【視点】

安保3文書をめぐる緊張の今後

――権力者独走・国会論議欠如・世論の静けさ
羽原 清雅

 2023年の年賀状に「4大戦争に翻弄された戦前の77年、不戦をうたいつつ起伏に揺らいだ戦後の77年、そして今、第3期を迎えます。」と書いた。
 安保3文書・軍事(防衛ではなく)予算・そして国会議員らの視野狭窄の推進論と論議の欠如のままに動き出した「政治」の実態が懸念される。

 「民主主義」の現実は、正月テレビの画一的なお笑い芸人(あの内容に「笑い」が生まれるのか)の大動員なのか、と思う。多様な文化が薄らぎ、単純化、単一化しすぎていないか。   
 堅い話でいえば、選挙の投票率は、国政選挙で50%程度、2人にひとりは棄権、自治体選挙は3、4人に1人かそれ以下の投票率だ。投票しない自由があるにしても、これが「国民主体」の政治なのか。支持されているから投票しないのだ、との見方もある。だが、ほんとうに信任されているのか。じつは平穏に見える日常の中で、政治への期待感が希薄になって、いまさらつまらぬ政治家に期待などできるか、との意思表示ではないのか。ある意味で、その先に感じるのは、社会の意識が単純化、統一化していくことへの疑問が消えないのだ。

 9回の国政選挙を経て定着・恒久化しかかっている選挙制度のマイナス面が歴然と見えながら、これを問い直そうとするメディアが、今はない。対抗して、新たなシステムをつくろうとする政党もない。労働組合が零細労働者を守ろうとする機能を発揮しない。
 要は、社会を導こうとする政治的エネルギーが失われ、問題提起を果たす社会的機能は衰退し、選択肢を競うとか、抵抗するとかの覇気や改革志向が消えてきたように思えてならない。
 社会全体の衰退、ではないか。目先の利害ばかりを見て、先行きの「不安」「矛盾」「理念」を感知しなくなってはいないか。それを象徴するのが、権力者らの見苦しい辞任劇や、軍事化推進をめぐる思慮の浅い言動なのではないか。「政治」の世界の構想力の衰え、野党など対立軸からの問題提起、さらには批判力・説得力・行動力の低迷を招いているのではないか。
 問題ある選挙制度を維持継続することが、むしろ「民主主義」を貶める構造的なシステムになっている。そのことを見抜く力を持たないメディアがある。無芸のお笑い芸人に人気が集中する空気が醸成される。

 そして、第3期の77年の将来が「暗澹」の中に始まっている、と思われてならない。

<100年前の関東大震災の残したもの>

 本筋に入る前に、歴史を顧みておきたい。明治時代が1912年に終焉して、14年間余の大正期が始まる。民主主義の萌芽として、吉野作造、河上肇、長谷川如是閑らの学究・言論界が憲政擁護運動、普通選挙運動、さらには第1次世界大戦の終結があって、国内では労働運動、小作争議、部落解放や女性運動、米騒動などが激化、国外では朝鮮での3・1独立運動、中国では5・4運動などの蜂起が起る。原敬内閣が生まれ、民本主義、大正デモクラシーという新しい社会活動の目覚めの時期でもあった。
 その一方で、第1次世界大戦への参戦、対華21ヵ条の要求、シベリア出兵、海軍軍備制限条約の成立など、海外への侵出の基盤作りが進められる。
軍事国家への道を進むべきか、国民を軸とする民主主義の育成か、の岐路の時代があった。 
 だが、1923(大正12)年9月、死者9万、行方不明4万の関東大震災が様相を変える。大衆型の異論を排し、軍事膨張の道が選ばれる。東京に戒厳令が布かれ、朝鮮、中国人はじめ大杉栄や労組関係者の殺害といった象徴的な事態が起きた。さらに、治安維持法が、男性のみながら普通選挙法と抱き合わせで公布される。ここで大正期が終わって、1926年の昭和期に入るが、この関東大震災を契機として軍事的な暴走が始まる。

