【コラム】大原雄の『流儀』

チェルノブイリの月(2)~独裁者の引き際

~表現とデモクラシー「序説」(4)
大原 雄

プーチンは、今まで、ロシアとウクライナの間に蹲(うずくま)っている、いわゆる「ウクライナ戦争」のことを「戦争」とは言わずに、「特別軍事作戦」と名付け、そのように扱ってきたが、5・1以降、ロシアとウクライナの間に蹲っているものを「戦争状態」として捉えるとしているという(5月1日、午後9時の「NHKニュース9」放送)。その結果、ロシアでは「国家総動員令」(戦争を宣言して国民徴兵をする)が発出されるという。

その後、5月1日の「戦争状態」認識の意向は、ロシアから表明されずに過ぎた。マスメディア各社は、その後、プーチンは、5月9日の対ドイツ戦勝記念日の大統領演説で、いわゆる「戦争宣言」をするのではないか、いや、それはないなどの情報合戦が繰り広げられ、様々な情報が伝えられた。各社の情報を参照したが、引用はせず。

 ★ プーチンの「戦争宣言」

だが、それがひっくり返った(?)か、どうか。例えば、朝日新聞5月5日付朝刊記事より、以下引用。

ロシアのペスコフ大統領報道官は4日、第2次世界大戦の対ドイツ戦勝記念日の5月9日にプーチン大統領がウクライナに「戦争」を宣言する可能性を報道陣に問われ、「ない。この質問にはすでに答えている。たわごとだ」と否定したという。インタファックス通信が伝えた。以上、引用終わり。

推測するに、プーチンの側近が、プーチンの意向としてNHK記者などに漏らしたが、マスメディアほかの、その後の反応などに驚き、プーチン側近が引っ込めたか、したのかもしれない。いや、プーチンの本音を大統領報道官が否定役に回った出来レースかもしれない。何れにせよ、国際社会の中でのロシアの外交戦略の一つとして「戦争観」を漏らしてみたが、やはり、「戦争」より「特別軍事作戦」で、このまま行った方が、(今回の軍事行動の)「戦後の」ロシアの対応がやりやすいとでも思って、従来路線を堅持したのではないか。大統領報道官も、マスコミの所為にして「たわごと」と言って逃げたようである。

プーチンは、今回の戦後に向けて、いわゆる「瀬踏み」、瀬の流れ(国際社会の世相やメディアの反応など)を確かめてみたかったのかもしれない。こういう情報は、本音、真実、事実、忖度、虚偽・虚飾(フェイク)、情報操作など、いろいろ思惑で漏洩されてくるので、要注意。複数の関係者(情報の精度が高そうなポストにいる人)の複数の情報をクロスチェックし、できるだけ真実の実相に近づけるような取材が大事だ。

結局、プーチンは、対ドイツ戦勝記念日を祝う大規模軍事パレードに参加した上で、以下のような演説をした。朝日新聞記事、NHKニュース報道ほかなどを参照した。

「(ウクライナに)軍事施設が作られ、NATO諸国が最新兵器を供給するして危険が増していた」という認識から軍事侵攻に踏み切ったと、動機を披瀝した。

しかし、「戦争状態」という用語どころか、ウクライナ侵攻開始で使われた「特別軍事作戦」という用語も使われていなかった。欧米諸国などが危惧していた「核兵器使用を示唆する趣旨の発言もなかった」(5・10付朝日新聞朝刊記事より引用)。ウクライナ戦争では、ロシア軍は苦戦続きで、多数のロシア兵がなくなっていること、勝利と呼べるような戦果がないことなどがプーチンの大統領演説草稿作成の判断に影響したと思われる。また、パレード当日は、モスクワの悪天候のため、航空機の飛行はなく、核戦争時大統領らが搭乗して指揮をする航空機「イリューシン80」も飛ばなかった。

 ★ ウクライナ戦争への独自の提案(私案)

ウクライナ戦争は、万一、大国・ロシアのプーチン側が軍事力の勝負としては勝ったとしても、国際社会は、この戦争をロシアの勝ちとは記録しない、という「注」とコメントをつけるような運動ができないものか。「注」とコメント運動とは、具体的に言えば、今回のような事態の好(?)例であるロシアの「特別軍事作戦」に、「戦争犯罪」という注をつけてコメントするるようなもので、「戦争犯罪」という用語は知名度が高いので一般市民にも判りやすくて、便利なのかもしれない。

