【書評】
『原発事故は終わっていない』
併せて45年前『原子力発電の手引き』との対比
羽原 清雅
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⁑小出裕章/著『原発事故は終わっていない』毎日新聞出版 2021.2 1,300円 <税別>
⁑朝日新聞社調査研究室『原子力発電の手引き』(社内用報告書)1977.7 <非売>
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前者を書いた小出裕章氏は、東北大学大学院原子核研究科を経て、京都大学原子炉実験所助教として2015年に定年退職している。強大ないわゆる原子力村に対して、長期にわたって論理的な反旗を翻し、この難解な世界でのリスクや矛盾を伝播してやまない著名な人物である。科学に弱い筆者に、原発の恐怖にとどめず、推進側のおかしさを説く、ごくわかりやすい書になっている。
わからないし、難しいために、思考から遠のかせる「原子」の世界ながら、この書を読むと冷静に問題の所在が理解できる。そのような、一度は手にしてほしい書物なので、門外漢が紹介する次第。
もう1冊は、原発を受け入れる立場から、朝日新聞社内の全記者に配布した解説書で、275ページにわたって広範に原発取材に取り組む姿勢、手法を示している。40年以上前の原発導入から発展への段階で、報道機関がどのような立場で臨もうとしていたか、を知ってもらいたい。そして、その後に発生したチェルノブイリや東日本大震災時の東電福島第一原子力発電所の事態を迎えて、その取り組みのもろさや被災想定の弱点などはどうだったのか、などを考えるいい材料になるだろう。
筆者もこの解説書を配られたひとりだが、結果的に原発の恐怖に思いの到らなかったことを反省しつつ、取り上げたいと思う。
なお、この朝日解説書には、すでに小出氏の名前が「工学的安全性」の専門家の一員として登場している。「京大原子炉実験所助手」、専門・担当は「冷却材喪失事故・災害評価」とある。すでに当時から、注目される存在だったことがわかる。ただ、在職中の肩書は一貫して「助教」であり、“異端”の扱いを受けつつの「原発廃絶」論者であったことがわかる。
自書に、小出氏は「私は大学に入学する時に、夢に燃えて原子力を選択しました。しかし、その選択が誤りであることに気づくまでに長い時間はかかりませんでした。専門教育を受け始めて1年ほどで、原子力が抱えている巨大な危険性と差別の構造に気づきました。それ以降、一刻も早く原子力を廃絶させたいと思いながら生きてきました」と書く。
まずは、わかりやすい小出氏の指摘を整理しておこう。
書評、というよりは原発の状況を要約、紹介することで、自ら不得手のジャンルに入り込みたい、との取り組みであることをご理解願いたい。また、一読して頂きたい、とも願っている。
*放射能は「死の灰」汚染 2011年3月11日14時46分、マグニチュード9.0の東日本大震災が発生。日本の観測史上最大の規模の地震。その津波で福島原発は約1時間後に全所停電(ブラックアウト)に。19時3分、菅直人首相のもと、原子力緊急事態宣言を発令。その時点では、放射能汚染はまだ確認されていない、との政府見解だったが、すでに原発の炉心は2,800度に達して燃料が溶け出していた。この核燃料は、それを包んでいたジルコニウム合金、炉心の構造材を巻き込んで、ドロドロに溶けて圧力容器の底に流れ落ちていた(メルトダウン)。
政府は事故発生から7時間後、やっと半径3キロ圏内の住民に避難を指示、翌日以降に半径10キロ圏内、ついで20キロ圏内の10万人を超える人々を強制的に避難させた。約50キロ離れた飯館村には、約1ヵ月後に避難指示が出されたが、法令で1㎡当たり4万ベクレルを超える地域は立ち入り禁止となっているにもかかわらず、この地域は1㎡当たり60万ベクレルの場所に匹敵していた、という。
それでも幸いなことに、事故当時、強い偏西風が吹いており、放出された放射能の84%が太平洋側に流れ、16%が地上に降り注いだとされる。その範囲は、福島、栃木、群馬の半分、さらにその周辺から茨城、群馬、岩手、新潟、東京の一部までを汚染地帯に組み込んだ(放射線管理区域)。本来、立ち入り禁止の区域に100万人単位の人たちがおきざりにされた。
