【コラム】大原雄の流儀
タイムスリップした大鼠〜「伽羅先代萩」
今回の連戴コラム「大原雄の『流儀』」は、趣向を変えてみた。実は、私は08年12月からフランス人の団体相手に歌舞伎・人形浄瑠璃を講演している。今年も11月に国立劇場のレクチャールームをお借りして開演した。日本で暮しているフランス人のためにボランティアで日本の伝統芸能に親しんでもらう活動をしているフランス語の堪能な日本人のグループに協力して、毎年フランス人と一緒に歌舞伎(時には、人形浄瑠璃も)を観る活動をしている。会員制なので、一般には公開していない。
私が加わる部分の活動は、国立劇場なり、歌舞伎座なり、新橋演舞場なりでの観劇会のために、観劇前に出し物の観どころや歌舞伎の基礎知識などを講演するという役割だ。講演は、およそ1時間で、事前にボランティアグループの役員たちと詰めながら、私が製作したレジュメを下に行なわれる。私の講演の内容を逐語訳で、スタッフの皆さんが通訳される、というシステムだ。
講演の会場で、日本語を話すのは、講師の私だけ。スタッフや聴衆は、皆、フランス語でやり取りする。観劇を前に、日本語では実質30分ほどという講演内容になる。国立劇場の場合、講演会場として、会議室やレクチャールームなどを提供してくださる。フランス人の参加者は20人から40人くらい。ボランティアグループの人たちが、通訳のコアとなるスタッフを含めて10人から20人くらいか。「菅原伝授手習鑑」、「仮名手本忠臣蔵」など三大歌舞伎の「時代もの」から、「伊賀越道中双六」などの「世話もの」まで、これまでフランス人たちと一緒に観劇してきた。
事前講演後、昼食を取り、午後0時から開幕する大劇場の客席に入る。午後4時半過ぎまで観劇をし、観劇後は、茶話会というか、交流会というか、フランス人有志のために質疑の時間を設ける。こちらは、事前の講演と違って、ぶっつけ本番で準備無しで、フランス人たちの質問に答える。私は、知っていることは説明をし、知らない、判らないことは、正直にそのように答えれば良いのだから、良いとしても、通訳スタッフの人たちは、同時通訳に近い形で、フランス人と私とのやり取りを通訳しなければならないから、大変だろう、と思う。
劇場側の団体受付が始まり、演目なども決まると夏から秋ころから私は準備を始める。上演演目の解説と歌舞伎・人形浄瑠璃の基礎知識をどういうバランスで講演するかが、この段階でのポイントである。日本に滞在するフランス人は、在日で事業をしている人もいるが、ビジネスで期限的に活動する、つまり転勤族の人も多い。折角、日本で暮すのだから、日本の伝統芸能にも関心を持ってもらい、日仏親善に役立てて欲しいというのが私を含めてボランティアグループの日本人たちの思いだろう。
私の講演の聴衆は、フランス人の場合、常連的な人もいないわけではないが、多くはほぼ毎回、顔ぶれが替わる。特に、2011年3月11日の東日本大震災以降、本国に帰ったフランス人たちも多く、顔ぶれが、がらりと変わったように私には感じられる。通訳スタッフを含めて、ボランティアグループの人たちは、ほぼ同じ顔ぶれなので、いつまでも初歩的なことを繰り返して説明するわけにはいかない。
講演内容は、上演演目の解説は演目が違えば、演目に添って話せば良いとしても、基礎知識については、新参のフランス人たちにも満足してもらえて、毎回のように聴いているボランティアグループの日本人たちにも飽きられないような内容にするというのが大事で、いろいろ工夫する必要があると思っているので、私の苦心する所だ。