もっとも、国際社会の多くは、今、ロシアがウクライナとの戦争に勝利する、とは思っていないだろうが……。

戦争は、国家には損失を残すが、権力者には利益をもたらす、のではないか? プーチンは、20年以上ロシアの権力者の座に居座り続けて、巨万の富を残した。人類はこういう権力者を残してはいけない。これでは、人類は腐敗し、パンデミックは100年ごとに繰り返されることになる。

 ★ 鉄道と戦争

朝日新聞4月18日付夕刊記事(吉岡桂子編集委員)を読んでいて、私は、次のような文章と出会った。

「ロシアの侵攻後も、ウクライナ鉄道は走り続けている。線路の幅は、ロシアと同じ広軌の1,520ミリ。隣国ポーランドなど欧州を走る標準軌は1,435ミリ。わずか85ミリの広さの違いが、大国のはざまで翻弄されてきたウクライナの人々の歴史を映す」。(引用終わり)

ウクライナ鉄道は、周辺7ケ国の鉄道と連結している。その内、旧ソビエト連邦構成共和国であった3ケ国(ベラルーシ、モルドヴァ、ロシア連邦)の鉄道とは同じ軌間(線路の幅)であるが、ほかの4ヶ国とは異なっているという(ポーランドは、軌間変更用の路線で繋がる、という。スロバキア、ハンガリー、ルーマニアは、直接は繋がらない、という)。ウクライナとヨーロッパ各国を直結する列車運行上、今も課題として残っている。
こういう線路の幅という細部とヨーロッパの政治が繋がっている。ウクライナ鉄道がヨーロッパとユーラシアの間で、実務的にどういう風に路線運営をしているかは、私は、まだ知らない(取り敢えず、今回はここまで)。

贅言;ソビエト連邦構成共和国は、ソビエト連邦(以下、「ソ連」)のソ連政府との間にソ連条約を調印してソ連を構成する共和国となった諸国家諸。構成共和国は民族に基づいた行政区画であり、ソ連政府に直接属していた。

ロシアから見れば、「線路の幅は勢力圏を示す一つの指標と見なされてきた」(同上記事より引用)というわけだ。ここで言う勢力圏とは、ロシアの視点で見た勢力圏のこと。これは隣国がロシアとなった「ウクライナの不幸」の一つということだろう。

今回の「軍事侵攻(戦争)」では、ロシアが遠方で発射したミサイル攻撃によって鉄道の駅の駅舎周辺に集まっていた女性や高齢者、乳児を含む幼子たちが多数殺されている。ウクライナでは、あちこちの駅舎周辺で同じような殺され方が続いて起きた。

例えば、ウクライナ東部ドネツク州クラマトルスクの鉄道駅では、ミサイル攻撃された夜、「駅周辺には数千人の避難者がいた。50人以上が亡くなった」(朝日新聞の同上記事より引用)などという。

非戦闘員の一般市民は、避難するために次に来る列車に乗り合わせようと集まっていたというわけだ。ところが、ロシア軍は、デジタル解析したのかどうか知らないが、鉄道の駅頭に集まっている人々の塊を、戦果を挙げる標的集めの好チャンスとばかりに、まとめて「処理」しようとしたのかもしれない。ミサイルの標的として「効率が良い」とでも判断したのか、それに気がついたロシア兵が無線機の向こうの上官に標的としての是非の判断を尋ねたところ、「皆殺しせよ」とでも返事をもらったのか、そういうやりとりの数分後にミサイル「発射」のスイッチを押し、ミサイルは、遠方の標的たる人々の群れを「虐殺」したということだろうと、私は思い巡らせた。一般市民には、女性、高齢者、障害者、乳幼児を含む子供たちなどがいたことだろう。メディアの情報を集取していても、例えば、障害者の安否など、ほとんど書かれていない。安否不明であろう。

「ウクライナは7カ国と陸で接する。ロシアと欧州が出会う場所にある。第2次世界大戦中の独ソ戦の激戦地として知られるように、かねて大国のぶつかりあいの舞台となってきた」(同上記事より引用)。

戦地でも、鉄道は可能な限り走り続ける。戦場となった土地から多数の避難民を安全な街へ運ぶ。折り返しの列車で、食料品など援助物資が積み込まれる。ウクライナ鉄道では、「激戦地のウクライナ東部、南部などを除いて、運行を続ける」(同上記事より引用)という。

