【コラム】神社の源流を訪ねて(42)
太陽の女神、オヒデリサマと雷命(いかつち)神社
◆ 太陽と雨に豊穣を祈る対馬固有の信仰
厳原町阿連の集落は、対馬の南西部に位置し、西は対馬海峡東水道の広大なパノラマが広がり、三方を山に囲まれた半農半漁の集落である。道路が整備されるまでは陸の孤島だった。
亀朴や赤米神事など伝承習俗が継承されている。赤米は古代米のことで、神事のためにいまでもわずかだが作られている。村落の奥にこじんまりした雷命神社の社殿がある。『続日本後記』(843年)には対馬の雷命神と書かれ、『延喜式』には雷命とありイカツチの傍訓がついている。
今は「ライメイ」と呼ばれる。ということで祭神は雷命であるイカツチノミコトかと思っていたら、そうではなく雷大臣命(イカツオミノミコト)とされている。この雷大臣命は、対馬に亀朴を伝えた人物とされる。
対馬出身の古代史家の永留久恵氏は著書の『海神と天神―対馬の風土と神々』で、「オヒデリサマと神婚されるのが、雷命神社のご祭神の雷大臣命ですが、鳥居には、八竜大明神・八瀧大明神・雷命神社の扁額があるように、雷命とは竜神、水神、雷神の3つの自然現象を神格化したもので、それを雷大臣という歴史上の人物らしく仮構したのは、対馬卜部が神祇官の中臣氏と同族とするよう系譜を改めたためである」と指摘している。
対馬の卜部は、大和朝廷で神祇官として歴代有力な地位を占めてきた中臣氏、つまり藤原一族の系譜につながるし、一方の中臣はト部の往古からの伝承を引き継げるので、今でいう改ざんがあったのかもしれない。
旧暦の10月は、神無月、つまり日本中の神々は出雲に集まるので、阿連の里も神無月になる。このために村人たちは、対馬固有の太陽神であるオヒデリサマを阿連川の上流から雷命の社に迎える。1か月たって11月1日になると、雷命は出雲から戻り、オヒデリサマと神婚して1週間一緒に暮らす。この時、オヒデリサマは懐妊したとされ、村には豊穣がもたらされると言い伝えられてきた。
そして11月8日になると、今度はオヒデリサマが帰っていく。村人たちは神前に幣を納めて、オヒデリサマが山に帰るのを、村を挙げて送る「元山送り」という行事が行われる。郷土史家にその模様を聞いたら、道中、大カナグラ幣の捧持者を先頭に、「いざや、いざやとのばらを、もとのお山にお送り申す」と音頭をとりながら、御幣や笛、鉦、太鼓を持って山に向かうという。
阿連川上流の水の枯れた川原にくると、人々は履物をぬいで小石の上を裸足で歩き、元山のムクの木の根元に宮司とオヒデリサマを祭る。ローソクに火をともして夕闇の中で祭礼を行い、川原で直会をして神事は終わる。
雷命は竜神・水神・男神で、オヒデリは太陽神・女神で、一連の神事は雨と太陽、雨と晴れの日のバランスがよく取れて、村に豊作をもたらすという往古の人々の祈りを込めた祭礼である。
(元共同通信編集委員)
(2022.5.20)
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