【コラム】大原雄の『流儀』

変異株・コロナウイルス襲来ということ

大原 雄

2021年4月29日。東京都では、新型コロナウイルスの感染者が3ヶ月ぶりに1,000人を超えて、1,027人を記録した。第四波の襲来である。

さらに、5月8日発表では、変異株の流行で、「先行」感染していた大阪を抜いて、東京が先頭に立った。東京:1,121人。大阪:1,021人。折から決まったばっかりの緊急事態宣言「延長」をせせら嗤うように、コロナ感染急進。さあ、大襲来警戒の手綱を引き絞らなければならぬ。

前号で、私は次のように書いている。
「コロナ禍は、まさに風雲急を告げており、今も、コロナ禍第四波襲来、蔓延中。次号では、掲載にタイミングが合えば、「面・首・隈 ~マスク・考(2)~」と題して、能楽や人形浄瑠璃と仮面(マスク)について、考えてみたいが、どうなるか」。

さて、どうなったか。コロナウイルスは、各地で変異した新たな「株」のウイルスが、どんどん再生産されているようで、どこの国でも、対応に追われている。コロナ禍では、ウイルスと人類の力比べ、知恵比べ、の印象さえある。これまでの経緯を見ると、ウイルスの方が、人類より悪賢(わるがしこ)いのではないか。生物でもなく、無生物でもなく、しかし、驚異な力を持つ存在。それが、ウイルス。この攻撃力は、凄まじい。悪魔の原理(誘惑・堕落)か、神の摂理(配慮・恩寵・警告)か。はたまた、あわせ鏡に真の姿が映っただけの、人類の原罪の実相か。

前号では、コロナ禍の蔓延に伴い、すっかりマスク王国になった日本列島では、マスク無しでは、この世は生きられぬ様相となった。マスクを巡るトラブルも起きている。実際、マスメディアは、日々、新たになるコロナ禍の死亡者を報道し続けている。「死」と直結したイメージをマスクに持たせ続けているが、前号で、ふと思いついてマスク論を書いてみたら、マスクは、新型コロナウイルスの変異株同様に、一筋縄では行かない「代物(しろもの)」だということが判ってきたが、マスク・考の続きは、一旦お預けとし、コロナ第四波について記録を残しておこう。

贅言;「代物(しろもの)」とは、本来、売買する品物、つまり、「商品」を意味する言葉だが、そこから敷衍して、「 人や物を、価値を認めたり、あるいは、逆に、卑しめたり、皮肉ったりするなど、評価(プラスもあれば、マイナスもある)をまじえて使われる言語。「めったにない代物(プラス。貴重な品)」「とんだ代物(マイナス。欲深い人間を惑わせる。とんでもない代物。食わせもの)をつかまされた」「あれで懲りないなんて、大した代物(マイナスをプラスに転化する。おもしろい者・人物)だ」。さらに、人気者になるなどの意味から、江戸時代は、売れ筋の「遊女」や、一般に、年ごろの美しい娘などを表現する場合にも使用された。こうした多様性、多義性などを含み持つ、懐の深い言葉のようだ。

 ★ 三度(みたび)の「緊急事態宣言」という自己矛盾

一昨年の末に中国の武漢地域で発覚したコロナ禍は、日本にも襲来・上陸してからでも、1年半近くになる。去年の第一波、第二波。今年の第三波に続いて、目下、第四波。その間、安倍政権・菅政権(同根政権)は、「緊急事態宣言」を合わせて3回も宣言している。ということは、正直に表現するならば、緊急事態に対処する安倍政権・菅政権の方策は、うまくいかず、失敗続き、ということだ。その結果、緊急事態宣言延長・オリンピック(中止か開催か)・衆院解散/総選挙へ、と秋までの政治の季節が太い軸になり代わり、国民の生命と暮らしは、軽視されていく。畢竟、政治家は、こういう人たちだということを国民は、覚悟して認識しなければならない。

贅言;安倍前首相が、最近、自民党議員に向けて、「安倍政権を引き継いだ菅政権は、よくやっている。近づく総裁選挙では、選挙を実施せずに、菅政権を維持・継続せよ、そして、総選挙を闘え」という趣旨のメッセージを送っている場面をテレビニュースで見た。安倍・菅政権が、同根政権だという実相をくっきりと表している。

そもそも、「『緊急事態3度目宣言』などという見出し(朝日新聞4・24朝刊14版第一面)は、表現として、自己矛盾ではないか。緊急事態は、一度で制圧すべきもの。普通は、二度も三度もするものではないだろう。緊急事態の対応の引き際の判断ミスが、このように、何度も宣言をさせることになる。殿(しんがり)を任される大将の判断力は、引き際の認識について、卓越した力の持ち主でなければならない。コロナ禍の経緯を辿ると、「総士」の判断ミスが、緊急事態を何度も呼び寄せる原因となっていることが判るというものだ。普通、緊急などと叫ぶのは、1回だけだろう、せめて2回が限度ではないか。3回目となると、これは、昔なら「オオカミ少年」と呼ばれたはずだ。

 ★ オリンピック「中止」以外、感染は危惧される

オリンピック開催中止の声は、当初、ほとんど聞こえてこなかったが、マスメディアの論調から推測すると、IOCのバッハ会長は、オリンピック開催にこだわっているというか、よほどの事情が起きない限り、何が何でも開催する気なのだろう。ところが、このところにわかに「オリンピック中止」の声が盛り上がってきた。以下、5月6日付けの毎日新聞記事デジタル版を引用。

新型コロナウイルスの感染が再拡大する中、東京オリンピックの中止を求める声が盛り上がりつつある。政府や大会組織委員会が開催に向けた準備を進めていることをアピールするほど、それに反比例するように逆風が強まる状況だ。