放射能の量を示す単位(ベクレル)、人体に浴びる放射線の量を表す単位(シーベルト)だが、法律は一般人の被ばく限度を「年間1ミリシーベルト」と決めており、これを「年間20ミリシーベルト」に引き上げた。これは本来、小出氏のような放射線業務従事者に適用する限度であり、それを一般の人にも「大丈夫」としたのだ、という。
ちなみに、福島原発の事故は、こうした事故の深刻度を示す評価尺度では「レベル7」で、チェルノブイリ事故(1986年)と同じレベルだった。
なお、避難した人に帰還指示が出たものの、まだ非難を強いられた人も多く、帰還困難区域は340平方㎞にのぼる。
*海を穢す汚染水処理 発電所の建屋内には溶け落ちた炉心があり、それらは熱を出し続ける。炉心がさらに溶け出さないよう、水を注入して冷やし続けなければならない。そして、放射性物質に触れ、建屋内に流れ出した水は貯水することになる。また、建屋が破壊されて流れ込んでくる地下水と混ざり合うし、そのまま海に流すわけにいかないので、タンクに溜めることになる。事故当時は1日500トンずつ増えたが、最近は1日170トン。すでに東京ドームを満水にする量にもなる。タンクは1,000基を超え、かつての「野鳥の森」と言われた地域を埋め尽くす。
経産省の小委員会は、地層注入、海洋放出、水蒸気放出、水素放出、地下埋設の5案のうち、海洋放出の方向に踏み切った。東電は当初、トリチウム以外の放射能は除去済み、と言っていたが、タンク内の処理水の8割はストロンチウム、ヨウ素などが環境に放出可能な濃度以上に含まれており、セシウムを除去してもなお高濃度汚染水は多い。
トリチウム以外の放射性物質を除去してから海洋に放出することになるが、保管中の処理水のトリチウム濃度は1リットル当たり159万3,000ベクレルで、排水可能濃度は6万ベクレル以下と決められているので、27分の1に希釈しなければならない。トリチウムの半減期は12-13年で、これを待つなら、123年ほどタンクに溜めておかなければならないことになる。トリチウムの除去はできないことはなく、水素、重水素、三重水素(トリチウム)に分けられるが、特殊な技術を要し、ものすごいエネルギー量が必要で、事実上無理だという。
海洋汚染に伴う漁業資源への影響、風評被害など漁業従事者の生活権の課題などをかかえており、海外国・地域の反対はすでに始まっている。
*廃炉はいつ? 国と東電は2011年12月、廃炉工程表(ロードマップ)を作った。まず、4号機の使用済み燃料プールにある核燃料の取り出し(2年以内)、メルトダウンした1-3号機の核燃料は、格納容器を修理し水を満たして回収(25年後)、さらに原子炉や建物解体を進めて全作業完了(30-40年後)、とした。だが、楽観視し過ぎて、13年6月に大幅改定。それも無理で、15年6月に2度目の大改定。だが、3、40年という目標は変えていない。
10年後の今も、まだ事故現場の状況はわからず、高濃度の放射能で人が行けば死に、ロボットも被ばくに弱く近寄れない。炉心内の燃料が溶け落ち、圧力容器も格納容器も損傷しており、タービンと原子炉の両建屋には冷却汚染水が漏れ出す。
しかも、溶け落ちた燃料が圧力容器、さらに格納容器に流れ落ちて固まった「燃料デブリ」は、人が近づけば1時間で死に至るほどの高い放射能を出すので、状況もつかめないという現実。このデブリは推定880トン、これを取り出し容器に入れるまでに、小出氏は100年かけてもできまい、と見る。
*難関のデブリ 燃料デブリの取り出しが無理なら、どうするか。小出氏は、チェルノブイリ原発が原子炉建屋全体を石棺と呼ばれる鋼鉄とコンクリートの構造物で封じ込めたが、そうするしかあるまい、と見る。それも、30年経った2016年には風雨で腐食が進み、第二石棺というさらに大きな構造物で全体を覆ったが、これも寿命100年という。放射能汚染の主成分のセシウム137が10分の1に減るので時間をかせぎ、その段階で新しい方策を考えざるをえまい、としている。
