【オルタの視点】フランス便り(24)
ILOの再生への道
~ F. Maupain の OIT à l' épreuve de la mondialisation; Peut-on réguler sans contraindre (ILO, Institut international d' études sociales, 2012) を読んで
周知のように、ILOは2年後に誕生100周年を迎える。悲惨な第1次世界大戦で廃墟と化したヨーロッパで、戦後の新しい国際秩序を構築するためにILOは国際連盟とともに創設された。第2次大戦後、フィラデルフィア宣言(1944年)により雇用という新しい目標を加えながら、国際連合の専門機関として再出発した。
百周年を記念し、ILO本部を中心として多くの研究プロジェクトが組まれている。フランスでも、労働問題の大家たちが、ILO委託の報告を出し始めている。そのいくつかのレポートや本を読んでいるうちに表題の Maupain 氏の本に遭遇した。2012年の出版なので、すこし時間は経ているが、内容的にはもっとも考えさせられた。この本の英語訳(“The Future of the International Labour Organization in the Global Era”2013)も出版されている。フランス語版と英語版で明らかにタイトルが違うが、内容的には英語版のタイトルの方が適切なように思われる。
著者の Maupain 氏は、ILO本部で長いこと法律関連の仕事をした後、1987年から1998年まで法律顧問(Legal advisor)の要職にあった。ILOの法律顧問とは、ILO憲章やILO条約の法解釈に関して、事務局長を直接補佐する仕事を担い、ILO総会やILO理事会などで法律的な質問が出るときに答弁に立つ。1998年以降退職するまで、事務局長の特別顧問を勤めている。
序文の中で、5代の事務局長に仕えたと書いてあるので、1960年代から2000年代までILOの中枢にいた法律の専門家と言える。したがって、歴代の事務局長の政策をごく近くから観察できたポストに30年以上就いていたことになる。
ILOを退職後、その付属機関だったIILSの Fellow という資格で、自由にかつ真摯にILOの将来について書いた本で、300ページにわたる労作である。ILOの歴史や国際機関との複雑な関係を分析したレベルの高い専門書である。Maupain 氏はパリのソルボンヌ大学で Ph.D、ハーバート大 Law School 出身の国際法の専門家で、著作も多い。
この本は4つの部分から構成されている。まず、ILOは何をするために2世紀目を迎えるのかと題する興味深いイントロがくる。約100年前に、加盟国の政府、そして各国の労・使代表を構成員として発足したILOは、国際労働基準(ILO条約・勧告)の作成、そしてその批准を中心として活動して来た。しかし、現在の経済はグローバル化し、多国籍企業が自由に国境を越えて移動する。この経済のグローバル化にILOは果たして対応できるのか? また、ILOは条約を履行しない加盟国に制裁を行なうことはできず、道義的な説得以外の手段を持たない。この欠陥を貿易協定と結びつける「社会条項」で補えないのか?という大きな問題を提示する。
第1部では、いかにILOが世界の経済・社会の状況変化に対応しようとしてきたのかを歴史的に説明する。革命ではなく、改良主義で労働者の地位を向上させようとしたILO揺籃期;第2次大戦後から1980年代までは冷戦構造を背景として、民主主義のショーウィンドーとして、ILOは国際労働基準を改善することができた。しかし、その後は、自由主義の台頭と経済のグローバル化が進み、国際労働基準改正の動きは見られなくなる。
1990年代には、貿易協定に国際労働基準を結び付けようとする「社会条項」がILO内外で議論されるが、発展途上国の強い反対で、実現しない。しかし、ここで、当時の事務局長のリーダシップで、数の多くなったILO条約・勧告を整理し、雇用・労働条件の改善の前提(ゲームのルール)になる基本条約とそれ以外の条約の選別が行なわれる。この努力の結果、「労働における基本権の宣言」(1998年、2008年改正:結社の自由と団体交渉、強制労働の廃止、児童労働の禁止、差別撤廃に関する8つの条約が基本条約と明記される)が採択される。この部分は、これらの過程を手際よくまとめてある。
第2部では、1990年以降、経済成長至上主義が世界中に蔓延した結果、ILOが目指す雇用・労働条件の改善は副次的な目標になった。そして、2008年の世界経済危機は、先進国で深刻な雇用情勢の悪化をもたらし、経済政策と社会政策のがバランスを取る必要を顕在化させる。したがって、この経済危機はILOにとって大きなチャンスと捉える。
第3部は、ILOの説得力を強化する目的で、貿易協定の中に「社会条項」を持ち込む試みを詳しく述べている。ILO事務局からOMCへの接近、OMC加盟国の反対、ILO理事会での発展途上国から強い反対意見があり、結局、現状維持に終る。この経緯を良く知る著者は、ILOは他の国際機関と連携し、国際労働基準になんらかの拘束力を与えることは、政治的に不可能と考える。むしろ、ILO独自にその説得力を強める道を探るべきとする。この部分は、著者が交渉の当事者であったとみえ、専門性が高い説明である。
