【視点】

『台湾有事』に名を借りて

   ——軍事化の虚構に乗るべきか
羽原 清雅

 沖縄など南西諸島の軍事体制が進む。また、日米同盟の狙いである軍事的協力が多様に具体化されている。日英伊3国による戦闘機の開発が始動し、日本もこの新開発の機種を海外に売り込むことになった。さらには、陸海の自衛隊が、軍人慰霊の靖国神社に集団礼拝する方向までが明らかになってきた。
 一連の動きはバラバラにも見えるが、「台湾有事」の事態に備えることを想定して、国民の間にやむなくも許容する空気を醸しだそうとしている。日中間の緊迫が、日本の軍事化を後押しする様相だ。
 このように危機感をあおることによって、軍事体制の強化を“良し”としない世論を抑制し、またその必要を社会全体の飲み込ませることになる。「身を守る軍備は必要だ」という感覚が定着するにしたがって、軍事体制強化の動きに拍車をかけ、容認する環境を整えやすくしている。そこには、中国に対する警戒と敵対感情がある。
 では、「台湾有事」、つまり中国が台湾を侵撃する事態は目前に迫っているのか。メディアが予測するような状況が実行に至るのか。一定の自衛の装置は必要としても、その度合いが行き過ぎてはいないか。
 また、そうした動向は自然発生的な、やむを得ざる流れであり、世論が求めている方向であるのか。あるいは、そのような事態に批判や反発をし、逆らう風潮はどこに行ったのか。
 そして、なぜそのような状況がこの数年間で急ピッチに進められているのか。

 ふと、戦前の戦争に至るプロセスを思い起こしてしまう。日本領土で唯一戦場となった沖縄の人々は、世代は代わったとはいえ、語り伝えられた暴虐の嵐は身に染みて受け継いでおり、各島々で眼に見えて進行する軍事体制強化の様相をどう見ているのか。戦時下の「県民疎開」までが協議されているなかで、島民たちには「過去」とはいえない現実が迫ってきている。
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*論者に聞く
 まず中国側の出方から見ていきたい。台湾の総統選挙(2024年1月)、中国の全人代(同年3月)がらみで、日本記者クラブでは最近、中国、台湾の専門家、研究者の講演が続いた。そこでは、選挙や政治の流れや背景などの話題が中心になったが、当然「台湾有事」の見通しについても言及された。
 結果として、日本国内での緊迫した取り上げ方や、政府、自衛隊の動向とはかなり異なる展望を聞くことになった。森を見ずに5、6本の樹だけを見て、「万一」の対応を急ぎ、全体の構図を見たり、外交をないがしろにしたりの、広い視野に立たない政治が進められているのではないか、と感じざるを得なかった。

 国分良成氏(現代中国政治:前防衛大学長・慶応大学名誉教授)「台湾有事はとりあえずAPEC(アジア太平洋経済協力会議)で手を打った。いわば台湾は70年以上『有事』だ。(米中関係では)朝鮮戦争、金門島など敵を目の前に置くような紛糾を回避してきた。」
 「中国の台湾統一の意思は変わらないが、有事よりも平時の準備が重要とする。」 
 「武力行使の要件としては、台湾が『独立宣言』をし、国連や米国などが国家として承認した場合だが、承認国は少なく、むしろ今の状態がいいのでは。」 
 「今回の『危機』の起源は、デビットソン米インド太平洋司令官が2021年の米議会公聴会での発言で火がつき、『2027年説』<台湾への侵攻は今後6年間に顕在化する、あるいはそれ以降に顕在化するという内容>として広がった。」

 高原明生氏(現代中国政治:東京大学院法学政治学研究科教授)「(台湾有事は)当面ないだろう。しかし、アクシデントはありうる。習近平にとって最優先の課題ではない。(台湾侵攻の)リスクはあまりに大きく、政権維持の方が大変だ。」