今回は、国立劇場を利用させてもらうので、演目は、国立劇場の興行にあわせて「伽羅先代萩」なのだが、私は、フランス人に関心を持ってもらうように、ヨーロッパの王室でもあったような「お家騒動」という側面をクローズアップして講演することにした。外題も、「伽羅先代萩」を副題とし、メインタイトルは、「タイムスリップした大鼠」としてみた。なぜ、こういうメインタイトルをつけたかは、芝居の進行で判って来る、という仕掛けだ。以下が、そのとき用いた講演レジュメ(日本語)である。特別に、「オルタ」の読者の皆さんにだけ、お見せしよう。観劇後の質問も想定してレジュメを作っているので、事前の講演内容は、時間を見ながら、塩梅している。随所に講演時間調整のためのクッションを設けている。ここは、今回、実際の講演では話さなかったところだが、実は、そこにも、重要な情報を書き込んでいるので、ここではそれも含めてお知らせしたい。「オルタ」正月号に付けた、筆者からの、いわば、お年玉である。
◆◆「お年玉」付録・フランス人への講演レジュメ◆◆
◇◇『タイムスリップした大鼠〜「伽羅先代萩」』◇◇
*ヘンリー2世、アンリ3世の時代などフランスを始めヨーロッパでも、相続や婚姻を切っ掛けにした王家の権力争い(お家騒動)は、見られるが、これは、17世紀後半に起きた日本の東北部(奥州)の王国・仙台藩伊達家のお家騒動の物語。主役の政岡は、歌舞伎の立女形(たておやま、女形のトップ)最高の大役。
★ 伽羅先代萩の場の構成と粗筋:四幕六場
(開幕劇)
序幕「花水橋の場」:足利家(伊達家のこと)の藩主・頼兼は、放蕩で国政を顧みない。お家乗っ取りを狙う一派(仁木弾正ら)が藩主暗殺を企て、廓帰りの藩主を襲って来る。
(女たちのドラマ)
二幕目「足利家竹の間の場」:暗殺未遂、藩主隠居で跡取りとなった幼君・鶴千代も乗っ取り派に狙われている。幼君の守り役の乳人・政岡は、幼い実の息子以外一切、男たちを近づけない作戦。乗っ取り派の仁木弾正の妹・八汐が、幼君見舞いにやって来て、政岡追い落としを画策するが、失敗する。
三幕目第一場「足利家奥殿の場」:政岡は、幼君毒殺を警戒して、息子の千松を毒味役にし、食事も自炊している。幼君も千松も、ひもじさを我慢している。そこへ乗っ取り派の奥方・栄御前も見舞いと称して毒入りの菓子を持って来る。あわや幼君毒殺という時、機転を利かした千松が毒味をして、苦しみ出す。八汐は、千松を嬲り殺す。我が子が殺されても平然としている政岡を見て、犠牲になったのは、幼君で、政岡は乗っ取り派の味方と誤解した栄御前は、政岡に一味の連判状(同盟者の誓い)を預けて帰って行く。皆がいなくなり、乳人からひとりの母親に戻った政岡は実子を亡くした哀しみに悲嘆する。再び現れた八汐を倒し、政岡は息子の仇討ちを果たす。怪しげな鼠が、連判状を奪って逃げて行く。
(間の狂言:実は、時空を超えてタイムスリップ!=5年間、仙台→京都)
三幕目第二場「同 床下の場」:(大道具、せり上げ)奥殿の床下に逃げ込んだ大鼠は、不寝番の荒獅子男之助に一旦は捕えられるが、逃げてしまう。(花道すっぽんから奈落へ)大鼠は、妖術使いの仁木弾正で、正体を顕した弾正は、雲の絨毯に乗ったように逃げて行く。
(男たちのドラマ)
大詰第一場「問註所対決の場」:乗っ取り派の仁木弾正と幼君擁護派とが幕府(室町幕府=京都)の問註所(裁判所)で争っている。裁判官役の細川勝元(室町幕府の三管領のひとり)の裁きで、弾正は敗訴となり、身柄を拘束される。