チェルノブイリ原発の1基に対して、福島は3基、それだけ事態は深刻だ。さらに、チェルノブイリは、地下に液体酸素を流しコンクリートの床を作ったりして地下部分の健全性を守っており、そのため地上部分を石棺で覆うだけで放射能を閉じ込められた。だが、福島の場合、建屋の地下部分まで破壊され、地下水の流入もあり、地下部分まで石棺で覆う必要がある。チェルノブイリでは、石棺作りに軍人や退役軍人など60万から80万の動員があったが、福島ではその作業にどれほどの人手が必要か、その点も気が遠くなる、という。
*作業の実態は 福島では、多くの作業員が被ばくと闘いながら廃炉への作業に当たっている。東電によると、1日平均3,850人の作業員が働くという。東電発注の元受けの下に、下請け、孫請け、そのまた下請けで、9次、10次といった末端までの構造があり、作業員の紹介料、仲介料、賃金などを中間搾取するブローカーもいて、実際には最低賃金にも満たないケースもあるという。
原発労働者の被ばく量の限度は、年間50ミリシーベルト、5年間で100ミリシーベルトと決められているが、事故収束作業に当たる場合、現行の100から250ミリシーベルトに引き上げているという。一般人の年間被ばく量の限度が1ミリシーベルトなので、いかにリスキーであるかがわかる。しかも、被ばく限度に達したらすぐにもクビを切られてしまうので、線量計を鉛のカバーで覆って線量を低く見せる人が後を絶たないといわれる。
さらに、外国人労働者導入を可能にするかの出入国管理法、難民認定法が施行され、「特定技能」の外国人労働者を受け入れる態勢を取った。東電は、検討のうえでこの受け入れによる就労はありうるとの構えだとされる。
*放射能汚染物質「核のゴミ」の窮状 原発問題は、「トイレのないマンション」にたとえられることがある。原発はたしかに電力を産み出す。しかし、膨大な排出される汚染されたゴミをどうするのか。この長期的で重大な解答は未だに示されていない。
小出氏の書も指摘しているが、現状では実態説明に重点が置かれ、この点は十分ではない。原発には数十万年から数百万年にわたって、安全を確認しての保管が求められる。そして、地球の深い地層への「埋め捨て」はいけない、と書く。筆者は「埋め隠し」だと思っている。
青森県六ケ所村には、使用済み核燃料を集めて再処理する日本原燃の工場がある。1993年以来2兆円以上の資金によって本格稼働を予定しているのだが、トラブル、遅延など問題も多い。その施設に併設して、高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センター、低レベル放射性廃棄物埋設センターがある。小出氏によると、原子爆弾の材料となるプルトニウムを取り出すという再処理技術は日本にはなく、英仏の工場で約1,500本のガラス固化体を作ってもらい、これがステンレス容器に詰められて、このセンターで保管される。このガラス固化体はいずれこの再処理工場で作られるのだという。
同書では、核のゴミ対策に一歩踏み出したというフィンランドの最終処分場「オンガロ(洞窟)」に触れているが、具体的な説明はない。惜しい。米国はネバダ州のユッカマウンテンの山中に埋めようとしたが、ニューメキシコ州政府の反対でオバマ政権時代に白紙化している。日本では、北海道の寿都町、神恵内村の誘致の動きに触れ、政府の「押しつけ」「埋め捨て」策を不当、としている。
将来の人類が長い地球上での生活を送るうえでのマイナスを、現在生きる人間がどう考えるか、科学に基づくデメリットはなにか、その対応策はあるのか・・・・「今」の汚染問題に打開策を持たないままに、未来に先送りするだけでいいのか、その懸念は捨てきれない。
小出氏は、福島で除染のためにはぎ取った汚染土、草木の焼却後の汚染灰などを詰めた「フレコンバッグ」があちこちに積み上げられ、この仮置き場から中間貯蔵施設に集結、さらに2045年にはこの廃棄物を県外の最終処分場に運び出す、との説明を問題視する。その場所さえ見通しはなく、単なる置き場所の移転は「除染」ではなく、「移染」に過ぎない、という。
核廃棄物は足元さえも打開できず、まして終局的な処理策などは皆無で、それが今の原発の置かれた状況なのだ。
*政治責任を問う 原子力開発の推進者たちも「原発は絶対に安全ではないことを知っている」との前提で、だからこそ原発は都会に存在せず、人口の少ない土地に設置する。原発を誘致する自治体は、放射能という爆弾を抱えるということを理解しつつ、国から自治体にもたらされる多額の交付金という見返りに引きつけられる。高浜原発で、現地の有力者から多額の金品が関西電力や自治体幹部にもたらされた事例を引いて、国・電力会社・地方自治体の構造が「原発マネー」を生み、マイナスに働いたことを証明する。