 初の普通選挙(昭和3年)が行われ、少数ながら無産党議員が生まれるや、準備された弾圧用の治安維持法が発動され、直後に3・15、4・16の共産党員拘束が始まる。労農議員の山本宣治が右翼に殺害される一方、保革を問わないテロが相次ぐ(浜口雄幸首相、井上準之助前蔵相、団琢磨三井合名理事長、犬養毅首相=5・15事件、斎藤実内大臣、高橋是清蔵相=2・26事件)。5・15、2・26両事件に先鞭をつける、陸海軍や右翼、理論家らによるクーデターをもくろむ準備的な事態(3月事件、10月事件、11月事件=いずれも未遂)が企てられる。この前段現象の意味は大きく、歴史的に見落とすことはできない。

 国際的には、1928(昭和3)年の中国の地方軍閥の長である張作霖が陸軍の陰謀によって爆殺される。この流れは満州事変(謀略の柳条湖事件)、リットン調査団の現地調査、満州国建国、日本の国際連盟脱退、日中戦争(先制攻撃の盧溝橋事件)、日独伊防共協定、太平洋戦争、北部・南部仏印進駐など、日本を孤立の道に進ませる。この事態までで、昭和に入って16年間、いかに戦争に向けてひた走りに走ったかがわかる。大正以降を含めていうなら、わずか30年ほどの間の激動の蓄積が戦争を推し進めていった。

 戦争に向けて軍備を増強し、敵対国に憎悪感を広げ、テロと弾圧を重ね、反発する自国民ばかりか相手国民をも殺戮する。国際関係を断ち切り、和平努力も見せない。国としての方針の論議はなく、天皇の名のもとに権力を集中的に行使し、国民に情報も出そうとしない。
 この経緯は今日、同様の事態につながることはあるまいが、戦争に向けて蓄積が進むプロセスには類似の様相がないわけではない。その懸念をはらんでいることを忘れてはなるまい。

<岸田首相のもろさ>

 第3期の77年に入ろうとする今、その展開は様変わりしていても、かつての近衛的な類似点があることも否定できない。
 安保3文書についての国民的な論議が乏しい。国会で与野党を問わず、深い質疑が見られない。「先制攻撃」の危険な一面を想定し、戦時下前提の食糧の自給対策、医療用薬剤や諸機材確保、保有資源のありようなどの論議が政治家の口から出されていない。どれだけのことを、どれだけの国民が知っているのか。近衛政治をにらみつつ、岸田政治を見ていくことは、昨今の事態をわかりやすくしてくれよう。

 軍事関係予算の増税などの財源問題、その内実、やりくりなどについては、この稿では触れない。新年度から5年間の軍事(防衛)費は従来計画の1、5倍の43兆円となり、そのために増税、東日本大震災復旧のための特別税転用、福祉関係費などの再検討などの及ぼす国民生活への影響は極めて大きい。近衛時代はもっと露骨だった。
 しかし今、そうした対応策の結論的な長期計画は示されていない。ミサイル配備に伴うリスクを沖縄など現地の人たちに説明もしていない。米国追従のかたちは見えるが、アジアでの日本の変容がどう見られているかもくわしくはわからない。なによりも「仮想敵国」的扱いとする国との関わりを後退させるばかりで、話し合いの場を持ち続け、和平の道を語り、戦闘気構えではない「自衛」であり、憲法や国是からは逸脱しないことを話したとは聞こえてこない。

 戦闘的で視野の狭さがめだった安倍晋三政権とは異なる期待を持たれた岸田政権だが、ある意味で安倍氏以上に、軍事体制強化をはじめ、他の面でも急激に踏み込もうとしている。
 彼は年頭に「インフレ率を超える賃上げ」を言うが、産業界あっての希望に過ぎないし、「異次元の少子化対策」も強化・方向性・指示を抽象的に言っているだけだ。内容の見えない「新しい資本主義」の主張と同じである。軍事面と同様、そこにも不安がある。
 いま話すべきは、まずは和平の相手国との協議に意欲を示し、いずれ国民に押し付けそうな増税策を詫び、軍事費の「ムダ」や内部的節減の努力を公約することなのだ。安保3文書は、そのような配慮がなく、井の中の蛙的考えの狭さが目立っている。近衛の失政を顧みると、「軍事」に伴う機密性の陰に隠れるべきではない。「禍根」を築きつつある政権として、歴史的な時代の第一歩を踏み出した首相であるが、少なくとも国民畏怖の念は持つべきだろう。

