【視点】

低劣な感性、政治家は何のために存在するのか

――旧統一教会の政界汚染を見る
羽原 清雅

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 安倍晋三元首相の惨劇(7月8日)は、許されないテロの凶弾によって引き起こされた。この事件は、吉田茂以来の「国葬」の可否という問題を招き、また旧統一教会(世界平和統一家庭連合)とその関連団体と政界との深く、長い関わりを露出させた。
 自民党をはじめ政治家群が、何の疑問を持たずに、おおきな被害をもたらす宗教的団体とその広範に手を拡げた関連の組織団体の諸行事に関わってきた。政治家という民意に対する「信用性」をもとに、巨大な<広告塔>の役割を果たしてきた。
 この宗教的団体の「悪」の部分は、宗教の名を借りて長期間、かなり多数の被害者を産み出し、その被害は生活の破綻、家族の崩壊、人生の破滅を招いて、「宗教(被害)2世」という言葉まで生んでいる。テロ加害者山上徹也の事例を見るまでもなく、生きること自体をボロボロにされた被害の訴えは、すでに大きく社会問題化してきたところだ。厳しい判決が出された今も、被害の相談は法律家のもとに寄せられている。
 政治家たちは気楽に「国民の生命、財産を守る」と言い続けている。だが、その「悪」を重ねる宗教的団体と手を組み、「集票効果」という自己本位の満足を充たすために、信用と宣伝効果を与えてきた。黒い蜘蛛の糸を隠すかのような政党、政治家の罪状が、安倍氏の非業の死を機に、改めて浮かび上がってきた。
 関連団体に名を貸し、その会合やイベントに出席しておもねりの言葉を発し、「悪」を礼賛、許容するかの祝電を打つ・・・党派を超えた多くの政治家の、こうした関与が暴かれていく中で、さまざまな責任回避の弁、言いわけ、開き直り、無知ぶりが表面化している。
 多くの加害的な政治家を擁する岸田政権は、内閣・党人事を急ぐことによって、この局面をかわそうとしている。だが、新局面でも新しい関係者が浮かびあがり、汚染ぶりをさらに明らかにした。これでいいのか。野党を含めた政党自体は、被害を被ってきた関係者への反省と謝罪、まだ続く被害への救済策、「悪」の手口に対する対応などを講じるとともに、これまでの感性の乏しい政治のありようを一人ひとりの政治家が深い反省と悔悟の情に立って矯正すべきではないのか。
 「悪」に対して、「みんなで渡れば怖くない」式の姿勢をなお続けるのか。

 安倍氏の死をもたらした攻撃者の事情がどうあろうと、この犯行は許されない。
 戦前のテロは、卑怯な手口で何人もの首相や要人、あるいは改革者たちの命を奪ってきた。それは、売名的意図もあっただろうが、基本は政治をめぐる意見の対立からの行動だった。民主主義からすれば本来、議論をかわすことによって、打開の道を探り、譲り合えるかを見直し、説得に努めることが望ましい。戦前の軍部などの権力が社会へのアピールも怠り、一方的に無理を通したが、今はそうした時代ではない。
 安倍氏の死は、異例であった。政策や、政治の方向をめぐる意見の相違に根差すものではなく、あえて言うなら、不当な「悪」の宗教を長年放置し続けたことへの怒りが暴発させたものであった。
 犯行の山上自身、「安倍氏は本来の敵ではない」と供述し、旧統一教会統率者が狙いであった、と述べている。このことからすれば、安倍氏は、政治本来の課題から外れたかの怨念による犠牲であって、政治家としてその死は無念であり、残酷にすぎるものであった。
 安倍氏の死を悼むとすれば、それは「国葬」などではなく、宗教に名を借りた「悪」からの離脱、「悪」の追放にあるのではないか。政治家の猛省が求められる。

 *逃げ、身をかわす言葉の虚しさ
 かつて1980年代後半に自民党などを広範に揺るがせたリクルート事件が思い起こされる。政府与党の対応はこのときと同じように、事態を極力矮小化しようとした状況に酷似してきている。