小出氏は、政治ないし政権の責任を問う。
当時の安倍首相は2013年9月、国際オリンピック委員会(IOC・ブエノスアイレス)で、福島の現状は「アンダーコントロールされている」と発言した。だが、高濃度の汚染水のタンクからの漏出、汚染水の海洋流出の可能性、汚染魚類の検出などが問題視される中での説明だった。そうした隠ぺい状況のもとに、東京五輪が誘致されたことを問題視する。
菅官房長官は、2020年1月、政府主催の東日本大震災追悼式を21年までとすると発表した。その菅氏が首相就任した同年9月の初閣議で決めた内閣の基本方針には、震災や福島原発問題の記述はなかった。
こうした言動は、政権の経済最優先、目先第一といった姿勢に始まるものだ、とした。
「被害者は膨大にいます。被害者がいれば、当然、加害者がいるはずで、私は東京電力の会長、社長以下を重大な犯罪者だと思っています。ところが彼らはその責任をこれっぽっちも感じていない。国も同様です。自分たちは指導できなかったと言い張り、知らん顔をしようとしています。原子力発電所の安全審査を行ない、合格を出した安全審査委員も、認可した内閣総理大臣も、誰一人として責任を取っていません。それでよしとされてしまっている。これは許しがたいことだと思います。根拠のない安全神話のもと、原発の破局的な事故は決して起こらないと国と東京電力はずっとウソをついてきました。ところが事故は起きてしまった。」小出氏の言いたいポイントはこの点にあるのだろう。
*どう局面打開を図るか 1960年代、世界中が原子力に希望を抱き、それを米国が牽引してきた。だが、その米国では計画中、建設中を含めた原発の一番多かったのは1974年で、それ以降は全てが中止され、撤退の方向にかじを切り始めた。その決定打になったのがスリーマイル島原発の事故(1979年)だった。福島原発の事故があった2011年以降も、4ヵ所5基の原発閉鎖が決まっている。
ドイツは東西統一の頃(1990年)、27基の原発があった。だが、メルケル首相は福島原発の事故から4ヵ月後(2011年7月)に、すべての原発を22年までに廃止する、との法案を議会で可決した。核分裂の生成物が処理できずに、そのまま未来の子どもたちに押し付けることは倫理的に許されない、との事故後の政府内に立ち上げられた倫理委員会の結論をもとに、脱原発に踏み切ったのだ。
イタリアでは、福島原発事故のあと、国民投票が行われた。時の政権は2020年までの原発復活を計画していたが、国民投票で原発再開計画が否決されたことで、ベルルスコーニ首相は再開を断念した。
スイスも2017年、原発新設の禁止、再生可能エネルギー推進の新法の是非を問う国民投票を行った結果、賛成多数でこれが可決された。
韓国でも、文在寅政権が脱原子力政策への転換を宣言、建設許可済みの2基は別として、それ以降の新設計画は全面白紙化し、運転期間の延長も認めないとした。台湾でも、原発見直しの動きが進んでいるという。
だが、未曽有の事故を起こした日本はどうか。「事故を起こした張本人の日本はいまだに原発にしがみつき、社会的弱者に犠牲を強いるような政策を変えようとはしません。なんと愚かな国なのだろうと思わずにいられません。」
日本の原子力事業の中枢は東芝、日立、三菱重工の「プラントメーカー」3社。東京電力の使う「沸騰水型」(米ジェネラル・エレクトリック社=GEの開発)、関西電力の「加圧水型」(米ウェスティングハウス社=WHの開発)のふたつの原子炉があって、前者は東芝、日立、後者は三菱重工が請け負う。だが、この事業は世界的にも採算性がよくなく、撤退する企業も多い。
東芝はウェスティングハウス社を買収し、世界のリーディングカンパニーをもくろんだが、福島の事故、世界の脱原発の機運によってこの事業は衰退、原発建設費の高騰、安価な再生可能エネルギーの注目などで、経営はひっ迫、2018年に海外の原発事業から撤退した。ウ社と関係のあった三菱重工は、仏大手のアルバ社と原発専門会社を設立(2007年)した。日立は、英ホライズン・ニュークリア・パワー社を買収(2012年)している。
