【視点】

全国に広がる統一教会の罪過

――統一地方選挙 ひとつの焦点
羽原 清雅

 安倍晋三元首相殺害に端を発した旧統一教会(世界平和統一家庭連合)問題は、昨年末の救済新法成立により、報道も下火になっているが、火種は再度燃え盛る可能性がある。
 ひとつは、政府の教団解散要求を裁判所に求め、解散となった場合、教団と多くの関連団体がどのように再生を図り、新たな問題を引き起こすか、という問題。ただ、これはもうしばらくの動きを見ていくしかない。
 むしろ、当面注目されるのは4月の統一地方選挙に向けて、教団本体と500以上と言われる関連団体の地方組織が選挙がらみで どのように動くか、また自民党の地方組織ないし候補者たちが教団や関連団体とどう関わり合うか、である。自民党本部は「手を切る」姿勢を示したが、票欲しさに動く現職、新顔の候補者らは果たして従うだろうか。この秘かな連携が続けば、教団自体が息を吹き返す可能性が強まる。また自民党の首長、地方議員らが勝ち残れば、この組織に乗る同党の国会議員も、表面はともあれ裏で手を握り直し、解散するはずの教団も蘇るチャンスをつかむことになるだろう.
 そのような懸念のある統一地方選挙を考えてみたい。

 地方の選挙に先立って、もう一度教団と自民党の関わりを見直しておこう。

<教団と地方自治体との関係>
 教団とその多くの関連団体は、各都道府県、各地の中核都市に地域教会を持ち、定期的に信者の会合を開く。中央では、国会議員へのアプローチが中心だが、地方では地域の有力者に食い込み、市町村議、そのつながりで都道府県議に関わりをもち、議会活動などを通じて、さりげなくイベントや各種名目の会合を開いて活動を広げていく。その段階では、教団的な気配は極力見せない。静かに実直にふるまうことで議員、有力者に食い込む。切り札になる無償の『選挙支援』によって、逃がさない。その一方で、その『信用』を使って、信者獲得、次いで印鑑、壺などの資金稼ぎ、献金の持ちかけなど本来の活動を進める。

 市町村議、系列の都道府県議から、さらに首長やその周辺に広げる。しかも、一見無難な自転車ロードレースなどのスポーツや娯楽的なイベント、研究会や勉強会の開催を、シンパ的議員らを通じて自治体や議会に工作して、「後援」などの名義を取り付けるといった関係を深めて、信用確保を狙う。その信頼性が、信者獲得に役立ち、疑問や疑惑なしに触れあえる機会になる。長い経験をもとに、教団の名を隠して取り込むことに役立つ。狙いは「信仰」ではなく「カネ」であるから、教団の存在は深みにはまってから知らせればいい。
 議員らは選挙の「票」に弱い。まして、選挙には国会議員→都道府県議→市町村議の系列があり、その仕組みに首長や知事が絡めば、自治体の公務員らも嫌とは言えない。行政は、名目が立ち、党派性などが絡まなければよく、背後のカネがらみの教団や関連団体が存在することなど調べようともしない。仮に、そのような疑惑や異論が出ても、少数意見にすぎない。上部の言うことを聞くのが、役所の掟でもある。こうして、信者獲得からカネづるへと手を広げていく。

 教団などの狙いは自民党にあり、そのための親近感構築の名目に「反共」「勝共」をうたい、「憲法改正」をいい、「スパイ防止法」などに動く。創始者文鮮明の日本攻略は、初期の岸信介や笹川良一らへの接近に始まり、その共通する名目が「反共」だった。これが自民党の安倍派に根差すことになり、今日に至る社会問題になっている。
 この問題のほかに、教団と自民党には「反共」をはじめ、憲法改正、とくに自衛隊の明記、緊急事態条項の提示、9条の改定、家族条項の新設など具体的なところでの共通点がある。これが中央、地方の自民党の人々を教団に近づけやすく、疑問を持たせにくくする一因にもなり、そのために教団被害者を生み出す土壌を提供する結果になっている。

 当初の「反共」路線は、1980年代末の冷戦後になって、次第に男女性差問題、家族・家庭などに移る。この問題も、自民党保守層と軌を一にして、連携的な動きに役立っている。後述するが、この変身ぶりは安倍元首相の存在と切り離すことはできない。
 ただし、教団のカネ集めの方針と手法は硬から軟に変化したが、一貫している。

