【北から南から】
中国・吉林便り(8)

夏は涼しいはずの吉林

今村 隆一


 G20サミットが中国浙江省都杭州市で9月3日開会し、習近平主席の50分に及ぶ基調演説を当日動画ネットで聞き、閉会後の記者会見を当日のTVニュースで見ていましたが長かったので途中までとしました。中国国営TVでは8月中旬から準備状況や地元の市民や関係者の声を伝えていたことから、この会議にかける意気込みが並々ならぬ感じがしました。

 日本の東北と吉林省延辺地方と鴨緑江沿岸に災害の傷跡を残した台風10号が抜けた後の吉林市は、昼間はやや夏が戻った感じでしたが、朝夕は15度位まで気温が下がり寒く感じました。その後も降雨の日が多かったのですが、雨の後は秋の到来を強く感じました。

 中国の新学期は基本的に秋。私の通う北華大学では2~4年生の授業は8月22日から始まりましたが、9月1日から新入生が大学校舎に親に伴なわれ入りはじめ、2日の金曜日はキャンバスに東北三省のナンバーを付けた車が多く並んでいました。携帯電話の売り込みのすさまじさをはじめ、魔法瓶、洗面器、ハンガーや布団など寮生活に必要な物も大学の売店以外の空き地でも売られる光景は新年度の初めを強く感じさせました。

 それにしても今年の夏は暑かったです。私は、航空機費用が高騰する時期は経済的理由に加え、夏休みを涼しいところで過ごしたいので、居住ビザ更新手続き(約1ヶ月要する)も重なり、今夏も日本に帰国しておりません。しかし今年は27・28度位まで気温が上昇すると特に暑く感じましたし最高気温が30度となると夜もさして下がらず、夜寝ていても眼が覚めることが何日もありました。吉林ではエアコンは、レストランの一部には設置しているものの一般家庭では極めて少なく、我が家にもありません。立秋の7日過ぎからは暑さも和らいだ感じがしましたが、南の地方は相変わらず気温が高く、青海省、福建省、海南省、甘粛省、江西省と長江沿岸地区など、8月末も局地的な豪雨による洪水が発生しました。また、TVニュースの画面からアメリカのルイジアナ州とロシアの首都モスクワの洪水も規模の大きさには驚かされました。今年は世界各地で大雨による洪水が発生したり、山火事など異常気象の夏だったようです。

 8月23日は二十四節気の処暑にあたり、この日から暑い夏が終わり、気温が下がっていくと言われているとおり、24日の朝晩は気温も下がり、夜降り始めた雨は翌25日の10時ころまで続き、気温もグンと下がり私も大学に行くときは長袖のワイシャツを着ました。

 私の夏休みは8月21日で終わりで、この間は7月に受けた左足首蛇咬傷の治療・リハビリが生活の中心となりました。従って負傷する前、日帰りで長春に行った以外は吉林市から出ず吉林市豊満区長江街(チャンジァンジェ)の団地に潜んでおりました。

 長春は過去に満州国首都新京と名乗ったことでもあり、長春の都市計画も当時の日本人によるもので、現在の吉林大学の各施設、郵便局、ホテル、共産党吉林省委員会施設等満洲国時代の遺跡が現存、数多く残っています。博物館、動植物園、彫刻公園、児童公園、南湖公園、湿地公園等、見学先も吉林に比べてはるかに多く、関心のある人には街めぐりの対象も多い吉林省の省都で、日系企業も多く日本人も多いと聞いています。

 長春には「小松子」という名で、繁華街でシェラトンホテルに対面した所に出店(開業は2009年夏で3年前に現在地に移転)した日本料理店があり、店主は中国人、と言っても彼の母親は中国残留孤児(婦人)であった日本人です。彼女は1944年中国(旧満州)生まれで、日本人の両親が日本の敗戦で帰国する時、長春の中国人に預けられ育てられました。成長し、養父が死亡する前、名前の書かれた小さな布を渡され日本人であることを伝えられたそうです。その後、夫と娘も一緒に日本に帰国し、現在は中国人の夫と共に帰化し大阪に住んでいます。

 二人とも60才を過ぎてからの海外移住ですから、今も日本語はあいさつ程度で会話はできません。しかし元測量技術者だった夫は、日本の方がいいから離れたくないと。一方の妻は長春の方が気楽で好きなようで、里帰り?はいつも彼女一人です。里帰り先は日本行きを望まず長春に一人残った長男の所です。彼は料理店「小松子」を開業したちょうどその時に私が日本から吉林に来たことで、母親の知人として私を扱い、いつも長春に遊びに来るよう誘ってくれるのですが、私は、吉林と比べ人と車が多く、いつも交通渋滞し、空気の汚れを感じる長春があまり好きにはなれないので、長春に行くことは極めて少なく、彼のお母さんが里帰りして長春にいる時に会いに行くのです。それでも吉林駅から長春駅まで高速鉄道で約30分で到着するので時間的には全く苦にならず、長春に行くときは大体日帰りすることにしています。

