宗教・民族から見た同時代世界        

イスラム・テロ後の欧州で問われる理性

荒木 重雄


 1月、フランス・パリで17人の生命を奪った風刺新聞社襲撃・連続テロ事件は、ヨーロッパ社会を大きく揺るがし、ヨーロッパ社会が内包する構造と問題を、はしなくも炙り出すことにもなった。

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◇◇ 「愛国」に統合される市民感情
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 事件への市民の意識の高ぶりは、事件後最初の日曜日に行われた、フランス全土で約370万人が参加したといわれる「自由の大行進」にも表れている。
 120万人超が参加したパリでの行進には、オランド大統領がメルケル独首相ら各国首脳と腕を組んで隊列の先頭を歩いた。
 これだけの規模の大行進は、第二次大戦末の「パリ解放」以来の「歴史的瞬間」(バルス仏首相)とされ、オランド大統領は「パリは今、世界の首都である。フランスは立ち上がる」と宣言した。

 事件直後から市民が各地で自主的にはじめた、犠牲者を悼み、テロに屈しない思いを表す行為が、「私はシャルリー」のスローガンがもつ同調圧力と、「立ち上がれ」と繰り返す政府の声に促され、「愛国」と「結束」の国家イベントへと巻き込まれていったのである。
 国民議会では、犠牲者への黙祷の後、国歌「ラ・マルセイエーズ」の大合唱が湧き起こり、これは、なんと、1918年の第一次大戦終結のとき以来のこととされる。

 こうした雰囲気の中で、バルス首相は国会演説で、「フランスはイスラム・テロとの戦争状態」と宣言し、オランド大統領は空母「シャルル・ド・ゴール」を中東の過激派組織に対する空爆作戦に向かわせると表明した。

 オランド政権の支持率は「史上最低」といわれる10%台を低迷していたが、これらのパフォーマンスが効を奏して、40%にまで上昇したのである。

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◇◇ 疎外されるイスラム移民
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 事件の引き金となったイスラム風刺画を掲載してきた週刊新聞「シャルリー・エブド」は、事件後の特別号で、イスラム系市民の反発や困惑を尻目に、「全ては許される」との見出しを掲げ、再びムハンマドの風刺画で表紙を飾った。発行部数3万部だった同紙は、この号で海外にも販路を広げ、700万部を売り上げた。
 「表現の自由にも限界がある。他人の信仰を侮辱してはならない」と戒めたローマ法王以外、現地では、同紙の傲慢を表立って批判する声は少ない。

 先の行進は、イスラム教徒も含めた「国民の連帯」をスローガンの一つに掲げていたにもかかわらず、事件後、モスクが銃撃されたり手投げ弾が投げ込まれたりの、イスラム教徒に対する攻撃や脅迫も相次いだ。

 連続テロ事件がフランスとヨーロッパ社会に与えた衝撃の強さの一つは、「ホームグロウン(国内育ち)・テロ」とよばれる自国民による犯行だったことである。容疑者は一方がアルジェリア系、もう一方がマリ系という、ともにフランスの旧植民地からの移民の家庭に育ったイスラム教徒である。
 彼らを含め、アフリカやアラブ系移民は、4人に1人が失業者(国内平均の二倍)という貧困状態に置かれ、住居費の安い地区を求める結果、集住する。

 だが、そのようなイスラム系移民に対する風当たりは、以前から強い。フランスでは「大量の移民が職を奪う」と訴える右翼・国民戦線(FN)が昨春の欧州議会選で第一党に躍進。ドイツでは、「西洋のイスラム化に反対する愛国的欧州人(通称ペギーダ・Pegida)」や「サラフィー(イスラム厳格主義)に反対するフーリガン(通称ホゲーザ・HoGeSa)」などの団体が、「ドイツ人よ、団結せよ!」「イスラム教徒は出ていけ!」と叫ぶ過激なイスラム嫌悪デモを繰り返す。オランダでも移民排斥を訴える自由党(PVV)が政党支持率でトップを走り、イギリスでも英国独立党(UKIP)が多文化主義を批判する。こうした動きが、事件後さらに勢いを増している。

 日頃、経済的にも社会的にも底辺に追いやられている疎外感に加え、これらの露骨な差別や排斥の言説に反発して、「社会を見返してやりたい」思いに駆られる移民の若者が、イスラム過激思想の誘惑に惹かれるのは故無しとしない。
 「フランスが唱える『自由・平等・博愛』からわれわれは排除されている」と考える移民の若者は少なくないのである。

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◇◇ だが、希望はある
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 しかし、分断がすすんでいるだけではない。ドイツでは、ペギーダなどの反イスラム・デモには、対抗するデモの方が参加者が多く、先のフランスの行進でも、事件を特定の宗教や社会層への敵視に利用してはならないという意思が、一部ではあっても明確に示されていた。
 また、事件の渦中、容疑者が押し入ったスーパーで機転を利かせて客を助けた店員もイスラム移民だったことや、襲撃した新聞社から逃走する容疑者に射殺された警官もイスラム移民だったことがマスコミで報道され、過激派とイスラム教徒一般を区別するべきことが強調されてもいた。

 筆者はここで、一つのことを思い出す。昨年12月、オーストラリアのシドニーでイスラム移民による人質立てこもり事件があった。事件後のイスラム嫌悪が社会に充満しているなか、レイチェル・ジェイコブズという白人女性は、電車の中で、イスラム移民の女性がそっとヒジャブ(イスラム女性が被るスカーフ)を外すのを見た。迫害の恐怖からだ。次の駅で降りた女性を追ってレイチェルも降りて言った。「それを被って。私も一緒に行きましょう」

 もしもそのイスラム女性に迫害が及ぶなら、私も一緒に難を受けよう、あるいは一緒に闘おう、という意思表示である。女性は泣き崩れ、レイチェルを長くハグしたのち、独りで決然と立ち去ったという。
 「一緒に行きましょう」の言葉はツイッターを通して世界中に広がり、シドニーではハンドバッグにこの宣言を貼って通勤電車に乗る女性もいるという。

 9・11後の米国でのように、星条旗と愛国の叫びと監視社会と戦争への突入ではなく、この冷静なしかし毅然とした思い遣りの「私も一緒に行きましょう」こそが、社会の安寧と安定の道ではないか。
 ヨーロッパ社会はいま岐路に立っている。

 だが振り返って、これはヨーロッパだけのことではない。ことあるごとの「愛国」への同調圧力、閉塞社会のうっ憤ばらしを少数者に向けるヘイトスピーチやヘイトクライム、監視社会化と軍事化への道、これらはまさに、私たち自身の社会が当面する問題である。

 (筆者は元桜美林大学教授)


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