荒木 重雄
オルタ広場66号(2023.10.20)総選挙から首相指名まで3カ月余のタイ政界の混迷
オルタ広場65号(2023.9.20)仏教国カンボジアで、なぜ権力闘争が尽きぬのか
オルタ広場64号(2023.8.20)イスラエル「最右翼」とよばれる政権下で起こっていること
オルタ広場63号(2023.7.20)経済成長注目されるインドで変わらぬ女性の人権状況
オルタ広場62号(2023.6.20)地域大国トルコを再び率いるエルドアンという男の素生と野心
オルタ広場61号(2023.5.20)「国際ヨーガの日」に見るヨーガの今昔と戦略性
オルタ広場60号(2023.4.20)クーデター3年目のミャンマーでいま行なわれていること
オルタ広場59号(2023.3.20)「同じ価値観を有する」インドの、モディ政権が触れられたくない過去
オルタ広場58号(2023.2.20)中東に再び緊張激化が懸念されるネタニヤフ新政権の発足
オルタ広場57号(2023.1.20)ヒジャブにはじまる社会変動はイランの神権政治を脅かすか
オルタ広場56号(2022.12.20)価値観による分断が深刻化する米国で中間選挙が示したもの
オルタ広場55号(2022.11.20)ヒジャブ問題が体制批判につながり国際的孤立を深めるイラン
オルタ広場54号(2022.10.20)「仏教国」で僧院を破壊し僧侶を殺害する「国軍」とは何か:ミャンマー
オルタ広場53号(2022.9.20)フランシスコ教皇の謝罪旅行で改めて注目される北米の開発裏面史
オルタ広場52号(2022.8.20)スリランカ:ラジャパクサ一族は去ったが宿弊・宗派政治は克服できるのか
オルタ広場51号(2022.7.20)ロシアのウクライナ侵攻で改めて注目されるロシア正教会とは何か
オルタ広場50号(2022.6.20)あの日、民衆とカトリックが、独裁政権を倒した。が・・
オルタ広場49号(2022.5.20)半世紀前のベルファスト暴動を描く映画が今、心を捕らえるのはなぜ
オルタ広場48号(2022.4.20)ロシアのウクライナ侵攻の背景にアイデンティティー衝突
オルタ広場47号(2022.3.20)大統領選で思い起こされるフランス社会の移民との軋み
オルタ広場46号(2022.2.20)ミャンマー:民主化運動のデモの隊列から消えた僧侶たちは、いまどこに
オルタ広場45号(2022.1.20)仏教と国王が信奉されるとするタイで、敬愛されたのはプミポン一代か}
オルタ広場44号(2021.12.20)内戦化で混迷深まるミャンマーは、ほんらい、仏教の国ではないか
オルタ広場43号(2021.11.20)バイデン大統領が聖体拝領を拒まれてXマスを迎える米国宗教事情
オルタ広場42号(2021.10.20)戦闘宣言したミャンマー民主派が共闘を求める少数民族武装組織とは
オルタ広場41号(2021.9.20)復権したタリバーンはアフガンと国際社会に何をもたらすのか
オルタ広場40号(2021.8.20)米同時多発テロとアフガン侵攻から20年、そして今
オルタ広場39号(2021.7.20)いつまで繰り返せばよいのか、イスラエル・パレスチナの紛争
オルタ広場38号(2021.6.20)コロナ禍のインドでは丁寧に弔われない死が増えている
オルタ広場37号(2021.5.20)ミャンマーは真の連邦国家に脱皮か悲惨な内戦かの岐路に
オルタ広場36号(2021.4.20)「インド洋の楽園」で進行しているアイデンティティ政治
オルタ広場35号(2021.3.20)ミャンマー3度目のクーデターを遠望する
オルタ広場34号(2021.2.20)Qアノンなど陰謀論者やカルト集団は不安な時代に蠢く
オルタ広場33号(2021.1.20)マオリは西洋人との出会いでいかなる運命に遭遇し変容したか
オルタ広場32号(2020.12.20)ニュージーランド新女性外相が入れ墨で示すマオリの誇りと世界観
オルタ広場31号(2020.11.20)フランスの変質を加速するムハンマド風刺画事件
オルタ広場30号(2020.10.20)米国大統領選ウオッチに宗教的視点は欠かせない
オルタ広場29号(2020.9.20)タイ、民主化運動がタブーの王室改革要求へ
オルタ広場28号(2020.8.20)「黒人の命は大事だ」運動から見えてきたもの
オルタ広場27号(2020.7.20)東南アジアの山地民カレン族がカレン族たる由縁は祖霊信仰にあり
オルタ広場26号(2020.6.20)コロナ禍のロヒンギャをめぐる関係諸国の対応と思惑
オルタ広場25号(2020.5.20)パンデミックは人間界の欲望や闘争心を照らす
オルタ広場25号(2020.5.20)「ご理解とご協力をお願いします」―ポスト・コロナ社会に継がれいくもの
オルタ広場24号(2020.4.20)歴史を顧みぬ選挙目当てのトランプ中東政策
オルタ広場23号(2020.3.20)インドで国民登録をめぐって国家権力と市民運動が激突
オルタ広場22号(2020.2.20)解決遠いミャンマーの少数民族問題
オルタ広場21号(2020.1.20)アフガンで凶弾に斃れた中村哲医師の開発哲学};
オルタ広場20号(2019.12.20)脱宗教化・脱イランに進むのか、レバノンの反政府デモ
オルタ広場19号(2019.11.20)今年もニュースの話題だった米・イラン対立の因縁は?