 茂木敏充自民党幹事長は「党は関係していない。党と組織的関係はない」と述べた。だが、これだけの自民党議員の関わりがあって、放置しておこうとの姿勢で通るわけはない。

 福田達夫総務会長は「なにが問題かわからない「(旧統一教会の)影響力で政治が動かされることは一切ない」と述べた。この組織の動きが社会問題化して少なくとも40年以上経ち、55歳の彼がその間、多様に報道された事態を知らなかったとすれば、それは政治家失格というしかない。

 山口壮環境相は「依頼があれば、全部祝電は打っている」と報道陣にしたり顔で答えた。この旧統教会の問題点のひとつは、被害者の悲痛な声が長きにわたって響き、裁判で有罪判決が出されてきたもかかわらず、政治家とその事務所がその後ろめたさを放置、あるいは知りつつ黙殺して、関わり続けたのか、という点にある。多くの人々、さまざまな組織団体などに接する政治家だからこそ、疑惑はないか、問題を抱えていないか、その関係者、団体の素性をチェックしてかかるのが普通だ。それを怠り続けたことが、「悪」の跳梁跋扈を許し続けることになったのではないか。

 二之湯国家公安委員長は、政治家だからつき合いがあり、頼まれた関連団体のイベントのトップを引き受けた、という。2009年以降、「被害届は出ていない」と述べたが、警察庁は「検挙はない」の誤りだと訂正した。間違えたものか、議員の職務が終わるのを機に、意図的に「誤報」したのではないか、とさえ疑われる。

 このような要人たちの発言のなかに、旧統一教会が生き続けた背景が見てとれよう。自民党幹部の「寛大さ」と「悪との癒着」が、被害者の増大を許し、旧教会からの被害救済に長く取り組んできた「全国霊感商法対策弁護士連絡会」の再三にわたる抗議、公開質問状、要望などを黙殺させてきたように思われる。
 そして、宗教の名を悪用しつつ、苦しむ人々を作り出し、見捨て、さらには広く手を拡げた旧教会や関連団体の行事やイベントにてこ入れして、新たな「信者」を送り込むための「広告塔」の役割を担ってきたのが、自民党などの政治集団だった。
 議員や候補者は、政界にしがみつくための「集票」が優先して、「悪」の部分に目を向けようとしない。しかも、その反省や自覚がなさ過ぎるのだ。

*旧教会による被害の実態
 加害者山上の供述によれば、母親は信者として自ら破産してまで、1億円余のカネをこの宗教的団体に寄付した、という。それが彼の人生の第1歩を狂わせ、進学すら思うようにさせなかった。彼ばかりではない。なけなしのカネをはたいて、信じがたい高額のつぼ、印鑑、数珠、教祖の著作なる本などを買わされる。
 一般の常識では考えられない「思い込み」の世界を心に抱かせ、のめり込ませる。宗教という美名のもとに、カネを巻き上げる術策を編み出し、社会経験の乏しい人たちを誘い込み、仲間を増殖することがノルマ的に求められ、それがわが身を救う、と信じ込む。このような特殊な世界に追い込むひとつの有力な手段が、著名な政治家群による誘い込みだった。さらに信者たちは、政治家らに自分たちの思考や行動が認められ、受け入れられたとして自信を持ち、高揚し、団結を強めて活動にのめり込む。
 信じた個々人の責任もあるにしても、そう思い込ませる術数に加担しているのが「広告塔」としての政治家たちの言動である。集票のために、有権者たち国民を「悪」の教団に売り渡す。学歴、見識のあるはずのリーダー的な集団が、こうした現実を「知らなかった」で済まされるか。

 具体的に示そう。
 全国霊感商法対策弁護士連絡会の紀藤正樹弁護士によると、同連絡会に寄せられた相談は1987-2021年に2万8236件、被害額1181億円だった。さらに消費者センターが18年までに受け付けた件数と合わせると、3万4537件、1237億円に及ぶという。近年の特殊詐欺に匹敵するほどの被害である。これは金銭の部分のみだが、信者ばかりでなく、その家族、親族など周辺が長期に経験する生活苦、家庭崩壊、未来の欠落、抜け出せない煩悶などは予想すらできない。

