宗教・民族から見た同時代世界       

対「イスラム国」で存在感を高めるクルド民族

                       荒木 重雄


 「イスラム国」の台頭に伴い、メディアに頻繁に登場してきたのがクルド人である。クルド人の居住地域と「イスラム国」の支配地域が重なるために、いま、「イスラム国」の勢力拡大を阻止する最前線に立つのがクルド人武装勢力だからである。 ではクルド人とは何者か。どのような経緯を辿って現在に至ったのか。

◇◇ 領土分割で分断された民族

 第1次世界大戦で敗れたオスマン帝国の領土は、戦勝国の英仏に分割支配されることになったが、その際、クルド人が住んでいた地域も、両国の談合(サイクス・ピコ協定)で恣意的に引かれた国境線によって、トルコ、シリア、イラク、イラン、アルメニアなどに分断され、それぞれの国で、少数民族として分かれ住むことになった。
全体の人口は2500万~3000万。独自の国家を持たない世界最大の民族集団とされる。

インド・ヨーロッパ語系のクルド語を話し、宗教は、イスラム教スンニ派が大半だが、アレヴィー派やヤズィディー教徒もいる。

アレヴィーとは、「アリーに従う者」の謂いで、預言者ムハンマドの従弟・娘婿である第4代正統カリフ・アリーをはじめ、ムハンマドの子孫とされる十二イマーム(12人の指導者)を崇敬する点でシーア派と共通するが、土俗的な神秘主義の彩りをもち、多数派のスンニ派からは異端視される。

ヤズィディー教は、12世紀にアディ・ビン・ムサーフィルというスーフィー指導者が啓示を受けて創ったとされる、古代ペルシャのゾロアスター教やメソポタミアの伝統儀礼を基盤にキリスト教、ユダヤ教、イスラム神秘主義のスーフィーなどが混淆した宗教である。太陽に祈りを捧げたり、輪廻転生を教義の根幹に置くなど、イスラムの教義体系からかけ離れ、さらに信奉する孔雀天使(マラク・ターウース)がイスラム教の悪魔シャイターンに似るところから、イスラム教徒からは悪魔を信奉する邪教とみなされ、しばしば憎悪の対象ともされる。

◇◇ それぞれの国で辿った異なる歩み

さて、一つの大きな民族でありながら、分断された各国で少数民族となったクルドの人々は、少数民族ゆえの差別や抑圧の中で、やがて、自らの権利を主張する政治勢力を立ち上げ、居住国政府と軋轢を生むにも至った。

たとえばイラクでは、サッダーム・フセイン政権によって村を破壊されるなど迫害を受けていたが、イラン・イラク戦争末期の1988年には、敵国イランに協力したとして北部ハラブジャで5000人に及ぶクルド人が化学兵器で虐殺される事件が起こった。だが当時、イラン敵視からイラク支援に回っていた米主導の国際社会は、この事件を黙殺した。

ところが、90年代初めの湾岸戦争以降は、フセイン政権弱体化を策す米英軍がクルド人地域を保護下に置き、イラク戦争でフセイン政権が崩壊すると、宗教・民族バランスからクルド人に新政府の大統領職が割り振られ、06年には北部3州に「クルド地域政府」が成立した。
大幅な自治権を獲得したクルド地域は、政情不安定が続く他地域を尻目に、原油生産に加え海外投資を呼び込んで「第2のドバイ」と呼ばれるほどに経済を発展させ、イラク全体の1.5倍以上の1人当たりGDPを挙げている。

一方、最大のクルド人人口(約1500万)を抱えるトルコでは、単一民族主義の国是からクルド語の放送、教育も許されない中で、1978年、分離独立をめざすクルド労働者党(PKK)が結成され、84年から武装闘争が開始された。以来、イラクへの越境攻撃を含めたトルコ軍による掃討作戦とPKKによるテロ攻撃の応酬で、5万人に及ぶ犠牲者を生んでいる。

EU加盟を念願するトルコはクルド人の人権状況が問題視されるため、04年からクルド語放送・出版を認めるなど融和政策に転じ、昨年からはPKKと和平交渉もはじまったが、武力衝突は依然、続いている。

◇◇ 存在感を増すクルド民族

 「イスラム国」拡大への国際社会の介入は、北イラクでのヤズィディー教徒クルド人らの救出を名目とする米軍の空爆ではじまったが、実際に地上戦で「イスラム国」と対峙しているのは各地のクルド人部隊である。

イラクでは、スンニ派・シーア派の不信から弱体化した政府軍が敗走した間隙をクルド地域政府の治安部隊が埋めて「イスラム国」の進出を遮り、併せて、「したたか」とか「ちゃっかり」とか評されながら、政府軍が放棄した埋蔵量豊富な油田地帯のキルクークなどを掌握し、勢力下に収めている。

内戦で混迷するシリアでも、「イスラム国」が攻勢をかけるトルコとの国境に近いアインアルアラブ(クルド名コバニ)の防衛戦を担うのはクルド人組織・民主統一党(PYD)の武装部隊である。このPYDをめぐっては、トルコが苦境に立たされている。

トルコの立場は複雑である。「イスラム国」打倒の「有志連合」に加わってはいるものの、国内に少なくない「イスラム国」支持者による報復テロを恐れて積極的な行動は取れない。それに対して「同胞救済」を訴えるトルコ国内のクルド人が猛反発。各地のデモで衝突が繰り返され、クルド労働者党と政府軍との軍事攻撃も再燃して、折角始まった和平プロセスが危ぶまれている。

そこに加えて、米軍がシリアのクルド人組織・民主統一党(PYD)部隊に武器などの支援を開始。ところがPYDは、トルコ政府に敵対しトルコが「テロ組織」とするクルド労働者党(PKK)の兄弟組織。武器がPKKに渡りかねない。じつは米国もPKKを「テロ組織」に指定し、PYDがPKKの兄弟組織であることを承知している。しかし「イスラム国」抑え込みのため背に腹は代えられない。

そこでトルコは、米国を批判しながら、「有志連合」と国内クルド人の不満をかわす窮余の一策として、イラクのクルド地域政府の治安部隊ペシュメルガがトルコを経由してコバニ救援に向かうことを許可した。

ここで計らずも、国境で分断されていた、シリアのクルド人組織とトルコのクルド人組織とイラクのクルド人組織が、「公的」に結びついたのである。
イラクのペシュメルガとシリアのPYDは同じクルド人ながら反目してきたといわれるが、それを超えての連帯である。

「イスラム国」の台頭で動揺し困惑する国際社会。他方で逆に、それを契機に力を蓄え連帯するクルド人社会。

「イスラム国」がシリアとイラクにまたがる国家の樹立を宣言したことには、両国の国境線を無化し、しいては、第1次大戦後のサイクス・ピコ協定体制の上に成り立つ現在の欧米主導の国際体制・国際秩序に対する全否定が込められているはずと前々号で述べたが、その「イスラム国」に対抗するクルド人社会の興隆と国境を超えた連帯も、また、既存の中東の地図と秩序に大幅な変更を迫る要因となることは違いあるまい。
          (筆者は元桜美林大学教授)

注)このコラムは興山舎発行『月刊住職』誌掲載の記事に加筆して
転載しています。


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