「これだけ多くの数字は予想しなかったので勇気づけられる」。元日本弁護士連合会会長の宇都宮健児氏は、5日正午にインターネットのサイト上で「五輪中止」の署名を募る運動を始め、6日午後8時までの32時間で10万筆を超えた。 引用終わり。

その後のマスメディア各社の報道では、この署名数は日々増え続けている。8日午前9時現在、25万筆を超えた、という。

バッハ会長の真意を知っている人たちは、そういう裏の情報を含めて、中止論は、語らない。IOC関係者が語らないのならば、JOC関係者も語らないだろう。それが、OC(各地のオリンピック委員会)に関わる組織人の利口な言動だと思い込んでいるのではないか。そこで、マスメディアが、情報取りのターゲットとする取材対象は、OC周辺で、情報が入ってくるセクションの幹部、ということになる。

OCに関わる政治家や官僚もニュースソースになりうるが、これまでの彼らの言動を見ていると、彼らがもたらす情報は、「裏をとる」取材を続けて、虚実を見極め、フェイクニュースにならないよう、十分に注意をする必要があるだろう。要するに、なかなか、信用できるニュースソースに出会うことは難しい、ということだ。

しかも、今回のオリンピック・パラリンピックは、日本の東京で開催される。目下、コロナ禍蔓延中の、首都圏を軸にする地域で行われ、選手が積極的に出場しても、コロナ禍に足元をすくわれないとは限らない 。例えば、無観客で、選手・役員のみの参加で、選手たちの記録会的なオリンピックになったとしても、開催すべきだ、という議論がある。だが、記録会であっても、各国の選手団・役員団を合わせれば、1万人規模での開催となるだろう。コロナ禍の国内でも、医療提供体制維持に逼迫している中で、選手・役員の彼らが、感染者、あるいは患者になった場合、医療体制は、どうなっているのか。

 ★ 救える命も救えない

500人のボランティア(無料奉仕)医療スタッフを用意しろとか、声が聞こえてきている。実際、「オリンピック・パラリンピックの大会組織委員会が大会中の医療スタッフとして、日本看護協会に看護師500人の派遣を要請したことに対して、看護師たちが反発を強めている」(朝日新聞5・1付け記事)、という。

医療体制は、オリンピックのウチ・ソト(関係者)だけの医療体制の確立にとどまらず、当然、オリンピックの外側(外周)で生活している人々(一般国民)への医療体制と並んで、両者とも、同等の医療の質を担保するものでなければならないだろう。逼迫する緊急医療体制から、ボランティア分の医療スタッフを引き剥がさなければ、対応は不可能ではないのか。

国民のための医療スタッフを引き剥がして、オリンピック・パラリンピックに貼り付けて、その結果、国民の重症者や死亡者が増えた場合、誰が責任を取るのか。そこまでして、オリンピック・パラリンピック開催を優先して、誰が日本の誇りに思えるのか。マスメディアは、こういう問題点を指摘しているのか。医療の専門家は、広く国民に向けて、発言しているのか。それとも、黙っているのか。

例えば、感染症に詳しい東京医科大学病院・渡航者医療センター特任教授(トラベルメディスン=渡航医学)の濱田篤郎(はまだあつお)さんは、オリンピックを開催するための必須条件として「医療資源の確保」を挙げている、という。4・29付けの毎日新聞記事デジタル版。 *以下、引用。

*「医師や看護師らが新型コロナウイルスの感染者の治療や対応に当たり、ワクチン接種にも医療従事者が必要になる。国民の優先順位はこの二つにある。その上で、五輪開催に医療資源を割けるかどうか」とした上で「それが難しければ中止を選択するしかない」と断言する。
濱田氏は五輪開催に当たって対応が迫られる課題として、まず変異株への対応を挙げる。「日本は外国人の新規入国を原則禁止するなど『鎖国状態』にあるが、それでも日本人の帰国者から変異株が見つかっている」と指摘する。五輪では1万人を超える選手を含めて、コーチや審判、報道関係者ら万単位の人数が入国する見込みだ。濱田氏は「人手が大変な検疫に、さらに大きな負荷がかかるのは避けられず、変異株が増えるリスクは高くなる」と語る。 引用終わり。

贅言;濱田篤郎、1981年、東京慈恵会医科大学卒業。84~86年にアメリカの Case Western Reserve 大学に留学して、熱帯感染症学・渡航医学を学んだ。

濱田篤郎教授の言うように、オリンピック・パラリンピックをこのまま、強行すれば、コロナ禍対応に深刻な影響が残るのではないか。医療面だけでも、オリンピック関係者の医療提供体制に直に響くだけではない。一般国民の医療提供体制にも直に響く。何人もの人々が感染し、最悪の場合、死に至る。

重ねて、警告したい。派閥力学を利用して政権を手に入れただけの政治家。目下、一人の政治家に過ぎない政権の責任者が、責任をとるだけでは済まされない事態に、日本国民は追い込まれている。ことは、もはや、そればかりではない。日本国民だけでなく、世界の人々の生命を守るためにも、オリンピック・パラリンピックは、中止か延期をすべきだろう。マスメディアで活躍するジャーナリストたちよ。東京から真実の情報を取材し、精査し、それを発信し、そういう声の輪を広げようではないか。

今回のコロナウイルス(変異株ウイルス、N501Y)の「襲来」は、西から日本列島を襲ってきている。吉村大阪府知事が率いる「大坂城」ならぬ大阪城は、海から侵入した敵軍に囲まれて、5月上旬、あわや落城の危機に瀕している。東京より先行している変異株が、蔓延中、ということだ。変異株「コロナウイルス」は、従来型の「コロナウイルス」と名称は同じだが、中身が違う、と専門家たちは言う。それでもなんとか、持ちこたえて、逆襲して欲しい。