大詰第二場「詰所刃傷の場」:控えの間へ逃げ出した弾正は殿中で刃傷沙汰に及ぶが、殺されてしまい、足利家のお家騒動は、納まる。
*主な配役。
政岡:「奥殿」の政岡・藤十郎。「竹の間」の政岡・扇雀。仁木弾正:橋之助。 弾正の妹・八汐:翫雀。沖の井:孝太郎。栄御前:東蔵。男之助、外記左衛門のふた役:弥十郎。藩主・足利頼兼、細川勝元のふた役:梅玉。
*主な登場人物と相関関係
幼君派=政岡、幼君・鶴千代、実子で毒味役の千松、松島、沖の井/老臣・渡辺外記左衛門。
乗っ取り派=妹の八汐/兄の執権・仁木弾正。山名奥方・栄御前/山名宗全。
ドラマの分岐点=荒獅子男之助。
裁き役=細川勝元。
★★ 伽羅先代萩の特徴
*時代もの:
時代もの=江戸時代の時代劇。公家や武家がテーマ。世話もの=江戸時代の現代劇。町人がテーマ。
*お家騒動もの:
時代ものの中の「お家騒動もの」:大名家の騒動。他人の不幸は蜜の味。歌舞伎は町人の芸能。大名家のゴタゴタ(内紛)は、町人に人気があった。芸能人の離婚騒動への大衆の興味に近いか。ワイドショー的関心。
*史実の伊達騒動:
仙台藩伊達家の騒動。初代藩主の政宗が偉大すぎた。後継たちの騒動は、長期に亘り、ごちゃごちゃしている。芝居は、一つのものとして描かれるが、史実では、11年に及ぶお家騒動だった。
*外題の意味:
伊達騒動と「伽羅先代萩」。芝居では、時代設定を替えて、室町時代の仙台・足利家という設定。徳川幕府が、ご政道批判を禁止した。史実の伊達政宗の三男綱宗(三代藩主)の隠居事件以降の一連の騒動。遊び人の殿様。高価な伽羅(インド産の香木)の下駄が好きだった。→ 伽羅下駄の「伽羅」。
宮城野に咲く、センダイハギ(綱宗が好きな萩を、こう名付けた)という花:海岸の砂浜や原野に群生、40〜80センチ。5月から8月ごろ、茎の先端に鮮やかな黄色の花を咲かせる。→ 外題のすべてが、三代藩主(芝居では、「頼兼」)を表わしている。
*伊達騒動系統の歌舞伎演目:
◯歌舞伎化した伊達騒動もの:伽羅先代萩、伊達競阿国戯場(だてくらべおくにかぶき)、伊達の十役、裏表先代萩/実録先代萩。「伽羅先代萩」は、お家騒動もののなかでも、人気の演目。
(参考・講演時間調整のためのクッション)
1)「伽羅先代萩」。1777年大坂(中の芝居)で初演。全五段。奈河亀輔作。「花水橋」は、原作にはない。後から付け加わった開幕劇。明治中期以降、今の上演形式に整理。
2)「伊達競阿国戯場」(登場人物の役名の原型)。1778年江戸中村座初演。初代桜田治助ほか作。伊達騒動+累伝説(上演時流行の、夫に殺された女の恨み話)。時代ものと世話ものの綯い交ぜの趣向。
3)人形浄瑠璃「伽羅先代萩」。1785年江戸結城座初演。全九段。松貫四らの合作。「伽羅先代萩」+「伊達競阿国戯場」。人形浄瑠璃で、今も上演。/1779年江戸肥前座で歌舞伎から人形浄瑠璃化初演。達田升二らの合作。
4)「伊達の十役」。正式な外題は、「慙紅葉汗顔見勢(はじもみじあせのかおみせ)」。1815年初演。南北作。伊達競阿国戯場+主要な10役の早替わり。けれんの趣向。
5)「裏表先代萩」。1820年初演。南北作。伊達騒動+小悪党(小助の話)。時代ものと世話ものの綯い交ぜの趣向。伊達騒動+小助。
6)「実録先代萩」。1876(明治9)年の黙阿弥原作の新歌舞伎。足利家が伊達家に、政岡が浅岡に変わったくらいの違い。こちらは悪人たちが出て来ない。
★★★ 伽羅先代萩のテーマ
大人たちのお家騒動で犠牲になるのは?
