【時世時節】

大谷、菊池を育てた高校時代の監督の信念

羽原 清雅

 甲子園を目指す高校野球の熱戦が各地で続く。半世紀以上前、甲子園まで進出の新潟チームの取材をした筆者も、やはり興奮する。ただ、鳥取・境VS連合の鳥取湖陵・日野チームの36対0といった大差のゲームには、選手たちの心の痛みを感じる。両チームの若者たちの30年後、40年後の交流が実り、団欒の場が救いになろうかとも想う。

 一方、米大リーグで異例の活躍を見せる大谷翔平選手にも魅せられる。体格、体力、素質はあるにせよ、これほどの選手が一体どのように育ってきたのか。
 以前、菊池雄星、大谷選手とその母校・花巻東高の佐々木洋野球部監督の3人が、日本スポーツ学会大賞に選ばれた際、筆者もその席に招かれながら別件で出られず残念な思いがある。でも、このときの佐々木監督の講演「人を育てる」が、同学会代表理事のひとり長田渚左さんが発行する無料誌「スポーツゴジラ」54号に掲載されている。随所に深い示唆を含む内容だが、長文のためここではエキスを要約しながら紹介したい。

 佐々木監督は1975年、岩手県出身、国士館大で野球をやり、02年花巻東高の監督になり、甲子園に春3回、夏8回出場。菊池、大谷のほか、高橋樹也、千葉耕太、松本遼大らのプロ選手を送り出している。

 *岩手県から良い選手が出るようになった理由はふたつ。子どもたちの意識が変わった。選手の意識と意欲を変えることが一番。「プロ野球選手になりたい」など入試の中学生らが言うと、「えらい勘違いだな」と思うが、「ただ良い勘違いでもある」と思う。もうひとつは指導者の意識の変化。昔もいい素材はいたが、育てる環境がなかった。冬はグラウンドが使えず、ひたすら走ったり、雪を固めてサッカーをしたり、ほんとに野球に必要な練習をしていなかった。全国のレベルも知らない井の中の蛙だった。

 *人を育てるのは簡単じゃない。「足が速くなりたかったら、足の速い人のそばに行け」。
 自ら良い場所に行って良い人に触れあうことこそ自分を伸ばしていく、(それが)育てる、ということでは。岩手にもすごい選手がいっぱいいた。岩手と神奈川と同じ日本人の15歳で、能力の差なんてない。現実のこの差は、良い素材はあるのに鍛えられなかった。

 *国士舘大の恩師から「選手に練習メニューを組ませろ」と言われた。選手が作ると、ランニングや守備練習はなくなり、バッティングなど好きな練習ばかりになる。案の定そうなり、でも私が変えてはいけないので、「こないだこういうミスがあったが、あれをやらなくていいのか」という言い方をする。とキャプテンらがメニューを話し合い、どんどん変わっていった。あの時、選手たちが自分で決めたように誘導するノウハウ、技術を手に入れた。

 *高校野球で考えるべきこともいろいろある。時代は変わった。根拠や原理がなくて、習慣や伝統、経験論や精神論だけで行われていることも多い。倫理ではなくてルールの構築が必要。絶対に変えてはいけないものと、完璧に変えなければいけないことがある。この見極めが指導者の仕事。時代の流れの先読みが必要。今、投げさせないことが良いみたいになっているが、ピッチャーは投げることでしか成長しない。いけないのは投げすぎ。球数だけで一律に見ず、人間の身体の機能をよく見、人それぞれカストマイズしていくことが大事では。ストレスのかけすぎは駄目になる。でもストレスでみんな強くなっていく。

 *人に与えなければいけないものは①環境②責任③夢④愛情、の4つ。人にかけてあげなければならないものが4つあり、①時間②良い言葉③期待④負荷(程よいストレス)だ。

 *大谷選手を日ハムに送るとき、「外出禁止にしてくれ」と頼んだ。プロ野球に入ると、いろいろ引っ張り出される。大谷本人には「運転するな。ちゃんとした選手になって買えばいいし、それより運転手を付けた方がいい」。彼は、それを守った。

 *人生で初めて本当に悩んだとき、ナポレオン・ヒル著「思考は現実化する」という本を手にした。「夢を持て」と言われるが、この本は「夢と目標とはそもそも違う」と書いた。目標とは「数字があり、期限がある」。それで、「高校野球の監督」になりたく、「28歳で甲子園」と手帳に書いた。雄星入学時に「ドラフト1位でなければ大学だ」と言い、1位になりそうになって、複数球団の1位指名でなければ行かせないというと「8球団」と言う。結果は6球団だった。ヘレン・ケラーの「人生の悲劇は目標を達成しないことでなく、目標を持たないことである」のことばが好きだ。

 *大谷入部のとき、「雄星さんみたいになりたい」と言うので「雄星を超えると言え」と言った。入部するとみな「目標設定シート」を書かせた。彼は「160キロメートル」と書き、3年で出した。次の選手がまた出す、と言うと、佐々木朗希君が出した。大谷はいろいろ書いた。「ドジャースに行く」「サイ・ヤング賞」「最多勝達成」「世界最高のプレーヤー」「野球の歴史を変える」「28歳で男の子が誕生」「37歳、長男野球を始める」「日本に戻ってメジャーのシステムを入れる」「80歳で死亡」など。

 ——名伯楽の作法は、球界のみならず、各方面で生かせるのではあるまいか。

                       (元朝日新聞政治部長)

(2023.7.20)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