ウクライナでは、(5月)「3日夜、ロシア軍によるミサイル攻撃が相次ぎ、ウクライナ軍参謀本部によると西部リビウや中部キーウ(キエフ)」、東部ドネツクなど計8州で鉄道インフラなどが標的となった。(略)「4日朝の時点で全土で約40本の列車に最大9時間半の遅れが出ている」(以上、朝日新聞5月5日付朝刊記事より引用)。鉄路は、政治を映している。

 ★ モスクワからキエフへ。私は見た! まっすぐの一本道

「ベラルーシ領からキーウ(キエフ)をめざしたロシア軍が、最初に到着し、最後に撤退したとされる街」(朝日新聞4月25日付朝刊記事より引用)イワンキウは、チェルノブイリ原発に近いという。私は、10年前、2012年4月、モスクワから、チェルノブイリ経由でキエフに通じるという直線(ほぼ北から南へ通じる)道路を逆に南から北へ通過した。チェルノブイリ原発・廃炉視察への道であった。私たち一行のことは、後述する。イワンキウを通ったかどうかは、今、私には確認できないが、そういう道路がいくつもあるとは思えないので、私たちのバスは、この道を通ったと思われる。道幅こそ片側一車線でありほかに通りかかる車は、なかったように記憶している。
モスクワとキエフを直線でつなぐということを最優先とした道路。モスクワがキエフを軍事侵攻する場合の、事実上の軍事道路だろう。そういうコンセプトだろうと私は思った。だから、この道を私たち一行は、通ったと記憶するが、確かに、道路は、まっすぐどこまでも見事に直線であり、それがどこまでも続いていたように記憶している。ウクライナで何かの事案があった場合、モスクワから一直線で、最短距離で戦車がやってくる道路だとウクライナ国家委員会の役人(私たちのバスに検問所から同乗していたウクライナの案内人)が、説明した。そうだろうなと思わせる説得感(存在感)のある、田舎道であった。道路際には、4月の、まだ、早春も遠いウクライナの殺風景な田園風景が広がるばかりだった。

★★ フェイクニュースまみれか? マリウポリの戦い

メディアでは、プーチンの後継者とも噂されるロシアのショイグ国防相が、4月21日、ロシア軍がウクライナ南東部マリウポリを「解放した」とプーチンに報告した、という。解放? え! どういう意味?
テレビが放送する画像では、ショイグ国防相がプーチンとの対面に緊張気味に固くなりながら、テーブルを挟んで向かい合っている。近距離で直接の対面報告をするなど、国防相にとってもめったにないことなのかもしれない。。新聞は、翌日、22日の朝刊で大見出しを踊らせる。しかし、プーチンとショイグの対面写真は、この時点では、まだ掲載していない。朝日新聞4月22日付朝刊記事より引用。大見出しは、以下の通り。

  ロシア「マリウポリ掌握」
  市民ら避難する製鉄所 封鎖指示

大見出しの割には、判りにくい見出しではないか。一体全体、マリウポリの戦いの結果は、どうなったのか。これでは判り難かろう。
リードや本文を見ると、ショイグ国防相は「同市を掌握したとの認識を示した」、と書いてある。さらに続く。「ただ、市内の製鉄所にウクライナ兵が立てこもる状況は変わっておらず、ロシアはその制圧を待たずに市内の支配強化を進める考えと見られる。ウクライナ側は完全掌握との見方を否定している。」という。

正直言って、この文章は、推測に基づいた書き方が曖昧で新聞記事らしくない文章である。文中でいくつか見かけた「掌握」「制圧」「支配」「占拠」など軍事的なニュアンスも込められたものの同じような意味合いの言葉が続く。要するに、使用される用語が手垢にまみれていて、フレッシュさが足りない。嘘っぽい。キーワードを検証してみる必要があるだろう、と思う。この記事で私が気になったのは、次のような言葉の使い方である。

