【北から南から】

ミャンマー通信(19)

中嶋 滋


●補欠選挙取りやめの動き

 今年の暮れに予定されていた補欠選挙を急遽取りやめるとの選挙管理委員会の発表がありました。9月7日に発表され、8日に国営メディアを通じて明らかになりました。これに対して、アウンサンスーチー氏率いるNLDをはじめ野党は一斉に反発しています。選挙が予定されていたのは、国会19、地方議会(州・管区)16の計35議席です。この補選は、2015年秋に予定される総選挙の前哨戦になると位置づけられていて、注目されていました。2012年4月に実施されアウンサンスーチー氏の当選を含めNLDが圧勝した補選の記憶が鮮明にあるなかで、否が応でも関心が高まっていたのです。

 選挙管理委員会は、今年の3月に補選の実施を発表していました。議員の死亡や辞職(ミャンマーでは大臣・副大臣に就任すると議員を辞職しなければならず内閣改造に伴い空席が生ずることが多い)による空席補充のためとされていました。
 非選挙の軍人議席が全議席の4分の1を占めさせることによって、国軍が憲法改正に関して拒否権を持つことを規定している現行2008年憲法436条の改正キャンペーンをNLDが展開した際、選挙管理委員長がNLDに対する露骨な脅迫を行なったことは記憶に新しいことです。彼は、キャンペーンが憲法および政党法に違反している恐れがあるとして、続行するならば年末の補選および来年の総選挙に臨む政党資格を失うこともあり得ると脅したのです。少なくともこの時までは(5月)補選実施は既定のこととされていました。それが急遽変更されたわけです。

 選挙管理委員会は、11月に予定されるASEAN首脳会議(ミャンマーは議長国)の実施で十分な選挙運動が難しいこと、総選挙まで1年しか間がないこと、にもかかわらず膨大な費用がかかることを、中止の理由として挙げています。それらの全てが予め分かっていたことであり理由たり得ないと、強い反対の声が上がるのは当然です。法曹界からも選挙管理委員会に補欠選挙を中止する権限はないという批判がでています。補選ではNLDと旧軍事政権の流れをくむ政権与党USDPとが激突することが予想されていました。NLD優勢が伝えられる中、与党側が選管に補選中止を働きかけ時間稼ぎを狙った可能性も指摘されています。私が知る人たちの多くは、墓穴を掘るに等しい与党側の愚策だと言い切っています。

●国勢調査の問題点、選挙にも影響

 ミャンマーは今年春、1983年以来実に31年ぶりに国勢調査を実施しました。その仮集計結果が8月29日にヤンゴンで発表されましたが、これまでIMF推計などで伝えられてきた人口と異なる数字が明らかにされました。約6,000万人といわれてきましたが、発表された数字は、5,149,420人というものでした。それには治安上の問題だとして、カレン州北部とカチン州の低人口密度地域の人口は含まれていません。また、外国で働き暮らす移住労働者とその家族(タイには約500万人いると言われている)がどのように扱われたか詳細は明らかではありません。こうした問題が本集計結果の発表までに明らかにされることを期待して待つ以外になさそうです。

 しかし、民族や宗教といったデリケートな事項に関する調査結果は、2015年秋予定の総選挙が終わるまで公開しないとされています。その主な理由として政府が挙げたのは、2012年以来ミャンマーを揺るがしている仏教徒とムスリムの宗教間対立の激化の危険性です。宗教間対立の激化が総選挙に与える影響を考え発表を延期するというのです。

 仏教徒とムスリムとの対立は、ミャンマー南西部に位置するラカイン州で仏教徒の女性がレイプされ殺害された2012年の事件が発端でした。この事件に関する非難の矛先がロヒンギャ民族に向けられ、ラカイン民族仏教徒が報復攻撃し10名のロヒンギャ民族ムスリムを殺害したのです。そしてロヒンギャ民族との衝突は、瞬く間に暴動・集団暴行へと広がりました。双方に多くの死傷者が出ましたが、多くの国際的な人権組織はロヒンギャ民族側の方がはるかに多くの被害を受けていると指摘しています。

 この紛争によって、1982年以降無国籍状態に置かれているロヒンギャ民族(当時のネウィン政権はビルマにはロヒンギャという民族は存在せず、存在するのはバングラディシュから不法入国したバンガリーなのだと一方的に決めつけました)ムスリム約14万人が住む場所を失い難民キャンプで暮らしています。これまでに、宗教間対立は暴動・集団暴行を伴って全国化してしまっています。マンダレーを拠点にする過激な民族主義的仏教僧侶が扇動する連続暴力事件が発生し、ロヒンギャ民族にとどまらず一般のムスリム系住民もが標的にされています。

 国勢調査開始前に、宗教間対立問題が一層深刻化する危険な兆候が明らかになっていました。それは、ラカイン州の州都シットウェーで複数の欧米系人道支援組織事務所が襲撃され300人以上の支援要員が退避せざるを得なかった事態によって、明らかになっていました。その事件の数週間前には、国境なき医師団(MSF)の医療活動を政府が中断させるという事件も起きていました。

 これによって、当時、ラカイン州に点在する劣悪な状態の避難民キャンプに身を寄せていた多数のロヒンギャ民族避難民の緊急ニーズを満たす医療措置が執れなくなってしまいました。こうした事態が起っていましたから、事態が沈静化するまで国勢調査実施を延期すべきであるとの主張が、国際人権団体などからなされていました。

 しかし、これらの声を無視する形で国勢調査は実施されたのです。調査が始まると、自らの民族を「ロヒンギャ」と申請する人々の集計を、政府の調査官が拒否する事態が生じました。ロヒンギャ民族の排除、自らのアイデンティティを名乗る権利が認められないことに対し、国勢調査を支援した国連人口基金(UNFPA)は公に懸念を表明しています。ミャンマー政府は何らの措置もとらず、態度も変えませんでした。

 こうした経過を見ると、国勢調査を支援したUNFPAとミャンマー政府が、国勢調査が暴力的な宗教間対立の激化の契機となってしまう危険性への思慮を欠いていたのではないかと思われます。この危険性については、調査が始まる以前から多くの国際団体が指摘していたばかりでなく、少数民族の政治指導者の多くも懸念を表明していました。135の「民族」という細かすぎる分類には、先に触れたように1982年以降ロヒンギャ民族が含まれていません。政府がこの分類に固執したことが大きな問題点の一つでした。それとともに、過激な民族主義仏教指導者らによるムスリム人口の増加推測とムスリム敵視の煽動が人々の不安と妄想を掻き立て事態の深刻化を促進していますが、政府がこれに手をこまねいているばかりか事実上加担していることがそれに拍車をかけていると思われます。それは、ミャンマー人女性がムスリムと結婚することを困難にすることを狙った宗教法改正案などに現れています。
 半世紀におよぶ軍による専制支配は、ミャンマーの人々に深刻な貧困蔓延状態をもたらしました。そこから脱出し社会経済発展の促進をはかるためには、正確な基礎データが必要なことは明らかです。国勢調査の実施は必要でしょう。しかし、社会の不安定化と暴力的宗教間対立の激化を抑制・防止する手だてを抜きにした調査は、所期の目的を果たすことには繋がらないと思われます。このことに対してミャンマー政府が具体的な施策をとることに期待したいと思います。

 (筆者はヤンゴン在住・ITCU代表)


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