【コラム】 宗教・民族から見た同時代世界

パレスチナ問題は英国の二枚舌外交と大破局(ナクバ)から始まった

荒木 重雄

 中東・パレスチナを覆う混乱と悲惨は、10月7日の、イスラム組織ハマスによる意表を突いたイスラエル攻撃にのみ始まるものではない。事態を見守るためにも、その背景を念頭に置くことが必要であろう。

◆英国二枚舌外交と大破局(ナクバ)

 第一次大戦前までのパレスチナは、アラブ人と少数派のユダヤ人が隣人として穏やかに共存する地だった。祝い事の宴などには互いに招待しあったことが記録に残されている。
 
 ところが、メソポタミアの石油と小麦に目をつけた英国は、第一次大戦が始まると、ドイツ側についたオスマン帝国からその地を奪おうと策を弄し、戦後、この地にアラブ人国家の建設を推進すると約束してアラブ人の反乱を促し(フセイン・マクマホン協定)、他方、ユダヤ系財閥のロスチャイルド家から戦費を引き出そうと、同じ地に、ユダヤ人の「民族的郷土」の建設を約束した(バルフォア宣言)。
 
 アラブ人の奮戦とユダヤ人の戦費でこの地を手に入れた英国は、しかし、アラブ側との約束は反故にし、ユダヤ人の入植のみを認めた。ここでもたらされた両民族の軋轢。ここにパレスチナ問題の発端がある。
 折からのナチス台頭と第二次大戦下での迫害を逃れた欧州のユダヤ人がパレスチナに向かった。セントルイス号事件に象徴されるような米国の受け入れ拒否も、この傾向に拍車をかけた。

 第二次大戦後、この地の扱いに窮した英国は問題を国連に丸投げし、国連はこの地をユダヤ国家、アラブ国家、国連管理地区に三分割する案を採択した。従来この地に居住してきたアラブ人=パレスチナ人には理不尽な事態であったが、パレスチナ人側は、ユダヤ人とパレスチナ人が民主的に共同経営する国家を提案する。しかし、ユダヤ人側はそれを拒否して、1948年5月、突如、イスラエルの建国を宣言。これを認めぬ周辺アラブ諸国が宣戦を布告するが、欧米の支援を受け、最新鋭の兵器を備えたイスラエル軍はアラブ側を圧倒し、パレスチナ人の住む町や村を破壊して占領した。多数のパレスチナ人が死傷し、75万人が難民となって故郷を追われた。世に言う「大破局(ナクバ)」である。
 
 難民の証言がある。「ユダヤ人は我々をトラックに積み込んで目隠しをさせて国境線まで運んだ。到着すると、一人を選んで我々の目の前で射殺した。それから、振り返らずに国境の向こう側へ全力で走れと命令され、ユダヤ人たちが空に向かって銃を撃ち続ける中を、死に物狂いで走った」(NHK「映像の世紀『砂漠の英雄と百年の悲劇』」10月16日放送)
 故郷を追われた難民たちがかろうじて身を寄せたのが、ヨルダンが押さえたヨルダン川西岸と、エジプトが管轄するガザであった。

◆ハマスが放つロケット弾は忘れられゆく「大義」の証し

 だが、そのヨルダン川西岸とガザも、67年の第三次中東戦争でイスラエルに占領される。難民は、占領下で監視され、自由を奪われた民となった。
 
 難民の間からは、故郷への帰還と民族独立を求める運動が武装ゲリラ闘争も含めて起こり、やがて、パレスチナ解放機構(PLO)として統一され、公的な活動を進めるが、国際政治に翻弄されるなど成果を上げられない中で、87年、占領地の人々が「インティファーダ(民衆蜂起)」を起こす。銃で武装したイスラエル兵士に子どもたちまでが投石で立ち向かう姿は、パレスチナ住民が置かれた状況がいかに耐え難いものかを、世界に知らしめることとなった。この闘争の中で生まれたのがハマス(イスラム抵抗運動)である。
 
 93年、イスラエルとPLOの間でオスロ合意が結ばれ、ヨルダン川西岸とガザの、限定された地域が、将来のパレスチナ国家として、暫定自治を認められ、暫定自治政府が発足する。ハマスはこのミニ・パレスチナ国家構想を拒否して全パレスチナの解放を訴え、独自の闘争を展開するが、イスラエルの意を受けたPLOがこれを弾圧する。
 
 だが、オスロ合意による和平プロセスは遅々として進まず、それどころかイスラエルは、自治区内にユダヤ人入植地を広げ、パレスチナ人居住区には幾重もの分離壁を設けて厳しい検問で人や生活物資の移動を妨げ、軍による弾圧も日常と化した。
 このような中で、日頃から地道な福祉活動に取り組む一方、住民の怒りを受け止めて自爆テロなどでイスラエルに抗い続けるハマスが住民の支持を得たのは当然だろう。07年の自治区立法評議会選挙でハマスが圧勝し、ハマス政権が誕生した。

 ハマス政権の登場を見ると、欧米諸国は、自治政府を支えてきた海外援助を凍結し、公正な選挙で成立した政府に兵糧攻めを企てた。この事態に、ハマスとPLO主流派ファタハの抗争が激化し、同年、ハマスがファタハの軍事部門を制圧すると、ファタハはヨルダン川西岸にハマスを排除した政権を立て、パレスチナは二つに分裂した。

 欧米諸国は(日本も)ハマスをテロ組織に指定して、ヨルダン川西岸の新政府にのみ援助を再開。イスラエルは分離壁によるガザの封鎖を一層強化して、奄美大島の半分ほどの面積に220万人余りが住む地域全体を「天井のない巨大監獄」と化させ、逃げ場のないその閉鎖空間に、09年、12年、14年、21年と大規模軍事攻撃を加えて、4000人を超えるパレスチナ人を殺害した。これに対しハマス側は、殆どがイスラエルの最新鋭防空システムで撃ち落とされる玩具のようなロケット弾をときおり放って、忘れ去られつつある「パレスチナの大義」を主張してきた。

 これが、中東にこの10月からの事態を導いた前史、背景である。事の理非を改めて考えたい。

 国連は殆ど機能を失っているが、グテーレス事務総長は次のように言う。「ハマスによる攻撃は、空白の中で起きたものではないと認識することが重要だ。パレスチナの人々は56年間にわたり、苦しい占領下に置かれてきた」。
 大破局(ナクバ)から数えれば75年だが、その不正義が再び・・・これまでにない規模の暴力と残虐性をもって・・・

(2023.11.20)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