【コラム】
宗教・民族から見た同時代世界

マハティール氏が野党に転じて勝利した選挙でなにが変わるのか

荒木 重雄


 マレーシアのマハティール元首相といえば、「ルック・イースト政策」を提唱した親日家として日本でも馴染みが深い。
 そのマハティール氏の動向が、5月に行なわれた総選挙では、注目の的になっていた。なにしろ、1957年の独立から政権を担い続けてきた与党連合・国民戦線(BN)で81年から2003年まで22年間、首相として剛腕をふるい、その後も院政を敷いてきた彼が、15年を経て、92歳にして野党に転じ、野党連合・希望同盟(PH)を率いて選挙に臨み、初の政権交代を実現して、首相に返り咲いたのだから。

 マハティール氏の勝因としては、与党が3年前に導入した消費税や補助金の削減が庶民の家計を圧迫したことや、与党連合のナジブ前首相が政府系ファンドの巨額の資金を不正に流用した疑惑などが、ジャーナリズムでは報じられていた。だが、それらの事象の裏側には、じつは、東南アジアに特有な多民族・多宗教社会の実情も見え隠れしている。今回は歴史にも遡ってその底流に着目したい。

◆◇ 民族別コミュニティの社会

 マレーシアは、マレー系が約6割、華人系が約3割、インド系が約1割の住民で構成される複合社会である。もともとの住民はマレー系だが、19世紀からの英国支配の下で、多数の中国人、インド人が労働力として導入された。

 中国人ははじめスズ鉱山の労働者だったが、やがて商業や徴税請負業に手を広げ、財をなして、鉱山の採掘権を手に入れたり貿易を営むものも出てきた。インド人は道路や鉄道建設、そして主にはゴム農園の労働者である。一方、マレー人の多くは伝統的な農村に住んで稲作に携わってきた。

 こうした民族的な職業区分に加え、マレー人はイスラムを信仰してマレー語を話し、中国人は儒教・道教・仏教の三教複合宗教と祖先崇拝で、福建・広東などの中国語を話し、インド人の多くはヒンドゥーを信仰してタミル語を話す、というように、各民族は各々の伝統や慣習を守りながら別個のコミュニティを維持してきた。

 政治の世界もそれを反映して、多数派マレー人の政治エリートによる統一マレー国民組織(UMNO)を盟主に、中国人ビジネスエリートの馬華公会(マレーシア華人協会 MCA)とインド人のプロフェッショナル・エリートによるマレーシア・インド人会議(MIC)が政党連合を結んだ。
 これは、①国教としてのイスラム ②国語としてのマレー語 ③スルタン(マラヤ半島内の旧小王国の世襲的首長)の地位 ④マレー人の「土地の子(ブミプトラ)」としての特権、を認めることを前提としてうえで、3民族の上層が図った妥協だが、この政党連合が英国との交渉を経て57年の独立を達成し、その後もときに議席の9割を占めるほどの圧倒的な強さで政権を担ってきた。

◆◇ ブミプトラ政策のはじまり

 その与党連合が初めて議席の3分の2を割った69年の総選挙のときのことである。
 同じ華人系ながらマレー人優位政党に妥協するMCAとは一線を画した民主行動党(DAP)など野党の勝利を祝う中国人青年とこれに反発するUMNO支持のマレー人青年の衝突をきっかけに、首都クアラルンプールで大規模な反華人暴動が起こり、多数の華人が殺害された。

 この事件を収めて70年、首相に就任したUMNOのラザク氏は、事件の主な原因はマレー人の経済的劣位にあるとして、マレー人優遇の新経済政策、いわゆる「ブミプトラ政策」を打ち出した。その骨子は、マレー人(ブミプトラ)の商工業部門への進出による経済力向上をめざして、当時、国内資本の僅か1.9%を占めるに過ぎなかったブミプトラの資本保有比率を以後の20年間に30%(華人・インド人40%、外国人30%)にまで高めるよう政策誘導する、また、全ての企業に職員の半数以上のブミプトラ雇用を義務づける、などであった。

 目標年度の90年、マレー人の資本保有比率は20.3%にまで上がってはいたが、内実は、マレー人企業への幅広い優遇措置を当て込んだ華人企業のマレー人からの名義借り、いわゆる「アリババ企業」が多くを占めた。アリとはムスリムのマレー人に多い名前、ババとは華人男性を指す呼称で、「アリババ企業」とはすなわち、アリの帽子をかぶったババの企業の意味である。

 「ブミプトラ政策」にはさらに、中国語やタミル語を母語とする華人やインド人には不利な、高等教育のマレー語化や民族別入学割当て制などもあり、これらの政策は今日まで継続されている。

◆◇ 「マハティール効果」は吉か凶か

 さて、今年5月の選挙のことに戻ろう。従来、マレー人優遇政策を嫌う華人系とインド系の票が野党を支えていたが、今回の選挙では、建国以来、政権与党に投票し続けてきたマレー系住民、とりわけ、ブミプトラ政策の恩恵が比較的薄いマレー系貧困大衆の票が大量に野党連合に移った。それを導いたのが「マハティール効果」であった。

 強烈な指導力で経済成長を実現したマハティール氏の人気はいまも高い。それに加えて、強力なマレー人優遇政策の推進者であった同氏なら、マレー人中心の国の枠組みが大きく変わることはあるまいとするマレー人の安心感である。

 だが、それは一方、従来からの野党支持者には戸惑いをもたらすものとなった。民族的に利害の反する華人、インド人の困惑はもとより、野党に民主化の期待を寄せていた市民にとっても、マハティール氏は元首相時代、まさに強権的手法と汚職的体質の体現者であったからである。

 (元桜美林大学教授・オルタ編集委員)

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