【コラム】
宗教・民族から見た同時代世界

「黒人の命は大事だ」運動から見えてきたもの

荒木 重雄

 米ミネアポリスで白人警官に首を圧迫されて黒人男性が死亡した事件に端を発した「ブラック・ライブズ・マター(BLM=黒人の命は大事だ)」の運動が、5月末以来、全米、そして全世界に広がった。曲折・消長を経ながらも、運動は末永く続いていくことになろう。そこで、この運動の中で発せられた幾つかの言葉を手がかりに、運動の相の一端を振り返っておきたい。

 まずは、ブラック・ライブズ・マター(Black Lives Matter)の訳語だが、メディアでは「黒人の命は大事だ」が一般的だが、どうも、よそよそしい。せめて、散見されるようになった「黒人の命を粗末にするな」くらいでないと、その怒りの熱量は伝わってこない。

 殺害された黒人男性ジョージ・フロイド氏の姪が、葬儀で語った。「誰かが『米国を再び偉大に』と言っています。だけど、米国はいったい、いつ、偉大だったのでしょうか」。トランプ大統領の決め台詞をもじりながら、差別される黒人の側からの、米国の歴史と現状全体への、痛切な問いである。

◆ 米国社会が根底から問われた

 「イエスは白い肌、金髪碧眼でなければならないというのなら、それはキリスト教ではなく、キリスト教の衣をまとった白人優位主義だ」と断じるのは、BLM運動の活動家でもあるショーン・キング牧師である。彼は「殺すぞ」という強迫に曝されながら、ツイッターで「白いイエス」像の撤去を呼びかけた。
 パレスチナで生まれたイエスが白人であるはずはなく、「肌の白いヨーロッパ人」としてイエスを描いた彫像や壁画やステンドグラスは、白人優位主義の一形態であり、「抑圧の道具」として創作された「人種差別主義のプロパガンダ」である、という主張である。

 このたびのBLM運動の大きな特徴は、米国の歴史じたいの問い直しに及んだことである。南軍の将軍や奴隷商人ばかりでなく、米大陸「発見」者コロンブスはじめ、歴代大統領や著名な国家・社会の功労者の多くが植民地主義や奴隷制のかかわりで批判され、その銅像の撤去や引き倒しが広がったが、その矛先がついにキリスト像にまで至ったかと話題をよんだ。

◆ 広がった人種を超えた共感

 「差別の仕組みから恩恵を受けている立場にある者として、責任を感じた」。人種差別に抗議するデモに参加した一白人女性の言葉である。抗議デモは一時は全米2千カ所以上で展開され、公民権運動を率いたキング牧師が1968年に暗殺されたとき以来の盛り上がりといわれたが、このたびのデモには差別される側の黒人だけでなく、白人も黒人を上回る規模で参加し、しかも若者が多かったことが特徴的である。黒人の人権が侵されたことだけでなく、「自分たちの社会正義がないがしろにされている」ことへの憤りが背中を押したといわれる。これまでになかった現象で、米国社会の変化が感じられた。

 黒人白人ともに共有され、デモの場を盛り上げていたのは、60・70年代に公民権運動を担った世代の子どもたちの世代がつくった黒人系音楽ヒップホップだ。きわめつけはN.W.A.の《くたばれ警察(Fuck tha Police)》。92年のロサンゼルス暴動の賛歌だそうだ。
 ベトナム反戦と公民権運動が重なった60・70年代には、ロックと《We Shall Overcome》だった。

 警備にあたっていた白人警官の何人かが、片膝を地面につけて跪(ひざまず)く姿勢をとってデモ参加者への連帯を表したのも、強烈な印象を残した。
 近年、抗議集会などでよく目にする、この跪く姿勢はどこにはじまるのだろうか。2016年、米プロフットボールリーグ(NFL)のコリン・キャパニック選手が、試合前、国歌斉唱での起立を拒否して示したポーズである。