オルタ広場18号(2019.10.20)来日での発言が注目されるフランシスコ法王の思いと行動
オルタ広場17号(2019.9.20)カシミールでいま起きていることはインド政府による「民族浄化」か
オルタ広場16号(2019.8.20)いまだ一進一退に揺れるアジアの女性の地位と運動
オルタ広場15号(2019.7.20)自由を求める女性パワーが中東の社会を変える
オルタ広場14号(2019.6.20)仏教国スリランカはなぜイスラム過激派の攻撃を許したのか
オルタ広場13号(2019.5.20)「国際ヨーガの日」に見る、たかがヨーガされどヨーガ
オルタ広場12号(2019.4.20)NZモスク銃撃事件で想起される実行犯母国の白豪主義
オルタ広場11号(2019.3.20)一夜の夢に散ったタイ総選挙の王女首相候補擁立作戦
オルタ広場10号(2019.2.20)両候補ともイスラム勢力頼みのインドネシア大統領選挙
オルタ広場9号(2019.1.20)関係改善に動き出したバチカンと中国
オルタ広場8号(2018.12.20)来年、本格化が予想されるダライ・ラマの後継者選び
オルタ広場7号(2018.11.20)ノーベル平和賞を受賞したヤジディ教徒の女性が訴えたこと
オルタ広場6号(2018.10.20)懸念が深まる、中国当局によるウイグル人の「再教育」
オルタ広場5号(2018.9.20)ガンディー、ネルーも抹消して、モディ政権のインドはどこへ行く?
オルタ広場4号(2018.8.20)「パンチャシラ(建国五原則)」の復興で、インドネシアは不寛容社会を救えるか
オルタ広場3号(2018.7.20)マハティール氏が野党に転じて勝利した選挙でなにが変わるのか
オルタ広場2号(2018.6.20)米国の「イラン核合意」離脱で改めて問われる両国関係史
オルタ広場1号(2018.5.20){危ぶまれるダライ・ラマの転生者継承
第172号(2018.4.20)『オルタ』とともに
第171号(2018.3.20)仏教指導者も見習いたいローマ法王の世界への関わりと行動力                              
第170号(2018.2.20)ロヒンギャを追い出したあとに仏教徒どうしが新たな対立はなぜ
第170号(2018.2.20)柳澤協二さんの『「北朝鮮・核・ミサイル・憲法」を考える』発言について}
第169号(2018.1.20)自分ファーストのトランプが開けたエルサレムという「パンドラの箱」
第167号(2017.11.20)タイ新国王は分断社会とどう向き合うのか
第166号(2017.10.20)クルドの住民投票が劈いて見せた中東の新たな貌
第166号(2017.10.20)ロヒンギャとはなにか? 受難の民はどこへ行く?
第165号(2017.9.20)雲南最南、西双版納の少数民族文化には東南アジアの風が吹く
第164号(2017.8.20)日本人の郷愁を誘う中国・雲南の少数民族の宗教儀礼
第163号(2017.7.20)孤立化するコプト教はかつてキリスト教世界を三分した大宗派だった
第162号(2017.6.20)インド政治を動かしてきたヒンドゥー・アイデンティティの象徴・牛
第161号(2017.5.20)イスラム化か独裁化か、トルコの大統領権限強化がもたらすもの
第160号(2017.4.20)オランダ総選挙で問われたポピュリズム政治
第159号(2017.3.20)アウンサンスーチー政権民主化路線、少数民族問題に懸念あり
第158号(2017.2.20)ラサフンジャニ元大統領の死去とトランプ米大統領の登場に揺れるイラン?
第157号(2017.1.20)復興の途を歩むモンゴルの仏教
第156号(2016.12.20)【日本の歴史・思想・風土から】山岳信仰と修験道
第156号(2016.12.20)希望こそが抑圧と恐怖を撥ね返す力パレスチナ映画「歌声にのった少年」
第155号(2016.11.20)タイ国王・プミポンが生きた時代
第154号(2016.10.20)【日本の歴史・思想・風土から】神道入門―そのカミ観念・思想・歴史
第154号(2016.10.20)「イスラム国」を追い詰めても各国・各集団の思惑が抜け道を残す
第153号(2016.9.20)クーデター未遂事件からあぶりだされたトルコの行方
第152号(2016.8.20)バングラデシュ・テロ〜「援助しているのに何故」!? 