ウイルスに感染した患者ばかりでなく、一般の患者も、既に適切な医療が受けられないほど、大阪では、「医療体制の崩壊」という事態に入ってしまったようだ。今回の大阪は、日本列島を代表して、変異株コロナウイルスに立ち向かっている。東京は、大阪よりコースで1周程度、遅れている、というイメージだったが、追いつかれた。変異株ウイルスの違いで、感染が遅れているだけで、目の前で繰り広げられるコロナ禍の大感染・再感染(従来型と変異株との入れ替わり)の現場は、嘘偽りなく「明日は、我が身」という悲壮感に満ちている。

実際、その後(5月上旬)、変異株ウイルスは、明らかに、大阪から東京に移った、ようだ。「東京城」を率いる小池東京都知事も、悲壮感を募らせているようだ。大阪城が持ち堪えられなければ、東京城も持ち堪えられなくなるのではないか。誰でも容易に思いつく予想だ。悲鳴に近い言葉が、このところ、彼女の口から飛び出してくることもしばしばある。深夜、密室に閉じ籠り、思いっきり、悲鳴でもあげないと、精神のバランスを欠きそうな気がするのは私だけではないだろう、と思う。

西軍頑張れ、東軍頑張れ。オールジャパンで、コロナ感染再拡大を抑制しなければならない。できるだろうか。「オリンピック中止」は、大きな声で、誰も言い出さないまま(やっと、声が聞こえ出した)、ずるずると、開催になってしまうのか。無観客で、記録会のようなオリンピック開催になったとしても、世界各国から集まってくる選手や役員だって、よりタチの悪い変異株ウイルスとともに、入国してくる可能性は、間違いなく、いや、必ずあるだろう。

 ★ 付記:変異株ウイルス対処法(内藤祥報告・引用篇)

新型コロナウイルスについて、変異型、変異種、変異株など、細かな表記が異なって使われていて、素人の読者には、戸惑いの元になっているようである。私も、同断なので、専門家の解説を紹介したい。インターネットで検索し、いろいろ読んでみたが、以下の説明が、コンパクトにまとまっていて、読みやすい。判りやすい。判りやすい説明は、皆で、情報共有化しよう、ということで、筆者には無断なまま引用するが、この場から、お許し願いたい。
以下、引用。ほぼ原文ママ。データは、内藤祥報告発表時のママ。

*「新型コロナ 変異ウイルスって何ですか(変異株とは)?」

(略)

ウイルスとは、体を作る設計図である遺伝子とそれを包む殻の2つから成り立つ極めてシンプルな構造体です。
すべてのウイルスに言えることですが、自らの種が生き永らえるために、ウイルスは常に遺伝子の突然変異を繰り返して少しずつですが絶えず変わり続けているという特徴があります。ウイルスも他の生物と同様に、種の繁栄のために進化しているとも言えるでしょう。

(略)

コロナウイルスは突然変異がそれほど多いウイルスではありません。ただこれだけ世界で蔓延してウイルスの絶対量が増えると、すでに世界のあちこちでコロナウイルスが突然変異を繰り返して増えていて、少しずつ形や特徴の違うコロナウイルスが多種存在しているというのが現状です。

* 変異ウイルスは従来型ウイルスと何が違うの?

ウイルスの遺伝子が突然変異を起こしても、通常は少し形が変わったり特徴が変わったりする程度で、ウイルスとしての個性に大きな変化はありません。
ただ何度も突然変異を繰り返していると、稀に人間にとって都合の悪い(人間の体に入りやすかったり、免疫攻撃が効きにくかったりする)ウイルスが出現し、人間への感染性を大きく変えてしまうことがあります。

大阪ではこの遺伝子の突然変異によってたまたま人の体に侵入しやすく強い感染力を獲得してしまった変異ウイルス(主にイギリス型)が大流行してしまい、感染拡大が止まらない状況となっているのです。

* 変異ウイルスはどのくらい広まっているの?

人間に悪影響を及ぼすような特徴を新たに獲得してしまった変異ウイルスは、その感染力で瞬く間に世界中に広がっていきます。現在、世界で猛威を奮っている新たな変異ウイルスは主に3種類で、イギリス型、南アフリカ型、ブラジル型、と呼ばれ騒がれているのをニュースでも日々耳にしているかと思います。昨日4月13日時点でイギリス型の変異ウイルスは世界(全体196のうち)132の国や地域に拡大し、南アフリカ型が82、ブラジル型も52の国や地域に広まっていて、実はもうほとんど従来型のウイルスは勢いを失い、新たに突然変異した変異ウイルスが世界中のコロナウイルスの主流となっています。

東京都での4月第一週目の調査では、従来型のコロナウイルスはすでに全感染者の4分の1にしか確認されておらず、残りの4分の3は新たな変異ウイルスによる感染に置き換わってしまっています。

* 変異ウイルス3つの疑問

従来のウイルスに比べ、変異ウイルスは人にとって都合の悪い特徴を3つ持っています。

1つは感染力が高いこと。これはウイルスが人の細胞に入りやすく変異した結果です。例えば、イギリス型の感染力は従来型の約1.3倍というデータがあります。また子供にも感染する可能性が高くなりました。

2つ目の特徴は重症化や死亡のリスクが高いこと。これは人間の体が持つ免疫力や抵抗力をかいくぐる特性を変異ウイルスが獲得してしまったためです。人間の体内に入ったウイルスに抵抗する手段がなく重症肺炎や多臓器不全を引き起こします。

