【コラム】槿と桜(25)
名節離婚
韓国の四大名節といえば、「ソルラル(설날)」(旧正月。旧暦1月1日)、「タノ(단오)」(端午。旧暦5月5日。田植え・種まきが終わる5月に豊作を祈願する)、「チュソク(추석)」(秋夕。旧暦8月15日。墓参りをし、先祖へ豊かな実りを感謝する)、「ハンシク(한식)」(寒食。12月下旬の冬至(トンジ「동지」)から105日目に当たる日。4月上旬)の4つです。
韓国で言う「名節」とは、文字通りの祖先を祀る「祭日」のことで、家族全員が集まり、その日のための料理を作って神に供え、家族が一緒にその料理を食べる特別の日です。
なかでも「ソルラル」と「チュソク」は、さらに特別で二大名節と呼ばれていて、この2つの名節については、すでに本誌に書かせていただきましたので、ここでは行事そのものには詳しく触れません。
本号では、家族全員が集まって祖先への祭祀を行い、一緒に食事をしながら家族団欒を楽しむことになっている名節の、いわば負の部分について取り上げようと思います。
「ソルラル」と「チュソク」は、韓国政府も国民の重要な祭日としていますから、この二大名節当日をはさんで前後3日間を休日と定めています。
たとえば今年(2016年)の「チュソク」は、9月15日(木)が旧暦の8月15日にあたります。したがって9月14日(水)から9月18日(日)までの5連休となります。
現在、日本では“連休”からたいていの人が連想するのは、先ずはのんびり骨休め、旅行、レジャーなど日頃のストレスを忘れて、自分の自由な時間として使えるという思いを抱くのではないでしょうか。もっとも中には家族サービスのためにかり出されるのが苦痛で、仕事に出た方がいいと思っている男性もいるかもしれません。でもほとんどの人が“連休”は大歓迎でしょう。
ところが韓国では、政府が定めた「ソルラル」「チュソク」前後の二大大型連休が誰からも歓迎されているとは言えないのです。
興味深い数字を示しましょう。韓国の女性家族部と統計庁が2015年12月7日に「2015仕事・家庭の両立指標」を発表しています。
この中で、結婚している男女の家事労働時間について触れられた部分ですが、共働きの場合、女性の家事労働時間は1日平均3時間14分に対して、男性の家事労働時間は40分に過ぎず、女性は男性の約5倍ほど家事労働をしていることになるそうです。しかも男性の家事労働時間は5年前に比べてたった3分しか増えていないとのこと。
また女性が専業主婦だった場合、女性の家事労働時間は6時間16分、男性は47分で、おもしろいことに共働きの男性に比べて7分長かったようです。
私はこの数字を見て、なるほどと納得してしまい、むしろ韓国の男性も家事労働に毎日40分(ちなみに日本人男性は62分だそうです)も費やしていることに驚いたぐらいです。
それというのも我が家の男性たち、というより女性たちは、とにかく身体を休めるということなくよく動き回っているという印象を持っていたからでしょう。
言い換えると、我が家の男性たちに家事をやらせてはいけないとでも思っているかのように働き、どうしても手が足りないときに父や兄、弟に手伝わせていたように記憶しています。なかでも義理の姉は家族と同居でしたから、労働面だけでなく私や弟もいて、さぞかし精神的にも大変だったろうと思います。なにしろ家族の一員として、すべての人間に気を遣いながら家事をし、夫の世話もしなければならなかったのですから。しかも義姉も共働きでしたから帰宅すれば、父や母への気遣いも並大抵ではなかったように思います。きっと女である私には弟以上に気を遣っていたのでしょう。
韓国でも最近は特に都市部で核家族化が進み、夫の両親と同居していないのが一般的な生活スタイルになっていますが、二大名節になりますと短い期間とはいえ家族全員が夫の実家に集まることになります。
韓国では先祖を忘れずに大切に敬わなければ、生きている者たちに災いが及ぶと考えている人が多いように思います。ですから不幸に見舞われますと、「先祖を大切にしないから」と言われてしまうこともあるほどです。
