【北から南から】フィリピンから(10)

フィリピンで19年ぶりのAPEC、原点に日本の宰相

麻生 雍一郎


 今年は1996年以来19年ぶりにフィリピンがアジア太平洋経済協力会議(APEC)を主催してきた。オバマ大統領、安倍首相、習近平国家主席など21か国・地域の首脳がマニラに集うのは11月18、19日だが、これに先立って年初の1月からセブ、イロイロ、ボラカイ、クラークなどで関係閣僚会議や高級実務者会合が開かれ、中でもセブでは財務、構造改革、交通、エネルギーの4つの重要な閣僚会合が開催された。首脳会議ほどの脚光は浴びないが、人、モノ、カネの流れを一段と大きくし、共存共栄する域内作りへ向けて、いくつもの具体的な成果を生んでいる。

 一連の閣僚会合の成果を寿ぎ、マニラでの首脳会議の成功を祈り、主催国フィリピンへ最も大きなエールを送っているのは故大平正芳首相ではないだろうか。大平氏こそはアジア・太平洋圏の連帯を初めて公式に提唱した、APECの源流に立つ政治家だからである。APECの源となった「環太平洋連帯構想」を大平首相が唱えたのは、1980年1月、キャンベラに於ける日豪首脳会談の席でのことだ。マルコム・フレーザー豪首相が全面的に賛成して日豪で関係各国に呼びかけ、その年に早くも関係国が代表をキャンベラへ派遣して、キャンベラ・セミナーを開催、ここで太平洋経済協力会議(PECC)という具体的な組織を生み出した。

 当時、読売新聞のシドニー特派員をしていた記者は、この時の大平・フレーザー会談をはじめ、第1回キャンベラ・セミナーも取材する機会を得た。PECCはその後、定期的に開かれ域内の様々な問題について調査・研究と提言を行ってきたが、最大の貢献は1989年にAPEC発足へこぎつけたことだろう。APEC誕生が決まり、関係する26人の外相、経済担当相がキャンベラのホテルに会した席で、PECC日本委員会委員長の大来佐武郎氏(故人、大平政権の外務大臣)が「大平さんが生きておられたらなあ」とつぶやいたのを多くの記者が聞いている。

 APECは文字通り域内の経済閣僚の会議としてスタートしたが、1993年のシアトルで開かれた時、クリントン米大統領(当時)が首脳会議へと格上げした。首相在任中に急逝した故大平氏の首相在任期間は2年に満たず、決して長くはなかった。それにもかかわらず、掲げた環太平洋連帯へ向けての構想は前進し、アジア・太平洋地域のトップが毎年、一堂に会して話し合う場を作り、域内の協力の枠組みを作る原動力となった。いまではアジア・太平洋諸国の首脳が域内の政治、経済、安全保障、環境などあらゆる問題を討議する場として定着した。

 大平・フレーザー会談から35年が経ち、世界は様変わりした。IT革命の波はアジア・太平洋の人々の距離の感覚を一変した。日豪の首脳が環太平洋圏の連帯構想を打ち出したとき、人々は人種も、宗教も、言語も、歴史も、政治の仕組みも、経済の発展段階もまるで違うアジア・太平洋の国々が果たして“ひとつの地域”として連携できるものだろうか、といぶかった。なにしろ域内には当時、すでに10億の人口を擁する中国がある一方で、1万人に満たないナウルやツバルがあった。日、米といった高度工業国、豪州、カナダ、インドネシアなどの豊かな資源産出国もあれば、パプアニューギニア、ソロモン諸島、バヌアツなど貨幣経済がまだ浸透していない国もあった。

 これほど多種多様な国々が、一つの地域としてまとまれる訳がない。当時の欧州共同体(EC)に比べても余りにも共通の基盤がなさすぎる、というのが長い間の一般的な考え方だった。しかし、大平、フレーザー氏は逆説的な発想ができる、柔軟な思考の政治家だった。相違点が多すぎるからこそ逆に穏やかな連帯が可能なのではないか、と考えたのだ。レベルが同じ人間同士は反発しやすい、隣人間の協調には忍耐がいる。しかし、これだけ多様だと、むしろ求心力が働くのではないか—と。

 客観情勢も域内の様相を大きく変えようとしていた。IT革命に先立って始まった航空網の発展と整備だ。先住民の人たちが中心になって南太平洋芸術祭を開いたことがある。タヒチの人たちが海洋で大きく隔てられたマリアナの人たちと談笑し、豪州のアボリジニーがニュージーランドのマオリに声をかけ、パラオやミクロネシア連邦や、ハワイやニューカレドニアの人たちが輪になって踊っている。半世紀前には考えられなかった光景だった。アジア・太平洋は急速に接近し、人々は共通の利害を見出し始めたのである。太平洋の島しょ国が全てAPECのメンバーという訳ではないが、島しょ国を代表する形でパプアニューギニアがメンバーになっており、今年のAPECでも「人的能力構築におけるハイレベル政策対話」だけはフィリピンを離れてパプアニューギニアで開催された。

 フィリピン各地で開かれてきた今年の一連のAPEC会合を見れば、関係国が海と陸の国境を越えて一段と連帯感を強めてきたことが分かる。セブでの構造改革担当相会議に出席した小泉進次郎内閣府大臣政務官は、日比間の協力の枠組みだけでなく、フィリピンの人たちの心の持ち様に日本は学ぶ点があるのではないか、との感想をもらした。

 APEC加盟国はいま海洋の権益などを巡って難しい問題を抱えている。首脳会議の席で加盟国の主張が対立し、利害の調整にアキノ大統領が苦労する局面があるかもしれない。アキノ大統領がどんな采配を見せるか注目されるが、「当面の課題の討議だけでなく、この辺でひとつ、APECの源流までさかのぼり、先人の足跡を振り返ってみようではないか」と提言するのも一つのやり方だろう。そうした歴史軸をテーマにした先導役を務めれば「マニラ会議はこれまでとは一味違った、ユニークで、実り多いAPECになった」として、後々まで記憶される会合になるかもしれない。

 (筆者は日刊マニラ新聞セブ支局長)

※この原稿はAPEC首脳会議の前の11月15日に書いて出稿しました。


最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