【コラム】宗教・民族から見た同時代世界

ヒジャブにはじまる社会変動はイランの神権政治を脅かすか

荒木 重雄

 頭髪を隠す布「ヒジャブ」の着け方が不適切と逮捕された女性の急死をめぐって広がった抗議行動の余波が、いまだ続いている。昨年9月以来の、治安部隊によるデモ弾圧の死者は500人を超え、逮捕者は1万数千人に及び、12月には逮捕者の死刑執行もはじまった。
 折からのサッカー・ワールドカップ・カタール大会では、イラン選手団の国歌斉唱拒否や観客席のサポーターが掲げた「女性、命、自由」の横断幕が国際社会の耳目を集め、大会の外でも、スポーツクライミングの国際大会で頭髪を覆わずに競技した女性選手の家族の家が破壊されたとか、抗議デモに参加したプロサッカー選手の死刑の危機に国際プロサッカー選手会が撤回を求める声明を出したとか、アカデミー賞作品の主演俳優が逮捕されたとか、懸念されるニュースは後を絶たない。

◆見えはじめた体制の綻び

 とりわけ注目を集めたのは、こともあろうに、最高指導者ハメネイ師の妹バドリ・ホセイニ・ハメネイさんが、書簡で、兄ハメネイ師の専制的な統治を非難して抗議デモへの支持を表明し、また、姪のファリデー・モラドハニさんが、諸外国政府に、抗議デモを弾圧するイラン政府とは一切の関係を断つよう動画で訴えたことである。
 
 AFPが伝えたところによると、妹ホセイニ・ハメネイさんは、12月7日に公開された書簡で、ハメネイ師による統治を、ホメイニ師時代から続く「専制的カリフ制」と呼び、「人々の勝利と、イランを支配するこの暴政の転覆を早く目にしたいと望んでいる」とした。
 一方、著名な人権活動家でもある姪ファリデー・モラドハニさんは、ロイター電によると、11月25日にユーチューブに投稿された動画で、「この体制は宗教のいかなる原理にも忠実ではなく、強権と武力以外の統治を知らない」とし、「今こそイランから各国政府代表を引き揚げ、各国・地域からイランの体制代表を追放するときだ」と呼びかけている。

 抗議デモのなかで、「独裁者に死を」と連呼され、「ここで起きているのは革命だ。ヒジャブはその始まりで、我々は独裁者の死と神権政治の終焉以外は望んでいない」と語られ、また、改革派とはいえハタミ元大統領がそのデモに公然と支持を表明したように、体制の綻びがすすんでいることは明らかなようだ。

◆「権力は腐敗する」の例にもれず

 イランのイスラム聖職者統治にはそれなりの歴史がある。第二次大戦後、英国支配を脱しようと石油国有化を図ったモサデク政権をクーデターをそそのかして追い落とした米国は、国王パフラヴィ・シャーを傀儡政権に仕立てあげ、CIA仕込みの秘密警察によって国内を抑え込ませる一方、石油収入のほとんどを米国の兵器と商品の購入に吸い上げるシステムをつくりあげた。米国製兵器で軍事大国化したイランは、さらに、米国はじめ西側諸国の権益とイスラエルの存在を守るため、アラブのイスラム勢力に睨みをきかせる「ペルシャ湾の憲兵」の役割を担わされた。

 こうした米国の政策とそれに追随する特権層の腐敗に反発した民衆は、しだいに抵抗運動を組織するようになり、厳しい弾圧を受けるたび、イスラム的価値観のもとで団結を固め、ついに、1978年を通じて盛り上がった大規模な民衆蜂起によって翌年2月、シャー政権は倒され、長らく国外追放されていた反体制運動の象徴的指導者ホメイニ師が、民衆の大歓呼のもとに帰国した。これがイランの「イスラム革命」であった。

だが、「権力は腐敗する」。

 たとえば、この国には今、国家が没収した資産は最高指導者の懐に入る仕組みがある。ハメネイ師の財産は1千億ドル(約15兆円)に及び、その額はイランの年間GDPの半分にも相当する。ハメネイ師はこれを側近たちに分け与えることを権力の源泉にしているといわれる。
 正信を装うライシ大統領出身の司法府や裁判所。ここもじつは、「判決は賄賂次第」と悪名高い汚職の巣窟といわれている。

◆周縁部が聖職者独裁政治に挑むか
 
 今回の事態の発端となった死亡した女性が、少数民族のクルド系であったことから、複雑な問題も派生している。イランは、人口の半数を占める、イスラムでもシーア派のペルシャ人が政治権力を握るが、他の半数を、多い順に、アゼリ系、クルド系、ロル系、アラブ系、バルチ系などが占め、それぞれイラン周縁部の一定地域に住む。宗教もシーア派とは限らない。これらの少数民族は、民族言語の使用禁止や権利の制約、経済的格差などの不満から、民族ごとの濃淡はあれ、ペルシャ系中央政権との間に緊張関係がある。今回の事態はこの緊張関係を刺激したのだ。
 
 たとえば、「ヒジャブ」をめぐる抗議行動が発生して間もない9月、クルディスタン州コヤ市で、クルド人政党の事務所2か所が突如、治安部隊(革命防衛隊)からロケット弾など重火器による攻撃を受けて、11人が死亡し多数の負傷者が出た。数日を置かず、シスタン・バルチスタン州の州都ザヘダンで、金曜礼拝を終えた人々が抗議のため市の警察署に向かおうとしたところ、待ち伏せしていた治安部隊の一斉射撃を受けて、80人以上が死亡した。
 クルド系やバルチ系は歴史的に独立意識が強いが、こうした政府の強硬姿勢が、他の少数民族にも民族意識や反中央政府感情を高めていると報じられている。
 
 このたびの広範な抗議行動の主力は、「Z世代」(10代後半~20代前半)の若者とされている。かれらはSNSを通じて海外事情に通じているだけでなく、「イスラム革命」が当時もった「重い意味」や「理想」を知らない世代である。ともに周縁にある少数民族と若者世代が、シーア派ペルシャ人聖職者による神権政治を脅かしている構図が見えてくる。

(2023.1.20)
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