【コラム】宗教・民族から見た同時代世界

イランに改革派大統領が登場したが…

荒木 重雄

 ライシ大統領のヘリコプター墜落事故死を受けて行われたイランの大統領選挙で、7月、ペゼシュキアン氏が当選した。米欧との融和を志向する改革派大統領の誕生は、ハタミ師(大統領在任1997年~2005年)以来19年ぶりのことで、国内外で大いに注目された。
 大統領選では、候補者は、ハメネイ最高指導者の影響下にある機関の事前審査を通らねばならない。イランで政治家は、イスラムの価値観に基づく伝統的社会を重んじ、米欧に強硬姿勢で臨む「保守強硬派」、イスラムの価値観は重視しながら米欧に柔軟な姿勢をとる「保守穏健派」、さらに、米欧との関係修復や国内の民主化を求める「改革派」に分かれるが、この事前審査で、当初80人いた立候補者は6人に絞られ、改革派や保守穏健派の有力政治家はことごとく失格とされた。正式候補者となった6人のうち5人はいずれも保守強硬派で、あとの1人が、改革派のペゼシュキアン氏であった。

 ペゼシュキアン氏は、心臓外科医で、改革派ハタミ政権で保健相を経験した国会議員だが、知名度が高いとは言い難く、ゆえに、いわば当選するはずがない飾り物として加えられたのだが、なんと、その候補者が躍進し、保守強硬派を代表する元最高安全保障委員会事務局長ジャリリ氏との決選投票をも制して、新大統領に就任したのだ。

◆葛藤続くイランと国際社会

 イランの政治は、何故これほど、対米欧やイスラムの価値観への立場による「保守強硬派」「保守穏健派」「改革派」の枠組みで語られるのか。その意味と背景をもう一度、歴史で振り返っておこう。

 第2次大戦後、英国支配を脱しようと石油国有化を図ったモサデク政権をクーデターをそそのかして追い落とした米国は、国王パフラヴィ・シャーを傀儡政権に仕立てあげ、CIA仕込みの「白色革命」で国内を抑え込ませる一方、石油収入のほとんどを米国の兵器と商品の購入に吸い上げるシステムを造りあげ、さらに、西側諸国とイスラエルの権益を守るためアラブのイスラム勢力に睨みをきかせる「ペルシャ湾の憲兵」の役割を担わせた。

 米国の政策とそれに追随する特権層の腐敗に反発した民衆は、しだいに抵抗運動を組織し、イスラム的価値観のもとで団結を固めて、ついに、1978年、大規模な民衆蜂起を展開して、翌年2月、シャー政権は倒され、長らく国外追放されていた反体制運動の象徴的指導者ホメイニ師が、民衆の歓呼のもとに帰国した。これが現在のイランの成り立ち、「イスラム革命」である。

 「革命」の波及を恐れた国際社会はイラン包囲網を敷き、とりわけ、利権を失ったうえ大使館を占拠される屈辱まで嘗めた米国は、敵意を顕わにして、イラン・イラク戦争でイランを痛めつけたのみでなく、イランを「テロ支援国家」に指定し、国際社会を巻き込んだ厳しい経済制裁で締めつけた。
 閉塞と苦境に陥ったイラン国内では、ホメイニ体制の宗教独裁化、強権化が進み、89年にハメネイ師が跡を継いでからも事態は変わらず、やがて、核開発にも手を染めることになる。
 以後、改革派ハタミ師、保守強硬派アフマディネジャド氏、保守穏健派ロハニ師、保守強硬派ライシ師と、大統領が変わるたびに、核開発と経済制裁を巡って、イランと国際社会がせめぎあい、それが、イラン社会全体に波紋を及ぼしてきた。

 現在の状況を一言でいえば、穏健派ロハニ政権と米オバマ政権が歩み寄って、核開発を抑制する見返りに経済制裁を解除する「イラン核合意」が2015年に結ばれたが、3年後、トランプ前大統領の一方的離脱と制裁再開で「合意」は崩壊し、それを受けて、死亡した強硬派ライシ前大統領の下で、ウラン濃縮度を「1週間で核爆弾を製造できる能力」にまでに高めた状態である。

◆イラン改革成否の責任は米欧にも

 ペゼシュキアン氏を大統領に押し上げたのは、強硬路線による国際社会での孤立や、自由を制限された息苦しい社会はもう終わりにしたい、とする広範な市民の願いだった。経済制裁下、「核合意」当時と比べ、通貨リアルの価値は15分の1にまで下落し、インフレ率も40%を超え、失業率も高い。ペゼシュキアン氏は、この状況を改善するため、核合意の再建で制裁解除をめざすと訴えた。また、ライシ政権では、女性の髪を覆う布の着用の強制に抗議するデモを弾圧して、多数の死傷者を出したが、ペゼシュキアン氏は、そのような取り締まりを批判し、市民の自由や人権状況の改善にも取り組むことを明言した。

 「この選挙で偽りの約束はしなかった」、は、選挙で勝利した直後のペゼシュキアン氏の言だが、しかし、実際にどこまで政策転換を実現できるかは不透明である。重要な政策の最終的な決定権を握るのは最高指導者ハメネイ師であり、そのハメネイ師は、ライシ前大統領の路線の継承を明確に求めている。国会も、保守強硬派が多数派だ。民意はペゼシュキアン大統領側にあるとはいえ、いかにして最高指導者や国会の強硬派を説得するかは、難題である。

 同時に、関係を改善したい相手の、米欧側の信頼をどう得るかもきわめて重要である。
 この点では、イランは、ウクライナ戦争で無人機などの兵器を供与するまでにロシアにコミットし、ガザではハマスを支持し、レバノンのヒズボラやイエメンのフーシ派を支援している。イスラエルを支援する米欧との対立は容易には解消しないだろう。次期米大統領がトランプ氏となれば、なおさらである。
 イラン改革の成否は、イラン国内の問題だけでなく、イラン側が出した関係改善に向けたシグナルを米欧側がどう受け止め、対応するかに、じつは、大きくかかっているのである。

 と、ここまで書いてきたが、新大統領のペゼシュキアン氏にはいきなり試練が立ち塞がった。7月末日、氏の大統領就任宣誓式に出席のためテヘランを訪れたハマスの最高幹部ハニヤ政治局長が当地で殺害されたのである。自国首都で客人を殺され、面子を潰されたイラン、余儀ない報復に追い込まれたこの国を、まずは背負わなければならないのだ。

(2024.8.20)
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