【オルタ広場の視点】

◎ダブル選はあるか!? 首相の解散権、欧米は制限が潮流

栗原 猛

 統一地方選の候補者のポスターに並んで衆院議員のポスターが張られ、衆参ダブル選挙があるのではないか、といった憶測を生んでいる。世界中が大きな変革期に入り、日本でも少子高齢化や格差、非正社員問題などに、腰を据えて取り組まなければならないのに、なぜこの時期に衆院解散かといぶかる声も少なくない。

 首相の解散権については、大事な経緯があるので駆け足で振り返ってみよう。新憲法下の1948(昭和23)年、吉田内閣は、解散権は憲法7条にある「内閣の助言と承認により天皇の国事行為として行われる」と主張する。ところが連合軍最高司令部(GHQ)から「内閣不信任案が可決または信任案が否決された場合に衆議院の解散ができるとした69条解散で行うべき」との見解が示され、この問題はいったん収束する。
 ところがその後、憲法学者の宮沢俊義東大教授らが、7条解散も可能と唱えたことなどから議論が再燃。野党側には「早期解散」を期待する空気があり、解散権の議論は下火になっていく。
 1953(昭和28)年、苫米義三衆議員が、憲法69条(不信任案可決)に拠らない解散は憲法に違反すると主張、最高裁は高度の政治判断に属するとして違憲審査の対象外と判断している。しかし最近では「1票の格差」問題に絡んで、違憲状態のまま総選挙が実施された場合、司法の無効判断が出る恐れもあることから、解散権には自ずから制限が伴うとの解釈もある。

◎英、ドイツは不信任案成立が前提

 議会政治の先進国といわれる英国、ドイツなどは解散権は制限している。英国では2011年に「固定任期議会法」を制定、解散は政権への不信任が可決した場合のみだ。ドイツも首相の信任動議が否決されるか、不信任案が可決したときできるが、さらに厳しい条件が付く。米国は大統領に解散権はない。
 首相に解散権があったら、都合のいい時に解散するから党利党略の解散になって、選挙の公正さ失なわれ、国民から信頼をなくして議会政治が成り立たなくなるからだ。反対党にも配慮があると言えよう。
 首相の解散権について日本にも大事な教訓がある。それは衆院議長を務めた保利茂氏の「保利見解」の存在だ。1976(昭和51)年に首相になった福田赳夫首相は、党の主導権を確保しようと、たびたび解散を口にした。このため、自民党内が動揺して解散反対の署名運動まで起きている。
 事態を重く見た保利氏は「有権者の厳粛な審判を仰いだ議員を党利党略的に解散するのはおかしいと」戒め、解散は69条が指摘する政局が行き詰った事態や、国民の審判を仰ぐ必要がある重要な課題が生じた場合に限られるべきだと指摘し、見解にまとめた。この考え方は今、再認識されていいのではないか。

 政治論の立場からは、首相の党内基盤が弱いときは三木武夫、海部俊樹両内閣では解散権の行使が縛られ、また予算案の審議中に巨大災害が発生したときなどは制限されるーという実質的歯止めがあるという見解もあるが、問題はこのような歯止めが機能しない場合があることだ。現在の政治状況はまさに、首相が恣意的にタイミングを狙った解散権の行使に対して、ブレーキが掛けられない事態になっているといえる。
 したがって解散権の問題は法律論だけでは限界があり、現実の政治の政治論の立場からの議論が必要ではないか。現在は「独裁」「専制」に道を開く強権手段にもなりかねない解散権をどう抑えるか、また有権者の厳粛な審判を仰いだ議員を首相の意向で、首を切っていいのかどうか、活発な議論が必要ではないか。
 特に日本の現実政治のシステムや機能が劣化しかかって、三権分立も成り立ちにくくなっていることは、大方が認めるところであり、立憲政治を軌道の乗せるためにも避けられない大課題であろう。

 話は少しそれるがそれにしても、最近の衆参両院議長は内閣上位になっているためか、存在感が薄い感じだ。議会史に残るような見識と内閣への厳しい姿勢を見せてほしいところだ。またかつての河野謙三参院議長のように、議会改革をはじめ、与党だけでなく野党への配慮もあった議長は見かけなくなった。
 立法府の要にいる面々が、選挙制度や解散権、強硬採決など政治の根幹に目配りした国会運営を心がけるようになれば、一強政治に風穴を開き、目を開かせるような国会論戦が期待できるかもしれない。立法、行政、司法の三権がそれぞれ機能を発揮することを期待したい。

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