 旧教会は2009年に、系列の印鑑販売会社「新世」と社長らが摘発され、懲役2年(執行猶予4年)、会社等との罰金を合わせると1300万円の有罪判決が出た。旧教会自身は以来改善した、という。だが、21年3月には東京地裁が違法な献金の勧誘を有罪とする判決を出している。さらに、09年に退陣した旧統一協会会長徳野英治は3年後に復帰したが、その後3年間の被害の相談は598件、金額で約30億円に及んだとされる。関係する判決は30件に上るという。

 このような現実に対して、政治家が旧教会はじめ関連団体に関わって、選挙の支援を得たり、イベントや会合に名を貸し、出席したり、あるいは関連団体などに祝電を打つなどの行為は許されるのか。形式ではない。実質の連携になっている。さらには、右派的な政策をめぐる同調、協調といった政治的一体化すらうかがえる。自民党はもちろん、一部野党も含めて国民への「政治責任」はない、とは言えまい。一過的に、隠ぺいのまま逃げる姿勢でいいのか。共犯状態にある一部野党は、国会や選挙区で被害者の側に立って追及できるのか。

 *政治・旧教会団体 癒着の内実を見る
 今度の参院選出馬を断念した宮島喜文の場合。彼は6年前の出馬に関わった伊達忠一(元参院議長)に、再出馬にあたって旧統一教会の支援を、と派閥を率いる細田博之に頼んでもらうが、うまく進まない。安倍晋三に2回頼むが、はっきりと「君を推すことはできない」と拒否され、宮島は立候補を断念する。じつは、安倍は長年秘書を務めた井上義行が3年前に落選、今回の選挙に挑戦するため、旧教会の票は井上にまわし、宮島はムリ、ということだった。旧教会の票の堅さは当落を決めるカギであり、安倍の割り切りにはそんな裏事情があった。
 このように、この旧教会とその友好組織による選挙支援は徹底していた。あまり好まれない選挙時の電話作戦の動員などもやるし、徹夜態勢の泊まり込みもやる。信者らの票は堅い。
 しかも、派閥などの手配ばかりではなく、旧教会や関連団体などの地域にある組織が思想的に同調できそうな候補者に接近し、選挙の支援を申し出る。下部の市町村議にも食い込みを図る。
 そうした宗教的組織の情熱は布教活動につながり、そうした活動で知りあった人たちを勧誘することで組織拡大の土台を育てる。信者たちの思いとは別に、組織幹部らの業績につながってくる。

 *明らかにすべき3点 
 政府・自民党が内閣、党人事などで、この問題の幕を引きたい姿勢は露骨に見えている。
 またも国会での多数の虚偽答弁、隠ぺい、黒塗り資料、忖度などの手口が使われそうだが、この実態、事件はうやむやにしてはならない。とくに重視したいのは3点ある。

 ひとつは、旧統一教会の名称変更時の文科相下村博文に対する究明。
 2015年の下村文科相時代に、旧教会名称の変更手続きに便宜を与えた疑惑の扱いだ。彼は安倍派の幹部であり、この教団と深い関わりのある人物として解明が求められる。彼自身は否定し、退任前の末松文科相は口裏を合わせるように「要件を満たした申請書が提出され、認証の決定をした」と述べた。形式上の要件が満たされている以上受理は拒めない、とした。
 だが、97年に同教会から名称変更の相談を受けた文化庁宗務課長前川喜平、のちの文科事務次官は「実態が変わらず、名前だけの変更はできない」と説明。下村文科相の15年まではその姿勢が続けられ、同教会側も申請していなかった。
 前川は、同教会が反社会的な批判を浴び、問題化していたことで名称だけ変えたのでは納得されない、と見た。しかも、15年当時も信者らの被害は続いていた。それが15年の下村時代に申請が出、申請だけで名称の変更は認められたという。前川は「何らかの政治的な力が働いた」という。言葉では逃げるにしても、状況的に疑惑が消えない。その後、信者らの被害は名称変更したこともあってか増加している。