3つ目はワクチンの効果が減弱すること。抗原性の変化(表面のトゲトゲの形状変化による)とされています。ただ今のところはファイザー社を始め大手各社のワクチンは、効果が減弱した上でも、接種により十分な予防効果を発揮できるとしていますので、現状のワクチンの接種が推奨されることには変わりありません。

* 今後のコロナワクチンの行方

コロナウイルスは今後も突然変異を繰り返しながら世界中で生き延びていくことが予想されています。ここで述べた3つの変異ウイルス以外にも、すでにフィリピン型やカリフォルニア型などのさらに厄介な特徴を持った変異ウイルスが確認されています。

ただ一方で、コロナウイルスに対するワクチンの開発も世界中で数百におよぶ開発プロジェクトが進行中です。
人類の歴史はウイルスとの戦いの歴史である、と言う研究者もいるくらいで、これから先しばらくはコロナウイルスの突然変異と新たなワクチン開発のイタチごっこになるのかもしれません。
以上、長めの引用終わり。

贅言;筆者は、内藤祥氏(医療法人社団クリノヴェイション理事長)。
内藤祥「新型コロナ 変異ウイルスって何ですか(変異株とは)?」東京ビジネスクリニックのデジタル情報に掲載(2021.04.15)。

マスメディアの報道(複数)によると、アメリカのバイデン政権は、新型コロナウイルスのワクチン開発普及を後押しするために、メーカーに対して、「特許(知的財産)の保護義務を一時免除する」(つまり、ワクチン特許を一時的に、例外的に開放する)ことにした、という。この結果、コロナウイルスの突然変異と新たなワクチン開発のイタチごっこ、というバランスが変わってくるかどうか。

 ★ どこまで続く、ぬかるみぞ

4・23、菅政権が率いる日本政府では、三度(みたび)の「緊急事態宣言」を正式に発出すると発表された。第三次「緊急事態宣言」は、4・25から5・11まで、という。なぜ5・11なのか。菅政権は、5・11のゴールにどういうイメージを構築して、突き進んで行くつもりなのだろうか。5・11をコロナ禍最後の日と位置付けて(つまり、変異株ウイルスに「白旗」を掲げさせるような施策を実施する、という意味)、そこへ至るロードマップを用意しているのだろうか。それとも、単なる「スケジュール闘争」で、行程表のポイントを通過(消化)するだけで良いとでも思っているのだろうか。菅政権の主軸メンバーの言動を見ていると、後者の印象が私の胸中から拭いえないのが、残念だ。

4月23日の首相会見を見ていても、ゴールのイメージが、的確に伝えられたとは、言い難いのではないか。そもそも1、2年の間に3回も「緊急事態」を招くような対策では、それは、失敗以外のなにものでもない。今回の宣言の延長前の対象は、東京、大阪、京都、兵庫の4都府県。いずれも、地元の知事からの悲鳴を受けて、やっと政権が動き出す、というゴテゴテ(後手後手)判断の政策には、変わりがない。リーダー失格をイメージするなら、この人の顔を思い起こせば良いだろう。簡単なことだ。

23日夜、首相官邸で記者会見の臨んだ菅首相は、冒頭から「再び多くの皆さまにご迷惑をおかけする。心からお詫び申し上げる」。この人は、1ヶ月ほど前の同じ記者会見で「再び宣言を出すようなことがないように対策をしっかりやるのが、私の責務」と、同じ口で言った人だ。宣言、延長、全面解除、再度の宣言。これは、総士の作戦判断の言葉では、ありえない。最高軍司令官の危機意識も、当事者意識も、責任感も、ない。顔つきがおどおどしていて、見ている側が辛くなる、という印象だった。記者会見で、孤独な、一人っきりで壇上に立ちながら、それでいて緊張感を感じさせないもの言いしかできない男の貧相な影がある。

記者会見の最後。「制約を強いられる結果になったことについて、大変申し訳なく思う。是非もう一度、ご協力をお願いしたい」。夜の飲食店での営業時間短縮要請、酒類提供の自粛、休業という「宴会禁止」対策から、人の流れの抑制(自粛)要請対策へ。政策の根幹が、大きくカーブを切ったようだが、肝腎の政策判断のミスについては、総括も無し。新たな政策決定への青写真も無し。二重変異ウイルスとの「戦闘」期間(見込み)は、短いのか、長いのか。戦略も解らない。誰が、戦闘期間を17日間と精査し、これで勝てると判断したのか(実際、勝てなかった)。これで、ウイルスとの戦に勝てる見込みはあるのか。

新たな敵は、従来の新型ウイルスではなくなっている。変異ウイルス(変異株ウイルス)という悪賢い別の存在だ。敵の正体はわかっているのか。二重変異ウイルスとは、これまでの変異種に比べて、どれだけ脅威なのか。敵に向かって、国民総当たり(各世代共闘)で戦わなければならない。宣言解除の日(5・11)の対応は、どうなるのか(5・7付けで、5月末まで延長された)。ウイルスに致命傷を与えるような施策が取れるのか。緊張感もないまま、期間だけ延長したスケジュール闘争をするだけなのか。考えるだけでも、頭が痛くなる。

目下は、二重変異ウイルスが猛威を振るっているが、さらに、三重変異ウイルス出現、というニュースも入ってきた。V328N。ウイルスは、日々変異している可能性がある。ウイルス禍の道は、くねくねとしていて見通しが悪い。まさに、どこまで続く、ぬかるみぞ、である。