第4部は、有名なナイキの例にみるように、多国籍企業はその社会的な評判に敏感である。多くの人道団体やNGOが適性な生産過程を求めて、社会的ラベル運動を展開している。この中に、労働基本権の遵守を入れる可能性を模索する。この消費者への働きかけはILOの活性化の一つの可能性と考える。CSRについても、簡単に言及しているが、企業の自発的な活動にとどまっている限り、実効性に乏しいと判断している。
結論は、ILOの再構築?という副題で、ILO説得力の強化への条件を記している。
以上が、この本の構成だが、全体的に、専門的な分析が多く、しかも国際機関の活動を熟知していないと理解するのが難しい箇所も多い。私は、その昔、ILO本部で働き、ある程度ILOの動きを追っていたつもりだったが、初めて知った事実も多かった。とくに、1998年の「宣言」の位置づけは興味深かった。
少々、いつもの小論の分量を逸脱しそうなので、詳しい本の紹介は別の機会に残し、私の記憶に残る点のみ記してみたい。
1)ILOは国際労働基準に拘束力を求めるのではなく、その道義的説得力を強化する必要
Maupain氏は、歴史をさかのぼり、ILOの創設者たちが重要な(かつ正しい)選択を行なったと考える。ILOの前進は、20世紀初頭の国際労働法設定の動きだが、ヴェルサイユ条約制定の際に、拘束力のある国際基準は政治的に不可能と判断し、条約批准という道義的な説得を選んだ。同時に、普遍主義(Universalisme)と三者構成をILOの基本とした。
すなわち、すべての人は社会的進歩を享受する権利があること、そして労働者代表および使用者代表が政府代表と同じILO構成員であることとなる。この選択が正しかったので、第2次世界大戦で国際連盟が消滅する一方、ILOが存続し、新しい国際秩序の一端を担うことになったと考える。ILOの説得力を高める最近の努力として、基本的な条約を、批准手続き抜きに審査できるようにした「労働の基本原則と権利」(1998年)を Maupain 氏は 高く評価する。さらに、消費者による社会的ラベル運動もILOの説得力の強化に役立つとみなしている。また、ILOの構成員は労働者および使用者の代表を含んでいるので、この特徴をもっともっと有効に使うべきと考えている。
2)国際機関の連携の難しさ
ILOは1980年代から、IMF、世銀、OMCなどの経済分野の国際機関と連携を模索してきた。しかし、これらの国際機関はそれぞれ与えられた任務と加盟国の意向があるので、その中心的な活動に介入することは難しい。たとえば、ILOの事務局長の努力の結果、IMFの代表はかなりILOとの緩やかな連携に興味を示したが、結局 何の成果も得られなかったという。最近では、「Decent work」というILOの働きかけに呼応する国際機関もあるが、それは、「Decent work」がコンセプトのはっきりしない表現だからと手厳しい。やはり、ILOは、本来の国際労働基準をベースとして活動すべきと主張する。
3)事務局長のリーダーシップ
国際機関には珍しく、ILOの事務局長、その事務局には相当の自由度がある。雇用問題に熱心だった Blanchard 氏、国際労働基準を重視した Hansenne 氏、国際舞台での活躍を得意としたソマンビア氏と、それぞれILO活動に新しい方向性を打ち出した。現事務局長の方向性はまだ明らかではないが、いずれ事務局長と事務局が一定のリーダーシップを発揮しなければ、ILO革新は難しい。
壮大なテーマの本であるので、この作品に不満な部分も多い。とくに、構成員である各国の政・労・使の質が最近大きく変化していることへの分析がない。その昔、政府グループは西ヨーロッパ諸国がイニシィアティブをとり、レベルの高い国際労働基準作成に貢献していたが、現在では、加盟国の大多数が発展途上国である。その上、最近では、西ヨーロッパ諸国の多くが市場主義を採択し、経済・社会分野への介入を最小限にしているので、新しい国際労働基準の動きには消極的である。労働者代表は、歴史的に国際労働基準作成の音頭を取っていたが、どこの国でも、労働組合の弱体化は厳しく、大きな声を上げることもできない。労働組合の凋落の原因はどこにあるのだろうか? 労働者の質の変化だろうか、それとも企業構造の変化(多国籍企業、財務重視)なのだろうか?
今日の時点で、使用者代表とはなんなのだろうか? アメリカやイギリスの使用者代表は、世界化している企業の声をすこしは反映しているのだろうか? 最近では、使用者代表には辣腕の弁護士が増えていると聞いている(スト権と87号条約の関係で、ここ3、4年ILOの条約監視機構が機能停止となった例がある)。そのような情勢で、改革の主体は誰が担うのか? 実現の可能性は?と次々と疑問が湧いてくる。
もっとも、これは Maupain 氏の本が興味深かったことの証でもある。Maupain 氏の経験の深さ、国際機関の機構に関する知識の広さ、文献の豊かさなど実に貴重な書である。ILOに関心のある人にぜひ読んでもらいたい本である。 9月16日、パリ郊外にて
(早稲田大学名誉教授・オルタ編集委員)
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