 柯隆氏(エコノミスト:東京財団政策研究所上席研究員)「台湾侵攻の可能性は低い。考えにくい。金門島などでの衝突はあっても台湾の立法院での与野党のねじれもあり、このねじれはいい。民進党(頼清徳総統)が議会でも第1党として勝っていると、おごりの方向に行く。次の選挙も勝つと8年間の政権になり、次に副総統(蕭美琴前駐米代表)が総統に出れば、米国との関係は強く、そうなれば安定的だ。」

*その背景
 このように、アクシデントが起こる余地はあるにしても、中国が武力で台湾攻略に走る可能性は乏しい、とみる。では、なぜか。3氏の説明はそれほどのばらつきはないので、大まかで恐縮だが、まとめてみよう。

 ・中国経済の厳しさ 中国全体の経済が悪化し、とくに不動産などで目立つ。マンションがゴーストタウン化し、個人が借りても代金が未納だったりする。90年代後半から土地の国有化をやめ、企業化・民営化の方向に進むが、私有化(的な状況)が進んでリスキーな状態にもなった。不動産の権利が売買されるようになり、国有地のまま借地権として認めたことで、経済は発展した。入札によって地方政府からデベロッパーが借りる形になったが、うまくいかず、いわば、不動産から腐敗が始まるようになった。民営企業重視と言いながら、必ずしも実行が伴わなかった。
 また、中央と地方の財源、仕事の分担などの調和がとれず、地方の債務蓄積の問題も(その分担、責任が)国か、地方かがはっきりしないことが絡む。
 進出してきた外国企業が不況、締め付けなどで国外に移転していくと、中国の技術力は失われる。とくに中国は半導体技術などが弱い。また、コロナ禍で多くの中小企業がつぶれ、急増した。失業が多く、とくに若者が厳しくなった。
 政策としては、経済重視か、政治重視かの対立がある。
 一帯一路政策は、過剰生産を輸出する狙いだったが、この10年間民間企業への締め付けが強まり、需給バランスが狂って順調とはいかなくなっている。

 ・人材難 習近平政権を支える人材は文革時代の若者たちで、当時はあまり学ぶことができず、今はマクロ経済の専門家が居らず、またリベラルの立場の経済学者はモノが言えていない。苦境からの再生には時間がかかるものだ。

 ・中国政府と習政権 経済成長ばかりが先行して、その制度作りが遅く、ほとんどなされていなかった。全人代後の李強首相による記者会見で、通常ならマクロの経済統計が発表されるのが恒例だったが、これが行われなくなった。
 香港政策の失敗は、香港のエリート層を海外に逃がし、空洞化を招き、またハブ空港の地位も失われた。台湾は、香港のケースを見ている。このことは、中国が台湾と対話することにもなるか。中国の勝ち組は、米国、カナダ、オーストラリアなどに脱出している。
 習政権の今後だが、ただ騎虎の勢いで続けるしかない。この政権がだめになるとすれば、経済の変化か、洪水などの災害があるか、そして農民らが立ち上がるか、だ。

*日本の軍事化路線
 ・「安保3文書」が土台 2022年12月に「安保3文書」が岸田首相のもとで決定された。この3文書は、今後10年間の安全保障の基本方針と施策をうたう「国家安全保障戦略」、この戦略に基づき、目標水準の達成5年間の防衛目標と手段を示す「国家防衛戦略」、さらにその装備品の数量や経費を決めて予算案に組み込む「防衛力整備計画」から成る。 
 この設定によって、現在の防衛強化策がひたひたと進められている。
 国会で、この文書をめぐる論議が行われたことは間違いないが、「軍事(防衛)秘密だ」として内容はなかなか明らかにされず、いわば決められた内容にそのまま予算がついて、具体的に動き出している。自民・公明政権のもとで、「数」をたよりにほとんどが具体化していく。
 与党の公明党は、例えば日英伊3国による新戦闘機の製作が決まる際に、この機種を輸出できるようにする自民党の計画に対して、当初は慎重めいたことを言いつつ、結果的にはいつものようにちょっとばかりの譲歩を取り付けるだけで、許容してしまう。
 また以前なら、野党は執念深く問題点を指摘し、殺傷の「危険」などを伴う点を国民にわかりやすく、またしつこく追及してきたが、昨今は追及の刃は極めて弱々しくなっている。従って、この重大な問題に関心を寄せる人は決して多くはない。60年安保時のような国会の論戦はなく、国民が関心を抱く機能が働いていない。野党の責任は重い。

