【コラム】
神社の源流を訪ねて(4)

三輪明神 大神神社(おおみわじんじゃ)

栗原 猛

◆出雲と大神神社―鉄の道と神の道

 奈良県桜井市にある大神神社は、本殿がなく拝殿からご神体である三輪山(三諸山・みむろやま)を拝む。神社の最も古い形式と言われ、緩やかな三角形の山容は、太古から信仰のありようを語っている。本殿のない神社と言えば、埼玉県児玉郡神川の金鑚(かなさな・金佐奈)神社も同じで、御室山(御室ヶ獄)を神体山として祀る古代祭祀の面影を残している。
 大神神社は、祭神が複雑だ。社務所で貰ったしおりには、祭神は大物主命(おおものぬしのみこと)で、大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)が配されているとする。

 ところが日本書紀には「(第六の)一書に曰く」として「大国主命、亦の名は大物主命、亦は大己貴命と号す」とあり、同一神との書き方だ。ところが、同じ日本書記の第二の「一書」には、大己貴命と大物主命は別の神となっている。奈良の漢国神社(かんごう)では大物主命は園神で、大己貴命と少彦名命は韓神とされる。別々の独立した神である。

 三輪山にはだれでも神社で潔斎してもらい、登ることができる。緩やかな山道の途中に転々と古墳もあり、 頂上から大物主命、中腹に大己貴命、麓近くに少彦名命が祭られおり、ここでも3神は独立した神である。
 三輪山周辺を歩くと出雲を発見することができる。出雲系の神様である素戔嗚尊を祭る神社をはじめ、飛鳥坐神社(あすかにますじんじゃ)は、大国主命の子である賀夜奈留美命を祭る。出雲建雄神社(いずもだけおのじんじゃ)、大穴持神社(おおあなもじ神社)もある。三輪山の南西には出雲という名の村、東の麓にはかつて出雲庄があったという。金屋、穴師、金刺など鉄にかかわる地名もある。このように出雲と関係の深い神社や地名が集中しているのはなぜだろうか。

 記紀神話は、奈良の朝廷が出雲の神に国譲りを迫ったことが筋だ。その神を祭っているということは、大和朝廷は出雲の神にも国の安泰を頼んでいることになる。
 そうした疑問を持って千田実氏の「纏向と三輪山」や村井康彦氏の『出雲と大和――古代国家の原像を訪ねて』によると、ヤマトに早くから出雲勢力が進出していたこととともに、出雲勢力の存在と事跡を抜本的に謙虚に見直しが必要―と説かれている。
 岡谷公二氏は『神社の起源と古代朝鮮』で、鉱山の開発、「鉄生産」と関係があるのではないかとさらに踏み込んでいる。
 先の金鑚神社も鉄分を含む磐座が信仰の対象で、近くに鉄を採掘した跡が発見されている。出雲は往古から鉄生産で知られる。鉄の最新技術は朝鮮半島から伝わったとされる。鉄の道と神の道は、深いところでつながりがあるように思われる。

 (元共同通信編集委員)

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