【コラム】日中の不理解に挑む(15)

『自由への入門』

李 やんやん


 『自由への入門』という本に収録された姜尚中氏の文章の一節です。

 「自由というのは、移動の中に現れるのではないかと思うのです。・・・人は移動することを通じて、いろいろな悲劇があり、また同時に悩み があり、そして発見がある。たぶんそういうことを考える時に、国とか民族とかいうものが自分の身体から少しずつ消えてなくなっていく。」

 姜さんがいう「移動する人」とは、在日二世三世のような、どっちの共同体にも完全には所属しない人。「自分はどこにいても落ち着けない し、またどこにいても落ち着ける」存在。どっちにも完全に属することがないからこそ、国家や民族の枠を越えたところで自分自身のアイデンティティを構築し ていくことができる。そこに「自由」があるという。

 よく分かる。私ももはや単純に「中国人」として自分自身を定義づけはできない。それは日中間での移動によってもたらされた私の「自由」の現れなのかもしれません。
 短期の旅行だけでも、擬似的にこのような意味における「移動」が経験できる。日本から中国へ旅行する人がこのゴールデンウィークに回復傾向にあるという。「自由」に近づく人が、ますます増えるように。

 (筆者は駒澤大学教授)

※ この原稿はCSネット5月号から著者の承諾を得て転載したものです。


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