贅言;「緊急事態宣言」は、1回目が、2020年4月発出。安倍政権。2回目が、2021年1月発出。菅政権。3回目が、2021年4月発出。菅政権。
5・3の憲法記念日。憲法改定問題が、この日一日に限り、新聞の紙面に溢れる。今年の紙面では、例えば、朝日新聞5月3日付の社説で、「コロナ禍や未知の感染症など緊急事態への対応」が、自民党の一部で憲法の緊急事態「条項」と絡めて論じられていることを伝えている。マスメディアは、感染症対応のための「緊急事態宣言」で法的対処をすることと、治安問題まで含む「緊急事態条項」(自民党の案では、「戦争・内乱・大災害などの場合に、国会の関与なしに内閣が法律と同じ効力を持つ政令を出す仕組み」)の憲法への付加とは、全く本質が違うことを丁寧に解説すべきだろう。コロナ禍への対応としての「緊急事態宣言」が、自民党の憲法案の「緊急事態条項」による「宣言」と、意図的に混同される危険性はある、と私は危惧している。

5月7日、「緊急事態宣言」は、当初予定された11日から、31日まで延長された。7日夜、首相官邸で記者会見の臨んだ菅首相は、「緊急事態宣言」の延長を発表したが、当初目論んだ「短期決戦」で、捗々(はかばか)しい結果が出せなかったことに対する敗北宣言のような印象を、私たち国民に与えた。決して、敵を追い詰め、最後の決戦で、「首を取るぞ」という意気込みが感じられる記者会見ではなかった。国民に我慢を強いる「お願い」ばかりが虚しく聞こえる。

自信を持って、リーダーシップを発揮しない。中途半端な政策を小出しにして、無責任なお願いばかりをしたがる。これでは、政権が熱望する外出の自粛策が、国民の胸を打ち、効果を上げるまで徹底的に浸透するはずがないではないか。説得力のあるデータ分析や判りやすい表現の解説なくして、いくら「スウさん」に頭を下げられても、国民は、いいかげんうんざりするばかりだろう。

緊張感を持って、危機感を国民皆が共有して、延長したという印象ではないのは、なぜだろうか。積極的に、前に足を踏み込んで、新たな段階に入るという印象がないのは、なぜだろうか。大阪では、重傷者のベッド利用率が、100パーセントを突破した、というのに。日々、多くの国民が死んで行く、というのに。

 ★ なぜ? 映画『日蓮と蒙古大襲来』を私は連想するのか。

ここで、ちょっと、横道道草之助(よこみちみちくさのすけ)へ。
急がば回れ!

突然、映画の話。それも、60年以上昔に公開された映画。コロナ禍とは、全く無関係なのに、私の意識下で、変異が起こった。コロナ襲来 → 蒙古大襲来 → なぜか、私は、『日蓮と蒙古大襲来』という映画のことを連想したのか。

大映映画『日蓮と蒙古大襲来』という作品は、1958年10月、封切り公開。1947年生まれの私が、子供のころに観た映画。11歳の小学生が一人で封切館に行き映画を観たわけではないだろうから、封切り後、話題になった映画が場末の映画館に流れてきたのだろう。1959年か1960年辺りに、自宅の駒込に近い巣鴨辺りの映画館で観たのではないか、と思われる。
現在では、「おばあちゃんの原宿」などと言われ、「お地蔵さま」の縁日には、商店街も賑わう巣鴨。当時、巣鴨地蔵がある商店街の横道から商店街裏側にある○○映画館(館名失念)に通じる通路があった。映画館の料金は、3本立て、55円くらいだったか。一度しか観ていなかったと思うが、長谷川一夫が演じる日蓮像が、60年以上経った現在も、くっきりと眼裏に浮かぶ。九州の海で繰り広げられる海戦を描いた迫力ある特殊撮影も印象的だった。

映画のタイトルの中にある「蒙古」とは、今のモンゴルであるが、映画の製作者は、なんと、「永田ラッパ」で知られた永田雅一(ながたまさいち)。大言壮語が持ち味の語り口で知られたので、「永田ラッパ」と渾名(あだな)がつけられた。そういえば、私が現役の記者をしていたころ、どこも、職場には、大言壮語するオヤジが一人くらいは居て、「○○ラッパ」とか、渾名がつけられていたことを思い出す。マスコミの職場などでは、学生時代は、体育会系という出自の記者などが多く、部会の後の打ち上げ(懇親会)などでは、裾が長い学ラン(学生服)こそ身に着けていないものの、心には「学ラン」を身に着けて、という印象のまま、「○○部グアンバレ(頑張れ)」という応援団ばりの放歌高吟ぶりで、「エール交換」と称する応援合戦のような大声を出して、ゲキ(檄)を飛ばす場面があったものだ。だから「○○ラッパ」と渾名されても、ご本人は、上司や同僚から○○部のリーダーとでも認められたような気になってしまい、得意がるばかりであった、ようだ。

 ★「蒙古襲来」という歴史

「蒙古襲来」は、教科書でも学んだように、当時、歴史書では、「元寇(げんこう)」と呼ばれた。元寇とは、日本の鎌倉時代中期、当時モンゴル高原と中国大陸を軸に、東アジアや北アジアを支配していたモンゴル帝国(「元(げん)」と呼ばれた)・朝鮮半島の高麗とともに、日本侵攻がなされた。2回にわたる「蒙古襲来」は、接近した台風によって、日本は、侵攻を免れた。日本では、1回目の侵攻を「文永の役(ぶんえいのえき・1274年)」、2回目の侵攻を「弘安の役(こうあんのえき・1281年)という。特に2回目の「弘安の役」において日本を侵攻した艦隊は、当時では、世界最大規模の艦隊であった、と言われる。

