【北から南から】中国・深セン便り

『海砂危楼問題と、中国人の知恵』

佐藤 美和子


 少し前、友人宅に遊びに行くと、室内の壁が綺麗に塗り直されているのに気づきました。
 しかしながらその友人宅、内装工事をしなおさねばならないほど古くもなかったし、壁を汚すような小さな子供もいません。前回に訪問したときも、とても綺麗なお宅だったのですが……なぜ?

 壁の塗りなおしをする羽目になった原因は、水漏れでした。ある日、下の部屋の人がすっとんできて、お宅から水が漏れてきたせいで、下階の自宅が水浸しになったと苦情を言ってきたのが発端だったそうです。

 そんなことを言われたって、うちの水周りは何の問題もないですよ、原因はうちじゃないはずと返答したものの、相手もいいや、水は上から漏れてきているのだから、絶対にお宅が原因だと言い募ります。仕方なく相手の求めに応じて家の中をあちこち調べているとき、壁に耳を当てると、かすかに水音が聞こえる箇所を発見しました。そしてその部分の壁をまず一部だけ壊し、中を通っている配管を調べてみると……。

 結果は下階住人からの訴えのとおり、友人宅の配管が原因でした。壁の中を通っている配管が、いったいこれは何十年前の設備なのかと驚くくらいサビサビに錆びて、たくさんの亀裂を起こしていたのです。その亀裂から少しずつ漏れ出た水が、いつの間にか下の部屋を水浸しにするほどになっていたようでした。

 そして友人宅は、バスルームなどの水道管が通っている壁を取り壊し、中の配管をすべて新しいものに取り替える羽目になったために、壁が塗り替えたてだったのです。

 ———— 友人からそんな経緯を聞いて、以前に見たニュースのことを思い出しました。

 シンセン市は、1980年、小平によって経済特区に指定される前は、小さな漁村でした。ほんの数十年で急激に発展した、非常に新しい沿海都市です。そんな新興都市のシンセンでは、実は多くの建物に海砂を混ぜたコンクリートが使われており、海砂に含まれる塩化物イオンがコンクリート中に埋められた鉄筋を腐食させてしまうため、場合によっては建物倒壊の恐れもある、とテレビ番組が告発したのです。

 本来、コンクリートに使う砂は川砂が適しており、さもなくば海砂を淡水できちんと洗浄して、塩化物イオン含有量を国の定めた安全基準値にまで下げたものでないといけないのだそうです。ところがシンセンの業界人がこっそり漏らした情報によると、川砂は、シンセン市の建築材料の市場からはとうの昔に消えており、すっかり絶滅しているのだとか。おまけにコストの面では、海砂は川砂の約半値で済みます。なんたって沿海都市のシンセンですから、海底を掘れば、いくらでも海砂は手に入りますからねぇ。開発業者にしてみれば、海砂を使えばより多く利鞘が稼げるのです。

 沿岸道路を通ってシンセン市郊外へ車で移動する途中、ピラミッド型に積み上げた巨大な砂山がいくつも並ぶ、工事現場のような所のそばを通ります。たくさんの大型トラックがひっきりなしに行きかうその辺りは、いつ通っても砂塵がもうもうと撒きあがっているひどい場所です。アスファルトの道路も視界も、まるで靄がかかったように白かったっけ……。ずいぶん大掛かりな建設現場だと思っていましたが、恐らくあれが、海砂を調達するための採砂場だったのでしょう。

 短期間で小さな漁村から人口一千万都市に膨れ上がった新興都市のシンセンは、必要とされる建築物の量も半端ではありません。建築には、スピードも求められます。
 大量の建物を短期間で建てるには、川砂の供給がとても追いつかず、不足分は海砂で補うことになります。その海砂も、きちんと洗浄さえしていれば、品質は川砂より劣っても、これほど問題にはならなかったでしょう。しかしスピードと利益を求めるあまり、淡水ではなく海水で洗浄した“水洗砂”と呼ばれるものを使用したり(海砂を海水で洗うことに何の意義があるのか、私にはわかりません)、ひどいケースでは浄化処置をまったく施さず、海砂をそのまま混ぜていることが分かり、大問題となったのでした。

 ニュースになった当時、シンセン市民はみな自分のマンションもその“海砂危楼(海砂が使われた危険建物)”ではないのかと心配し、この話題で持ちきりでした。市政府は、片っ端からシンセン中の建物を調べると発表したものの、その結果報告、少なくとも私はいまだ耳にしていません。市民も自分の生活に忙しく、いつしかその問題は忘れられていきました。実は私自身も、友人宅の水漏れ浸水トラブル話を聞くまでは、すっかり忘れていたのです。

 友人宅の事例を聞いて、建築ど素人の私が考えたのは、

1、友人宅は“海砂危楼”であり、そのために配水管が腐食してしまった。
2、もし“海砂危楼”ではなかったとしたら、開発業者だか内装工事屋がコストを削減して少しでも利鞘を稼ぐため、こっそり中古の配管設備を調達してきて使った。

