【コラム】神社の源流を訪ねて(51)

対馬の神と記紀の神 (中))

栗原 猛

◆素戔嗚尊(すさのおのみこと)は半島の製鉄関係者のトップ?

 素戔嗚尊(すさのおのみこと)についても、対馬神話と記紀神話では大分異なっている。記紀神話では八岐大蛇(やまたのおろち)を退治したりする英雄譚もあるが、粗暴で荒々しく手足の爪をはがされて、天界を追われる話になっている。八岐大蛇退治の話については、鉄の採取で赤く濁った出雲の川を治めた話が転訛したのではないかという見方がある。また日本で最初に作られたといわれる和歌、「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣つくる その八重垣を」は、素戔嗚尊の歌だとされている。   
 一方、出雲風土記の素戔嗚尊は物静かな開発の神である。これに対して対馬では、素戔嗚尊と五十猛(いそたける)が朝鮮半島に渡った港や足取りなど伝承が、かなり濃く残されている。朝鮮半島に渡り、木々の種は新羅には撒かないで、九州に来てから、四国や和歌山の山々を青々とさせたという伝承もある。樹木に関係する話が多いのは、製鉄や須恵器作りとの関係を思い起こさせる。製鉄や須恵器作りには、樹木を大量に消費するので、そのことと関係があるのではないか。                  

 韓国内を車で移動していて不思議に思うことは、韓国の山は日本のように木々が黒々と茂っているという感じではない。森が明るくて木々が若々しい感じがする。往古から製銅や製鉄、焼き物が盛んで、オンドルにも薪を使っている。長い間に多くの山の樹木は切りつくしてしまったのではないか。対馬の素戔嗚尊や五十猛の伝承地はどこも入山を禁じ、境内の一角には伐採ダブー地があり、いまも立ち入りや木の伐採を厳しく禁止しているのは、樹木を大事にすることの大事さを無言で伝えようとしてるのではないかと思われる。                     

 ただ素戔嗚尊は樹木の神だけかというとそうではない。例えば愛知県津島市の津島神社の祭神は素戔嗚尊だが、ここでは疫病の神になっている。同社の由緒書には、欽明天皇元年(540年)に「西国対馬より大神が来た」とあり、疫病神である牛頭天王と習合して祭神になっている。同じ祭神の神社は東海地方に3000社近くもあるという。牛頭天王といえば京都八坂神社の祭神も素戔嗚尊だ。          

 関東地方では、さいたま市の氷川神社も祭神は素戔嗚尊である。かつては武蔵国一之宮と呼ばれた。武蔵国とは東京、川崎、神奈川県までを含めていたので、この広い地域が神域だったことになり230社の氷川神社があるという。権禰宜の東角井直臣氏によると「往古、関東地方は出雲から人々が来て開発したと思われます。神社の近くに古墳が沢山あり須恵器なども発掘されていますよ」と言った。

 さらに注目すべきことは埼玉県の東を流れる利根川を渡ると、鹿島、香取神宮が増える。記紀神話では、祭神の武甕槌大神は大国主命に国譲りを迫った神とされる。大国主命は素戔嗚尊の子または5世孫とされる。出雲神話の神々と記紀神話の神々が関東のこの地でも緊張関係にあったのかもしれない。
 記紀神話では素戔嗚尊は天照大神の弟で荒々しい神になっているが、多くの地域では疫病の神として広く人々に信仰されるなど、性格の違いがはっきりしている。 

 記紀の編纂者たちは、大和朝廷が出雲地方に勢力を伸ばしていく過程で、天照像を作り上げるために、素戔嗚尊にはマイナスイメージが付け加えられたのではないかという見方がある。私もそうではないかと思うが、想像をさらに膨らませると、戔嗚尊は、製鉄関係の集団の長で、朝鮮半島の鉄や樹木はとりつくしてしまったので、対馬に進出しさらに出雲へ進出して、やがて各地に広がっていったことを象徴しているのではないかとも思われた。

以上

(2023.2.20)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