私が都立高校(旧制東京府立○中、というナンバースクールから新制高校になった)で学んだ日本史でも、蒙古襲来は、取り上げられていた。私が在学中、当時、日本史の担当教員は二人いて、一人は、網野善彦先生、もう一人は、高橋○○先生。私たちのクラスで日本史の教鞭をとったのは、残念ながら、網野善彦先生ではなかった。高橋先生。教壇の上で、ひたすら教科書を読み上げ続けるという授業をしていた、あまり有能とは言えない先生だったような記憶しか残っていない。高橋○○先生。高橋先生の本名は、覚えていないが、渾名は、覚えている。「高橋虫麻呂」。高橋虫麻呂は、万葉集に歌を遺す歌人(下級の軍人か、役人か)で「たかはしのむしまろ」と読む史実の人である。なかなか、硬派の健児だったようだ。

私たち高校生は、生意気ながら、先生を「▽▽先生」と呼ばずに、親しみを込めて「▽▽さん」と呼んでいた。だから、網野先生は、「網野さん」と呼んだ。しかし、高橋先生は、「高橋さん」ではなく、仲間内では「むしまろ」「たかはしむしまろ」と呼び捨てにしていた。なぜだろうか。

贅言;天平4(732)年、奈良時代の公卿「藤原宇合(ふじわらのうまかい)卿の西海道節度使(せつどし)に遣(つかわ)さるる時、高橋連虫麻呂の作る歌一首」が万葉集に記録されている(万葉集巻6—971・972)。藤原宇合卿に付き添って、赴任する部下であったらしい。藤原宇合の初名は馬養。右大臣・藤原不比等の三男。藤原式家という家系の祖。節度使とは、中国古代の官職名。 軍を指揮する皇帝の使い、という意味。

専門家の評価では、高橋虫麻呂は、「修辞・表現も異色であり、いわゆる宮廷歌人の流れとは一線を画する特異な万葉歌人として注目される」という。伝説上の人物など「類例の少ない素材を好んで用い叙事的に歌うのが特色で、叙事歌人、伝説歌人」と呼ばれた、とも言われる。物語(フィクション系)の異能の人であったらしい。

例えば、以下のような歌。

・千万(ちよろづ)の軍(いくさ)なりとも言挙げせず取りて来(き)ぬべき男(をとこ)とぞ思ふ

・葛飾(かつしか)の真間(まま)の井見れば立ち平(なら)し水汲(く)ましけむ手児名(てこな)し思ほゆ

だから、都立高校教諭時代の網野善彦先生は、高校生相手にどういう教え方をしていたのだろうか。授業ぶりなどをよく知っているわけではなく、また、網野先生の噂なども、ほかのクラスからは、聞こえてこなかったように思う。その後、網野さんが、都立高校教諭から国立名古屋大学の専任講師に栄転され、大学教員・日本の中世史研究者として、やがて著名になって行く過程は、側(はた)から傍観している、という感じではあった。

しかし、私と網野善彦先生は、別の接点があった。というのは、中学生時代にジャーナリスト(当時は、新聞記者)志望だった私は、高校時代は、入学から卒業まで新聞部の部員であり、網野善彦さんは、新聞部の顧問を勤めていたのだ。新聞部の編集方針について、高校当局の執行部から注文がついたりした時に、私たちと当局の間に入って、「困りましたね」などと言いながら、私たちの主張にも熱心に耳を傾けていた姿が、印象的であった。当時の高校生の間で、網野善彦史学が、注目されていたわけではなく、後に、網野善彦史学が喧伝されて、ユニークな中世史学家・網野善彦誕生になろうとは、私も思ってもいなかった。中世史学研究者が、あの網野善彦新聞部顧問だった、と私が初めて認識したのは、大学生になってから、ということであった。

古代から中世にかけて、「遍歴する非農業民」の存在を重視する網野史学は、網野先生が、新視点で切りこんで新しい中世像を構築していた。私も、そういう高校時代の「地縁」のような感じを大事にするとともに、網野史学の斬新さに酔い、大学時代には、幾つもの著作を読んだものだった。「蒙古襲来」でも、網野さんの問題意識は、「前近代における最大にして、ただ一つ外寇が、日本の社会・政治にどういうような影をおとしたかを明らかにする」、というものであった。つまり、言い換えれば、「混乱の中にあって、危機にどう対処したのか」を歴史から学ぶ、ということだろう。それなら、その問題意識は、まさに、コロナ大襲来という混乱の中で、菅政権は、危機にどう対処しているか、検証するという私の問題意識と重なる、ということではないか。

 ★ 映画『日蓮と蒙古大襲来』とは?

この蒙古襲来を素材に、映画作品にしたのが大映(大日本映画)。社長は、永田雅一(ながたまさいち)。日蓮宗の熱心な信者である永田雅一が、製作責任者となった映画『日蓮と蒙古大襲来』の内容には、今回は触れるまい。

というのは、この映画は、「日蓮上人と蒙古襲来の物語を、歴史の事実から飛躍して自由に創作したスペクタクルもの」だからだ。渡辺邦男と八尋不二の共同脚本を『おこんの初恋 花嫁七変化』の渡辺邦男か監督、『忠臣蔵(1958)』の渡辺孝が撮影した。『花の遊侠伝』の長谷川一夫を筆頭に、『炎上』の市川雷蔵、『花の遊侠伝』の勝新太郎、梅若正二・淡島千景・叶順子らのオールスターキャスト。1958年製作/138分/日本。

確かに、永田雅一は、癖が強すぎる。日本の国難には、「神風」が吹き、助けてくれる、というような意識を、戦後13年ほどで、チョビ髭を生やした永田ラッパが、少年の私の胸中に奇妙なメッセージを埋め込んだ映画だったような気がする。だからこそ、私は、「襲来」という言葉で、コロナと蒙古襲来を連想させられたような気がして、たちまち、警戒感を抱いた。