 第2は、衆院議長細田博之の言動。
 安倍派を率いた細田は、同教会との関わりが深く、19年の韓鶴子総裁来日時の関係団体の挨拶で「会議の内容は安倍首相に報告する」などと述べた。関連組織の世界平和国会議員連合名誉会長。また、地元島根の選挙参謀は、父細田吉蔵のいとこの県議で、その彼は同教会関連の島根県平和会議の議長でもある。議長として、複数女性記者へのセクハラ疑惑や、「議長になっても毎月の歳費は100万円しかない」「上場企業の社長は1億円(なのに)」「月給で手取り100万円未満であるような議員を多少増やしたって罰は当たらない」などの舌禍もある。いずれも説明の記者会見をしていない。
 それはそれとして、これだけ衆院の汚染度を高めている国会の責任者として説明が必要だ。旧教会問題にしても、議会の長として今後の対応を各議員、政党任せにとどめるべきではない。

 第3は、野党である。
 一部野党は、自民党並みに問題視されている。汚染議員の数は自民党ほどではないが、与野党が同じように問題化しているなかで、与党自民党を追及できるのか。結局、同病相憐れむ、といった馴れ合い、短期収束に収めるのではないか。追及しても、暴けば同様の血を流さなければならないし、迫力ある追及など期待できまい。
 しかし、筋からすれば、身内の実態を隠さず、反省とともに根源に迫るべきだ。被害を受けた多くの関係者を念頭に置かなければならない。ジリ貧を思わせ、自民党に近寄ることへの批判も出る野党は、どれほどの力量を見せるのだろうか。
 
 *旧教会の狙いはなにか
 宗教団体本来の活動に異をとなえるつもりはない。ただ、旧統一教会の場合、人々の悩みや迷い、人びとが抱える弱みに付け込むように入り込み、収益をあげることに狙いがあるような活動をすることに問題がある。
 それだけではない。この集団は、枝葉のようにテーマ別、世代別のような系列組織を持つ。たとえば、世界平和連合、天宙平和連合、世界平和女性連合、世界平和国会議員連合、平和大使協議会、国際勝共連合、世界日報、天の父母様聖会、真の家庭連合運動推進協議会などなどである。
 「平和」「家庭」「教育」といった関心の高い、議論の分かれがちな、そして誰もが関わりやすいテーマを掲げる。接近しやすく、そこに一定の方向のある強固な思考を持ちながらも表面には出さず、ジワリと浸透させるような手口をとる。さらに、それらの系列組織に地方議員、国会議員らを取り込むことで、すそ野を広げていく。

 旧教会の「世界統一家庭連合」によると、日本には286の協会が各地に置かれ、約60万の信者を擁するという。部数はともあれ、「世界日報」「世界思想」といった広報用の紙誌を持つ。
 信者獲得の手法は「先祖解怨」だという。祖先たちが死の世界で苦しさや悩みを抱き、その思いが現世の子孫らを苦しめている、そのためには先祖の供養をすることで、直系・母方・父の母方・母の母方の4系にわたり、1-7代までは1代70万円、4系で280万円の献金により故人の苦悩を除き、自らの苦しみからも救われる。なぜ莫大なカネが必要かと言えば、それは430代の先祖までさかのぼるからだ、という。
 また、旧約聖書のアダムとエバ(イブ)が禁断の木の実を食べたという話を使って、アダムは韓国、エバは日本であり、先に木の実を食べたエバがアダムに渡した、従って日本が資金調達し、韓国に渡して償う、といった趣旨で集金する。事実、日本の信者の献金額は非常に高額で、韓国の方は安い、また合同結婚では男性は韓国、女性は日本が多いと言われる。

 子供だましの論法のように思えるが、それが信じられているのだ。逆に言うなら、ひとびとの苦しみはそれほどに厳しいのだろう。
 簡単に言えば、通常な判断力を失うような思い込みの論法を植え付けることで、別の世界に迷い込ませて信者を動かすシステムを作り上げ、そのノウハウを使うことによってカネを集める。
 信教の自由、といった原則を悪用し、収益を求めているのではないか。悩みの深い者ほど、別の世界を求めて溺れ込まされるのではないか。そのような特異な心情に追い込んだ信者らを教団の活動に参加させることによって、別の悩みを抱える人たちを勧誘して組織の拡大、収益の確保に努めているのが、この集団の手口のように思える。