贅言;その前に、マリウポリの戦いの続報が届いた。朝日新聞4月22日付夕刊記事より引用。

「ロシア軍が掌握したとの認識を示したウクライナ南東部の港湾都市マリウポリで、ロシア軍の攻撃がなお続いている。ウクライナ側は抵抗する姿勢を崩していない」。これでは、事実上の前の記事を訂正する記事ではないか。ラジオ原稿(放送原稿の基本となる記事は、ラジオ原稿である。テレビ原稿は、画像で分かる部分は、カットされる。だから、ラジオ原稿が、NHKの報道用のニュース原稿の基本となる)を書く仕事(記者・デスク)で長年飯を食ってきた身には、訂正原稿を書くことほど身を恥じる思いをすることはない。視聴者や読者、受け手の皆さんにとって、こうしたフェイクニュースは、メディアの海には、たくさん流されているから注意が必要である。フェイクニュースは、権力(国家、軍、政権、大企業など)から、発せられることが多いのだ。

朝日新聞22日付夕刊同上記事では、次のような件(くだり)もあった。「ウクライナのゼレンスキー大統領は21日、「状況は厳しいが前日までと何も変わっていない」と言っているという。これが、この時点での私の認識でもある。常識ほど、判断を丁寧にやるべきだ。

では、マリウポリの戦いのキーワード検証を続けよう。

*「解放」:解き放つ。この文章の場合、解放されたのは、誰か。普通なら、立てこもっていたウクライナ兵士によって、監禁などにより自由を奪われていたロシア市民か、ウクライナ市民のことだろう。
*「掌握」「完全掌握」:手の中に握り持つこと。自分の意のままに使いこなせる状態にしておくこと。部下、配下などに対して上司が使うなど。

朝日は、ワルシャワ、ワシントンの記者の署名記事。
読売は、以下の通り。ワシントン駐在の記者の署名記事。インターネットの記事をそのまま引用。

【ワシントン=田島大志】ロシアのプーチン大統領は21日、ロシア軍が包囲するウクライナ南東部マリウポリについて、セルゲイ・ショイグ国防相から市内を「完全掌握した」との報告を受け、「戦闘任務が完了した」との認識を示した。ウクライナ側の兵士が抵抗を続けるアゾフスタリ製鉄所については、突入作戦の中止を命じた。ウクライナ側はロシアの主張を否定し、抗戦を続ける構えを示した。以上、読売引用。とりあえず、ここまで。

プーチンの認識;「完全掌握」→「任務完了」との認識になり、突入「作戦中止」を命じる。
ウクライナ側の認識;ロシアの認識を否定し、「抗戦」の構え。

これでは、この記事は、どちらかがフェイクニュースになりかねない。というか、両軍は、それぞれの国民向けにダブルスタンダードのようなベクトルを設定して、情報発信しているので、結果的に将来明らかにされる事実は、真逆の行動になる可能性が高いと思われる。実際、翌日には、真逆になっていた。ロシア軍の作戦は続くし、ウクライナ軍は、抗戦継続。

以下、3節分は読売記事より引用してみた。

マリウポリは、ロシアが2014年に併合した南部クリミアと東部の親ロシア派武装集団が実効支配する地域の間にある要衝だ。ロシア国営テレビはプーチン氏とショイグ氏の会談の模様を繰り返し放送した。5月9日に旧ソ連による対ドイツ戦勝記念日を控え、「完全掌握」の宣言で「戦果」を誇示したものとみられる。(しかし、この錦の旗は、よく見るとあちこち綻びているのではないか。)

ロシア大統領府によると、ショイグ氏は、ウクライナ軍と武装組織「アゾフ大隊」の兵士らが最後の拠点とするアゾフスタリ製鉄所について、2,000人以上が残っているが、周辺を完全に「封鎖」していると語った。3月11日の時点でマリウポリに約8,100人いたウクライナ兵のうち4,000人以上を殺害し、1,478人が降伏したと説明した。以上引用終わり。

プーチン氏は軍事作戦の「成功」を宣言した上で、(「おめでとう」と国防相をねぎらっていたが、私には、国防相が「いつ嘘がバレて、大将に怒られるか」ビクビクしているように見えた)プーチンは、製鉄所への突入は「現実的ではない」と述べ、中止を命じた。「ハエも飛ばさぬように」(との表現で)封鎖の継続を指示し、ウクライナ兵に改めて投降を求めた。
以上、読売新聞の記事を概要紹介し、国防相の心理的な面を想像するために、私が勝手に手を加えた。記事の本筋は、朝日の記事も同じ。引用終わり。

ここでのプーチン認識;軍事作戦は「成功」→「突入中止」/「完全封鎖継続」→「ウクライナ兵に投降求める」。これでは、前段と後段のニュアンスに違いがあるのではないか。戦に勝ったはずなのに、なぜ、敵軍の兵に改めて「投降」を求めるのか、よくわからないのでは?

