【コラム】宗教・民族から見た同時代世界

大統領選で思い起こされるフランス社会の移民との軋み

荒木 重雄

 5年ごとに巡ってくるフランス大統領選挙が4月10日に迫ってきた(決選投票は4月24日)。現職のエマニュエル・マクロン大統領に対して、中道右派・共和党公認のヴェレリー・ペクレス候補と、極右・国民連合のマリーヌ・ルペン党首、やはり極右のエリック・ゼムール候補の3人が挑む展開である。

 ◆ どちらを見ても「反移民」

 異色候補として注目されるのが、保守系紙のコラムやテレビのコメントで挑発的な言辞で鳴らすゼムール氏。アルジェリア生まれのユダヤ系という複雑な背景もかかわってか、「今のままではフランスはイスラム教徒移民で置き換わってしまう」、「移民ゼロがわれわれの政治目標」と過激な反移民論を煽り、あっという間に有力候補の一角に躍り出た。

 ルペン氏は、前回大統領選で決選投票まで進んだところから、「責任政党」を意識して「脱極右」戦略をとるが、名にし負う筋金入りの反移民闘士。
 ペクレル氏は閣僚経験もあるベテラン政治家ながら、政策はマクロン氏と大差なく、しかし、なぜか、マクロン氏と決選投票になれば極右支持票の多くが彼女に回るとの予測情報もある。

 そして現役マクロン氏は、燃料税引き上げに反対する「黄色いベスト運動」や、年金制度改革や強硬的なコロナ対策で大規模な抗議デモに見舞われるなど、広く国民に愛されているとはいいがたいが、富豪層には覚えめでたく、移民対策やテロ対策に厳しい冷徹な「隠れ極右」とも噂される。

 となると、左翼の低迷いちじるしいなかで、有力4候補揃い踏みの共通項は、なんと、反イスラム移民を軸とする右寄り路線ということになりそうだ。
 ならば、このコラムでは、フランスの、イスラム系移民と政権との軋みを振り返っておこう。

 ◆ サルコジ時代から緊張が激化

 緊張関係が際立つようになったのは、2001年の米同時多発テロに続く米軍のアフガン、イラク侵攻がもたらした世界的動揺の余波を受けてでもあろう。

 05年10月、パリ郊外でアラブ系とアフリカ系の少年二人が警官に追われた末、不慮の死をとげた事件の処理に反発した移民出身の若者たちが、約二十日間にわたって車への放火や商店への襲撃を繰り返す事態が起きると、当時内相だったニコラ・サルコジ氏(共和党)はこの暴動への仮借ない取り締まりで一躍、名を挙げ、07年には、極右票も取り込んで大統領の座を射止めた。

 10年7月、グルノーブルで移民出身の強盗が警官との銃撃戦で死亡した事件を引き金に起こった暴動でも、サルコジ大統領は自ら現地入りして鎮圧の陣頭指揮をとった。

 暴動の底流にあるのはいずれも移民が置かれた劣悪な環境や貧困問題であったが、サルコジ氏は状況の改善に取り組むのではなく、「移民と国民アイデンティティ省」を新設して「移民」と「国民」を対置したうえ、望ましからざる移民を追い出す「選別的移民政策」の強化に乗り出し、さらに、イスラム女性が纏うブルカを公共の場で着用することを禁じる法律の制定などに走った。

 また、「ジプシー」とも呼ばれるロマ人の摘発・国外追放を強行するなど、自身が、父がハンガリー系、母がギリシャ系の移民二世でありながら、厳しい移民対策に終始した。

 ◆ サルコジ流を批判したオランド政権だが

 サルコジ氏の移民政策を批判し「分断の政治から連帯の政治へ」と訴えて、12年の大統領選を制したのは社会党のフランソワ・オランド氏だったが、15年1月には、パリで、ムハンマドの風刺画を掲載した週刊新聞「シャルリー・エブド」の本社がアルジェリア系移民の二人の兄弟に襲撃され、編集者、漫画家ら12人が殺害される衝撃的な事件が起こった。
 フランス中が激昂するなかで、政府が呼びかけて、全国で300万人以上の市民が参加した「自由の大行進」が組織され、120万人超が参加したパリの行進では、各国要人らと腕を組んで歩くオランド大統領が先頭を飾った。政府は「イスラム・テロとの戦争状態」を宣言し、オランド大統領は空母シャルル・ドゴールを中東の過激派空爆に向かわせると宣言した。

 「史上最低」といわれる10%台を低迷していたオランド政権の支持率は、皮肉なことに、このパフォーマンスで40%にまで上昇し、息を吹き返した。

 さらに同年11月、アラブ系移民を含む8人以上のIS(イスラム国)戦闘員が劇場、料理店などを襲撃し、130人の死者と300人以上の負傷者を出した「パリ同時多発テロ」が起きると、オランド大統領は、国家非常事態法の大幅期限延長や、要注意人物に電子ブレスレットを着用させて監視するシステムを設けるなど、移民と国民全体への監視と管理の強化を進めた。

 ◆ マクロンは宗教冒瀆も容認か

 現マクロン政権下での衝撃的な事件は、20年9月に起こった。先に述べたシャルリー・エブド事件に関連した裁判の開始に因んで同紙が再びムハンマド風刺画を掲載したことが発端となって、同紙旧本社前で男女二人がパキスタン出身の男性に殺害され、二十日余り後には、教室でその風刺画を生徒に見せた中学校教員がロシア南部チェチェン出身の青年に殺害された。

 最も神聖とする存在を卑猥な全裸姿や性的に揶揄する下劣な戯画で冒瀆された者の痛みを一顧だにすることなく、「フランスには冒瀆する自由がある」と言い放ったマクロン大統領は、きたる大統領選を意識した保守層受け狙いの強硬発言を繰り返し、イスラム系移民が集うモスクの監督を柱とする治安強化立法も打ち上げた。

 いやはやである。当時、世の注目を浴びた幾つかの事件だけを取り上げたが、こうした経緯を見ると、移民問題やテロ事件が、歴代政権の求心力浮揚や選挙用に利用されている面さえ見える。
 移民問題は一国だけで片付く問題ではもちろんないが、治安対策だけで解決できるものではないこともまた確かである。

 なお、このコラムではイスラム系移民関係に絞って目を向けたが、大統領選挙においては、経済政策やコロナ対策、降って湧いたロシアのウクライナ侵攻を巡る状況もかかわってくる。とりわけ、マクロン氏については、現職大統領として外交実績を誇る思惑からも、ロシアとウクライナ・米欧の仲介に奔走したが、その姿が、有権者に、成果は得られぬとも奮闘する「平和の使徒」として好感されるのか、それとも、老獪なプーチンに翻弄され軽くあしらわれた「小僧っこ」として失望の対象とされるのかが、大きく左右しよう。そのあたりについては、他のメディアで広く報じられようし、なかんずく、『オルタ広場』の読者にはおなじみのフランス在住の鈴木宏昌氏からの報告が待たれる。

 (元桜美林大学教授)

(2022.3.20)
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