 政治家たちは、このような実態を見ようとはせず、選挙に向けた「集票」のメリットのみを求めて、邪悪の部分を持つ宗教的集団に接近する。ある程度の「おかしさ」を承知しつつ、依存し続けている。そんな政治家の打算と旧教会の「悪」のバーターの構図が感じられてならない。比較的実情に通じる政治家周辺は、そのようなカラクリを知りつつ利用していたのではないか。彼らが口癖のように言う「国民の生命と財産を守る」ことはどこに消えたのだろう。
 この集団自体も、政治家どもの狙いや利用への期待を知りつつ食い込んでいたに違いない。長期に語り継がれてきた双方の「メリット」が惰性化して、持続してきたのだろう。被害者周辺に及ぼす苦しみや悲しさに目をつむっていたのだ。

 *「悪」許容の歴史
 旧統一教会、とはいっても現在の「世界平和統一家庭連合」と実態に変わりはない。
 この組織の生みの親である文鮮明(1920-2012)なる人物にまでは触れないが、その「教理」が韓国で生まれ日本に持ち込まれたのは1958年、そして教会発足10年目には日本で宗教法人になった。
 その頃、岸信介邸の隣りに本部が移り、さらに岸とともにA級戦犯の扱いを受けた右翼の笹川良一が、68年に教会との関係の深い「国際勝共連合」の結成に関与し名誉会長になった。「反共」は岸の姿勢とも一致、岸は教会や勝共連合の会合などに出席するようになる。文鮮明が来日した74年、岸は名誉実行委員長として歓迎、60年安保闘争以来の学生運動がさらに激化するなかで、勝共連合の活動も活発になっていった。

 76年、福田赳夫首相が実現、岸の流れに乗る福田は清話会なる派閥を結成。これは安倍晋太郎に引き継がれる。福田は文鮮明訪日時に彼を持ち上げる挨拶をし、安倍も勝共連合の会合に出席するなど、関係を深めて、選挙での支援が進められるようになる。80年代には、岸らの狙う「スパイ防止法(国家秘密法)」の実現に向けて、勝共連合は地方の党組織にも食い込み始める。80年代末のリクルート事件、消費税導入、自民党の分裂騒ぎ、日本新党の台頭など、自民党苦境の状況は選挙での勝共連合への依存度を高めることにもなった。中曽根康弘首相の統一教会、勝共連合への擁護的発言が出る一方で、そのいかがわしさに反発する野党などの動きもあった。
 このような関わりは安倍晋三時代に引き継がれ、この派閥の長く、深く、広いつながりは次第に公然化し、抵抗感を失わせていった。裏側に潜んでいた黒集団が、表でも認知される傾向が進み、次第に代替わりして若い世代に定着していったといえよう。
 そして、岸信介、福田赳夫、安倍晋太郎、そして安倍晋三と、いわゆる清話会・安倍派を軸にして、自民党政治全体に拡大、定着していった。

 自民党とこの団体に共通するのは「反共」である。右翼的なこの姿勢は、自民党政治家の政治信条として受け入れやすい。派閥内ではそのような思考が年を重ねるとともに定着してくる。旧教会に関わる政治家リストを見れば、安倍派が突出して多い。また派内に、軍事問題、LGBT問題、教育問題などで右派的な意見を持つ人たちが多いのも、この旧教会の思考を受け入れた結果とも思われる。政治家は広範に各種の意見を検討し、その可否を考慮しておのれの主張を固めるものだが、選挙時から世話になるこの宗教的団体にアタマが上がらず、単純にこの集団の見解を受け売りするだけに堕しているかの印象すらある。多様な意見を比較検討せず、単純に思い込む。
 これは「賛同会員」になった井上義行の、旧教会系団体での発言(テレビ報道)にも示されていた。

 *自民党の姿勢との矛盾
 旧統一教会、当初の名称でいえば「世界基督教統一神霊協会」、現在の「世界平和統一家庭連合」を立ち上げた文鮮明は、中国国境に近い北朝鮮に生まれている。現在の総裁は文の夫人韓鶴子で、実権を握る。「基督教」を名乗るが、教義上の類似性は全くない。
 拠点の韓国に、広大な敷地と華美な大施設を持つ。莫大な資金を集めたことによる。米国などにも組織を持ち、要人たちに食い込み、増殖する。