*「制圧」:威力を加えて相手の勢力を押さえつけること。
*「支配」(強化):ある者が自分の意志・命令で相手の行為やあり方を規定・束縛すること。

この記事には出てこなかったが、
*「占拠」:ある場所を占有して、そこにたてこもること。占領。
*「完全封鎖」:新型コロナ禍で流行ったロックダウンと同義。完全にある場所の出入りを不能にすること。

以下、朝日の記事を引用。それによると、フェイクニュースの度合いが高まる。

マリウポリのアンドリュシチェンコ市長顧問もSNSで「何も変わっていない」と指摘。「これは、ありもしない勝利を宣言したいというプーチンの願望だ」とした。以上、朝日新聞引用終わり。

私も、このフェイクニュースの実相は、市長顧問の言う通りという解釈が、無理のない、自然な解釈だと思う。ウクライナ側は、ロシア兵の捕虜とウクライナ国民の交換を望んでいる。「ロイター通信によると、市当局は約10万人が今も市内に取り残されていると見る」という。「人道回廊」は、ここでもロシア側から妨害されている、という。

 ★即席的な「集団墓地」づくりで、ロシアは証拠隠滅図る
マリウポリ関連では、「人道回廊」と同じように大事な事件は、22日に明るみに出た次の事項だろう。人道危機も極まれり。

「ウクライナ南東部マリウポリの市当局は22日、郊外に新たに大規模な集団墓地が見つかったと明らかにした。(略)市郊外では21日にも集団墓地が見つかっていた」という(以上、朝日新聞4月24日付朝刊より引用)。撤退前に、ロシア軍はあちこちに集団墓地づくりを進めているようだが、その真意は? 証拠隠滅説も流れている。

ロシア軍による「人道回廊」の妨害と集団墓地設営は、コインの裏表のようにリンクしているように思える。

 ★ 独裁者・プーチン

ある日、専制主義国家と独裁者ということを考えていたら、私の脳裏に次のようなイメージがひらめいた。プーチンという男は、ロシアの独裁者になってはいけなかったのではないか。なぜか、間違って(偶然?)独裁者になってしまったという点では、ヒトラーによく似ている。ヒトラーとか、プーチンとか、具体的な人物をイメージすると、空恐ろしくなる。自己矛盾する言い方をするならば、独裁者になれるというような性格の人物でないと独裁者にはなれないということなのだろうか。また、独裁者になったような人物でないと独裁者の地位保持を続けられないのだろうか。それほど独裁者とは、地位によって形成されるユニークな性格だということだろう。ならば、どうやってプーチンを大統領の地位から引き摺り下ろすか、猜疑心が強いであろう彼を、いわば「騙し、騙して」引き摺り下ろす。これは、大事業だ。現下、国際政治の最大課題というべきもっとも厄介な問題がひらめいてきてしまい、私の背筋は寒くなった。

 ★ 独裁者は、引き際が難しい

3月上旬、マスメディアの間では、「ウクライナ戦争で、プーチンに勝ち目なし」などという解説やプーチンの「負け戦」論、「判断ミス」説、プーチンの「引き際警戒」(はっきり言って、核兵器使用警戒ということだ)などという声も囁かれ始めた。その状況は、日を追うごとに強まっているように私には感じられる。プーチンの負け戦の色合いは、日々濃くなって行く。プーチンの不機嫌は、日々、重症化して行く。

長年、ロシアの独裁者の地位(1999年から現在まで、首相・大統領・首相・大統領と繋げて、現在まで通算23年間国家権力のトップ)を維持してきただけに、ロシアのことなら全て思うようになるという体験の積み重ねの果てに作られただけにプライドも強ければ、猜疑心も強かろう、と思う。

そういう性格、そういう体験のプーチンがこの戦争で平穏裡に負けを認めて、身を引くことができるのか。

悪玉・プーチンが引退するのは、良いことではあるが、引退を完遂させないうちに、この男が「暴発」(核のボタンを押すような?)することを予防するような有効な対策は、誰がとっているのか。考えているのか。プーチンに平穏理に引導を渡すのは、誰か。中国の習近平国家主席か、アメリカのバイデン大統領か、それとも。別の人物か。