だが、安倍首相はトルコを訪問、三菱重工がらみの原発4基建設計画で合意したものの、建設費の高騰などで断念の方向にある。日立も、英国で買収のホ社を通じて、アングルシー島に建設する原発2基の計画を持ったが、安全基準の強化などです事業費が3兆円までに膨張し、凍結に(2019年)。
*核兵器保有の余地を残す姿勢 そうした国際的な事情がありながら、日本はなぜ原発継続にこだわるのか。
小出氏は、「日本は核兵器製造の技術的能力を保持するためにこそ『原子力の平和利用』を進めたのでした。」と断定する。だが、「平和利用のためといわれてきた原子力は、実は核兵器を造る潜在的な能力を持ちたいがために続けられてきたのです。原子力を放棄してしまうと、核兵器まで手放してしまうことになるので、原子力は続けなければいけないと自民党の首脳たちがいまだに言っています。」というのだ。
その論拠として挙げているのは「わが国の外交政策大綱」(1969年)である。これには「核兵器については、核拡散防止条約(NPT)に参加すると否とにかかわらず、当面核兵器は保有しない政策をとるが、核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャルは常に保持するとともに、これに対する掣肘を受けないよう配慮する。又核兵器の一般についての政策は国際政治・経済的な利害得失の計算に基づくものであるとの趣旨を国民に啓発することとし、将来万一の場合における戦術核持ち込みに際し無用の国内的混乱を避けるように配慮する」と明快なのだ。
これまで政策的に掲げられてきた「平和利用」の背景には、じつは非常に長い期間にわたって、また今日までも、核兵器製造・保有の余地を残してきたことが明快にわかる。この方針があればこそ、核兵器禁止条約(2017年次国連総会で採択、21年に発効)に対して、日本が米英仏ロなどとともに反対ないし不参加を表明し続けているのだ。
ヒロシマ、ナガサキの原爆被災、そしてフクシマの事故という教訓に逆らい、戦乱の道を想定して、この核の平和利用を進める形で、核兵器保有の世界への参入の可能性を強く維持し続ける日本。この背景をアピールしようとしない野党、「防衛」の名のもとにひそかに核保有のチャンスを狙うかの政権、さらに言うなら戦乱を機にひと稼ぎ可能と見る、かつて戦前の財閥同様の経済界、それに同調するメディアや論者など、「原発」の背景には恐ろしく、また危険の余地を孕んでいることを忘れてはなるまい。
*電力確保への取り組み 小出氏は、人間の地球上の活動が生み出す災害として、大気汚染、海洋汚染、森林破壊、酸性雨、砂漠化、産業廃棄物、生活廃棄物、環境ホルモン、放射能汚染、さらに貧困や戦争を挙げる。たしかに、活動すれば、このような問題を産み出す。そこで、これらのマイナス要素について代替策、抑制策、廃止策などが工夫されなければならない。
原発は「安全」「割安」「クリーン」という“神話”によって広く許容されてきた。だが、このPRが通用しないことが判明した以上、別の道を選ばなければならない。
小出氏は、「大量生産、大量消費のエネルギー浪費社会をやめること」という。地球温暖化に対する二酸化炭素削減のためには、石炭火力発電ではなく原子力発電がいい、という原発推進派の主張にも反論する。この二つの小出氏の論に、筆者も同調したい。ただ、小出氏のこの書に関してのみでいえば、自然エネルギーなどの代替策についての言及が乏しいのが惜しまれる。論理的な数値をもって、原発に代わりうる電力の開発について、ぜひ別の機会に述べて頂ければと思う。
原発の老朽化にもかかわらず延長稼働を進め、地球温暖化の阻止には原発の維持が必要、とする政府だが、自然エネルギー政策の推進に研究も投資も不十分のままでいいわけがない。自然災害が多く、資源に恵まれない、海洋に囲まれた小さい島国にあっては、自然の活用策がどうしても必要になる。そうした大状況を踏まえたエネルギー政策が必要だろう。
小出氏の著作にはまだまだ学ぶところは大きく、紹介すべき点も多いのだが、それはできれば、著作を直接ひもどいてもらいたい。
ここで、40余年前のメディアは、どのように核問題をとらえていたのか。その点を振り返りつつ、朝日新聞のケースから世論への影響の「怖さ」というものを見ていきたい。