<各地の事例を見る>
 各種の報道などを参考に、まずは各地の動向を具体的にみて頂きたい。
 *全国地方議員研修会の成果 
 教団と関連団体は2015年から毎年、地方議員らの啓発活動として「全国地方議員研修会」なる会合を持ってきた。主催は、地方議員の世話人会としているが、代表世話人には信者や自民党の国会議員の名がある。背後に教団の存在があることは明白だ。
 東京のホテルばかりか、国会の議員会館まで使う。年1回の会合には100人以上が参加、関連団体からの講師らの話を聞くのだが、テーマは家庭・家族・男女などの話が中心で、教団が力を入れる「家庭教育支援条例」制定を推進するよう働きかけられる。ほぼ毎回、自民党国会議員が話し、熊本、茨城、福井など条例制定の先進県の県議らが発言している。
 22年4月に6回目が開催された。だが、安倍銃撃事件があり、教団の存在が問題になると、教団関係の会議とわかって、福井の元県議、滋賀県議らは政務活動費からの出張費を返納させられた。

 主題となる「家庭教育」だが、その範囲は広く夫婦別姓問題、同性パートナーシップ制度、ジェンダー平等問題、LGBT問題、こども基本法案など多岐にわたっている。
「家庭は社会と国家の基本単位」だとして、家族の一員としての個人を重視、少子化、虐待、家庭内紛糾などは家庭の教育力低下から生じている、といった古いジェンダー観、家族観が強く、戦前の家父長制の復活を思わせる考え方に立つ。現行憲法下の、基本的人権のもとに個人の尊厳、自立を重視し、家庭教育はそれぞれの家庭での自己決定に任せ、行政などは立ち入るべきではない、といった考え方を否定するものだった。

 だが、地方議会にはこの教団的な考え方が、すでに広がっている。地方からの参加した議員らが、この研修会に学び、持ち帰って行動に移したケースも少なくない。
 これまでに、2021年の熊本県を筆頭に、鹿児島、静岡、岐阜、徳島、宮崎、群馬、茨城、福井、岡山の10県、加賀、千曲、和歌山、南九州、豊橋、志木の6市で、この「家庭教育支援条例」が採択されている。家庭教育支援法採択を求める地方議会の意見書は昨年10月までに、34議会から衆院に提出されたという。
 それぞれの自治体で、だれが推進役になり、どのような経緯で論議され、議会でどんな賛否の論議が展開され、行政府はどのような主張と立場をとったか、など追及しておく必要があるだろう。ただ、近年は報道機関の取材人員が減り、調査機能が弱まっており、結果的に表面化しないままに制度化されている。怖いことなのだ。

 *日韓トンネルの疑惑 佐賀県唐津市の名護屋城址に近い山中の、牛の放牧場だった場所に韓国南部につながるトンネルがごく一部だけ掘られている。1981年、教団創始者の文鮮明がこの構想を提唱したということで、旧統一教会が手を付けた。
 86年に起工され、唐津―壱岐―対馬―韓国の全長235㎞をトンネルでつなぐ10兆円の事業。すでに唐津に16万5000㎡、壱岐に1万7000㎡、対馬に28万㎡、計46万2000㎡の土地を用意しているという。いまは教団系の国際ハイウェイ財団のもとにある。
 07年までに直径6mの坑道540mが掘られたが、最近の工事はストップ、と言われている。
 当初は羽田孜、麻生太郎、海部俊樹ら首相級が歓迎するなど盛り上がった。その後、各地に「日韓トンネル推進会議」が設立され、11年には徳島県、13年に対馬市議会が衆院宛に早期建設を求める意見書を送った。17年に「日韓トンネル推進全国会議」が結成され、自民党国会議員や地質学者らが参加、のちに国家公安委員長になった武田良太が挨拶した。
 はたして実現可能なのか、夢をまいて金儲けに終わるのか。日韓関係好転の将来に具体化されるにしても、現状ではかなりいかがわしい計画ではないか。日韓関係が好転するにしても、資金などはどうするのか。21世紀後半は別として当面、政府関与のない構想が具体化する可能性は薄い。少なくとも、教団主軸での具体化は難しく、単にカネ集めに終わるのではないか。

