも、この傾向は変わらない。
 安倍元首相の「国葬」強行では、これを評価しないが59%(22年10月。以下、いずれも調査実施時期)、評価するが35%。
 「旧・統一教会」をめぐる首相の対応を評価しないが65%〜67%(22年8月〜11月)。評価するが21%〜23%。
 「物価高」対策では、評価しないが67%〜71%。評価するが19%〜21%。
 「少子化」対策では、評価しないが60%(23年2月)。評価するが36%。
 これを見ると、諸政策に対する評価の傾向は、ほぼ固定していると見るべきだろう。つまり、統計学的には、有権者の3分の2が岸田内閣の主要な政策を評価していないということだ。
 
 ★原発事故住民避難と大雪渋滞 ︎
 
 原発事故からの周辺住民の避難といえば、事故が一筋縄ではいかないような過酷で複合的な事故を想定して対策を立てておかないとシミュレーションとしては役に立たないだろう。福島第一原発の事故のように、地震、津波、停電、放射能漏れ、道路の大渋滞などがたちまち想定されそうだ。原発再稼働の旗を振っている岸田政権は、この問題をどこまで考えているのだろうか。
 
 例えば、新潟県。ここには、原発立地から見て冬の期間なら大雪による被害が想定される。東電の柏崎刈羽原発がある周辺地域では、半径30キロ圏に住む43万7000人が避難対象となるという。朝日新聞は、3月6日付朝刊記事でこの問題を取り上げ、一面トップの記事を構成した。その記事の見出しは、「原発避難 テロより怖い雪」という5段の大見出しである。「怖い雪」がクローズアップされたのは、去年の12月18日の柏崎の積雪被害があったからだ。記事の一部を以下引用すると、
 「(柏崎)市内を走る北陸自動車道が最長52時間、並行する国道8号も38時間通行止に。国道は22キロにわたって車が立ち往生した」(という)。
 
 大雪に見舞われた新潟県で冬季の原発事故が発生し、原発から漏れた放射能が周辺地域を襲う。避難しようとする住民の車も物流などで通行するトラックなども、大渋滞に巻き込まれる中で、被災者はどこにも逃げられない、という状況になることは、容易に予想される。2月7日、自治体の防災担当者が、東電や内閣府の原子力防災担当者と意見交換する会議が開かれた時、議論が集中したテーマは、「大雪の際事故が起きたら避難できるのか」という課題だったという。上記記事に寄れば、現時点までに避難計画が未策定なのは、「東海第2、浜岡、柏崎刈羽、敦賀、志賀、東通」の6ヶ所だという。避難計画は、過酷事故に備えて、原発の30キロ圏にある自治体が住民避難などの計画を作る。自治体が作った広域避難計画(緊急時対応)を首相が議長を務める原子力防災会議で了承することで効力を生む。それが未策定では、絵に描いた餅にもならないのではないか。
 
 東電は、今年、2月11日までに新潟県内5ヶ所で避難計画について住民への説明会を開いたという。ある会場で発言を求めた女性は、こう語った。「大雪で避難できない人間を守ることができないなら、再稼働しないことを求める」。
 (了)
 
 ジャーナリスト(元NHK社会部記者)

(2023.4.20)
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