『日蓮と蒙古大襲来』のスタッフ帳から、以下、抜粋した。

製作:永田雅一
企画:辻久一、税田武生
監督:渡辺邦男
脚本:八尋不二、渡辺邦男
(以下、略)

さて、出演者は、豪華である。特に、脇役が凄い。演劇のジャンルを超えて、癖のあるというか、味のある役者ばかりが出ている。

日蓮(得度・出家した際は、「是聖房蓮長」):長谷川一夫/四条金吾:勝新太郎/日朗:林成年/比企小次郎:梅若正二/吉野:淡島千景 /萩江:叶順子/日昭:黒川弥太郎/平左衛門頼綱:河津清三郎/依智の三郎:田崎潤/重忠(日蓮の父):千田是也/宿谷入道則光:松本克平 /極楽寺入道重時:永田靖/老武士:左卜全/比企大学:石黒達也/弥三郎:志村喬/道善:中村鴈治郎 /梅菊(日蓮の母):東山千栄子 /弥三郎の女房:浦辺粂子/平景信:千葉敏郎 /河野通有:島田竜三/浄観 - 舟木洋一/北条時宗:市川雷蔵/竹崎季長:伊達三郎/蒙古の使者:羅門光三郎/四条兵衛:見明凡太郎/良寛:荒木忍/東条景信:沢村宗之助/八郎左衛門:花布辰男/道慧 :上田寛/浄顕:原聖四郎/町人:天野一郎/村人:石原須磨男/北条実政:香川良介/少弐資能:杉山昌三九/尼御前:村瀬幸子/長屋の女:若杉曜子/白拍子:浜世津子/新潟の女:大美輝子/尼御前の侍女 - 春風すみれ/逃げてくる女:橘公子/南部彰三/寺島雄作/葛木香一/東良之助/水原浩一/五代千太郎/光岡竜三郎/尾上栄五郎/南条新太郎/志摩靖彦/市川謹也/芝田総二/金剛麗子/緑美千代。

大部屋の役者衆も多いが、インターネットで検索してみると、役名も載っていない端役の役者でも、経歴が記録されていて、1年に何件か出演している映像がDVDで残っている。こういう画面の裾野を埋める役者衆がいないと、映画は隅々まで埋め尽くすような存在感のある映画は、できないということだろう。

例えば、志摩靖彦(しま やすひこ)は、1913年3月23日生まれ、1991年3月16日没。本名は嶋 正朶(しま まさえだ)。旧名は島 泰彦。東京の本所出身。私は、志摩の顔を思い出せない。しかし、彼は日本映画の70作品に出演したという記録が残っている。大映(多くは時代劇映画)、東映(多くは実録もののヤクザ映画)、東宝や松竹(喜劇映画)。

 ★「大日本映画」社長・永田雅一

永田 雅一(ながた まさいち)は1906年生まれ、没年が1985年だから、享年79。当時では、長生きした方だろう。

さて、本流の「永田ラッパ」さんは、経歴が、前半と後半で大きく遍歴する華やかさだ。生家は京都の染料や友禅の問屋だったが、幼いころから家運が傾き始め、貧乏な家庭に育ち、苦労して生きてきた。学歴も小学校卒業と乏しく、1919年、青雲の志を抱いて上京したが、思うように人生を開けなかった。1923年9月1日、関東大震災発生。神戸経由で京都に帰郷。

多感な青年時代、永田は、ヒロイズム的な感性から次第に社会主義に関心を持ち始め、特高警察に尾行されたりした。

マキノ兄弟との縁から、1925年、日本活動写真(今の日活)京都撮影所に入所した。駆け出しの永田は、いわば「便利屋」として働き、持ち前の雄弁さと、人をそらさない社交術で人脈を築いていった。海軍軍人出身で、実業家、政治家となった藤村義朗、サイレント映画時代の日活スターであり、戦後は参議院議員にもなった浅岡信夫、政治家の望月圭介らに気に入られ、映画界から政界に通じる足場を構築して行った。

戦後は、保守の大物政治家、河野一郎、岸信介らと交流し、政界のフィクサー役を任じていた時期もある、という。特に、警職法改正で閣内が分裂していた際に、当時の岸首相が保守の陣営の重鎮・大野伴睦に「政権禅譲」の密約を交わした際に、「政商」として保守陣営の党人派政治家と交流を持っていた萩原吉太郎や日本の右翼活動家の大物で政財界の黒幕と呼ばれた児玉誉士夫とともに、密約の立会人になったとされているなど、保守政界の裏面で暗躍していた、という。

1934年、日活を退社し、第一映画社を創立する。1942年、政府の勧奨で映画会社が統合される際、当局に掛け合って新興キネマと日活を軸とした第三勢力による統合を認めさせ、「大日本映画製作(大映)」を成立させる。成立と同時に作家・菊池寛を社長に担ぎ出し、自らは専務に就任する。1947年には、社長となる。1948年1月、公職追放になるが、間もなく追放解除となり社長に返り咲く。

「大映」という愛称で親しまれた映画会社だが、「大映」が、「大日本映画」の略称だとは、知られていなかったかもしれない。「東映」が、東京映画の略称だとしたなら、「大映」が、「大阪映画」の略称かくらいの認識の人の方が多かったかもしれない。いま改めて調べると「大映」は、「大日本映画」だった。「東映」は、「東京映画」ではなく、略称なしの「東映」で、「東京映画」は、「東宝」関連の別の子会社の名前で、「東映」という略称は使用していなかった。

永田は、大映社長として、映画「羅生門」などを製作、映画プロデューサーとしても活躍した。このほか、プロ野球大映球団のオーナーにもなり、パ・リーグの初代総裁となる。のちに、1988年プロ野球殿堂入り。馬主としても知られた。最近のスマートな企業人とは、ひと味もふた味も違う。確かに、野性味のある異能の人であった。