*朝日新聞「原子力発電の手引き」概要 朝日新聞社は1977年、分厚く実践的な記者向けの解説書を発刊した。40余年前の原発へのメディアの対応はどのようなものだったか。福島原発のすさまじい、そして10年ののちでもマイナス面が随所に残され、しかもその遺産は10万年、50万年、100万年単位で後を引くという。
だが、初期の段階での、原発によるバラ色の夢は、比較的慎重でもあった朝日新聞内では、どのように描かれていたか、を見ていきたい。ヒロシマ・ナガサキから30年余、原子爆弾の恐怖の抜けない時代に、「原発」はまったく関係のない存在として扱っていたように感じられるのだが、ともあれ当時の実態を見ておこう。
*姿勢は「YES, BUT・・・・」 1977年2月から4月末までの3ヵ月間、共同研究班はキャップに科学部記者の大熊由紀子氏を据え、そのもとに社会部、経済部の4人の記者が参加した。エネルギー関係、原子炉関係、反対運動関係、放射線関係をそれぞれ担当、理論的、技術的な面は、木村繁科学部長、各専門家が目を通して、7月に刊行の運びになった。
この書の冒頭で、論説委員で調査研究室長の岸田純之助氏が朝日新聞の原発問題に対する基本姿勢を述べている。
「原子力発電に対する社論の方向を共同研究に集まってきた研究員たちに聞かれて、『Yes, but・・・』だと私は述べた。原子力発電は進めるべきである。しかし、所要の条件を整えるよう不断の努力を怠ってはならないというような意味をこめたつもりの答えであった。」
ひとことでいえば、原発推進が基本姿勢だが、広く目配りして努力することが条件だ、ということのようだ。当時の社内では、大勢はこの姿勢を受け入れていたが、当然異論も少なくなかった。「核」というものが、ヒロシマ・ナガサキの悲惨な殺人兵器であり、強烈な実体験が「原発」のリスクを思い起こさせる土壌があった。
ただ、大半の記者たちは「科学」の知識を十分に持ち合わせておらず、プロたちの論理を覆すことはむずかしく、結果的にこの手引きの方向で紙面を作っていくことになった。推進論に立つ科学部長、キャップのリーダーシップに納得するというよりは、「科学」の世界への信頼ないし盲従というか、理解不足のままに追随する空気が強かったように思う。
*朝日新聞の立場 日本で原子力開発の口火が切られたのは1954年。朝日は一貫して、このエネルギーの軍事利用に反対、平和利用に徹する立場をとった。
その条件として、①平和利用に徹する、として、核兵器の保有、軍事目的の艦船での利用、さらに不平等性という問題はあるが核拡散防止条約の批准、を主張した。
次いで、②安全性の確保。「陸上の原子力発電所が、どこか内部のちょっとした故障で、原爆のように爆発したり、放射性のガスをまき散らしたりする危険は、技術がここまできた現在では、まず考えられない。また、地震や台風など自然災害に対する安全対策も、いまでは設計、施工、管理の各技術を十分以信頼できるまでになっている」(1966年9月22日)と、改めて引用している。
第③に、核燃料サイクルの完成。故障なき操業、設備利用率の向上にとどまらず、「その前段には、探鉱をはじめとする核燃料の安定入手、後段には、廃棄物処理処分、使用済み燃料の再処理、そこから回収した減損ウランやプルトニウムを使う原子炉の開発など多くの対策、つまり核燃料サイクルの完成が不可欠である。そのなかで、核燃料サイクルの完成が不可欠である。その中で、最も急がれるのが再処理技術の確立である。・・・高速増殖炉、新型転換炉など、再処理施設からのプルトニウムを利用する原子炉の開発も急がれる。」(1975年11月25日)
④の条件として、自主開発の努力。「日本は、地震という不利な条件を負わされている。人口密度の高い国土だけに、原子炉敷地を選ぶ上でも問題は多い。・・・そのため先進国の技術をそっくりそのまま導入しないでわが国の環境に適した改良普及をこらす契機とするのであれば、原子炉技術自立への一歩として不幸は必ずしも不幸とはなるまい。」(1957年10月31日)。根のない切り花の輸入ではなく、自主開発を長期的な見通しを持ち、相当な覚悟を決めてかかれ、ともいう。
⑤の条件は、行政の体制整備と信頼性の獲得。原子力の開発体制は、推進と規制の矛盾する両面がある。当時、科学技術庁内で原子力局の再編成が検討され、原子力委員会のありようも問題になっていた。当然の指摘であった。