 軍事化競争は互いの国を刺激し合い、次第に憎悪感を高め、いざともなれば双方に多くの犠牲者を生み出す。これを黙って見過ごし、追随したままでいいのだろうか。

 ・最近のリスクの拡大 3月後半から1カ月ほどの新聞報道を見る。それだけでも、防衛・軍事強化の動きは非常に多様で、急ピッチである。いずれも、政府の決めた安保3文書に示された方向に沿っているだけに、動かしがたい現実なのだと思わざるを得ない。
 米国の政策にリンクし、「同盟国」の契りだとして飲み込むばかり。たとえば日本の米軍基地をめぐる日米地位協定のように、政府が日本の主体的な立場を主張しようとしない姿勢はどうにもおかしい。国としての誇りがない。日米の国土や資源の大小、日本のアジアでのポジション、国情の格差、国としての歴史や国民感情、文化などの個性の違いなどに配慮せず、大国の米国に追随するばかりでは、日本のあるべき未来の姿は歪んでしまう。

 最近の報道からいくつか具体的な動きを拾ってみたい。

 ・日米連携の司令部設置 岸田首相の4月の訪米では、自衛隊の部隊運用を巡って米軍との連携強化を確認する、という。双方の「指揮統制」をめぐり、米軍と自衛隊が2024年度末までに部隊を一元的に運用する「統合作戦司令部」を新設し、両国の指揮統制の連携・統合を進めるのだという。先に来日したキャンベル米国務副長官によると、自衛隊との連携強化のために在日米軍の要員追加や機能支援を進める方向だとしている。

 ・原潜開発の仲間入り? 訪米の岸田首相とバイデン大統領の会談では、中国の軍事力を念頭に、原子力潜水艦の開発・配備を支援する目的で創設された米英豪3ヵ国の軍事同盟でもある安全保障協力の枠組み「AUKUS(オーカス)」の技術協力について協議するという。日本は原潜開発への参加の意思はないとされるが、キャンベル氏によると「アジア太平洋地域の安全保障と技術の追及で、日本が能力を発揮できる分野がある」と述べている。林芳正官房長官は、これについて米英豪と日本の緊密な関係をもとに「引き続き様々な形で連携を強化していきたい」と前向きの姿勢を示した。こうした前のめりの姿勢が、また一歩深みに足を踏み入れることにつながらないか。

 ・フィリピンとの安保協力 フィリピンは南シナ海で中国との領有権争いを展開中だ。ドゥテルテ前大統領からマルコス大統領に代わって以来、親米路線がとられ、日本との安保協力も急速に進む。
 フィリピンの駐米大使によると、日本とフィリピン政府は、自衛隊がフィリピンに定期的に一時派遣する検討に入った。日比両国の安全保障協力を「同盟国」並みに引き上げる意向だ、という。日比間ではすでに自衛隊・比軍との相互往来をスムーズにする「円滑化協定(RAA)」について交渉中でもある。
 自衛隊のフィリピンへの定期的な一時派遣、米比両軍がすでに取り組む南シナ海での合同パトロールへの自衛隊参加、さらには日本が米国の同盟国でもある豪比韓各国と連携などが進められる。