映画『日蓮と蒙古大襲来』と緊急事態宣言中の「コロナ禍襲来」とは、なんの関係もない。ただただ、この連載を書くにあたって、私の発想のきっかけとなった、という事実だけを私のために記録しておきたい。

「蒙古襲来」、二度にわたるモンゴル軍の来襲は、鎌倉幕府にとっても、御家人・民衆にとってもこれまでにない試練だった。幕府内部の権力争いは激化し、天皇とその周辺も幕府打倒へと動いた。鎌倉幕府の、いわば「幕末期」。農村・漁村・都市の分化など、社会構造も大きく動いていた。コロナ禍は、まだ、総括するような段階ではないが、社会のありようを大きく変革しようとしていることは、間違いない。そういう意味では、歴史の何かが、今、この世界に襲来しているのではないか。

従って、今回の「代物」とは、3つ。
「コロナ変異株」、「網野善彦」、「永田雅一」。

最大の代物は、コロナ変異株。日本のコロナ禍は、3度目の「緊急事態宣言」発出とは言え、客観的に見れば、中途半端な政策を3回も小出しに打ち出しただけで、ウイルスにとって、どれも「致命的」となるような効果を上げることができなかった、ということだろう。ウイルスに対して、恥ずべき施策結果だったのではないか。「網野善彦」、「永田雅一」は、私のイメージの中の「蒙古襲来」の、裏表。混乱の極みになってしまったコロナ禍という危機を誰が責任を持って、対処できるのか、を改めて指摘してくる。

付記:
今月は、原稿では、歌舞伎や人形浄瑠璃のことに触れなかったが、歌舞伎座の五月歌舞伎については、上演記録だけでも残しておきたい。

* 歌舞伎座五月歌舞伎演目と出演者。
歌舞伎座は、ひと頃の四部制は、改まったが、今も三部制が続く。各部完全入れ替え制。通しでチケットを買っていても、退出、入室の指示に従わなければならない。係員に誘導されて、一旦、出て入り直さなければならない。短い幕間。四部制では、幕間がなかった。座席での食事は禁止。客席では、最低限の水分補給のみ。アルコールは、禁止。古典の演目の「本来の」長さを切り詰めて、つまり、余情・余白を切り詰めて、ということは、歌舞伎味を犠牲にして上演している嫌いがあるように思えるのは、残念だ。

第一部「三人吉三巴白浪」大川端庚申塚の場、「土蜘」。第二部「仮名手本忠臣蔵」道行旅路の花聟、六段目・与市兵衛内 勘平腹切の場。第三部「八陣守護城 湖水御座船」「春興鏡獅子」。
5月3日が初日の予定だったが、4月に発出された緊急事態宣言発令中とあって、11日まで公演中止。12日から開演。

第一部では、「土蜘」に松緑主演。源頼光に猿之助。第二部では、六段目、菊五郎得意の勘平。おかるは、時蔵。不破数右衛門は、左團次。第三部に佐藤正清役で出演予定だった吉右衛門は、先々月、都内のホテルで会食中に、心臓発作を起こして倒れ、救急搬送され、その後、療養中ということで、休演。代役は、歌六。「春興鏡獅子」では、小姓弥生を菊之助が演じる。総じて、尾上右近、梅枝など若手が抜擢されている。

なお、歌舞伎座六月歌舞伎では、第三部で、日蓮聖人降誕八百年記念と角書きをつけた新作歌舞伎「日蓮」を上演する。主演と演出は、猿之助。主な配役は、以下の通り。日蓮:猿之助、最澄:門之助、日昭:隼人、阿修羅天:猿弥、善日丸:市川右近、道善坊:寿猿、日蓮母梅菊:笑也、賤女おどろ:笑三郎ほか。

* 人形浄瑠璃の人形遣い・吉田簑助(87)が、国立文楽劇場(大阪市)の4月公演で、引退した、という。
4月公演が最後の舞台となる。東京の国立劇場(小劇場)では、簑助最後の舞台は、観られないのか。そんな馬鹿な。
文楽協会などによると、4月に入って本人から申し出があったという。簑助は「人形遣いの道を歩みはじめて今年でまる81年。「持てる力のすべてを出し尽くしました」とコメントしている。簑助は1940年、6歳で文楽(人形浄瑠璃)に入門し、桐竹紋二郎を名乗った。61年に三代簑助を襲名。女形、立ち役ともに遣ったが、特に「曽根崎心中」のお初などの娘役は表情豊かで華やか、かれんな芸風で人気を誇った。なかでも初代吉田玉男とのコンビは、文楽(人形浄瑠璃)の人気が盛り返して行く上で中心的な役割を担った。

* 簑助のコメント(書面)全文(原文ママ)。
私、吉田簑助は、2021年4月公演をもちまして引退いたします。
1940年、三代吉田文五郎師に入門し、人形遣いの道を歩みはじめて今年でまる81年。その間脳出血で倒れ、復帰してから22年、体調が思うにまかせないこともありましたが、曽根崎のお初も八重垣姫も静御前も再び遣うことが出来、人形遣いとして持てる力のすべてを出し尽くしました。
今まで応援して下さったお客様、支え続けて下さった文楽協会、日本芸術文化振興会の方々、同じ舞台をつとめた太夫、三味線、人形部の方々、そして何より私の門弟たち、本当に感謝しています。お世話になりました。ありがとうございました。
皆様、どうぞこれからも、人形浄瑠璃文楽を宜しくお願いいたします。
                              吉田簑助

 (ジャーナリスト(元NHK社会部記者)、日本ペンクラブ理事、『オルタ広場』編集委員)

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