第151号(2016.7.20)インド・ナーランダ遺跡に未来を見据える国際大学
第150号(2016.6.20)孤立感と焦りをみせる産油大国サウジアラビア
第150号(2016.6.20)一人ひとりが声をあげて平和を創る
第149号(2016.5.20)安保法制で懸念増す南スーダンPKOの自衛隊
第148号(2016.4.20)ミャンマー民主化の陰に若手仏教僧の活動あり
第147号(2016.3.20)日本・インド蜜月の背後に横たわるブラック
第146号(2016.2.20)仏・米の事件後に見るテロを受けた社会の変化 
第145号(2016.1.20)オルタ・オープンセミナーの実施報告とご案内
第145号(2016.1.20)フランシスコ法王に倣いたい宗教者の社会関与
第144号(2015.12.20)自治区成立50周年式典を巡るチベットの状況
第143号(2015.11.20)ノーベル平和賞は「アラブの春」の希望をつなぐか
第142号(2015.10.20)ウイグル問題が国境を越えた
第141号(2015.9.20)イランと米欧の関係を改めて振り返る
第140号(2015.8.20)被災したネパールの人々の宗教:ヒンドゥー編 
第139号(2015.7.20)被災したネパールの人々の宗教:仏教編
第139号(2015.7.20)私たちは沖縄のことを、どれくらい知っているのだろう?映画『沖縄 うりずんの雨』から
第138号(2015.6.20)ロヒンギャ族:無国籍にされ、抑圧され、人身売買の餌食となる無惨
第137号(2015.5.20)イスラム教徒を動かす歴史のルサンチマン
第136号(2015.4.20)イスラム教徒の信仰と暮らしの基本 
第135号(2015.3.20)人質事件で注目されたヨルダンは、交渉を託せる国だったのか
第134号(2015.2.20)イスラム・テロ後の欧州で問われる理性 
第133号(2015.1.20)スリランカとミャンマーに出現した仏教過激派連合を問う
第132号(2014.12.20)現代社会と向き合うフランシスコ・ローマ法王のこの1年 
第131号(2014.11.20)対「イスラム国」で存在感を高めるクルド民族
第130号(2014.10.20)チベット人のアイデンティティー:仏教瞥見
第129号(2014.9.20)「イスラム国」は世界と世界史への意義申し立て 
第128号(2014.8.20)集団的自衛権行使容認の閣議決定に日本宗教界も反発
第127号(2014.7.20)チベットの巡礼聖地カイラス山 
第126号(2014.6.20)宗派主義・排他主義が懸念されるインド新政権
第125号(2014.5.20)インドネシアにおけるイスラムパワーの変転
第124号(2014.4.20)就任1年を迎えて人気の高いローマ法王の改革は本物か
第123号(2014.3.20)テロに脅かされていたソチ五輪
第122号(2014.2.20)エジプトで進みはじめた軍主導の政治プロセス
第121号(2014.1.20)【書評】『沖縄独立研究序説』真久田/正著日本人よ、沖縄の心を見よ!
第121号(2014.1.20)中国宗教事情ア・ラ・カルト
第120号(2013.12.20)天安門車突入事件にみるウイグル族の怒り
第119号(2013.11.20)国際社会への復帰をめざすイラン
第118号(2013.10.20)華人社会で安心をひさぐ童乩信仰
第117号(2013.9.20)華人社会を支える三教複合宗教
第116号(2013.8.20)イスラム主義者だからといって民選大統領が軍に追われてよいのか
第115号(2013.7.20)ミャンマー仏教徒に「イスラム嫌悪」を説く高僧が出現
第114号(2013.6.20)政治も揺るがすインドネシアの精霊信仰
第114号(2013.6.20)今、改憲論議に思うこと、言いたいこと 
第113号(2013.5.20)ボストンテロ容疑者兄弟が繋ぐチェチェンと米国の闇
第112号(2013.4.20)新法王にカトリック教会の刷新を期待できるのか 
第111号(2013.3.20)上座仏教を民間信仰が彩るミャンマーの仏教
第110号(2013.2.20)アルジェリア人質事件に見えた歴史のトラウマ
第110号(2013.2.20)どのような日本に「戻る」のか
第109号(2013.1.20)中東政治地図を変えるか、民衆革命3年目のエジプト
第108号(2012.12.20)今度は実現するか、紛争40年のフィリピン・ミンダナオ和平
第107号(2012.11.20) ~少女襲撃事件とムハンマド冒涜映像事件が展いたもの
第106号(2012.10.20)~布施と功徳の互酬関係で地域社会に根づくスリランカ仏教~
第105号(2012.9.20)東南アジアに広がる上座部仏教の源流をスリランカ仏教にみる
第104号(2012.10.20)東南アジアの無国籍少数民族ロヒンギャの悲劇
第103号(2012.7.20)エジプトの大統領選を制したムスリム同胞団は危険な存在か
第102号(2012.6.20)フランスは新大統領で寛容と自由を取り戻せるか
第101号(2012.5.20)~タイ南部で絶えぬ暴力の連鎖~
第100号(2012.4.20)~指名を争った共和党大統領有力候補者はなぜか宗教的少数派~
第99号(2012.3.20)~シリア問題の国際的な側面、国内的な側面~
第98号(2012.2.20)~欧米が制裁解除の条件とするミャンマーの少数民族問題とはなにか~?
