【コラム】宗教・民族から見た同時代世界

内戦化で混迷深まるミャンマーは、ほんらい、仏教の国ではないか

荒木 重雄

 ミャンマーで国軍がクーデターで権力を奪ってから、10ヵ月が経つ。民主化を求める市民は抵抗を諦めず、国軍は民主派への弾圧を緩めない。西部や北西部では国軍が爆撃や砲撃、集落への放火を繰り返し、全国ではすでに数十万人の難民・国内避難民がうまれている。
 混迷を深めるミャンマー。だがこの国は、ほんらい、仏教の国ではないのか。改めてミャンマー(ビルマ)の仏教に目を向けてみたい。

 ◆ 多様な仏教渡来説を信じて

 ミャンマーでは、ビルマ、モン、シャンの3民族を中心に、国民の85%が仏教徒といわれている。
 この地の仏教は、スリランカ、タイ、カンボジアなどと同じ南方上座部仏教(いわゆる小乗仏教)で、紀元前3世紀にモン族に伝わったのが最初とされる。その後、モン族を征服して仏教を受容したビルマ族のパガン王朝(11~13世紀)が興隆するとともに、全土に普及し、さらに15世紀末にスリランカから大寺派系上座部仏教が直接もたらされるに及んで、ビルマ上座部仏教が確立された。

 しかし、こうした歴史的事実とはかかわりなくミャンマーの仏教徒たちは、自分たちは、釈尊が出たシャカ族が太古にインドからこの地に渡ってきて国を建てた、その末裔である、とか、釈尊自身がこの地に500人の阿羅漢を率いて巡錫し教えを説いた、とか、モン族の二人の商人がインドで、成道したばかりの釈尊の最初の在家信者となり、仏と法の二宝(三宝のうちの「僧」はまだ存在しない)に帰依し、仏髪8筋を授かった、とか、幾多の仏教渡来伝説を固く信じて語り、誇っている。
[註:仏教で奉ずべきは仏法僧の「三宝」で、「仏」は釈尊、「法」は釈尊が説いた教え(仏教)、「僧」はその教えを伝え広める教団のこと]

 ◆ 在家信者が行ない守ること

 一般の在家信者は、朝夕、自宅に設けた仏壇に向って礼拝、読経を欠かさない。
 その次第(内容・順序)は、誠心よりの恭敬・頂礼を述べ、その功徳によって四悪道(地獄・餓鬼・畜生・修羅)に堕ちることや敵・災害などから脱して涅槃(永遠の平安)を得られるよう、仏の威力に願ったのち、三帰依文、五戒文、パリッタ(護呪)などの読誦へすすむ。
[註:三帰依文は仏・法・僧に帰依する誓いの言葉。五戒文は不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不飲酒の誓いの言葉]

 パリッタには、阿含経典(釈尊が直接説いたとされる原始仏教経典)の小部(クッダカ・ニカーヤ)や法句経(ダンマパダ)から抜粋した偈文も含まれるが、もともとは釈尊が弟子たちに護身用の呪文を唱えることを許したことに由来するとされるところから、災厄防除の役割が期待され、種々の病気から毒蛇・蠍・ムカデ・ノミ・シラミ、嵐や洪水、火災や戦争、さらには悪霊から身を守るさまざまな護呪が用意されている。

 上座部仏教では崇敬の対象は唯一、釈尊のみで、したがって仏壇の中心も釈尊像であるが、他にも、福徳を願う神々が仏弟子や弁才天のかたちで祀られ、商売繁盛や家内安穏のパリッタが誦唱されている。

 こうした護呪信仰や現世利益志向には、仏教渡来以前からこの地にあるナッ(精霊)信仰やウェィザー(超能力者)崇拝の影響があるといわれる。しかし護呪や福徳神信仰が効果をもつのも、仏教徒としての生活をまっとうしたうえでのこととされ、そのため人々は心底から仏法僧を敬い、月に4日の斎日には精進潔斎して僧院に赴き、比丘(僧)や沙弥(見習い僧)たちに食事を供養し、八戒や十戒を懇請して授かるのである。
 因みに八戒とは、五戒の不殺生、不偸盗、不淫、不妄語、不飲酒に加え、装身具をつけない、歌舞を見聞きしない、高く広いベッドに寝ない、であり、十戒にはさらに、昼を過ぎて食事をとらない、財産を蓄えない、がつく。
 在家信者が八戒や十戒を守るのは斎日だけであるが、このような暮らし方を仏教徒の理想として心に刻むのである。

 ◆ 男は生涯一度は出家すべし

 ビルマ人の社会では、男子は一生に一度は出家得度して僧院に入り、修行するのが理想とされている。生涯を通じて修行に専念する僧とは別に、還俗を前提に数日から数ヶ月、あるいはそれ以上、僧院生活を体験するのである。

 一時出家とはいえ僧院生活は厳しい。一時出家者は、少年見習い僧と同じ扱いの沙弥として、師僧から十戒を授けられて僧院に入る。修学法七五ヶ条に示される、着衣から、食事の仕方、話し方、歩き方にいたる日常の行儀作法に従いながら、朝夕の勤行の間に配された作務(掃除など)、托鉢、講義・学習、食事、坐禅・瞑想などの日課をこなすのである。

 沙弥たちに繰り返し説かれることは、食事は乞食(托鉢)によること、衣は糞掃衣(ごみ溜めに捨てられたボロ布を拾い集めて綴った布)よること、住居は樹下住によること、薬は陳棄薬(木の実を入れて醗酵させた牛の尿の水薬)によることを理想とする質素な生活である。
 違反すれば科されるさまざまな罰もあるが、五戒を犯すことに加えて、仏・法・僧を誹謗する、邪見者になる、比丘尼(尼僧)を汚す、の5項目をなした沙弥は僧院から放逐される。
 二十歳になった沙弥や成年後の本格的出家者は、227もの戒からなる具足戒を受けて比丘となり、さらに厳格な戒律のなかで修行に励むのである。

 ミャンマーでは多くのビルマ人仏教徒の男性が、このような僧院生活を一定期間経験し、そこで、あるべき生活態度を習得し、人生への眼を開くとされる。

 ◆ 殺すなかれ、殺されるなかれ

 独立以来、軍事政権が続いたミャンマーでは、政権を握る多数派仏教徒ビルマ族と、他宗教の少数民族との葛藤が深刻であるが、現在の状況を巡っては、民主化を求める人々も、弾圧する兵士や警官、国軍司令官も、その多くは仏教徒ビルマ族である。このような、ほんらい敬虔な心根のはずの人々が、殺す側と殺される側に分かれて戦っていることに、否、戦わされていることに、改めて深い憤りを覚えるのである。

 (元桜美林大学教授、『オルタ広場』編集委員)

(2021.12.20)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