【自由へのひろば】
支援型と比較する画期の米澤旦論文
~労働統合型社会的企業の連帯型
柏井 宏之
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◆ 韓国の五石分析を想起させる日本型の展開
3月名古屋で、NPOわっぱの会が開いた「社会的事業所研究集会」で、若手の研究者、米澤旦(明治学院大学)は「社会的排除と労働統合型社会的企業―連帯型の活動を中心として」と題して講演した。
この発表は、今日の日本の社会運動の中に、大きく分けて<連帯型>と<支援型>が実践を通して立ち現れていることについて、単なる二分法ではなくその交差を深めるためにもその違いを押さえることの重要性に着目した大変示唆に富んだ画期的な分析であった。それはかつて2000年初頭に韓国の社会運動について、五石敬路の「都市、貧困、住民組織―韓国経済発展の裏側」でおこった社会運動の<抵抗型>と<自助型>の分析を彷彿とさせるものがあった[註1]。なぜならそこの社会運動の交差から社会的企業育成法や協同組合基本法等への道筋と社会的経済が育っていったからである。
米澤は、社会的企業、なかんずく労働統合型社会的企業とは何かを問うた。2011年、彼は「労働統合型社会的企業」を書籍のタイトルに初出した人でもある[註2]。また労働統合型(WISEs)のなかでの支援型/連帯型の区別はどのようになされるか、さらに連帯型社会的企業はどのように制度化され、いかなる取り組みがなされているのか、をテーマとして報告した。
よく知れるように社会的企業は、同じ言葉でも概念的にいくつかのバリエーションが存在するとして、民主性、地域性、市民性、革新性、運動性などの着目点により変わる、最広義には「社会的目的を持った事業体」として規定している。大きく分けると、①欧州型とアメリカ型の二類型、②欧州型での下位分類(サービス提供型と労働統合型)、③労働統合型の下位分類、をとりあげた。こうした概念規定が重要になるのは、日本では介護保険法のように健常者がハンディをもつ人への<支援型>のサービス提供型はよく知られているが、<労働統合型>への理解はイタリア社会協同組合B型のように、当事者にあわせた労働の創出による社会参加型であることへの理解は決定的に弱いからである。それは日本の市民社会がアメリカ型ばかりをモデルにした結果でもある。
◆ 2010年代に構想された2つの社会的企業法案
米澤は、日本では、2010年代に、生活困窮者の増加や社会的排除の問題化の中で構想された社会的企業にかかわる二つの法案として「支援型社会的企業」として「中間的就労社会的企業制度」、「連帯型社会的企業」として「社会的事業所促進法」があったとする。両者は共通点を持ちながら、社会的包摂のアプローチについて異なる考えを持つと指摘する。
「生活困窮者自立支援法と支援型社会的企業」で米澤は「中間的就労」の制度化が行われたとし、それは生活困窮者に対し、一般就労と福祉的就労の間に「中間的就労」を位置付け、2013年7月30日より指向的なモデル事業が実施されたという。その定義は社会保障審議会の「就労体験やトレーニングが必要な、いわば、一般就労に向けた支援付き訓練の場」や厚生労働省の「中間的就労は、一般就労(一般労働市場における自律的な労働)といわゆる福祉的就労(「障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律…に基づく就労移行支援事業等」との間に位置する就労の形態)の定義と位置づけに由来する。
その結果、生活困窮者自立支援法の下で、幅広い対象設定がおこなわれ「将来的に一般就労に就く上で、まずは本人の状況に応じた柔軟な働き方を認める必要があると判断された者」として「直近の就労経験が乏しい者」や「法令に基づく身体障害者等」を対象とした社会的包摂のアプローチが生みだされていく。その目的を「対象者が支援を要せず、自律的に就労することが出来るようになること」におき、特徴として段階的な就労、専門部署による相談支援という段階的な支援付き就労の場をめざすスタイルである。それを米澤は「支援型社会的企業」とよんでいる。
この2015年の新制度によって始まった全国各地の最も新しい動向については、6月8日の社会保障審議会生活困窮者自立支援及び生活保護部会の「あり方に関する論点整理」に自治体間格差のある数多くの問題点や課題が投げ出されている。また施行後、3年目の見直し論議も始まっている。