 多くのアフリカ系アメリカ人が活躍する米スポーツ界では、以前から、人種差別反対の闘いが続いてきた。ベトナム戦争当時、徴兵拒否で不公正な国家への不服従を示した伝説的プロボクサーのモハメド・アリ。68年メキシコ五輪、男子陸上200メートルの表彰台で、黒い手袋をはめた拳を高々と突き上げて黒人差別に抗議したトミー・スミスとジョン・カーロスの両選手。出場権剥奪やスポーツ界追放を受けながらも人生をかけて声を上げたアスリートの闘いの数々。

 ちなみに、トミー・スミスやジョン・カーロスとともに表彰台に上った銀メダルのオーストラリア代表ピーター・ノーマン選手(白人)も、拳こそ上げなかったが人種差別に抗議するバッチを胸にして両選手への連帯を示し、そのため白豪主義が強いオーストラリア陸上界では理不尽な扱いを受けた。

 だが、BLM運動の盛り上がりの中で、今年6月、米五輪パラリンピック委員会は、拳を上げたり片膝をついたりの行為を容認する方針を打ち出し、「この数十年間、公平や連帯を訴え、表彰台の瞬間まで犠牲にした選手の声に耳を傾けず、差別や不平等を許してきた。申し訳ないことだ」と謝罪した。
 跪くポーズの創始者キャパニック選手も、その後契約するチームがなく、アメフト界を去らねばならなくなり、NFLは跪く行為じたいを禁止したが、米五輪委同様、NFLも、今年6月、人種差別に抗議する選手たちを支持してこなかったことを謝罪する声明を出した。

 ついでにいえば、「ブラック・ライブズ・マター」という言葉が運動のスローガンとなった発端は、フロリダ州で黒人高校生を射殺した自警団員に、2013年、無罪判決が下された。そのことに対する抗議運動からであった。

◆ 黒人ゆえの日々の怯え、今も

 デモの列に銃を向けた白人夫婦。警官に追われた数十人のデモ参加者を屋敷に招じ入れて、外出禁止が解ける翌朝まで宿を与えた白人住民。さまざまな相を見せながらも、全体として、BLM運動が市民に受け入れられ、運動が要求する警察改革も進みつつあるように見えるが、黒人差別の闇の深さを覗かせる事件も起きた。

 ロサンゼルスやヒューストンの近郊などで、黒人男性の遺体が木から吊り下げられた状態で発見される事件が相次いだのである。捜査当局は早々に自殺として片付けようとしたが、遺族や地域住民は納得できない。さらにミルウォーキーでは警官や白人に殺された黒人6人の写真が公園の木に吊るしたロープの先に括り付けられているのが見つかった。かつて黒人に対する凄惨なリンチで使われた首吊り用のロープだ。

  Southern trees bear a strange fruit
  Blood on the leaves and blood at the root
  Black bodies swingin' in the Southern breeze
  Strange fruit hangin' from the poplar trees….

 「南部の木には変わった実がなる」とはじまって、変わった実すなわち木に吊るされた黒人の遺体が腐敗し崩れていく情景を描いた《奇妙な果実(Strange Fruit)》を、不世出の黒人女性ジャズ歌手ビリー・ホリデイが歌ったのは1939年のことであった。

 白人と黒人の同席を認める当時としては稀に見る進歩的な経営で有名だったニューヨークのナイトクラブ「カフェ・ソサエティ」でこの曲を初披露したときの様子を、ビリーは自伝に記している。
 「あまりにも陰惨な詩なので、これを唄うのはやはり失敗だったと思った。唄い終わっても拍手一つ起きなかった。が、一人の客が拍手し始めると、突如として客席全体が割れんばかりの拍手に包まれた」。

 クラブの支配人バーニー・ジョセフソンはビリーに、ステージは以後、この曲で締めるよう勧めた。彼女が唄い出すとその瞬間、ウェイターは仕事を中断し、クラブの照明はすべて落とされる。そして、1本のピンスポットライトが、ステージ上の彼女を照らし出す。前奏の間、彼女は祈りを捧げるように瞼を閉じて佇立する。