子殺し:若君の暗殺未遂と身代わり千松殺害。母性愛:若君の身代わりとなる実子への愛情。抑え込む母情と苦悩。
政岡と八汐、働く女性の職業意識(政岡・公と私。政岡と八汐・ふたつの忠義=善と悪)、封建道徳の体現者・政岡:人徳なスーパーヒロイン、有能な官僚=自分の息子を犠牲にして、若君を守る。悪の近代的な合理性・八汐:冷徹な女テロリスト=若君殺しを狙う。
*伽羅先代萩のドラマ構成の特徴:
1)女のドラマから男のドラマへ転換。その上、史実と重ねると、時空をタイムスリップしているのが判る。
「竹の間」:政岡が八汐による追い落としから沖の井らの機転で救われる。
「奥殿」:幼君毒殺計画に対し千松を犠牲にして助ける。自炊と毒味で対抗。通称「まま炊き」(ご飯を炊く)という名場面。名科白。大名家の奥で演じられる女のドラマ。
「床下」:(「女のドラマ」から「男のドラマ」への分岐点。
◯芝居に史実を被せてみると、「タイムスリップ」が判る。
→ 今回の見どころ分析=「床下」のすっぽんは、タイムスリップ(5年間、仙台から京都へ)をする「装置」。
1666年藩主暗殺未遂:男之助は女のドラマの舞台、「奥殿」の徹宵勤務のガードマン。床下に逃げ込んできた不審者(大鼠)対応。
→ 1671年:大鼠が飛び込んだ花道「すっぽん」(「奈落」=地獄の出入口)から出てきたのは弾正という極悪人。
「すっぽん」は、花道のセリ装置。奈落とは、仏教用語の「地獄」。歌舞伎では、舞台や花道下の空間のこと。
「すっぽん」の出入りで、奈落を通過した不審者は大鼠から弾正へと変身し、タイムスリップもする。花道の弾正の「面明かり」(江戸の照明)とスポットライト(現代の照明)→ 舞台に写る影が次第に大きくなる。弾正の歩み=雲の上を歩くような足取り。アラビアンナイトの空飛ぶ絨毯?
1671年:「対決」・「刃傷」(武家の権力争い。男のドラマ)へ。
2)場面ごとの演出の違い(複合型の演出、歌舞伎の見本帳)。
歌舞伎はモンスター。歌舞伎の見本帳のように、いろいろなタイプの歌舞伎のいいとこ取りのエンターテインメントを寄せ集める。
「花水橋」:おおらかで、のんびりした天明歌舞伎風=18世紀後半の歌舞伎。上方歌舞伎味。つまり、初演時の芸風を伝える。象徴的なもの:紫の茶袱紗を吉原冠り、紫地に金糸で竹の伊達縫いという当時流行のファッション。典型的な和事の遊冶郎で殿様。荒唐無稽。
「竹の間」:江戸歌舞伎の科白劇。
「奥殿」:義太夫狂言。「糸に乗る」。浄瑠璃劇。ナレーション。竹本の語りと三味線の糸に乗る所作(演技)。形で表現する。
(注)浄瑠璃、義太夫節=浄瑠璃姫、義太夫とも人の名前から由来。
「床下」:荒事。江戸歌舞伎味。隈取り。稚戯的。荒唐無稽。
「対決」・「刃傷」:実録=疑似史劇風。リアルな演技。
3)見どころの1。
何と言っても、女のドラマ:政岡(真女形)と八汐(立役)の対立。特に、悪女・八汐の重要性を見逃さない。
歌舞伎の妖しい魅力は、男が女を演じる、ということ。
八汐の魅力:男が立役という役者になり、男の地を滲ませながら女を演じる。
政岡の魅力:男が女形という役者になり、女性らしい女性しか演じない真女形(老人が演じても、娘に見える)に上り詰めて、本物の女性より女らしく、女を演じる。
*立女形(たておやま)=真女形(まおやま。女形しかやらない。女形中の女形)の最高峰の大役が政岡役(役柄は、通称「片外し」=武家女房、奥女中。鬘と役柄から、名付けられた)。
(参考・講演時間調整のためのクッション)
95年10月の歌舞伎座から私が見始めた政岡は、19年間で、玉三郎、雀右衛門、福助、菊五郎、玉三郎、菊五郎、藤十郎、菊五郎、勘三郎、玉三郎、魁春、藤十郎、今回も藤十郎で、計13回。