 戦前でいうなら、岸田氏は近衛文麿に類似するのではないか。
 近衛は、育ちの良さ、穏やかな外面的人気のもと、国民精神総動員や新体制運動、大政翼賛会を提唱する。説明不足ながら決断もある。だが、「国民政府を相手にせず」の声明で対中和平交渉の道を閉ざし、対米英戦争も辞さないとの御前会議を持つなど、岸田と同様に、おだてに乗りやすい軽さと強気がのぞく。
 3代目を継ぐ岸田氏も恵まれた育ちで、視野狭窄ながら強気の安倍氏、苦労人ながら政治指針の乏しい菅氏を継ぐことで、温厚、斬新の期待を持たれてスタートした。言葉使いだけは達者な説明ぶりながら、その中身や展望はなく、失望の上昇や支持率の低下となると、また継続性のない新味を打ち出す。核兵器禁止条約不参加、安倍氏の国葬、原発新設や延長稼働、NATOの2%追随なども、どこか近衛的な不安定さがあり、先を読めていない印象を受ける。
 近衛は、2・26事件後の林銑十郎軍人内閣の不人気のあとを受けて、国民的待望論の中で生まれる。だが、すぐに日中戦争を始め、日独伊防共協定、国家総動員法、東亜新秩序建設を打ち出す。しかし、政情は順調にはいかず、平沼、阿部、米内の半年前後ずつの3代軍人内閣を経て、第2次世界大戦勃発後に2、3期目の政権を引き受ける。早速、北部仏印進駐、日独伊三国同盟締結、大政翼賛会発足、南部仏印進駐、対米英蘭戦争準備などを経て、戦火下降のなかで、あろうことか東条英機にバトンタッチする。まさに激動の舞台の演出に失敗したうえ、最悪の事態で最悪の人物を起用したことになる。
 岸田政権が今後持続するかはわからない。ただ、これまでの論議の乏しい中での、独走気味の政治決定が陥穽にはまり込むことのないよう願うのみだ。

<安保3文書について>

 *安全保障3文書とは 改めて触れることでもないが、一応おさらいしておくと。
 1.「国家安全保障戦略」 安全保障の基本方針と施策をうたい、今後10年の方向性を示す。2013年に2期目の安倍首相の提唱で始まったもので、それまでの「国防の基本方針について」(1957年)を変更して生まれた。
 2.「国家防衛戦略」 前記の「戦略」に基づいて、その目標水準の達成5年間を想定し、防衛の目標と手段を示す。これまでの「防衛計画の大綱(防衛大綱)」を改めたもの。
 3. 「防衛力整備計画」 上記2.の戦略に沿って、装備品の数量、経費などを定め、毎年度の防衛予算が組まれる。従来の「中期防衛整備計画(中期防)」の名称を改めたもの。

 *10年の拘束 この方針が10年のスパンで決められると、仮にその途中で政権が交代することがあっても、これに拘束されて、まず変更は不可能になるだろう。「敵基地攻撃」の方針なので、和平の道を探ろうにも短期間には変えられず、相手国の信用は容易には取り付けられない。
 また、この基本的な「戦略」には、現行制度の基本である「日本国憲法」という表現が書き込まれていない。表現としては、「平和国家」「自由」「民主主義」「基本的人権の尊重」「法の支配」など憲法上の趣旨は盛り込まれているが、その全体的な「憲法」という言葉がない。
 先行き10年のうちに改憲ありうべし、の期待のためか。安倍元首相が示唆したように、「改憲」を急がなくても「憲法解釈」上すでに憲法以上のことが可能だ、との発想が生きているのか。自民党政権は、「改憲」する必要に迫られないほどに、自在な状況を手にしている、ということでもある。
 こうした基調を踏まえる「戦略」上の表現は、日本の中長期的な将来を拘束するものでもあり、このありようは怖い。憲法下の文書だという表現がなければ、この「戦略」が本当に国是として信頼できるのか、という想定敵国の疑惑をぬぐうことはまず不可能だろう。

