【コラム】
神社の源流を訪ねて(13)
出雲の神々⑤ 熊野大社(くまのたいしゃ)
◆「熊」には神聖の意味がある
神社と朝鮮半島とのかかわりを探っているので、もう少し出雲と付き合っていこう。熊野大社は、JR松江駅から、バスで意宇(いう)川を溯って約20分、須我山のふもとにある。朝、早目に着いたので参拝者もいなくて境内は清澄、古代の神々の息遣いが感じられる。
祭神は素戔嗚尊と熊野大神櫛御気野命(くしみけぬのみこと)だ。熊野大社略記によると、延喜式には「熊野」を名乗る神社が八社も記載されており、往古、熊野は繁栄していたことがうかがえる。「熊野」といえば、和歌山県の熊野本宮大社との関係が気になっていた。玉砂利を掃いている上品な年配の神主さんは「かつてはもっと山奥にあり、炭を焼いていました。和歌山の熊野本宮大社は、そこから移って行ったと言われています」といった。
出雲で炭といえばまず砂鉄が思い浮かぶ。鉄は田畑を耕し木を切るには欠かせない。日韓両国の考古学者の共同研究などによると、現在の釜山市の近くにあり6世紀中ごろ滅んだ伽耶国は、鉄や須恵器の生産地で、そこで作られた鉄や技術者、山師などが大量に列島に入ってきたという。
鉄をつくるのには大量の木材が必要だ。例えば鉄1トンをつくるのに炭が14トン、砂鉄が12トン必要といわれ、炭を14トンつくるには、木材がなんと50トンもいるという。だから鉄と山林と炭は切り離せない関係にある。またそれだけ木材を使っても鉄つくりは採算が合うということだろう。1つの山の木を伐りつくすと別の地に移動する。
朝鮮半島を車で走ると、山に樹木が植えられているが、どこかひょろひょろして、植林されてまだ十分育っていない感じだ。長期間にわたって大量の木を切ったのだろう。
日本書紀は、素戔嗚尊が子の五十猛(いそたける)に、朝鮮半島の樹木の種を持たせて島根県に降りて、筑紫を皮切りに日本中に種をまいて青々とさせたという記事があり、木の国、和歌山県に祀られているところも示唆的だ。
水野祐氏は「出雲の中の日本文化」の中で、江戸時代の学者、藤貞幹の「素戔嗚ノ尊は辰韓主なり」という見解を評価しているが、この見方は学会でも大方認められているようだ。
その昔、新羅や百済から砂鉄や樹木を求めて、列島に渡って来た鋳物師や、陶磁器をつくる人々も多かったのだろう。その場合、北九州や日本海側は海流の関係から、渡来しやすかったと思われる。
熊野神社の「熊」にも惹かれるものがあった。それは熊が日韓両国の神話や地名などによく登場するからだ。高句麗の檀君神話の熊は、熊が洞窟で修行して人間の女性になり、檀君を生んだ。熊は朝鮮語でコムからカムになり、神にも通じるとされる。熊本の熊、熊襲、アイヌの熊祭り、大和政権と関係の深かった百済の古都は熊津(ゆうしん)などがある。金錫亨氏の『古代朝日関係史』によると、「熊」には神聖なという意味があるという。
出雲ではこのほか、6世紀ごろまで半島南部にあった伽耶国と同じ名前の伽耶社、出雲にしかない韓国伊太氐神社、玉作湯神社、四隅がヒトデのように長く伸びた四隅突出型墳丘などにも触れたかったが、先に移ることにしたい。
(元共同通信編集委員)
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