 という、二つの可能性です。しかしその時は、災難だった友人にそれ以上突っ込んだ話はしにくく、話は切り上げてしまいました。

 同じくシンセン在住の我が家とて、ヒトゴトではありません。かつて同じマンション内で、別棟の賃貸部屋に住んでいたとき、家中のあらゆる蛇口の水の出が悪かったり、お風呂場の排水にとても時間がかかる、欠陥部屋だったからです。水量が充分ではなかったため、例えばキッチンとシャワーなど、二ヶ所の水道を同時に使うことができない部屋でした。二ヶ所以上で同時に水を出すと、個々の蛇口の水量がさらに減ってしまい、お風呂場の給湯器が反応しなくなって突然水シャワーになってしまうのです。予期せず突然シャワーのお湯が水に変わるのは、夏場でも心臓に悪い! そのため当時の我が家では、シャワーは申告制にしていて(笑)、その間他の人は手洗いすら控えるという、とっても不便な生活を送っていました。

 そんな貧弱な水量やお粗末な排水状態の原因は、その部屋を請け負った内装工事屋です。中国の団地やマンションは、蛇口すらついていないスケルトンで販売されることが多く、各部屋の購入者が内装工事業者と契約し、自分で内装を手配することになります。

 そしてそこに中国人の特性が顕著に現れるのですが、もしこれが自分自身が住むための部屋であれば、常に現場に張り付いて細部にまで注意し、完成するまで徹底的に内装工事人たちを監視監督します。しかしそれが賃貸にして人に貸し出す部屋の場合、どうせ他人に住まわせるのだからと、そういう情熱はまったく注ぎません。とにかくコストダウンばかりを内装業者に要求するので、業者のほうも、コストダウンしたせいで自分の利益が下がってはかなわんと、たとえば壁に埋め込んでしまうので目に見えない配水・排水管を、指定のものより細く、品質の悪いものを使って利益を確保しようとするのです。当時、我が家が住んでいた賃貸は、相当細い配水・排水管が使われていた模様です。

 私自身が実地でこういう経験をしているのですから、友人宅の場合も、二つ目にあげた可能性も小さくはありません。色々と心配になってきて、帰宅後、うちの相方にそのことを話し、うちの部屋もやばいんじゃない?と尋ねてみたところ……。

「“海砂危楼”の可能性はゼロではないけれど、そういう危険を少しでも回避するために、うちは香港が目の前という立地のマンションを選んだんだよ。香港の目の前でマンションが倒壊したら、いくらなんでも隠蔽しおおせるものではないし、政府だってそういうエリアに関しては、他のエリアより厳格に監視するもんだからね。

 あと内装工事のほうは、うちは身内に頼んで、専門家の現場監督人を派遣してもらったじゃないか。わざわざ彼に完成するまでずっと駐在してもらったんだから、その点は問題ない。水周りには、特に注意して工事してもらったからね。現に、うちは家具や家電にトラブルはあっても、水周りだけは一度もトラブルはないだろう? それに上階からの水漏れも、うちはその心配はまったく必要ないね。

 何でかっていうと、うちの上階の部屋の水周り工事、実はうちが施工したんだ。ちょうどうちと同時期に上の部屋も工事を始めたんで、費用をうちが持つことを条件に、お宅の部屋の水回り工事をうちにやらせてくれって、上の部屋の家主に頼んだんだ。

 最初はその家主、ものすごくこっちを怪しんで、だいぶ渋ってたよ。そりゃそうだ、いくら水周りだけとはいえ、わざわざ工事人や監督を送り込んで、費用もこっちもちで工事させろだなんて、まぁ普通は怪しむよな。けれど、自分の部屋の上でいい加減な工事をされたら、自分ちをいくら完璧に仕上げても、上からの漏水を避けるすべはない。そういう理由を何度も説明して、上の家主と契約書を交わしてまで、うちで手配したんだ。万一、うちが請け負った水周りで何年以内にトラブルが起きたら、その場合の修繕などもうちが責任を持つっていう、保障を含めた契約書だよ。

 つまり上階の水周りに関しては、我が家と同等レベルのクオリティーだから、漏水の心配だけはない。人んちの工事代を負担することで、将来の安心を買ったってこと。まぁ、損して得をとれってことだよ」

 なんということでしょう(笑)! ガイコクジンの私には、まったく思いも寄らない発想と奇抜な対策で、私の知らぬ間に粛々とそんなことが行われていたことに驚愕しました。そうか、相方が上の部屋の人と親しげだったのは、そういう経緯があったからなのか! 上の一家は中国東北人だったので、てっきり同じ北方人同士ということで仲良くなったのかと思っていました。

 もしかして、それって身内が派遣してくれた内装工事監督人さんの入れ知恵なんじゃないの?と、ちらっと思わなくもなかったのですが、どうだ、すごいアイデアだろうと鼻高々の相方を、たくさん褒めちぎっておきました(笑)。だって、とりあえず他所のお宅よりは心配せずに済むらしいことは、私にとっても有難いことに違いありませんからね〜。

 (筆者は中国・深セン・在住・日本語教師)


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