母親・「伽羅先代萩」の政岡、仮名手本忠臣蔵「九段目」の戸無瀬。/白拍子・「京鹿子娘道成寺」の花子、遊女・「助六」の恋人の揚巻、人妻・仮名手本忠臣蔵「七段目」のおかる。
三姫(赤姫):「鎌倉三代記」の時姫、「祇園祭礼信仰記」の雪姫、「本朝廿四孝」の八重垣姫。いずれも時代ものの大役。
*真女形:歌右衛門、雀右衛門、玉三郎、福助。
*兼ねる役者(立役も女形も十分にこなす):菊五郎、藤十郎(上方)、勘三郎。
*立役(基本的に男役専門):吉右衛門、幸四郎、仁左衛門、團十郎。
4)見どころの2。
敵役の大役。男のドラマ:弾正は、「国崩し(国=藩=お家乗っ取り)」という敵役。立役の大役。女形の政岡に匹敵する役どころ。幸四郎、吉右衛門、團十郎ら。鼻高で黒子のある五代目幸四郎(1764〜1838)が歴史に残る。渾名は「鼻高幸四郎」。特に、1799年以降、南北と組み、「実悪」を成熟。五代目幸四郎が得意とした役柄を演じる時の役者は、敬意を表し、いまも黒子もつける。今回の弾正役者・橋之助が、どこに黒子を付けているか気をつけて見つけてください。「対決」で敗訴、平伏する弾正は、鼠の形になる。鼠の妖術を使う。
(参考・講演時間調整のためのクッション)
☆☆今回主役の坂田藤十郎と上方歌舞伎の味(江戸歌舞伎との違い)。
「伽羅先代萩」:1777年大坂(中の芝居)で初演。全五段。奈河亀輔作。明治中期以降、今の上演形式に整理。
「伊達競阿国戯場」:1778年江戸中村座で初演。初代桜田治助ほか作(登場人物の役名の原型)。伊達騒動+累伝説。
*坂田藤十郎(山城屋)の型と江戸歌舞伎の型の違い:
山城屋の型は、人形浄瑠璃に近い。歌舞伎→人形浄瑠璃→上方歌舞伎と演出が逆流。江戸歌舞伎の型は、役者の工夫を優先する。
山城屋型:特に、違うのは、「奥殿」。成駒屋(鴈治郎)・山城屋(坂田藤十郎)型の演出は、従来の演出とは、いろいろ違いがある。気がついた違いを以下述べることにする。
まず、御殿の大道具の作りが違う。人形浄瑠璃の演出に忠実だという。御殿、二重舞台の上手に若君・鶴千代の部屋が作られている。八汐差し入れの毒饅頭を犠牲的精神で試食し、苦しむ千松(政岡の実子)を横目に、従来なら舞台中央下手寄りに立ち、鶴千代を打ち掛けで庇護する代りに、今回は鶴千代を上手の部屋に避難させ、政岡自身は鶴千代の部屋の襖に左手を掛け、右手で懐剣を構え、若君を守護する。
それを見て上手に居た栄御前は、素早く居どころを舞台中央下手へ替る。平舞台中央では、千松の喉に、八汐が懐剣を差し込み、「ああ、ああ……」と千松が苦しむときに、上手の柱に抱きつき(贅言:「抱き柱」という)、殆ど動かず、表情も変えず、無言で耐え忍び続ける。悲しみ、苦しみを抑えて、肚で母情を演じる。その挙げ句、立ち続けることができなくなって膝をついて座り込むなど、江戸歌舞伎の演出と異なる場面がある。
「三千世界に子を持った親の心は皆一つ、・・・」などのクドキも、従来の演出より、息を詰めて言う。人形のように形で演じる。所作で気持ちや心理を表現する。竹本の語りと三味線の糸に乗り、テンポ良く、音楽劇を優先する演出を取る。従って、従来の政岡役者が演じるような情の迸りが少ない。
(締めの言葉)
さあ、一緒に、劇場へ!
聞き逃さないように。有名な科白:千松の科白。一音ずつ切り離して発音する「お腹がすいても、ひもじうない」。母の真情:「三千世界に子を持った親の心は皆一つ、・・・」。いずれも、三幕目第一場「足利家奥殿の場」の科白。
(筆者はジャーナリスト。元NHK社会部記者、元日本ペンクラブ理事)