 文鮮明は北朝鮮生れということで、「反共」を言いつつも北朝鮮主席金日成と会談、記念写真まで残している。その後も金正日、金正恩との関係が続くといわれる。北朝鮮にも、旧教会組織が存在するという。旧教会は、韓国での献金は低めで、日本では高額を求めるという格差をつけ、共産勢力である北側と親しむが、日本の自民党などには「反共」の姿勢で臨む。
 文鮮明は、対日関係について「天皇がひざまずいたら」折り合うようなことまで言う。

 韓国と日本では、「合同結婚式」と称して、未知の男女を本人の意思を確認することもなく結婚させている。異常ではあるが、信者同士がどのように納得したかはわからない。3万組達成ともいわれる。まさに、非人間的である。韓国人男性と日本人女性とのカップルが多いという。
 確認はできていないが、文鮮明の文書によると、植民地時代の日本への批判が強く、日本の信者らからの高額献金などを当然視してきた、と言われる。
 自民党との共通点として「反共」などはあるにしても、旧教会の対日姿勢は自民党の掲げる方針と矛盾することも多い。政権与党として基本的な矛盾を抱えながら、理由を逸脱するような関係を重ねているようだ。選挙の「票」ほしさのあまりに、見境のつかない政治活動でいいのか。

 *重視される自民党地方組織との連携
 旧教会とその系列・友好・関連団体は、日本各地で行政に関わりを持ち、自民党の地方議員や党組織とさまざまな連携に努める。いくつか事例を見ると――
 サイクリングの「ピースロード」というイベントが2013年ころから、各府県や市などの後援で開催されている。これは旧統一教会の関連組織「天宙平和連合」などの企画事業で、「世界平和」「日韓友好」などとうたって、それなりの人気を博しているようだ。

 旧統一教会との関連を知らなかったか、知っていて受け入れたものか、わからないが、例えば国家公安委員長を務めた二之湯は、18年の京都の大会の実行委員長を引き受けていた。熊本県、鹿児島県市は旧統一教会関連とわかり、最近後援を取り消した。香川県は当初「関連団体を問題とは認識していない。取り消しは考えていない」と開き直ったが、結局取り消しに。各県が後援することで、関係市町村もほとんどが県の判断に追従しており、一層旧教会の存在感が容認される形だ。岐阜県の場合、県に合わせて42市町村のうち40が後援していた。
 熊本県の場合、自民党衆院議員の木原稔(茂木派)、西野太亮(無)、同参院議員の馬場成志(岸田派)、前同県副知事で維新の会から当選した小野泰輔(衆・比例/東京)、県議や市議らが実行委員に名を連ねた。静岡県の実行委員長は県議だった。
 このように国会議員のみならず、地域社会で名の通る市町村議に食い込むことも重視される。

 もうひとつの問題は、地元メディアの紙面の扱いだ。19-22年のこの行事について、毎日新聞、中日新聞は3回にわたって好意的な記事を掲載したという。京都、新潟、富山、福井、岐阜などの地元紙も好意的に報道した。記者たちは主催団体にまで目を配らなかったのか。地方の取材人員は、とくに全国紙は厳しい記者減らしを進めており、取材自体が荒くなっているのだろうか。
 そこまで気を配らなければならないのは、旧教会系団体はこのようなイベントなどを通じて、信者やシンパの獲得に取り組むという、その一環の行事であるからだ。宗教性を見せず、健康なイベントと思わせつつ、接近の機会を狙い献金活動を進める、そのためのイベント開催でもある。
 自治体や報道機関が友好的な恒例行事として扱えば、さらに政治家を「広告塔」とすれば、一般の人々を取り込みやすいに違いない。そのような裏の舞台に眼を向けない限り、こうした巧みな経験を持つ集団による犠牲者は減ることはないのだ。名のある国会議員、地元の知事や県議、さらに市町村の首長、議員らに接近し、多様な名目の会合や行事に人々を誘う。犠牲者が出る以上、公的機関、公職者や報道機関が「知らなかった」では済まされない。