 夏休みが始まって間もなく、漢語学習に必須の電子辞書が壊れたための新規購入と、蛇咬傷による治療に思わぬ出費を余儀なくされたことで、私は節約と療養の蟄居生活となり、そこで先ず読書をすることとし、手に取ったのが写真家岡村昭彦氏の『南ヴェトナム戦争従軍記』でした。私は以前から写真家のロバート・キャパ、土門拳、白旗史郎、長倉洋海各氏に何となく惹かれていました。本書は以前友人からもらった本で、なぜか吉林に持ってきていたのです。ルポルタージュは刺激的でした。この本は、岡村氏の体験と世の見方と考え方が私に強烈な印象を残しました。本書を読みながら、今の積極的平和主義と美辞麗句を並べながら実態は逆行、アメリカに偏った安全保障強化など戦争にまっしぐらに進んでいる日本政府の姿勢は50年前と比べ、平和から全く遠のいた感が確信的になりました。

 今年のバングラディシュ・ダッカでのテロ事件時犠牲になった人が「日本人だ。撃たないで」と叫んだ感覚にしろ、去年1月ジャーナリスト後藤健二氏のIS拘束を知りながらエジプトに行き、わざわざISと戦う国に援助すると喧伝した安倍晋三首相の行為は、私にとって「あんたバカか阿呆か」と言う以上の「殺人者」と言いたくなるものでした。そんな安倍自民党や小池百合子氏に投票する有権者が一定いることは、日本の有権者の一部は病んでいると私には審判せざるを得ません。岡村氏のルポを読みながら「進歩って何?」と何度も考えました。日本の平和構築(武装放棄、平和憲法順守、非核原則、集団的自衛権等)は多くの面で50年前よりかけ離れ、一触即発の危険を秘めた好戦的な状況に陥っているように思えます。

 本書を読み終わって本棚に戻したときに、眼についたのが文庫本『魔法の言葉―自然と旅を語る』星野道夫著でした。日本から吉林に運び入れた書籍は100冊足らずで多くないのですが、写真家の著作が続けて目の前に出現した偶然に驚きました。星野氏は主にアラスカの大自然とそこに暮らしている人々(エスキモーとインディアン)と関わりながら、熊、狼、ザトウクジラ、カリブーなどの生態を撮ってきた写真家で、彼も前述の岡村氏同様その土地に生きる人に学びながら限りない憧憬を感じてきたことが判りました。

 こちらのTVのリオ・オリンピック報道は国別獲得メダル数をしきりに報じていて、スポーツを国威発揚に利用するジャーナリズムの実態は日本と変わり無く感じました。スポーツは選手(個人・団体)の表現や力量を、観る者が楽しんだり感動を受けたりするところに意味があるのであって、国別獲得メダル数に一喜一憂する感覚をおかしいという私を、「あんたの方がおかしい」という声も聞こえてきそうですが、しかし国のレベルの審査、程度を図る具では決してない。相撲でもサッカーでも競技者の技量に面白さがあるのであって、勿論異論の存在は認めますが、国籍など関係ナイって日本の多くの人も分かっているのではないでしょうか。日本の卓球界でも多くのコーチを中国から招聘しているように、中国でも盛んなサッカーやバスケットボールなども欧州やアフリカやアメリカから多くの選手やコーチが加わり共に競技し、個人や団体の力量を高めあっています。

 私はオリンピックに大した関心も興味も無かったのですが、卓球の福原愛選手は応援しました。彼女は子供のころから中国で卓球修行をし、その後、瀋陽チームに所属し2年間中国リーグに参戦した経験を持ち、専属コーチも中国人だそうで、中国とは縁が深く、中国人で彼女の名を知らない人がいないほど、人気抜群です。胡錦濤中国主席が来日した時、彼に「あなたは私を知らないと思うが、私はあなたを知っている。」と言われたほどで、二人が卓球しているシーンをTVニュースで見たことがありましたし、今は中国の外交部長の王毅氏が駐日本大使を務めていたころ大使館を訪ね、中国への友好を示しています。私が彼女を応援するのは、スポーツのアスリートとしての活動も素晴らしいと思うより、漢語の発音に遼寧省のなまりがあると言われますが、私には大変美しく聞こえ、流暢で敬服に値するからです。現在の中国では、日本人では文句なく愛ちゃんが人気者の筆頭でしょう。
 結婚して新たな人生を歩まれますが、有名人は大変ですね。

