【コラム】宗教・民族から見た同時代世界

モスクワ・コンサート会場襲撃事件とは何だったのか

荒木 重雄

 ロシア・プーチン大統領が5選を決めた5日後の3月22日夜、モスクワ郊外のコンサート会場が武装集団の襲撃を受けた。ロックバンドの開演を待つ満員のホールに迷彩服の男たちが突入して自動小銃を乱射し、火を放って、140人余りが殺害された。車で逃走した実行犯4人を含む11人が、間を置かず、当局に拘束された。
 事件後、過激派組織「イスラム国(IS)」が犯行声明を出したが、プーチン氏のロシア政府は、この襲撃をウクライナおよび米英が企んだものと主張している。

◆2か月経っても真相は見えず

 これが事件のあらましだが、腑に落ちないことが多々ある。
 まず、ISの動機である。ISがかねてよりロシアを敵視し、15年のエジプト上空ロシア旅客機爆破や、22年のアフガニスタン・ロシア大使館自爆テロなどの犯行を重ねてきたことや、また、3月の事件の数日前には、南部・イングーシ共和国などで数人のIS戦闘員が当局に殺害されていることなどを背景に置いても、ISの攻撃が「なぜ今か」の動機が見えないのである。イスラム帝国の実現に手段を選ばぬISに、個々の事件の動機を求めても無意味としても、なお、である。

 次に、ロシア政府は、なぜ、襲撃を防げなかったのか、あるいは、「防がなかった」のか、である。
 じつは、米国の情報機関はモスクワへのテロ計画情報を事前に把握して、ロシア当局と共有していたという。ところがプーチン氏はこれを、「米欧が出す情報は、ロシア社会を脅かして不安定化させる試みだ」と、取り合わなかった。ウクライナ侵攻を進めるプーチン氏の米欧に対する不信感からすれば、それは、さもありなん、であろう。
 だが、実際に事件が起きるとプーチン氏はさしたる根拠も示さず、これをウクライナと米英の企みとした。実行犯がイスラム過激派と判明しても、「誰がそれを依頼したかである」と主張する。この主張は、国民の怒りをウクライナや米欧に向かわせ、世論を引き締め、戦時体制の強化や、政権の求心力を高めることに資するのは確かだろう。
 ここから、ロシア政府の自作自演説も浮上する。

 というように、この事件には不透明なところが多いのだが、2か月を経ても、なお、真相は見えてこない。
 そこで思い起こされるのが、02年の、チェチェンの武装集団によるモスクワの劇場占拠事件である。

◆4百年余をロシアに抗して

 2002年10月、モスクワの劇場に、チェチェン共和国の独立を掲げる武装集団が突入し、観客ら922人を人質に取って立て籠もった。3日後、治安当局が特殊ガスを使って鎮圧を図り、襲撃犯42人に加え、人質129人が死亡した、痛ましい事件である。
 
 この事件には前史がある。北カフカスの一画を占める、ロシア連邦内の共和国チェチェンは、16世紀半ば以降、ロシアの南下に抵抗し、とりわけ18世紀末から、ついにロシア帝国に併合される1859年までの戦いは激しく、チェチェン人の半数が殺されたといわれる。
 ソ連になってからのスターリン政権下でも、第2次大戦末期には、対独協力の懼れありとして民族まるごとが中央アジアのカザフスタンに強制移住させられ、移動中や、移住地の劣悪な環境から、当時の人口の40%乃至60%が死亡したとされる。57年に故郷への帰還を許されるが、そこにはすでに多数のロシア人が入植していた。
 
 このような逆境の中でチェチェン人を支えたのは、イスラムの信仰と、自尊・自主の気風、連帯意識と愛郷心、尚武の伝統であるといわれる。
 
 91年、ソ連の解体に際してチェチェンは独立を宣言するが、94年、ロシアのエリツィン大統領は、分離独立阻止にロシア軍を侵攻させる。一旦は停戦が実現するが、99年、プーチン首相(当時)が再び制圧作戦を開始する。プーチン指揮下の侵攻は激烈を極め、当時のチェチェンの人口約100万人の内、約20万人が死亡したとされる。
 2000年、独立派を破ったプーチン政権は、チェチェンに傀儡のカドイロフ政権を立てて、強権政治を敷き、ゲリラ狩りと称した市民の拉致、拷問や、裁判なしの処刑、遺体投棄が横行した。
 そうした中での、02年のモスクワ劇場占拠事件であった。
 
 チェチェン独立派によるテロは、その後も09年頃まで続くが、モスクワ劇場占拠事件には後日談があった。襲撃犯で唯一生き残った人物が、事件の立案・首謀者で、じつは、彼は、テルキバエフという名のプーチン政権の工作員であって、この襲撃事件を鎮圧したプーチン大統領の支持率は一挙に82%に跳ね上がった。見事な自作自演であった。そして、その事実を独立系新聞「ノーヴァヤ・ガゼータ」で暴露した女性ジャーナリスト、アンナ・ポリトフスカヤは、06年、何者かに自宅エレベーター内で射殺された。

◆ロシアを囲む苛まれた地

 02年のモスクワ劇場占拠事件は、背景も動機もいかにも明確である。結果的にプーチン政権に嵌められていたが、苛まれた地の民の怒りが背景である。それに比べて、今年3月のコンサート会場襲撃事件は、あまりに不透明である。 
 だが、両者を繋ぐ環をもし見出すとすれば、それは、今回の事件の実行犯4人ともが、中央アジアのタジキスタン出身ということだろうか。カフカスと中央アジアは、地理的に離れているとはいえ、タジキスタンも、イスラムの価値観が強い土地柄で、独立直後の92年、イスラム勢力と旧共産党の体制派が対立して内戦となり、ロシア軍が介入して、体制派のラフモン大統領が権力を握り、現在も独裁体制を続けている。旧ソ連圏内の最貧国といわれ、アフガニスタンと隣接することもあって、ISなど過激派戦闘員の供給地ともなっている。
 ロシアを囲む苛まれた地の民の情念の共通性のようなものが、思い浮かぶのだ。

(2024.5.20)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