 ・空港・港湾整備に戸惑う自治体 3月末に新年度予算が成立。そのなかで、「公共インフラ整備」の名目で、北九州、福江、那覇などの5空港、釧路、高知、博多、石垣などの11港湾について、有事に備えて平時から自衛隊や海上保安庁が利用できるよう、戦闘機や護衛艦が使うための滑走路の延長、岸壁の整備を進め、訓練、物資輸送、国民の避難、災害時に活用し得るようにする、という。
 「公共」としては歓迎されるが、安全保障、つまり有事の対応の面としては軍事化路線の強化を狙うもので、痛しかゆしだろう。全国38候補について、自治体との調整が進められたが、有事には攻撃対象になりかねないことから合意は半分以下の16施設にとどまった。軍事と公共―これを積極的に進める国の行政と、受け入れる立場の地方自治体間の格差は大きい。平時の期待としては歓迎だが、戦前に軍事施設を徹底的に攻撃されたような有事拡大時の恐怖体験を思えばどうも、といった相克を物語ってもいるようだ。

 ・具体化する殺傷戦闘機の輸出問題 3月末、政府は日英伊3国で共同開発中の次期戦闘機を第3国に輸出することを解禁した。武器輸出を制限する防衛整備移転3原則を改定するもので、昨年末の地対空ミサイル「パトリオット」の対米輸出方針に続く措置。戦闘機は「殺傷能力のある武器の最たるもの」とされ、平和憲法のもとに武器輸出を厳しく抑制してきた安全保障政策をさらに緩めることになった。
 輸出先を米国、フィリピン、インドネシアなど15ヵ国に限定する。だが、「殺傷兵器」がいつ発動されるか。その場合、日本が輸出元の国だとして、輸出を受けた国と戦闘する相手国が日本に報復攻撃をしてくる、その大義名分とされるような場合はどうするのか。戦闘機輸出が仮に日本に利益をもたらすとしても、戦闘国の犠牲に手を貸すことにならざるを得ず、結果的に戦時の緊張を招いて、国際的には日本の平和主義がダブルスタンダードだ、と非難される恐れもある。

 ・米軍の「敵視」に同調するか 沖縄などの南西諸島では、「台湾有事」想定の軍事体制が急ピッチで進む。沖縄駐留米軍トップのロジャー・ターナー第4軍調整官(海兵隊中将)は中国を「国際秩序をひっくり返す唯一の国」として、日米共同訓練を「潜在的な敵の能力に対処するため、南西諸島や沖縄全体に展開」するのだ、という。仮に中国を「敵」と想定したとしても、外交的手順を欠く軍事専門家の思考がそのまま実行されることは、極めて危険でおかしい。政府全体としての取り組みが検討されず、防衛省、政府・自民党の一部強硬派の主張が米軍の言いなりに独り歩きし、具体化することは許されないだろう。

 ・卑屈な日本政府の対応 輸送機オスプレイの事故で止まった演習が一方的に再開される。沖縄から発信されたPFAS(ピーファス・有機フッ素化合物)の危険は全国の米国の基地などに潜在していたことが判明したものの、打開策はまだない。植民地を思わせる不平等且つ卑屈な日米地位協定も改定されない。植民地の扱いを受けることのないよう、日本としての主張を明確にして自国の国民の意思を守るべきだろう。
 基地を提供する以上、国民生活への悪影響を思い、妥当な主張があれば交渉に臨むべきで、ただ相手側の言いなりのままになることは本来許されない。米軍基地を置くドイツなどの諸国は、米軍基地に対する規制もきちんと守らせている。