 *有識者とは? この3文書を起草するにあたって、政府がしつらえた「国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議」の姿勢のおかしさである。10人の、いわゆる有識とされる人物が、4回の会合で2時間程度の論議で交わしたトーンが報告書に取り込まれたという。
 すでにそのメンバーの人選のおかしさが問題視されている。要は対米配慮・軍事力重視の政府方針にそう面々が選ばれたというのだ。委員長は外務政務次官、駐米大使経験の佐々江賢一郎、それに元防衛事務次官。対米向き、防衛力強化の立場の2人だ。それに経済界の2人は財政、経済専門の立場で防衛予算向けの対応。科学畑の2人は科学技術、半導体などのプロ。学者は法学専門が1人。彼らは安全保障全般の有識かどうか。新聞界は2人が経営陣、1人が国際関係や防衛問題の論者。重要な国策にふさわしい人選なのか、あるいはイエスマン前提の選択だったか、疑問を持たれよう。
 論議の時間の短さを見ても、形式や恰好つけ、見え透いた政府寄りの姿勢という印象が強い。また、だれがどのような発言をしたか、も公表されず、国民への説明に努める風もない。

 *憲法にうたう「平和主義」と文書上の「積極的平和主義」
 文書には「積極的平和主義」の言葉が多用されている。憲法の基本は「平和主義」である。後者は憲法制定時の、日中戦争、アジア太平洋戦争などの反省から、二度と戦争はしない、との決意を表明したものだ。だが、前者の「積極的平和主義」は対極的な違いがある。
 といいうのは、この文書は「反撃能力」の保持、つまり敵基地攻撃能力という積極的な攻撃性のある内容であり、各種の軍事力強化を具体的にうたう、かなり戦闘的なもの。相手国から見れば「敵対」の構えを強めるばかりか、いざとなれば開戦の大義名分に使える内容なのだ。
 解釈改憲のひとつであり、国是として憲法に縛られた「戦争」に道を開きかねない。また、「専守防衛」の姿勢を逸脱し、「核3原則」を拡大しかねず、「武器輸出」の抑制をはねのけるような懸念もある。国の基本原則を、折々の状況を理由に変えていく。本来の「平和主義」の懸念はそこにある。

<「国家安全保障戦略」の将来的懸念>
 この文書には、今後に招きかねない不安、懸念がいくつも盛り込まれている。
① 情報保全体制 「特定秘密の保護に関する法律の下、政府横断的な情報保全体制の整備等を通じ、カウンター・インテリジェンス機能を強化する」とうたう。防諜、スパイ活動、対敵情報を強めて、秘密保持の機能を強める、という。
戦前の各種の情報抑制の立法やその管理の厳格化が思い浮かび、ひいては治安維持法の存在が頭に浮かぶ。
 もともと軍事関係では、機密の保持の名のもとに国民の知らないところで隠蔽が行われ、時に事実関係の改ざん、あえての誤報もありがちだ。抽象的な法の下で、こじつけるような解釈で取り締まりが行われたこともある。
 この条項では、「特定秘密の保護に関する法律の下」とうたい、現行法なら問題あるまい、とも読めるが、あとに「機能を強化」と記すことで、先行きの法改正の余地がうかがえる。

② 産学官の結集 「技術力強化のための施策の推進に当たっては、安全保障の視点から、技術開発関連情報等、科学技術に関する動向を平素から把握し、産学官の力を結集させて、安全保障分野においても有効に活用するよう努めていく」とある。
 「官」つまり政府内は防衛省をはじめ、「産」の軍需産業を中心とする財界等は、「敵基地攻撃」に「着手」するような場合、ごく一部に反対論が出ても、足並みをそろえて戦闘に向かう可能性が高い。だが、「学」つまり戦前に戦争協力に取り組んで多くの犠牲者や被害を出した反省から、日本学術会議や大学などには戦争のための軍事協力には反対論が強い。
 しかし、その大学や研究機関などは資金難のところが多く、研究費欲しさに政官に追随する傾向もある。理念よりも資金、なのだ。理由は、科学技術に和・戦の区分はつけがたい、とする。安保文書でいう「学」の「有効活用」の今後には、きな臭いケースも出てきそうだ。