 私は他のスポーツでもマラソンの福士加代子選手、柔道の井上康生コーチも好きで、サッカー男子チーム、バスケット女子チームもオリンピックでの成績は気になりスポーツニュースを追うこともありました。卓球男子決勝はこちらでもライヴTV中継をしていましたので見て日本チームを応援してましたし、陸上男子400mリレー決勝の様子はこちらのTVニュースでも繰り返し放映し、見る度に2位の成果を称賛しました。

 しかし今のオリンピックについては、無いほうが良いと感じています。とりわけ4年後の東京開催は辞退すべきと私は思っています。首相がアンダーコントロールなどと虚偽証言、誘致合戦で贈賄の不正を図っての東京開催は、核被災福島等の原発の危険性現状認識不足、スポーツ選手の人命軽視、一部企業の金儲けでしかなく、不道徳且つ不正義だと思うからです。東京オリンピックについて「おかしいぞ、まずいんじゃない」とはメディアの大半は言っていません。「おかしいぞマスコミ」という叫びを私は発します。岡村昭彦氏は「真実の報道を怠っているマスコミを正すのは民衆の力なのだ、ということを、私はヴェトナムや韓国の民衆から教えられたのでした。」と50年前に記しています。民衆の力は、個人の力が結集し成果を必ず出す、と信じます。

 さて、今年の夏は思いがけないことに“日本的社会変遷与中国”(日本社会の変遷と中国)と題した学術シンポジウムが、吉林市にある五つ星ホテルの世紀大飯店(世紀ホテル:センチュリーホテル)で開催されました。北華大学歴史文化学院が開催幹事でした。私は日頃北華大学東校舎に通って漢語学習と日本語指導をしていますが、住んでいるのは5kmほど離れた南校舎に近い団地で、南校には今夏はグランドに行ってジョギングとストレッチなどを行っていました。この南校に歴史文化学院があるとはこの夏知ったのでした。歴史文化学院は2007年にそれまでの北華大学の「東亜歴史与文献研究中心」(東アジア歴史・文献研究センター)が吉林省からの認可で現在の学院(日本の学部に相当する)となったもので、現在は大学機能(4年制)と東亜(東アジア)研究センターに日本研究所、韓国研究所、東北史地研究所、近代中国研究所の4研究所があり、2015年現在、海外留学生5人を含め106人のマスター研究生を抱えています。

 シンポジウムの日程は3日間でしたが実際は中日の8月12日の1日、午前に開会式と基調報告(2人)、午後は分科会発表(4会場×9人)が、10時半と3時のコーヒーブレイクを挟んだ前後半となっており、この日は朝8時半から午後6時までの会議でした。

 参加者は名簿によると140名で、中国社会科学院、北京大学、天津社会科学院、南開大学、東北師範大学、中国人民大学等の東北アジア研究所や日本研究所など中国全土から集まった研究者(大学や研究所、博物館の先生)たちで、うち東北三省(黒竜江省、遼寧省、吉林省)からが約3分の1を占める46名でした。参加者の多い大学は、地元の北華大学より多かった周恩来元総理の母校である天津市の南開大学17名、次に天津社会科学院10名、長春にある東北師範大学9名でした。この会議は各地持ち回りで毎年行われているとのことです。

 基調報告の1人目は「近代日本の新興宗教と中国」と題して偽満洲国侵略時の新興宗教であった天理教を主とした満洲での宗教活動を。基調報告2人目は「対日本“原生論”再思考」と題した近現代の日本社会の変化について概説したものでした。

 午後の分科会は選択自由でしたので私は前後半とも第4会場に参加しました。
 第4会場の発表テーマを紹介しますと以下の通りでした。

「日本と“9・18事変(柳条湖事変)”の世界世論」
「日本の歴史問題認識の原因分析」
「近代日本思想家西晉一郎の儒学論」
「8~9世紀の中国東北遣隋使活動の探究」
「戦後初期における日本マスコミの戦争責任認識」
「福州事件と中国日本の交渉」
「アメリカ占領期における日本の“戦争記憶”形成過程の研究」
「日本社会の“安重根事件(伊藤博文銃殺事件)”に対する記憶の積み重ね」
「“夫婦の役割分担”から”夫婦共働”に至る両性関係の形成について」
「“関東軍のねらい”から日本の東北移民侵略を見る」
「東アジアから論じる琉球(沖縄)の国家一体性」
「日本の戦争記憶と東アジア平和の道筋研究」
「近代における日本政府当局の対華“諜報工作”のねらいを外務省、軍部、内閣の関係から考察する」
「近代日本における民族拡張論試論」
「東北アジアでの吉野作造の“哲学”を考察する」
「戦前における日本右翼思想の変化と対外拡張を試論する」