 ★ 「独立広場」の歴史

ウクライナの首都・キエフ(2月24日にロシアが仕掛けた、いわゆる「ウクライナ戦争」勃発以降、ウクライナでは、地名のウクライナ語読みに切り替えられた。その結果現在では、「キエフ」はウクライナ語読みで、「キーウ」となった)の中心部に「独立広場」がある。広場があるのは、小高い丘陵地帯に広がる古くからの旧市街地。キーウは、ウクライナの「京都」とも言われる歴史のある街。独立広場のある街の中心部には、企業や銀行、教会、地下鉄のターミナル駅などがある。広場(マイダン)は、街の中心部に集まる通りや小路がいくつも交差する地点に位置している。私たち一行は、独立広場に近いホテルを拠点として、チェルノブイリ原子力発電所(当時、暫定的に運転中・閉鎖中の原発や廃炉などがあった)や原発・廃炉から半径30キロの立ち入り規制地区などを訪れ、取材をすることになる。

さて、キーウ(キエフ)の独立広場とその周辺には、ウクライナ独立記念碑、ウクライナ独立記念塔、ポーランドの門、ウクライナ中央郵便局、地下鉄の「独立広場」駅などがある(この地下鉄駅で、ウクライナのゼレンスキー大統領は、4月23日夜、記者会見をしたことがある)。私は、地下鉄のコンコースに店を出しているショップでロシアの工芸品の人形「マトリョーシカ」を購入した。「マトリョーシカ」は、日本のこけしにヒントを得てロシアで作ったと言われる木製の人形。同じデザインながら複数の大きさの違う人形を大から小へ「入れ子」にしてそれぞれの体内に収めている。

広場は10世紀から13世紀にかけて「古キエフ」への入り口として設置された「ポーランドの門」が、1730年代から広場として使われるようになった、という。広場の名称は、ウクライナの厳しい歴史が示すように、政治体制が変わるたびに変えられてきた。主な名称を明記すると、以下の通りとなる。

20世紀初頭の「市立議会広場」、
1919年—1935年の「ソビエト広場」、
1935年—1941年の「カリーニン広場」、
1941年—1943年の「9月19日広場」、
1943年—1976年の「カリーニン広場」、
1976年—1991年の「十月革命広場」、
1991年以降、ソ連邦崩壊・ウクライナ独立後の「独立広場」という現在の名称になった、という。

1991年(12月26日)とは、ソビエト連邦崩壊の年である。その後、ウクライナでは、国内に約5,500体あったレーニン像が全て倒され、破棄、または首の部分だけが倉庫などに「保管」されたまま(事実上、打ち捨てられている)という。

「独立広場」の前名の一つとなったカリーニンは、人名。ミハイル・イヴァーノヴィチ・カリーニン:ロシアの革命家。ソビエト連邦の政治家。1875年—1946年。

その後も、「独立広場」は、歴史を刻んできたが、例えば、2004年には、当時の大統領選挙をめぐる「オレンジ革命」の舞台となった。
さらに、2013年—2014年にかけての民主化運動(親ロシア派の大統領追放劇)では、デモの舞台となり、「ユーロマイダン(ヨーロッパ広場)」と呼ばれるなど、「独立広場」は、ウクライナの激動の現代史を見続けている。

★★ 騙す人・騙される人

2022年2月24日の戦争勃発(軍事侵攻:侵攻とは、戦争や紛争において、攻めて相手の領地に侵入すること)以来、日毎に深刻さを増す、ウクライナ戦争(子ども、乳幼児などを含む非戦闘員の国民が犠牲になるという、なんともやりきれない「人道危機」。国際社会からは、「戦争犯罪」の可能性が高いと言われている)。抵抗を続けるキーウ(ロシア語読みの時代は「キエフ」)の市民たち。ウクライナ国内各地で、抵抗する市民の力の源泉と言えるのが、すでに触れたように、8年前、2014年の「マイダン革命」だった。ウクライナの国民と当時の政府の治安部隊が衝突し、親ロシア派政権(ウクライナは、ヤヌコビッチ/ロシアは、プーチンという構図)の大統領の崩壊につながったのが「マイダン革命」。