③ 防衛装備の海外移転 「武器輸出三原則がこれまで果たしてきた役割にも十分配慮した上で、移転を禁止する場合の明確化、移転を認め得る場合の限定及び厳格審査、目的外使用及び第三国移転に係る適正管理の確保等に留意しつつ、武器等の海外移転に関し、新たな安全保障環境に適合する明確な原則を定めることとする。」
 武器輸出問題の原則は、佐藤栄作首相のもとで共産圏、紛争当事国などには輸出しないと決め(1967年)、三木武夫内閣時に武器輸出3原則が決められ(76年)、第2次安倍首相、小野寺五典防衛相のもとで「防衛整備移転3原則」となる(2014年)。要はもともと「禁止」ではなかったが、「制約」から「緩和」となり、さらに「積極化」して輸出産業の奨励に向かおうとの意図が見えている。
 武器が必要だとしても、この傾向は殺戮に関与することにもなり、望ましいものではない。武器依存の「積極的平和主義」を象徴する方向づけと思われる。
 今後、具体策が決められるのだが、機密性の高いこともあり、あまり知られないところで進行していく懸念は消えない。

④ 海洋国家の意味 「我が国は、四方を海に囲まれて広大な排他的経済水域と長い海岸線に恵まれ、海上貿易と海洋資源の開発を通じて経済発展を遂げ、『開かれ安定した海洋』を追求してきた海洋国家としての顔も併せ持つ。」との表現がある。

 その限りでは、それでいい。だが、海に囲まれた日本は戦争となり孤立すれば、食料をはじめ資源、各種の機材、部品などを海外に依存しており、とりわけ対立国とした中国から「兵糧攻め」にされたら、どれだけの期間を維持できるのだろうか。しかも、「安全保障」とうたうものの、軍事面だけに目を向けて、国民の生活保持への配慮は全く検討も表現もされていない。ウクライナの厳しさが日本の国民生活に及ぶのだ、といった国民への配慮が全く示されていない。戦闘当初の「敵基地攻撃」直後には、国民生活の窮乏が始まろうというのに、肝心のその点への思いが全くない。

 それが、この文書のむなしさなのだ。縁故疎開、学童疎開、自宅の強制疎開を体験した筆者(羽原)は、戦争から国民を守ろうとするなら、まずは外交、交流による相互理解と和平への取り組みを徹底的に進めるべきではないか、と思う。為政者最大の使命である生命、財産を守る責務は果たされそうもない。
 安保3文書に疑問も持たずに推進した権力の周辺は、戦前、戦後の親族の死や行方不明の悲しさはもちろん、衣食住の窮乏などは「知らない」というのか。またも「ぜいたくは敵だ」「欲しがりません、勝つまでは」「お国のためだ、我慢せよ」とでも言いたいのか。繰り返していい歴史ではない。

⑤ 対米関係 「米国との間で、具体的な防衛協力の在り方や、日米の役割・任務・能力(RMC)の考え方等についての議論を通じ、本戦略を踏まえた各種政策との整合性を図りつつ、『日米防衛協力のための指針』の見直しを行う。また、共同訓練、共同の情報収集・警戒監視・偵察(ISR)活動及び米軍・自衛隊の施設・区域の共同使用を進めるほか、事態対処や中長期的な戦略を含め、各種の運用協力及び政策調整を緊密に行う。加えて、弾道ミサイル防衛、海洋、宇宙空間、サイバー空間、大規模災害対応等の幅広い安全保障分野における協力を強化して、日米同盟の抑止力及び対処力を向上させていく。」 
 米国の傘下に入った日本の姿なのだろう。ヒロシマ出身の岸田首相が、核兵器不拡散条約、核兵器禁止条約に同調できない理由なのだ、と言えばわかりやすい。
 現行憲法の骨を抜いて従い、米国と軌を一にする言動をモットーとする。米国とは規模も立場も、地勢的な環境も、民情も異なりながら、追随する。日本の個性や、自然環境、アジアでの立場などを見ると、これでいいのか、と思わざるを得ない。