 黒人の虐殺が日常茶飯事であった当時、それを告発する歌を黒人女性が唄うのはあまりにも危険なことであった。が、人種差別や薬物・アルコール依存症と闘いつつ壮絶な人生を送ったビリーの代表的なレパートリーの一つとなった。
 その歌に描かれたような事件が、現在只今、2020年の5月末から6月に、数件、相次いで起こったのである。
 「黒人を躾ける」と称して残虐なリンチ殺害を繰り返した、白装束の、白人至上主義秘密結社クー・クラックス・クラン(KKK)の再来を思わせる無気味な事件である。

 だがKKKよりも、いま黒人市民が一番恐れているのは警官に目をつけられることである。疑いの目で見られ、言いがかりをつけられ、ポケットから携帯を取り出そうとすれば銃だと勘違いされて撃たれ、歩いているだけで止まれの声が聞こえなければ射殺される。ミネアポリスで黒人男性が白人警官に首を押さえられて殺された事件の本質は、彼が黒人であるが故に、「武器は持っていないし、抵抗するつもりもない、釈明したいが息ができない」という声をまったく聞き入れられなかったことにある。

 今回の事態の推移の中で、18歳の黒人青年がネットに投稿した、警官から命を守るための「母が作ってくれた若い黒人が守るべき16の戒め」が大きな反響をよんだ。それには、手をポケットに入れない、パーカーのフードをかぶらない、ことから、ガム一つでも買ったらレシートかレジ袋なしには外に出ない、白人の女性を見詰めない、職務質問されたら愛想よく協力的に。警官に車を停止させられたら、ダッシュボードの上に両手を置いて、運転免許証と登録証を出してもよいか尋ねなさい、など、細々とした注意が記されている。

 「ワシントン・ポスト」紙のデータベースによると、武器を所有せずして警察によって殺された黒人は、人口比でみると白人の4倍以上である。なぜこのような格差があるのか。たんなるヘイト(人種的憎悪感情)ではなさそうだ。

 黒人に対する警察の暴力には、奴隷制時代に遡る長い歴史が影を落としているといわれる。奴隷所有者は懲罰で奴隷を死なせても、それは自分の財産に欠損を生じただけで、法に問われることはない。自警団は過酷な労働や虐待から逃れた奴隷を捕らえると、暴行を加えて連れ戻す。
 1865年に合衆国憲法修正第13条をもって奴隷制度は終わるが、「奴隷労働力」を失って混迷した米国白人社会は、別の形で黒人たちの労働力を搾取することに着手した。すなわち黒人たちを徘徊や放浪などの微罪で摘発して刑務所に送り込み、こんどは「囚人労働力」として、鉄道や道路など米国近代化に必要なインフラ建設に利用したのである。これをもって白人警官による「黒人狩り」が常態化した。

 その後も、麻薬所持などを理由に黒人の大量収監が続く。警官が狙うのは白人が使う高価なコカインよりも黒人が使う安価なクラックだ。しかも多くの州では、黒人が麻薬や窃盗などで一度有罪になると一生投票権が剥奪され、これが過去の大統領選挙で共和党に有利に働いてきたとされる。
 かくして急増する刑務所は、囚人たちの労働搾取に加え、施設の建設、警備、食事の大量発注などにより、米国内の一大ビジネスと化している、といわれる。

◆ 米国を超え差別構造を問う

 BLM運動による構造的な問いが米国を超えて広がったことも、このたびの大きな特徴である。たとえば英国。ヘンリー王子は英連邦の若者リーダーのビデオ会議に「過去に犯した制度化された人種差別を認めず前進できる道はない」とのメッセージを寄せた。
 奴隷商人エドワード・コルストンの像は倒され、500人余りの奴隷を所有していた農園主ロバート・ミリガンの像は撤去され、チャーチルも帝国主義・植民地主義が厳しく問われた。
 また、カンタベリー大司教ジャスティン・ウェルビー師は、冒頭に述べたショーン・キング牧師の意も汲んで、英国国教会と全世界に広がる聖公会系諸教会(アングリカン・コミュニオン)に向けて、人種差別への取り組みと、「白いキリスト」の画像や彫像の見直しを求めている。「教会はいまや自らの歴史的過ちと失敗を認めるときがきた」、と。

 (元桜美林大学教授・『オルタ広場』編集委員)

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