【コラム】宗教・民族から見た同時代世界

ヒジャブ問題が体制批判につながり国際的孤立を深めるイラン

荒木 重雄

 イランで、女性が髪の毛を隠す布「ヒジャブ」をめぐって起きた騒動の余波が、2か月を経て、なお続いている。
 ことの経緯はこうだ。
 9月の半ば、22歳の女性マフサ・アミニさんが、首都テヘランの路上で、ヒジャブの着け方が不適切だとして宗教警察に逮捕され、警察署に移された後、急に意識を失って病院に搬送され、死亡した。
 警察当局は「心臓発作」と説明したが、警察官の暴行を疑う声が強まり、国内各地に抗議行動が広がって、一部は暴徒化して警察車両への投石や放火に及び、それに対して治安部隊が催涙弾や一部では実弾ももちいて鎮圧を図り、多数の死傷者を出した。
 不穏な状況にも臆せず、デモに参加する女性がしだいに増え、なかには、対峙する治安部隊の目前でヒジャブを脱ぎ捨てて燃やしたり、髪を切って、挑発する女性も現れてきた。

◆イスラムの女性差別に抗して

 これらの報道を目にして筆者は、19年7月号の当欄に書いた拙稿を思い出した。
2017年12月のある日、会計士ザフラ・ホシュナバズさん(26歳)は、化粧で眉を濃く塗り、つけ髭を貼り、胸の膨らみは布を巻いて隠し、4時間かけて男性に扮した。向かった先は、テヘランのサッカースタジアム。ひいきにする地元の強豪プロチーム「ペルセポリス」の奮戦見たさからである。
 緊張しながら検問をくぐり抜け、観客席への暗い廊下を通って、ピッチの照明が見え、サポーターの声援が聞こえたとき、ホシュナバズさんの目に涙が溢れた。そして、「人生で革命が起きた瞬間だ」と感じたという。
 
 イスラム法学者が統治するイランでは、女性は公共の場では身体の線を隠す服装をしヒジャブで髪を隠すほか、夫や親族男性の同伴なしに旅行ができないなど、さまざまな制約があるが、男性スポーツの観戦禁止もその一つである。「半裸のサッカー選手を女性が見るなど宗教的罪だ」というのである。

 ホシュナバズさんの男装写真がネットに出ると、ネット上には好意的な意見が溢れた。以降、多くの女性が男装してスタジアムをめざしはじめた。検問で見破られた女性も扮装を変えては二度、三度とチャレンジした。圧力に押された政府も規制緩和に動き出した。
と、その欄では楽観したが、ところがである。同年9月には、男性に変装して会場に入ったサハル・ホダヤリさん(当時29歳)が警備員に見つかって、警察に身柄を拘束された。
「公共の場でヒジャブを着けず、罪深い行為を行った」として訴追された彼女は、裁判所で6か月間投獄される可能性があると聞かされると、その裁判所の前で焼身自殺を図って亡くなった。事態は暗転したのだ。

◆死因究明から体制批判、国際問題に
 アミニさんをめぐる事件に戻ろう。
 髪を切って抗議する女性について先に触れたが、「女性の美の象徴」とされる髪を自ら切ることは、イラン女性にとっては深い悲しみ(哀悼)や怒り、痛烈な抗議の表現だとされる。髪を切って抗議の意思を示す画像や動画が数多く出回るなかで、海外からも、連帯を示して髪を切る女性の動画が多く投稿されるようになった。パリから、ベルリンから、イスタンブールから、モントリオールから、ニューヨークから。しかも著名な俳優や歌手などインフルエンサーも多い。

 抗議行動が、アミニさんの死因の究明や当局の責任追及の枠を超えて、女性の人権や、改善の兆しが見えない失業・物価高の経済的苦境、さらに、イスラム法学者が支配する体制の息苦しさへの抗議へと拡大し、政権批判・体制批判の色彩を帯びるにつれて、「国の安全を破壊する者には断固とした対処が必要だ」とする保守強硬派ライシ大統領の号令によって、力による抑え込みが強化され、最初の1ヵ月でデモ参加者の死者は200人を超えた。

 そうした状況のなかで、抗議行動に参加して治安部隊に追われていると親族に電話したのち死体で発見され、しかも遺族が警察から嘘の証言を強要されたという、16歳の少女ニカ・シャカラミさんや、高校に踏み込んできた治安部隊が強要した、体制を賛美する歌をうたうことを拒絶して殴打され、死亡した、15歳の少女アスラ・パナヒさんのことなどは、海外のマスメディアでも広く報道された。

 アミニさんが少数民族のクルド系だったことも事態を複雑にした。西部のクルド人居住地域では、民族言語の使用禁止など権利の制約への不満も重なって、抗議行動は一段と激しくなった。イランの精鋭部隊とされる革命防衛隊は、「テロ支援」を口実に隣国イラク北部のクルド人自治区にミサイル攻撃を加え、多数の犠牲者を出した。
 
 予想を超えた抗議行動の高まりに、最高指導者ハメネイ師は、抗議行動は米国やイスラエルが仕組んだものと言及している。イランがあらゆる分野で力をつけていることを容認できない外国勢力が、海外にいる裏切り者のイラン人の助けを借りて政府転覆を計画しているとの主張である。
 これに対して、米・英・EUなどは、深刻な人権侵害を理由として、革命防衛隊や宗教警察の幹部らに渡航禁止や国・域内の資産の凍結など新たな制裁を科している。
 主要6ヵ国と結んだ核開発制限と経済制裁解除の合意の協議が進捗せず、ウクライナでの戦争でロシアに無人機などの兵器を供給していることで非難を浴びているイランの国際的な孤立が、ヒジャブをめぐる事態の一件で更にすすんだようである。

(2022.11.20)
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