それだけにこの二大名節への思いは、日本の方が正月やお盆に帰省するのとは大きく異なって、その家の年間大事業と言ってもいいほどです。
二大名節の連休には故郷に帰り、家族、親族が集まり、特に「秋夕」(チュソク)では「ポルチョ(벌초)」と呼ばれるお墓の掃除を必ず行い、祖先への礼を欠かすことはありません。
それぞれの家庭で祭壇に20種類以上の食べ物を供えますが、これらのお供え物を準備するのが女性たちの仕事になります。一堂に会する人数も10人以下などということはありませんから、それにかかる時間と労力は中途半端ではありません。
日本でよく言う“猫の手も借りたい”ほど忙しく、てんてこ舞いすることになります。一方、男性たちはどうかといいますと、先述しましたように1日の家事労働時間が40分の人たちですから、積極的に手伝おうとする男性はそう多くありません。
なかには自分の実家に連れてきた妻が忙しそうに立ち働いている姿を見て、手伝おうとする気持ちが湧いてくる夫もいるはずです。ところが韓国では、日本でもかつてはそうでしたし、地域によってはまだ色濃く残っている所もあるようですが、「家父長意識」がまだまだ強いと言えます。
実家に妻を伴っていけば、男性中心の雰囲気が強いため、自分の妻はあくまでも「嫁」でしかありません。こうなると妻が内心では夫の手を借りたいと思っていてもとてもそうはいかなくなります。
こうして男性たちは、女性たちが名節の準備で休む暇もないほど忙しさに追われていても何もしないのが一般的です。それどころか飲み食いを始めますから女性たちは名節の準備をしながら、こうした男性たちの世話もしなければなりません。
ただ肉体的に疲れるだけならまだ我慢もできるのでしょうが、これに家父長意識が嫁の精神面にも重くのしかかってきます。
先ずは夫の両親、特に母親への気遣い。さらに夫が何番目の息子かによって妻の“序列”も決まりますから、場合によっては姑だけでなく姉嫁にも気を遣わなければならなくなります。さらに小姑、親戚等々。こうして夫の実家に帰省中は、常に周りからの“目”と“口”に神経を使い、対応を間違えないようにしないと、ぎくしゃくとした雰囲気が生まれてきてしまいます。いちばん波風を立たせない方法は、不平等にも、横暴な扱われ方にも、夫への不満にもじっと耐え、“嫁”としてひたすら我慢をすることなのですが、肉体的な疲れと精神的な疲れが相乗的に影響し合って、ついには・・・・。
そしてもう一つ、宗教的理由も無視できません。韓国でのキリスト教徒数は全人口の約29%を占めていて、仏教徒の約22%より多く、キリスト教国と言っていいでしょう(非宗教人口は全人口の約47%)。これらキリスト教信者のほとんどが、上述した祭祀行事を行いません。ですから妻が信仰によって先祖への祭祀行事に加わらないと、夫の実家との間に摩擦が生じてしまうことにもなります。
こうして韓国大法院が公表する二大名節後の離婚率は、毎年、前月比で10数%~20数%増となっています。二大名節の連休明け後の夫婦喧嘩は普段の60%増だそうです。
でも夫婦喧嘩をしてお互い二大名節中に溜めていた相手への不平や不満を吐き出し、ぶつけ合うまででしたら、まだよいかもしれません。お互い言い合いをして多少でも気分的にすっきりとなり、離婚にまで到らないなら喧嘩の効用もまんざらではないかもしれません。
韓国の男性の家事労働時間がたったの40分というのも、私は構わないと思っています。男性が家事をすればするほど妻は満足かというとそうではないようですし、むしろ家事を手伝おうとしているという夫の心遣いこそ大切なのではないでしょうか。
たとえば仕事が早く終わったら、家族と一緒に過ごし、家事も手伝おうとするその気持ちがあれば、妻の精神的安定度は増し、気分的にもそれなりに和らぐはずです。
名節での実家帰省中は嫁として精神的、肉体的にも疲れきってしまう妻をいたわる夫の優しい心遣いがあれば、「名節離婚」などという不名誉な現象も減らすことにつながると思っています。
(大妻女子大学准教授)