等でありました。題目は漢語を私が翻訳したので間違っているかも知れませんがお許しください。

 他の分科会も興味のあるテーマがありました。簡単に列記すると、
「琉球国三司官蔡温研究」
「日本糧食安全保障」
「中国対日本社会党的工作(1960-1962)」
「吉野作造的“哲学”考察」などです。

 この時は途中での分科会場移動に思いが至りませんでした。また、残念だったのは「山口的歴史元素対安倍晋三之影響」というテーマが第4会場で予定されておりましたが、発表されませんでした。これは安倍晋三に故郷山口が与えた影響というものだと思われます。
 今回配布された607頁の厚さ3センチに及ぶ論文集「学術研討会会議手冊」にも登載されておらず詳細は分りません。

 私にとって中国でのシンポジウムは初めての経験なので、基調報告と分科会研究発表は真剣に聴いたつもりですが、すべて漢語でしたので聴いて解らない部分がかなりありました。しかし、中国の研究者の皆さんが多岐に渡って極めて細部にも研究に踏み込んでいることが分かり、視点も知ることが出来、貴重な体験でありました。

 この会議に参加する前、日本研究所の刘先生から「この会場に来ている先生は皆日本語を話せますから」と言われたのは、当然と言えば当然だったでしょう。全ての学者が日本研究をされているのですから。そして報告と発表もコメントの時は誰も毅然とした態度でした。ただ、この会議は公開されておらず、一般参加者は募っていないようだったのが、もったいなく感じ、残念でした。

 会議終了後はホテルの一室で参加者全員での夕食会でした。朝のミネラルウォーターから休憩時間の菓子、ケーキ、ジュース、紅茶、昼食はバイキング、夕食は中華料理と白酒(主に米と高粱から作った酒度の強い中国酒)、ビール他飲料が山ほど、費用は北華大学歴史文化学院負担、言い換えれば公費でした。私は左足負傷が完治していないこともあり、食欲もなく、酒も飲みたくなかったので1時間ほどで中座、帰宅させてもらいました。

 8月15日は日本では「敗戦の日」、日本のマスコミは終戦記念日と報じていますが、中国国営TVでは「“8・15”日本投降日」のタイトルで終日繰り返して、当時の記録を動画と写真で紹介の他、日本軍から親を殺され、今日まで生き延びられた85歳から95歳までの老人達の証言や訴え、南京大虐殺、重慶爆撃、抗日銃撃戦の記録の他、日本人による日本での平和と非戦を訴える運動の様子等を放映していました。

 また靖国参拝の国会議員の他、韓国での慰安婦像の設置と日本批難、とりわけ日本占領から解放された8月15日を韓国では光復日と呼び、この一月、星州市で盛り上がっているアメリカ製高高度ミサイル Zhaad システム設置反対運動の中国国営TV報道は毎日のように継続していています。中国での設置抗議報道は既に2か月を越えています。現在韓国の状況は沖縄辺野古基地建設と高江地区ヘリポート建設強行と同様、韓国と日本が当該地の住民と国民に加え周辺国をも危機に陥れるアメリカ軍事戦略に巻き込まれる危険な状況を如実に感じさせるものとなっています。韓国の反対運動では集会に集まった多くの人が抗議の頭髪(丸刈り)をする光景をニュースで見ることができました。  

 ところで散髪を、私は行きつけのプールのビルの1階にある理容店で1回15元(約255円)でしていますが、家の付近の路上では5元(約85円)で櫛とハサミと電動バリカンを使って10分足らずで済ますことができます。日本では理髪店は保健所の許可を取らなければ営業できませんが、こちらでは許可不要なのでしょう。

 今年は日本に留学した学生が写真や動画をネットに掲載していて、私も閲覧していましたので、日本に留学した学生がそばにいなくても存在が身近に感じられました。 

 天皇「生前退位」ビデオメッセージが8月8日に発表されましたが、何故マスコミは「お言葉」などと敬語を羅列するのでしょう。私は憲法改正すべきは象徴天皇制と皇室の廃止と考えていますので、皇室への敬語に違和感を覚えるのです。また日本語指導で敬語を教える機会が多いのですが、尊敬語、謙譲語、丁寧語及び美化語で接頭語や接尾語も含め過度な使用は、表現として適切ではなく、聞く方も却っていやらしく感じるものなのだ、美しくないのだと教えています。ジャーナリストを含めマスコミ世界で働く人々の表現や言葉の影響の大きさを思うと、忖度や規制のいらない、自由で美しい表現ができる環境づくりがジャーナリスト自身と私たちに課せられていると最近強く思うようになりました。

 (中国吉林市在住・北華大学教員)


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