【コラム】
宗教・民族から見た同時代世界

危ぶまれるダライ・ラマの転生者継承

荒木 重雄

 今年の3月は、2008年、中国政府の支配に反発するチベット族が、チベット自治区ラサをはじめ四川、青海、甘粛各省で大規模な抗議行動を起こし、治安部隊との衝突で数百人の死傷者をだした「チベット騒乱」から10年に当たる。
 以来、中国政府は経済振興と監視・弾圧を使い分け、騒乱の再発を封じてきたが、この10年で150人を超えた、後を絶たないチベット族の僧や住民の焼身自殺が、チベット族の状況と抗議の意思を示し続けている。

 そうしたなかで、同月、インド北部ダラムサラに本拠をおくチベット亡命政府(ロブサン・センゲ首相)は、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ十四世の後継選びについて、年内に高僧による会議を開いて議論することを明らかにし、そこでは、①従来どおり死後に「生まれ変わり(転生者)」を探す、②十四世の存命中に高僧会議で選出する、③十四世本人が生前に指名する、の三つの選択肢があること、首相自身は十四世が直接選ぶのが最も安定的と考えていることが伝えられた。

 これは大変なことである。観音菩薩の化身とされるダライ・ラマは死後に生まれ変わりの少年を探しだして後継者とする、それがダライ・ラマの権威の根源であり、数百年続いてきた伝統だからだ。いくら中国政府が後継者選びに介入し政治利用する懸念があるからといって、権威の根源と伝統を今ここで変えるもやむなしとするのか。
 ダライ・ラマと「生まれ変わり」の関係を深ってみることにした。

◆◇ 菩薩は永遠に衆生を救済する

 そもそも歴代のダライ・ラマが観音菩薩の化身とはどういうことだろうか。
 チベット仏教ではすべての生き物は輪廻転生すると考えられている。だから人は、一般に、次は昆虫か鳥か獣に生まれるかもしれないが、しかし、悟りを開いた菩薩などは次も次も人間に生まれて、生きとし生けるものの救済に働き続けると信じられている。観音菩薩の化身とされるダライ・ラマはその一形態だが、ダライに限らず、ダライに次ぐ権威をもつとされるパンチェン・ラマは阿弥陀如来の化身であるし、他には弥勒菩薩や文殊菩薩の化身もいる。

 これを「活仏」や「転生活仏」といいならわしているが、菩薩や如来だけでなく過去の偉大な高僧の化身もあるので「化身ラマ」(チベット語でトゥルク)とよぶのが正しいとされる。ラマは「師僧」の意。因みに、中国政府によると、チベットで化身ラマは350人を超える。

 ではその継承はどう行なわれるのか。化身ラマが遷化すると、弟子たちが夢告や託宣、ラマの遺言などに基づいて転生者を捜索し、候補者が見つかれば、その候補者とされる童子に先代ラマの遺品を選び取らせるなどして前世の記憶を確認し、確かに先代ラマの生まれ変わりと確信されると、先代ラマと師弟関係にあった高位のラマや所属宗派の管長によって化身ラマと公式に認定される。現ダライ・ラマ十四世は1939年に青海省において4歳にして認定された。
 認定を受けた童子は、先代ラマの僧院で即位して化身ラマの名跡を継承し、以後ラマとしての厳しい英才教育を受けることになる。

◆◇ 政治と切れない転生継承制

 化身ラマの転生継承制度を初めて法主の選任に採用したのは14世紀、カギュ派のカルマパ(観音菩薩の化身)の創設とされる。16世紀にはゲルク派もそれに倣ってダライ・ラマを創設した。
 チベット仏教でも本来は師資相承が基本だったが、中世の一時期、権力を持つ高僧の地位を特定の氏族が世襲的・半世襲的に独占する、氏族による教団支配がすすみ、そのことへの教団側の対抗策としてこの化身ラマ転生継承制度が、僧侶の妻帯を禁ずる戒律復興の動きとも重なって各宗派に取り入れられたと考えられる。だがそれは今度は逆に、教団側から転生者認定を通じて、転生者が属する有力氏族を自派のパトロンに組み込むシステムとして働くこととなった。
 その効果もあって、当初はゲルク派の指導者にとどまったダライ・ラマは、17世紀の五世のとき、モンゴルの豪族の後ろ盾を得てチベット全体の政治的支配者となった。
 が、それゆえ、以後のダライ・ラマはモンゴルと清朝の間や、国内の勢力関係で揺れ続けることにもなった。

◆◇ 次のダライは中国外で誕生

 さてそこで、ダライ・ラマ十四世の後継選びに中国政府の介入を警戒するいわれだが、これにはチベット仏教序列2位のパンチェン・ラマの例がある。
 1959年の動乱でダライ・ラマ十四世がインドに去ったあとも中国に残ったパンチェン・ラマ十世が死去すると、95年、ダライ・ラマは亡命先から転生者を認定した。しかし中国政府はこれを認めず、別の少年を後継者に認定し、ダライ・ラマが認定した少年は消息を絶った。
 中国政府によって認定されたパンチェン・ラマ十一世には親中国派のチベット民族指導者として役割を期待されていることはいうまでもない。

 2007年、すでにダライ・ラマ十四世の死後を見据えた中国政府は、「活仏管理規定」を制定し、ダライ・ラマの後継者認定は中国政府の権限に属することを規定した。11年、ダライ・ラマ十四世は、政争の具と化した転生継承制度は自分の死後は廃止すべきと語った。そして15年、十四世は、チベットの人々がダライ・ラマの転生者を必要とするなら、それは、「中国支配下のチベットではなく、平和な世界のどこかの国に生まれる」と述べた。
 いまだ帰趨は見えぬが、チベット情勢に絶大な影響をもつダライ・ラマの後継問題はすでにホットな局面に入っている。

 (元桜美林大学教授・オルタ編集委員)

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