ロシアとウクライナの関係を象徴する場所が独立広場。この広場にあるのが独立記念碑。ウクライナ国民の心の支えとも言える記念碑である。キーウ(キエフ)市民にとって今回の「ウクライナ戦争は、今年の2月に勃発したのではなく、いわば『戦争状態』は、2014年から8年間も続いている闘い」なのだ。両国とも、簡単には止められない事情がある。
つまり、ロシアが仕掛けた「ウクライナ戦争」は、2013年から14年にかけて、ウクライナの国民と当時のヤヌコビッチ大統領(親ロシア派)が率いる治安部隊が衝突した「マイダン革命」から引き続いていたというわけだ。当時ヤヌコビッチ大統領は、プーチンの意向を受けてか、忖度してか、EUとの連合協定締結を見送ったことで国民の間に反政府運動が拡がった。EUやNATOを拒否するロシア大統領のプーチンとそれに追随する親ロシア派の政治家たち。それに反発する国民。さらに今回ウクライナ政権を保持しているゼレンスキー大統領を支持するウクライナ国民とロシアのプーチンとの対立に、根深いものがあるのは、当然だろう。親ロシア派のヤヌコビッチ大統領追放劇は、2013年~14年以前から、ウクライナ国民の中に溜め込まれていた不穏なガスの固まりとも言えるエネルギー源であった、と言っても良いのだろう。

当時、独立広場には連日、数万人のウクライナ国民が集まり、人々はデモクラシーを求めて声をあげた。これに対して、ヤヌコビッチ政権が指揮する政府の治安部隊は、催涙弾やゴム弾、なんと最後には実弾で国民のデモ隊を鎮圧しようとし始めたのだった。この衝突は3ヶ月以上続き、100人以上の市民が殺された、という。

2014年2月、国民の反政権の力に押されたヤヌコビッチは大統領の座を投げ出し、プーチンを頼って、ロシアに亡命した上、身柄をプーチンに匿って貰った、という。こうしてウクライナの親ロシア派政権は崩壊した。

ウクライナ最高議会は2月22日、ヤヌコビッチの大統領職からの解任を決議した。翌日の23日にはオレクサンドル・トゥルチノフが大統領代行に選出され、6月まで大統領職を務めた。ウクライナ軍が早い段階でクリミアから撤退したため、ロシアは「火事場の泥棒」のように見える手法で、いわば「空き家」状態になっていたクリミア半島南部を2014年3月18日、ロシアに併合させることに成功した。その間、ウクライナでは大統領選挙が実施され、チョコレート会社の成功で財を成し、10億ドル以上の資産を持つオリガルヒ(新興財閥)として知られたペトロ・ポロシェンコが当選した。

だが、2019年、2期目を狙ったポロシェンコは4月に行われた大統領選挙で、政治経験はないものの俳優として全国的な知名度があったウォロディミル・ゼレンスキー候補に敗北し、ゼレンスキーがウクライナの第6代大統領になった。ゼレンスキーは1978年1月25日生まれ、44歳。

大統領選挙では、ゼレンスキーは、ヨーロッパとの統合路線を訴える一方でロシアとの対話も重視する姿勢も示していた。得票率73・22パーセントで、対ロシア強硬派として知られた現職大統領のペトロ・ポロシェンコを破り初当選した。ゼレンスキーは2019年5月20日に大統領に就任した。任期は、2024年まで。

【ロシア・ウクライナ人物関係図】

プーチン(専制主義)・
  親ロシア派政治家  / ウクライナ派政治家
              (今回は、ゼレンスキー大統領ほか)
(ロシア国民?)      ウクライナ国民
*ロシアを再建する若い世代は?

主要人物のキーワードを残し、そのほかを削ぎ落としてみると、以上のようになった。舞台に登場する親ロシア派の人物はプーチンなど一部を除けば、変わっているが、ロシア、あるいは親ロシア派の政治家と反ロシア派のウクライナ国民などというように、根本的な政治構造は、当時も今回も変わっていないということを見抜かなければならない。ウクライナの近現代史の中で、糾える縄のごとく、縄目に浮き上がってくる国民の反政権運動。それが自由とデモクラシーのために立ち上がるウクライナ国民の根強い闘いである。表現の自由は、闘うデモクラシーの根幹にあることをウクライナ国民のためにも、私たちも忘れてはならない。