⑥番目として、地元の受け入れ体制、を挙げている。「公開の原則」「対話の姿勢」を不可欠だ、とする。国民の理解と協力を説き、さらに反対派などの技術発展への疑念が専門家の間にも拡大している事実を認めて、この協力を得る努力も重視する。
言や良し、である。だが結果的にみて、想定の範囲が基本的に狭かった。
①平和利用に徹する、という姿勢はいい。だが、その陰に「核兵器保有」の思惑が隠されていることへの認識が甘かった。原発推進勢力であった正力松太郎、中曽根康弘らの意図を信じすぎてはいなかったか。
②安全性の確保、この点がもっとも惨めな結果になった。リスクへの想像不足、技術への過信、地震、津波、台風などの自然の猛威への甘い読み、開発技術の未熟状態の不勉強など、東日本大震災はことごとく「甘さ」をひっくり返している。自然についても、人間の才能についても、都合のいい範疇で想定しており、「科学」もまだその程度であったことを露呈し、その甘さが地域住民の命を奪い、大地を汚染し、原発の「出口」のない姿をさらけ出した。
③核燃料のサイクルの完成、が夢のまた夢であったことを明確にした。トイレのないマンション、の状態はいまだに解決されていないが、努力によって時間とともに核の生産、活用、廃物処理のサイクルが可能になるという「原発神話」を広めてしまった。その結果、疑問や反対の指摘はもともとおかしいのだ、核開発を信じ、「科学」を信奉せよ、といった風潮が定着、論議の余地を封じてしまい、そのこともリスクを野放しにしてしまった。メディアの罪の深さ、でもあろう。
④自主開発の努力は、当然必要だ。まっとうである。これも「姿勢良し、甘さ悪し」だった。原子力船「むつ」(93年事実上廃止)、新型転換炉「ふげん」(2003年廃止)ばかりではなく、使用済み燃料の再処理、核汚染物質の処分なども進まない。ムダ、とまではいわないにしても、こうした取り組みへの財政負担はどれほど膨張しただろうか。
⑤行政の体制整備と信頼性の獲得は、実ってきたか。⑥の地元の受け入れ体制は機能したか。ともに否、である。科学はわかるまい、任せておけ、とばかりに、分かりやすい説明や全体の展望は十分には示されてこなかった。行政機関は、推進には力を入れ、規制には緩い感が抜けない。原子力委員会の決定に、地元の不満も強い。
電力会社は地元の反対派を黙らせるかのように、自治体等にカネをまき、賛成派に甘い顔を見せる。住民の声を聴き、論議をするはずの集会では、説明だけにとどめ、質疑には十分応じようとしない。あげくは、誘致する地元から、さらなるサービスを狙って接近する業者、関係者たちが、電力幹部らに巨額な金品をばらまき、しかもこの余禄をシメタ!とばかりに受け取る。癒着と腐敗であり、原発のもたらす問題はそっちのけになった感が強い。
*なぜ書くのか 時の流れのなかで生まれた真摯な結果をあしざまに論難したり、しかも古巣の先輩たちの努力を批判したりすることは、気持ちのいいものではない。執筆に参加した人たちを知ることもあって、一層申しわけない気がする。
それでも書く。その後の歴史を見てきた後輩として、トレースしておかなければなるまい、と思う。核の問題に無知ながら、やはり書いておきたい。
あの東日本大震災と原発事故による人命の消失、生活破壊、原発損壊の危険、残された重石。しかも、それは復興成ったとしても、将来に及ぼす課題は数限りない。
「原発神話」の定着ぶりを反省して、なにが真実に近いか、何を残し、何を捨て去るか、そのような反省を拡げて、新たな姿勢での出発でなければなるまい。
その意味で、長い研究生活を経たうえで発言し続ける小出氏が、わかり易く指摘された現実を知っておきたいと思う。朝日新聞の英知でもあった先人の書かれた指摘が、あの大地震でどうだったのか、その比較もしておきたかった。
じつはもう一つ、ある科学記者が福島原発の事故について「津波のツの字も想像しなかったことについては、不明を恥じています」(「日本記者クラブ会報」2011年6月号)との座談会発言に驚き、科学を振り回す人々の限界を知ったことも書く気になった動機でもあった。
(元朝日新聞政治部長)
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