【コラム】宗教・民族から見た同時代世界

カナダで分離運動活動家が撃たれたことで見えたインドの深層:シーク教徒殺害

荒木 重雄

 目まぐるしく移る国際情報の中ではすでに旧聞に属するが、結末が見えず、気になることがある。たとえば次のことである。

 昨年6月、カナダのバンクーバー近郊で、カナダ国籍のシーク教徒の男性が、覆面をした二人組の男に射殺された。彼は、インドのシーク教徒による分離独立運動にかかわっていて、インド政府からテロリストに指定されていたという。

 9月、カナダのトルドー首相が、この件にインド政府が関与していた疑いを明らかにして、インドの外交官一人を国外追放すると、インド政府は、「馬鹿げたこと」と猛反発して、カナダの外交官41人の退去を迫り、カナダ人へのビザ発給を停止し、さらにカナダにいるインド市民に「最大級の警戒」を呼びかける、過剰反応を示した。

 米国政府は、困惑の色を見せながら距離を置いていたが、11月、連邦検察が、米国でも、インド政府職員の依頼を受けてシーク教徒指導者の殺害を計画していた男を起訴したことで、問題は広がるかに見えた。

 しかし、米国の働きかけやインド側の対応を含め、その後の一切の動きは、報道の表に上がってこない。
 その理由は、この件に関して述べられた、ある米政府高官の言葉が示唆的であろう。「インドは米国の重要な戦略的パートナーだ。我々は、多くの分野で協力関係を拡大する野心的な課題を達成しようとしている」(朝日新聞、23年12月1日)

 では、シーク教とは何か。現在、インドの人口の1.7%を占めるシーク教徒とは、どのような人たちなのか。

◆苦難の歴史を耐えた尚武の集団

 インドの北西部パンジャーブ地方で、15世紀、神の啓示を受けた宗教家グル・ナーナクが、当地で行われていたヒンドゥー教とイスラム教を批判的に統合して、普遍的な唯一神への帰依、偶像崇拝の禁止、人間の絶対的平等を教えの中心に興したのがシーク教である。
 「グル」とは師を意味し、歴代の教主がこの尊称を継ぎ、他方、「シーク」とは弟子の意味で、シーク教とはすなわち、「開祖ナーナクをはじめとするグルの忠実な弟子たちの宗教」の謂である。

 勢力が拡大するにつれて、中央を支配するイスラム勢力のムガル王朝と確執がうまれ、第5代グルはムガル勢に逮捕・拷問されて自ら命を絶ち、第9代グルもまた拷問のうえ処刑された。
 このような事態を受けて第10代グルは、シーク・コミュニティを戦士集団化し、男性はすべて姓をシン(獅子)として、長髪に鬚を蓄え、短剣や鉄の腕輪を常に身に着けることとした。
 ムガル帝国との戦いで後継者となる子息をすべて失った第10代グル(1708年、暗殺により没)は、遺言で、第5代グルが編んだ宗教詩集『グラント・サーヒブ』を以後、グルと見做すことを定めた。この制度は今につづいている。
 シーク教団はその後、パンジャーブ地方に一大王国を築き、洋式軍隊を整えて英国植民地支配に最後まで抗うが、1849年、英国東インド会社軍によって滅ぼされた。

 果敢に独立運動を闘っていた1919年には「アムリットサルの虐殺」として歴史に残る大弾圧を受け、さらに1947年の独立で、パンジャーブ地方がインドとパキスタンに分割された際には、パキスタン領となった地域に居住していたシーク教徒は、すべての財産を失い、夥しい犠牲者を出しながら、インド側に難民として移ってきた。

◆分離独立運動から大量虐殺

 このシーク教徒が再び世界の耳目を集めたのは、1980年代のパンジャーブ州のインドからの分離独立運動であった。
 はじめは、富裕層が自らの経済的利益のために中央政府に向けた自治権拡大要求であったが、広範な大衆の動員を目論んで掲げた「シーク教徒の権利擁護」というアイデンティティーに訴えるスローガンに刺激された中下層民衆が、日頃の社会的不満を背景に、カリスマ的な指導者のもとに結集して過激な運動を開始したのである。彼らは、自治権拡大などでなく、パンジャーブ州を「カリスタン(清浄なる国)」としてインドから分離独立することをめざし、テロを厭わぬ活動を展開した。はじめはヒンドゥーの官吏や治安関係者が攻撃の対象だったが、やがて、シークでは禁じられている喫煙や飲酒、髪を切ったり鬚を剃ったりする、宗教的に堕落したシーク富裕層も標的にされた。

 1984年、当時のインディラ・ガンディー首相は、過激派の本拠となっていたシーク教の総本山、アムリットサルのダルバール・サーヒブ(通称、黄金寺院)に軍を入れて掃討する擧に出た。その報復を受けて、4か月後、インディラは、シーク教徒の首相警護兵の銃弾に斃れる。
 インディラ暗殺の報が伝わると、首都デリーを中心に狂乱の嵐が吹きすさび、今度は、全国で数千人、一説では2万5000人に及ぶ無辜のシーク教徒が、ヒンドゥー教徒大衆に虐殺される事態となった。

 この虐殺事件がシーク教徒にもたらした怒りと疎外感は大きい。パンジャーブ州ではその後も過激派のテロや治安部隊との衝突で毎年数百人から数千人の犠牲者が出る騒乱状態が続いていた。当時、黒ずくめに黒覆面(覆面は顔を覚えられないため)という異様ないでたちの治安部隊員を満載した軍用車が、街道や村道を疾駆していたことを、筆者も記憶している。だがこの抵抗も、90年代初めにはほぼ鎮圧された。

◆マグマ滾る国で迎える選挙の季節

 インドの中では進取の気風に富んだシーク教徒は、英語圏を中心に海外にも多く移住していて、とりわけカナダには77万人と最多のシーク教徒が住む。インド国内ではすでに消えた分離独立運動の火種が僅かながらも残っているのは、これら海外のシーク教徒の間でである。
 それにしても、政府が外国にまで刺客を送り込むとは。
 インドは民族、宗教、カーストなどで縦にも横にも分断された、底には利害と情念と怨念のマグマが滾る社会である。その、滾るマグマが最も噴出しやすい機会の一つが総選挙。その季節を4月、5月に迎えて、またなにかが起こるのか、しばらくは目が離せない。

(2024.2.20)
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