*「ピースロード」運動の危険
 全国的に人気の高い自転車の「ピースロード」運動は、教団とその関連団体が地方自治体に食い込む最良の道具、になっている。自転車で各地を走ろう、という健康的、手軽、楽しく参加しやすいイベントに見える。
 記事検索の日経テレコンによると、15-22年のピースロード関係の記事は100件以上。鳥取、奈良、滋賀、山梨、岡山、長野、千葉、群馬、京都、富山、新潟、福井、岐阜各県などで実際に行われ、かなりの人気だったよう。16道府県の実行委員長や顧問に国会議員はじめ各級議員、知事や首長などの名があり、相当数の各地の名士らが入っているようだ。動員数もハンパではない。ただ、安倍事件以後は香川、熊本、鹿児島県などが後援を取り消すなど、警戒的になっている。
 こうしたイベントはなぜ、地方自治体がすんなりと後援、参加するのだろうか。
 簡単に言えば、教団の各地方の関連団体が市町村議や都道府県議に「選挙のお手伝いをしましょう」などと接触、その無償で熱心、真面目な支援ぶりにほだされた議員らは信者らから自治体の後援要請などを頼まれると、簡単に請け負い、県や市町村に持ち込む。自治体は、日頃の議会との折り合いをよくする必要もあり、賛同する。政治的、宗教的なものではなく、青少年のスポーツ奨励にもなり、地域にも歓迎されよう、と受け止める。県などが受け入れれば、ピースロードの行われる地域の市町村は文句なしに追随して参加を認める。ほとんどがこのような構図で実施、あとは国会議員と同じように「知らなかった」で済ませてしまう。

 だが、そうか。ネットを開き「ピースロード」で検索すれば、簡単にこの教団がらみのイベントとわかる。共催団体の名称に、UPF(天宙平和連合)、FWP(世界平和連合)、WFWP(世界平和女性連合)、YSP(世界平和青年学生連合)などが並んで出てくる。奇妙な名称、と思えばすぐに判断できる。
 だが、自治体は調べようとしない。選挙の支援を待つ議員らは、おかしく感じていても打算に走り、「知らなかった」で押し通す。その結果、教団や関連団体は各種の行事などを活用して、多くの参加者の中から信者候補を物色、確保し、徐々に霊感商法や献金のカネ集めを可能にする。
この悪循環は、社会的に信用が期待される公共団体や政党、議員らの仲介的機能がなくならない限り続き、断つことはできない。この認識がないところに、根深い教団問題がある。

 *「勝共連合」伸長の実態
 1970年の京都府知事選。勝共連合が結成された2年後のこの選挙は、社共の推す現職の蜷川虎三、自公民の推す候補の一騎打ちとなり、勝共連合は大量のビラを配って自民側を支援。この活動が、自民党全国組織委員長の礼賛するところとなる。78年、蜷川府政継承を目指す新顔の大学教授、社会党前衆院議員、自公民の前参院議員の3者対決となり、勝共連合は大学の原理研究会、統一教会などの面々を動員、「19台の宣伝カーと2000人、機関紙号外9種類280万部配布」(世界日報)。この勝利が自民党の信頼につながった。
 そして翌79年、同連合主体の「スパイ防止法制定促進国民会議」を結成。全国的な運動を展開し、地方議会による促進決議を主導したことで、自民党や保守系議員との関係を深め、全国的に展開されるようになった。
 92年の教団系の思想新聞によると、地方浸透のための「郷土大学」なる啓発機関設置の動きが広がって「全国185支部で開校」された、という。そして、同連合の全国の支部は「539」という。

 *「ガン予防友の会」の表と裏
 「平和医学アカデミー」「難民救援医療団」の名称で、チャリティマラソン大会を開催し、1人5000円の参加費で2500万円を集金する計画ができた。だが、この裏には教会系の病院があり、募金活動とともに医学生の組織化を狙ったものだった。このような誰もが好意的に感じる名目で、一般の人々を引き付け、カネを集 める。教団が「平和」などの名称を多く使うが、そこにいかがわしさが付きまとう。

<安倍元首相と教団の似通う思考>
 *教団との出会い 前の項で、教団関連の活動として、地方議員らに「家庭教育支援条例」の制定について啓発したことに触れた。この根っこに、安倍元首相と教団との関係が強まる契機があったと思われる。
 2000年代初期、安倍の異例ともいえる抜擢人事が続き、首相就任のわが世の春を迎える以前から、意気高揚、世の中思いのまま、といった時期が始まっていた。行け行けどんどんの状況下に、安倍周辺には近づく群れが増え、どうにでもなるところから読みの甘さが出、そこに視野を狭めてもやっていける、といったおごりが身についたように見える。
 具体的に見てみよう。2000年、森、小泉両政権で内閣官房副長官に就任。岸信介首相の孫というばかりでなく、首相寸前とされた父晋太郎を亡くしており、その同じ派閥の森、小泉の引き立てだった。しかも、03年9月山崎拓幹事長のスキャンダルによる辞任に伴い、閣僚、党の要職未経験ながら、異例の幹事長に抜擢される。04年7月参院選後退の責任から降格となるが、それでも幹事長代理に残留。05年10月小泉政権の内閣官房長官に再抜擢。06年7月総裁候補を意識して「美しい国へ」を上梓。同年9月小泉首相の任期満了による総裁選で麻生太郎、谷垣禎一を大差で破り、総裁・首相に。52歳。直後の10月には中国、韓国を訪問、教育基本法改正、防衛省昇格、国民投票法などを仕上げる。
 だが、在任1年の07年9月に参院選敗退、病状悪化を理由に退陣、となる。以上が安倍前半期の速いピッチの経歴である。出自、派閥や先輩の擁護、短期昇進、高地位が安倍の強硬一途、結果的に視野狭窄の政治姿勢を作り上げたのではないか。国会軽視、野党黙殺の様相がその延長線上にあった。
  