第96号(2011.12.20)~不殺生と無所有を教義の第一に掲げるインドのジャイナ教徒~
第95号(2011.11.20)~エジプトの国家再建で問われる宗教間融和~
第94号(2011.10.20)~パレスチナ国連加盟申請でみえた米・イスラエルをめぐる国際環境変化~?
第93号(2011.9.20)~インド・カースト制度にも変化の兆しか~
第92号(2011.8.20)~ 成長IT大国のインドでヒンドゥー主義台頭の気配 ~
第91号(2011.7.20)~トルコの総選挙で勝った公正発展党は新たなイスラム政治の実験か~?
第90号(2011.6.20)~オサマ・ビンラディンはなぜパキスタンで殺害されたのか~
第89号(2011.5.20)~民主化運動の陰に深まる部族・宗派の亀裂~
第88号(2011.4.20)~寺院遺跡をめぐるタイ、カンボジアの対立からみえるもの~ 
第87号(2011.3.20)~エジプトの将来を決する二大勢力~
第86号(2011.2.20)~国際社会に祝われるスーダン南部の独立は何を意味するのか~
第85号(2011.1.20)ポピリズムに導かれる危険な循環
第85号(2011.1.20) ~タイの民衆はなぜ熱心に僧の托鉢に応えるのか~
第84号(2010.12.20)タイの仏教はなぜ戒律仏教といわれるのか
第83号(2010.11.20)~ミャンマーの話題は選挙だけではない、人々を見よう~  
第82号(2010.10.20)~光の島を生きぬくバリの人々の信仰~ 
第81号(2010.9.20)~「ブルカ禁止法」がフランスの理念と現実の矛盾をあぶりだす~ 
第80号(2010.8.20)~カトマンズ盆地の仏教に在りし日のインド仏教を見る~ 
第79号(2010.7.20)~国際人道支援船襲撃はイスラエルの凋落のはじまりか~ 
第78号(2010.6.20)~タイ政治を動かす国王と仏教は現在の混迷を救えるか~
第77号(2010.05.20)~バングラデシュ・チッタゴン丘陵先住民の苦難の日々~
第76号(2010.4.20)~複雑にからみあうミャンマーの政治と仏教~ 
第75号(2010.3.20) ~イスラム世界と欧米世界の深まる葛藤~ 第72号(2009.12.20)オルタナティヴな開発をめざすタイの仏教僧 
第71号(2009.11.20)カースト差別の軛を解こうと苦闘するインド仏教徒 
第70号(2009.10.20)~フィリピン民衆の情念を映すカトリック~
第69号(2009.9.20)迫害に抗するスーフィズム、チェチェン 
第68号(2009.8.20)~新疆「騒乱」が見せた発展中国のウイーク・ポイント~
第67号(2009.7.20)~イラン大統領選後の混乱にみるこの国の負の遺産~ 
第66号(2009.6.20) ~オバマ政権の「対テロ戦争」はパキスタンに何をもたらす~
第65号(2009.5.20) ~スリランカ内戦は政府軍の勝利で終わったが…~ 
第64号(2009.4.20)~独自の近代化路線を歩むイスラムの少数宗派~
第63号(2009.3.20) ~ムンバイ同時多発テロがあぶり出したインド国内外の矛盾~
第62号(2009.2.20) ~「安全」への偏執からイスラエルが繰り返す暴挙~ 
第61号(2009.1.20) ~オバマ新大統領は「人種の壁」を越えて「米国再生」をはたせるか~?
第60号(2008.12.20)~タリバーンの出自は政治に揺らぐイスラム神学校~
第59号(2008.11.20)~もうひとつのチベット、新疆ウイグル自治区~
第58号(2008.10.20)
第57号(2008.9.20)~東アジアの人間関係学~         
第57号(2008.9.20)~3.11への対応を誤り世界を「文明の衝突」に導いた米国~
第52号(2008.4.20) 「社会環境フォーラム21」の提唱 
第49号(2008.1.20) 儒教は変革の思想になり得るのか

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