 ・シェルターの前になすべき仕事 政府は、中国の台湾侵攻を念頭に、沖縄の先島諸島(石垣市、宮古島市、与那国町、竹富町、多良間村)の5市町村に避難用のシェルターを作るという。「住民を巻き込んだ有事への備え」なのだという。
 素朴・素直にこの構想を受け取れば、住民を守る優れた配慮なのだろう。戦前の沖縄戦争時には、そうした配慮はなく、戦時の徴用として県民たちを動員、そして死に追い込んだ。このことからすれば、政府の心配りは有難いもの、ということなのだろう。
 だが、思い違いしてはならない。本来はまず、政府や政治家は外交ルートを強化して、「台湾有事」を避ける外交を展開するべきなのだ。
 一方、沖縄県民の「有事」にあたり、本土への「疎開」策が検討されている。かつて米軍攻撃が沖縄に迫ったころ、沖縄の子どもや高齢者、女性たちの本土への疎開政策が進められた。悪いことではない。だが、多くの子らが犠牲になった対馬丸事件のような不幸も招いた。こうした小手先の対応策をこねまわす前に、政府や国会はまず「台湾有事」の事態をいかに避け、和平の道を開くべく、総力をあげるべきなのだ。中国はほんとうに台湾、あるいは沖縄周辺の攻撃に進もうとするのか。まずは中国との接触に総力を上げ、もしそうなら回避策を練ることから始めるべきだろう。だが現状では、ひたすら「戦時」を迎える準備に動くばかりだ。政治の役割とはそんなものなのか。

*「台湾有事」に踊るまい
 第2次世界大戦後の国際情勢の激動のなかで、日本は約80年に及ぶ浮沈の日々を送ってきた。当初の戦争放棄、平和主義の理念と具体化は、朝鮮戦争勃発によって遠ざけられ、憲法の理念に反する方向に進むことになる。
 ただ、そのような現実に離反し、嘆くだけでは、歴史は変わらない。長期的に歴史の正邪を確認して、望ましい道を求めつつ進むしかあるまい。
 「台湾有事」への懸念が確かに存在している以上、なんらかの方策は必要だ。だが、その前に「台湾有事」にひそむ虚構に悪乗りして、軍事化の道を推し進め、国民を惑わす施策についてはしっかり見詰めなければなるまい。だまされてはなるまい。
 また、虚構を築く人々の言うような、中国に侵略の意図があるものか、を見極めたい。そのためにも、虚構をうのみにせず、乗せられず、おのれの両眼をよく見開いて確認したい。

 中国が侵略する可能性を信じて、実力以上の軍事予算を投入しようとする。その原資が見当たらずに、消費税の一部の名目を変えたり、福祉系の予算を減額して回そうとしたり、小細工で乗り越えようとする。また、高齢化・少子化の進む時代が想定できたにもかかわらず、手を打つことなく、やっと子ども家庭庁を作ればなんとか理屈をつけて、その資金をひねり出すために、増税につながる措置を講じる。あげくは、ただでさえ膨大な借金(国債)をかかえているのに、またまた手を付けようとする。将来の時代に生きる世代はどうなるのか。
 歳入と歳出の見通しの中で、当面する多くの課題へのバランスを考慮して取り組もうとせず、将来新たに生じるであろう事態への対応もしない。少子高齢化政策は統計上長期的に推測され指摘されてきたものの、長く対応されなかったように、今度は防衛・軍事化政策についても同じ間違いの轍を踏もうとする。カネの問題だけではない。敵への憎悪を搔き立て、外交による相互理解の努力をほとんどせず、敵対気運を煽ることで軍事体制の強化に走る。少なくとも、先ずは外交や民間の交流による、互いに共有できる基盤を醸成すべきなのだ。その姿勢が乏しい。

 中国の内政面の苦境は、日本にとっても同様だろう。
 政治とカネの問題で長期にわたって混濁を続け、腐敗の道に及んでしまった自民党は、なおもその迷いを捨てきれずに、小細工で済ませようとする。権力が負うべき責任の自覚が乏しく、政治家は特権を握る上位の存在であり、国民はひたすら追随すべき存在として下方に見て、代議制民主主義のあるべき原則をわきまえない。そのことが、将来の日本の行方に多くの障害をもたらすことに気付かない。あるいは、一時の権力の座にしがみつけば本望、資産形成が伴えばなお結構、という程度の存在であるのかもしれない。

 ともあれ、日本の先行きは厳しい。目先ばかり見て動く姿勢は、政治家ばかりでなく、ひとり一人が時の勢いに流されることなく、思い直さなければなるまい。
<4月9日出稿>
(元朝日新聞政治部長)

(2024.4.20)
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