 そこで、こうした履歴のなかでの教団との出会いである。
 05年春、自民党の「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム」の座長となり、さらに官房長官でもこのポストを継続、ここで教団の主張に極めて近い山谷えり子を事務局長に迎える。安倍・山谷の二人三脚はこれを最初として、05年6月靖国神社参拝の「若手国会議員の会」を発起した安倍のもとでの幹事長を務めたのが山谷だった。さらに安倍政権時にも、山谷は教育再生担当の首相補佐官に起用されている。山谷も安倍派(清和会)の所属だ。

*男女共同参画計画の大幅改ざん 安倍には子がなく、家庭教育などにどのような関心を持ったかわからない。ただ2005年、党のプロジェクトチームの座長、官房長官としての仕事は、この年12月に向けた「男女共同参画基本計画」見直しにあり、当初の基本計画を全面的に改定させるためだった。したがって、この基本計画に反対する教団の主張と軌を一にする山谷の存在は大きく、官房長官としてこの見直しに関わる安倍としても、教団側との間に接点が生まれたとしてもおかしくはない。このあたりの事情を知る山谷は、一切明らかにせず、党の教団との関係調査にもノーコメントを重ねる。

  結果として、この計画は大きく見直され、やっと男女格差の解消に踏み出した関係者たちは愕然とした。一方、山谷らは凱歌を上げる。「第1次基本計画は、自民党政権時に作られたが、男女を対立関係とし、国家も敵視し、家族や社会秩序を壊すような破壊の情念に囚われた文面だった。第2次計画策定のときは、私は小泉政権の安倍晋三官房長官の下で担当政務官<実際は教育再生担当の首相補佐官>だったので、それら不適切な部分を全部削除した。自民党の中にも、左派イデオロギーに疎い人達がいて、結構大変だったが、例えばジェンダーフリーや過激な性教育など国民の常識に反している部分は削除した」(日本会議の冊子より・原文はですます調)と述べる。
 日本会議に参加し、新しい教科書つくりや「親学」を提唱、教団の家庭教育支援条例制定に影響力を持った保守派教育学者の高橋史朗との対談で、安倍も山谷同様の発言をした。
 「ジェンダーフリーという概念は、生物学的性差や文化的背景をすべて否定し、生まれても男として育てれば男に育つという誤った考え方に基づいています。雛祭りや端午の節句も、女らしさや男らしさを押し付けるものだと教えていました。ジェンダーフリーの特徴は、過激な性教育です。ここにもやはり『個人の、家族からの解放』という目的が隠されている。というのも、男女の関係は性でしか結ばれないというわけです。家族の絆、夫婦の絆などは一切認めない。私は、ジェンダーフリーのもとになっている男女共同参画基本計画については、約170ヵ所を修正し、正常化に努めました。」<ウィキペディアによる>と述べている。

 結果的に、基本計画は「ジェンダーフリーという用語を使用して性差を否定したり、家族やひな祭りなどの伝統文化を否定したりすることは男女共同参画社会とは異なる」との文書になった。男女共同参画基本計画が当初の目標からかなり後退し、ゆがめられた、との指摘は当時かなり強かった。
 安倍のこの姿勢は、ジェンダーフリーの意味合いをいささか誤解しているが、教団の方向に近い山谷の強硬な影響も受け、これに追随している印象だ。安倍はその後、「『親学』推進議員連盟」会長となり、家庭教育支援法制定の推進を打ち出している。

 *深まった双方の関係 横道に入ったが、本筋に戻ろう。
 2005年に党のプロジェクトチームで男女共同参画基本計画の改ざんに手を付ける以前の安倍は、祖父岸信介に続いて、父親の安倍晋太郎が関わった旧教会にあまり接触していなかった。だが、この計画の改定に関わることになって、教団との関係を急速に深めていったと思われる。新聞記者出身の晋太郎は、筆者<羽原>も取材でよく話したが、概して広い視野から事態を見、シャイで、付き合い方にも慎重さがあった。岸礼賛の晋三は議員経験もまだ浅く、練達の教団にとってその食い込みは容易だったのではなかったか<22年11月の「オルタの広場」に「旧統一教会問題をめぐる政治状況」の拙稿で安倍首相の旧教会との関わりに触れた>