 米国の「盾」、日本の「矛」という役割分担の関係は、いつしか日本も盾を握るほどの立場に変わってきた。同盟という名のもとに一心同体化、してきたようでもある。その変容は、本来の日本にとって望ましかったのか。強大化する中国との対立ムードに流され、米中対立の前方でドン・キホーテのように槍を持って気勢を上げるようにも見える。
 中国からどんどん離れて、事あるごとに対立する。もちろん、中国の台湾、香港、新疆ウイグルなどの対応、国際法規などの逸脱など問題も多い。だからといって、戦闘的対決姿勢だけがとるべき姿勢なのか。対話の機会をつくる努力がなくていいものなのか。
 この安保文書の文言の表現は、そのようなおかしさを感じさせる。それ以上は言うこともない。この文書のあちこちに不穏な気配が漂い、落ち着かないのだ。

<一触即発はないか>

 今後の不安はあちこちにある。安全保障の歴史的転換を決めた中で、とりわけ警戒すべきは「敵基地攻撃能力」の導入である。「反撃能力」の表現を使うが、内実は同じで、単なるカモフラージュにすぎない。「相手が攻撃に着手した時」という説明の「着手」が危険だ。
 敵陣営にスパイがいるわけでもなく、着手した、との判断はどうできるのか。<着手したぞ、攻撃した、だが誤判断だった>その場合、相手国は、日本反撃の大義名分を持つ。国際的にも、日本の先制攻撃に始まった戦闘、となる。日本側が相手国の「着手」を受けて反撃したとして、その一撃が相手側の民家などに誤射、民間人殺害があったとなれば、日本側はどんな攻撃を受けることになるのか。ロシア・ウクライナ戦争の報道を見ても、誤爆、誤射、反撃ミサイルの他国への落下などの事態になれば、どのように対処するのか。百発百中、などはあり得ない。日本は今、「反撃」という攻撃によって、戦乱の引き金になるリスクを生み
出そうとしているのだ。

 日本のミサイルなどの軍事的強化によって、例えば中国が台湾の武力行使を思いとどまり、対日・対米攻勢をやめて外交交渉に乗り出し、あるいは軍縮などの緊張緩和に応じてくるだろうか。だが、そう甘いことはありえず、むしろ対抗的に軍拡・反日・攻撃対象の強化などを進めて、とりわけ沖縄など台湾近在の南西諸島への攻撃態勢を強める可能性が高まる。本来なら困難だとしても、日本は中国との日常的な対話の場を持ち、日中間の和平、緊張緩和の協議を工作すべき立場だったのだ。
 1月12日の外務、防衛両相による日米安全保障協議委員会(2プラス2)は、米側は日本の防衛力強化を評価し、とくに「反撃能力」の運用面での協力を深化させることで一致している。したがって、安保3文書にうたったことは具体化の方向に向かわざるを得ないだろう。だが、誤った道を進めば、誤った結果を招くことは間違いない。

<戦争被害は軍人から一般人へ>

 「戦争」を意識した安保3文書。だが、岸田首相は安倍元首相の国葬を国会での論議もなく決行、原発の新設と既設施設の延命策の論議省略の表明、軍事増強予算案の決定など、安倍元首相もなしえなかった大課題を進める。国会軽視、論議なしの独断専行的な印象がある。一方で、4閣僚の失態を引きずったうえでの退陣劇もあった。
 なにか雑な決定のままに、将来に大きな禍根を残す様子を呈している。

 民主主義、とはなにか、と問われているような状況にある。
 安保3文書の作り上げる今後の日本社会はどうなるのだろうか。
 そんなことを考えているとき、井上ひさしさんの指摘を見つけた(2009年7月2日付中国新聞による広島講演の記事/出典不明)。データは次の通り。

                軍人の死者    一般人の死者
  第1次世界大戦(1914-18)  95%       5%
  第2次世界大戦(1939-45)  52%      48%
  朝鮮戦争   (1950-53)   16%      84%
  ベトナム戦争 (1955?-75)   5%      95% 

 半世紀ほどの間に、戦争の被害者における軍人と一般人との比率が逆転している。言い換えれば、戦争のプロの死者が激減して、その分を一般の人々が犠牲になる、という傾向なのだ。仮に、この傾向が進むとすれば、一般の人々の大半の命が奪われ、戦争の遂行者らが生き延びていくことになる。おかしな話である。

                        <元朝日新聞政治部長> 

(2023.1.20)
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