以上、メディア、特に新聞記事のほか、テレビでは、TBS報道特集(3月26日放送)なども参照した。

 ★ロシアの「住民投票」、擬制としてのデモクラシー

ロシアは、ウクライナの南部・東部での軍事侵攻で制圧したという地域で、ウクライナ戦争の成果と領土の併合などの是非を問う「住民投票」を目論んでいる、という。(以下、朝日新聞4月26日付夕刊記事より引用)

「イギリス国防省は、24日、ロシアが占領を正当化するため、ヘルソン州で『住民投票』を計画しているとツイッターに投稿していた」という。

ロシアがやろうとしていることは、これまでにも同じようなやり方で投票統制を敷き、投票結果をコントロールしてきたことから、これは、形式的なデモクラシーの擬制を悪用するアンチ・デモクラシーの施策である。
これについて、時事ドットコム(jiji.com)も参照した。

「ウクライナ軍当局によると、男性住民のロシア軍への徴兵も宣言されているという。イギリス国防省は同州が、ロシアが実効支配する南部クリミア半島への陸続きのアクセスを確保し、南部を支配する上で重要な地域だと指摘。2014年にも、親ロシア派勢力が占拠したドネツク州、ルハンスク州の一部地域で住民投票が実施され、独立が宣言された経緯がある。ゼレンスキー大統領は23日の記者会見で「住民投票が実施されれば、いかなる停戦交渉も拒否する」と強調している、という。

ウクライナ侵攻を続けるロシアのプーチン政権が、占領下のウクライナ南部ヘルソン州で「住民投票」を近く強行するという見方がある。「独立を支持する圧倒的な民意」を演出した上で、東部ドネツク、ルガンスク2州の親ロシア派支配地域のように、かいらいの「人民共和国」を樹立するのが目的だ。しかし、東部2州と異なり反ロシア感情が強く、住民投票の計画は何度も延期されている。以上、住民投票関連の引用終わり。

ロシア方式の住民投票も独立も、擬制のデモクラシーであることは、お判りになると思う。

ここのキーワードは、以下の通り。

騙す人:プーチン、臣下の軍人や官僚。
騙される人:ロシア国民
騙す手段:「住民投票」という擬制

プーチンを権力の座から引き落とすには、ロシア内部のクーデターや他国(アメリカ、NATOなど、中国はロシアの敵としては姿が見えにくい)との戦争くらいか。それ以外では、有権者による選挙しかない。選挙は、ロシア国民の有権者しかできない。そのロシア国民のリアルが、さっぱり見えてこない。ロシアの背景にデモクラシーがないからだろう。デモクラシーが背景に控えている国にロシア、中国、アメリカなどの世界3大「大国」がならない限り、人類から戦争は無くならないのではないか。

デモクラシーは、多数決ではない。熟議デモクラシー。
ところが現状は、議論中断、数で採決、少数派が不満なまま多数派に従うことが大半だ。デモクラシーならば、これではなく、熟議の末に少数派も納得して多数派に従うというのが、熟議デモクラシー。この点については、この論考の最終部分で熟慮してみたい。

さて、チェルノブイリの現場。すでに書いたように、10年前、2012年4月、ウクライナのチェルノブイリ原発・廃炉とその周辺地区の実情を視察・取材する日本ペンクラブの視察団の一行(作家、ジャーナリストなど8人)に私も参加した。チェルノブイリ原子力発電所から半径30キロ以内の立ち入り禁止区域にも、前年の2011年から事前申請の手続きをとって立ち入りが許可されれば、入ることができるようになっていた。実際、2012年4月には、私たち一行はチェルノブイリ地区に入ることができた。その後、ウクライナ戦争によるロシア軍の軍事侵攻で、この地域は、ロシア軍占拠となり、再び一般の立ち入りは禁止されたであろう。

チェルノブイリ原発・廃炉で、私が懸念するのは、ロシアの軍人たちによる原発占拠では、ロシア軍の「安全管理」に対する無知という新たな問題が生じているが、メディアでは、あまり取り上げられていないので、情報が不十分にしか発信されていない、ということである。ロシアの軍人たちの中に原子力の専門家が何人いるのか、複数いるのか、大勢いるとは思えないが、私の懸念は、その後、新たな問題として浮かび上がってくことになる。
 (次号へ続く)

 (ジャーナリスト(元NHK社会部記者))

(2022.5.20)
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