 安倍は、05年10月に教団関連の「天宙平和連合」の広島大会に祝電を打ち、翌6年5月の同連合による福岡での祖国郷土日本大会にも、小泉内閣の官房長官として祝電を打っている。先に触れたとおり、この年7月には自著「美しい国へ」を上梓、9月には自民党総裁選出馬を表明し、首相になっている。
 その12月、1947年の教育基本法を初めて全面改定して「道徳教育」「愛国心」「伝統と文化尊重」をうたい、男女共学の記述を削除するなど、安倍の主張が盛り込まれた。
 
 その後、民主党政権が生まれ、自民党が野党になった2010年2月、安倍はその気楽さもあってか、教団、勝共連合幹部の阿部正壽によるシンポジウムの講師を引き受け、「保守再生」を講演した。8月には、のちに旧教会、勝共連合、世界平和連合、天宙平和連合などのトップとなる梶栗正義らと一枚の写真に納まっている。翌11年には文鮮明の孫と祝福結婚した元教会長の長男を自民党本部に招き、また12年には安倍夫妻と阿部正壽ら一行で高尾山に登っている。 
 こうした親密な関係は22年に銃撃を受けるまで、私的ばかりでなく、政治的にも、派閥的にも連携を続け、さらに政策の面でも影響を受けるなど、さまざまな余波を残したことになる。日本の政治史上、いかに特異な事態であったか、を示している。

 この稿を書くうちに、岸田首相の秘書官荒井勝喜による性的少数者への差別発言があった。荒井発言は、安倍元首相を軸とした山谷えり子ら自民党保守派や教団の面々と類似した発想であり、こうした差別感の根強さ、根深さを類推させる。最近の懸案である「LGBT理解増進法案」に対する自民党内の調整難航の事態も、改めてわかる。ただ、この荒井発言が法案審議を早めることになったとすれば皮肉ではある。
 
<どうなる?選挙と地方組織>
 上記のように、中央では国会議員が派閥ぐるみで教会組織に溺れ、地方では首長、議員、そして行政までが教会や関連団体に同調する。この負の関係を切りきれるかというと、自民党が「手を切る」と言い切るものの、そう簡単にはいきそうにない気配がある。
 取材してみても、そのように動くとは思えない。権力を握る政党の優柔不断、日本社会の情的なつながり、過去の利益確保への郷愁、霊感商法や献金を許容する信者群、教団の積み上げた経験からの「逃げ」のうまさ、そのような自縄自縛から逃れられそうにはない。
 それに、規制的な法律が新たに成立し、改正されても、教団が仮に解散しようとも、全国に多数張り巡らされた関連団体の支部などがカネ集めの仕事を代行する可能性は高く、その規制的な工夫は一切なされていないのだから、教団的作業は縮小されたとしても生き残っていくに違いない。
 教団の解散問題ばかりでなく、宗教二世、養子縁組、集団結婚式など現実問題があり、またサタンやアダムとエバといった教義的疑念、教団の韓国・北朝鮮とのおかしな関係といった問題もある。これらの解決、納得もかなり難航するだろう。決して放棄してはならない課題である。

 ただ、この4月の統一地方選挙で、有権者が「教団がらみの議員や候補者はNO!」と、これまでの一票を惜しみ、別の候補者に投じるとか、教団との悪縁を持った人物、条例成立に寄与した人物を徹底的に調べ上げて公表するとか、多少の期待はないわけではない。大きな期待はできないのだが。
 いずれにせよ、民主主義の保障である1票を生かさない手はあるまい。
 1票が無力であることは間違いないし、その力はむなしいが、しかし、「どうせ」というあきらめでは、この悪循環をさらに持続させることになる。悪に手を貸す首長や議員らがそのまま居座ることにでもなれば、この問題は解決するどころか、さらに状況を悪化させよう。    
 むなしいが、1票を信じよう。個々の有権者に感じるところがあれば、蓄積された1票は山にもなり、社会変革の第一歩にもなりうる。民主主義の1票は、ばかばかしいほどむなしいが、これを放棄すればマイナスの社会は続き、悪化する。
 1票の結集によって山を動かす以外に妙手はないのではあるまいか。
 あとは、怒りの変革、革命を待つことになるのだろうか。

                        (元朝日新聞政治部長)

(2023.2.20)
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