 *沖縄県と文部科学省の勢力状況を見る
 沖縄タイムス社の調査を紹介したい。
  島尻安伊子(衆・茂木派)選挙支援、関連団体会合参加
  国場幸之助(衆・岸田派)祝電など、関連団体会合参加
県議では、選挙支援を14人が受け、関連団体の会合に10人が出席、祝電が2人。
 首長では、沖縄、うるま両市長が選挙の支援を受け、石垣市長、八重瀬町長を含む4人が会合に出席した、という。このように、旧協会勢力の浸透ぶりはこれまでの予想をはるかに超えているようだ。
 9月の県知事選に出馬予定の佐喜真淳前宜野湾市長も、台湾で旧統一教会の行なった既婚の信者カップルの「祝福式」に参加。これも「天宙平和連合」の平和大使協議会の視察の一環だった、という。大事を前に、なぜ危ない橋を渡るのか。政治家は「集票」を意識して間口を広げようとするのだが、そこに危険な陥穽が待ち受けているとか、事前にどのような背景があるのかなどチェックしないのはなぜか。視野を深め、広げることは政治家として当然の責務にも拘らず、狭い既成の社会に留まる。そのこと自体が、政治家に不向きな人物のではないか。おのれの利益本位で、視野狭窄であっては、政治家は務まらないだろう。

 宗教団体の名称変更のカギを握るのは文科省だ。
 そこに旧教会を意識したものかは不明だが、安倍派などが歴代送り込まれていることは政界では知られていた。大臣は下村博文、萩生田光一、末松信介といずれも安倍派、副大臣も義家弘介、上野通子、池田秀隆が安倍派、丹羽秀樹は無派閥、田中英之は谷垣系、ちょっと軽い政務官は山本朋広、三谷英弘が安倍に近い菅派、中村裕之も同様に近い麻生派、高橋はるみはまさに安倍派である。
 意図しないで歴代そのような布陣ができるものだろうか。しかもみな、旧教会系のイベント、会合に出たり、挨拶や講演をしたり、祝電を打っている。疑惑が収まらないのも無理はあるまい。

*「広告塔」の反省
 この問題に関心を持ち続けたのは、40年前にもなろうかという時期に、勝共連合とちょっとした触れ合いがあったからだ。
 成田知巳社会党委員長を団長とする北朝鮮訪問に同行取材することになった直後、早稲田大学の新聞部だという女子学生2人が訪ねてきた。北朝鮮でどのような取材をするのか、どんなメンバーか、などと聞かれたが、散漫な質問で記事にはなるまい、との印象だった。案の定、新聞も送ってこなかった。ただその後、早大卒業の著名人の履歴を載せた分厚な本を送ってきた。発行元を見ると、勝共連合系のものと分かったが、訪ねてきた狙いがわからず、腑に落ちず忘れきれなかった。
 あるとき、文鮮明が北朝鮮出身、金日成に会った、というような情報に触れて、一層いかがわしく思うことになった。統一教会、勝共連合の報道があると、あの「取材」と称する学生が思い出された。北朝鮮取材の出発直前でもあり、まだ記事も出ていないのに、何で知ったのかと今も疑問である。この組織は、北側の朝鮮総連にもスパイを送り込んでいたのかな、と思っている。

 もうひとつ、不快なことがある。
 「広告塔」のことだ。政治家群が旧統一教会の宣伝工作に寄与しているが、報道関係者も「広告塔」を演じた例がある。ジャパンライフの事件で、新聞、テレビの著名な記者たちが、詐欺もどきのカネ集めの宣伝に関わっていたのだ。裁判までにはいかなかったようだが、報道はされた。報道では、かなりのカネが蒔かれたようだった。現役記者ではないし、それなりの言い分はあるのだろうが、その肩書、名前にだまされて多額のカネを奪われた人たちの立場に立てば、恨みは消えまい。
 いずれにせよ、人々の苦しみの背景について調べもせず、確認も怠り、おのれのメリットを享受するのは恥かしいことだ。一応の肩書を持ち、信頼を寄せられるような立場にある人物が、意図するにせよ、しないにせよ、多数の人々をたぶらかすような所業に走ることは許されない。

                       (元朝日新聞政治部長)

(2022.8.20)
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