他方、継続的就労の場を検討する必要性から「社会的事業所促進法」案が生まれている[註3]。それは「人を仕事に合わせるだけでなく、仕事を人に合わせる取り組み」(ラビル)が必要との立場に立って「適切な仕事を提供する必要性」を強調する運動である。障害者就労分野での取組みからの示唆もある。それは重度障害者の場合、生産性向上が健常者ほど期待できない点と反能力主義の立場である。生産性に応じない処遇を実施する考え方から、どのように、生産活動への参与+社会保障をめざすのかから「連帯型社会的企業」が生まれているという。
その理念は「事業所は、就労が困難な状態に置かれた者が、自らの労働を通じて社会参加を果たす事により、職業生活の豊かさを実感するとともに社会の構成員として社会に貢献する機会を確保し、もって他者と等しく共生する社会の実現に寄与すること」をあげる。基準として「就労困難な状態に置かれた者が30%を下回らない。事業所は、保護の対象ではなく、ビジネス手法で総収入の50%以上を上回らなければならない」と示している。それは賃金補填制度を前提にしている「社会支援雇用事業所」とも違って、財政困難下の現代国家の元での「福祉から労働へ」の積極提案でもある。
そして連帯型社会的企業では対等な関係で継続的就労の場を創出することを目的とし、当事者とスタッフが二分される「支援」への反発があるとして、事業調査の中で「メンバー全員が出資者・経営者・労働者であるため、そこでは<支援><提供>という言葉は用いていない、就労支援メニューは、基本的にOJTでカバーされている」のを拾っている。
また運営方針決定の際に当事者参加がどの程度認められるかの意思決定において、<支援型>では、従業者は「訓練生」の立場におかれるのに対し、<連帯型>では就労困難者も非就労困難者も同じ立場=同僚関係であることを重視していること、報酬支払いに反能力主義から平等性が貫かれている事実をあげる。
米澤は連帯型の示唆として、対等性を重視した継続的就労の場の提供が行われている事、公的支援の組み合わせによって支援型とは異なる最賃以上の支払いも可能とする一方、課題として「就労自立を目的とする支援型と比べて、連帯型の生産活動への参与+生活保障の最終的な目的が明確でない」としている。事業体自身が周辺的な位置におかれる可能性をあげて「小括」している。
米澤は、<支援型>と<連帯型>の2つの社会的包摂のあり方の共通点と相違点にふれる。共通点は「就労困難者に対する仕事を通じた生活保障」であり、相違点は社会的包摂をめざすプロセスの三水準、①意思決定、②生産活動、③報酬の分野で違っているとする。これは運営実践の上で欠かせない価値にかかわる相違点の指摘である。
労働統合型社会的企業の二つの類型 (米澤作)
◆ 政権交代で消えた「多様な就労の機会の確保」
この米澤発表を受けて、私は<連帯型>と<支援型>をクロスさせようとして「多様な働き方」として奮闘した法制化運動の時代があったことが、すっかり過去のこととして脱色されていることを痛感した。なぜこのように<支援型>に収斂したかについては、この間に二度にわたる政権交代がドラスティックにあったことは伏せられている。しかしそれは政治偏重からではなく立憲主義を重視する今の時代にあって、あらゆる社会問題の諸課題が争点化することは必要であったし大事なことであった。
この点に関して、共生型経済推進フォーラムは、2013年6月1日“制度のすき間で「社会的排除」にあう就労困難者の〈労働の場〉を考える!―社会的事業所促進のための法制度を”をテーマに新大阪駅近くの市民交流センターで開いている[註4]。
第1報告は福原宏幸大阪市大教授が、3月にホームレス資料センターがまとめた「生活困窮者・孤立者の就労による生活再建の先進事例とあるべき仕組みに関する調査研究事業」を行い、第2報告は共同連の斎藤縣三事務局長が「生活困窮者自立支援法案要綱」と「中間的就労のモデル事業実施に関するガイドライン(案)」を資料に講演した。必須事業とされた自律相談支援事業と住居確保給付金、任意事業の就労準備支援事業、自主事業の就労訓練事業などの法案意図を独自解説した。
1年前の2012年7月に、共生型経済推進フォーラムでは「生活支援戦略を問う!」大阪集会を開いている。その時には、厚労省の生活困窮者自立支援室が出した案では「多様な就労の機会の確保」が強調され、中間的就労、社会的企業、中小企業や農業などの協力事業体を育てることが並行的に書かれていた。それが「中間的就労」という言葉と図表のみになり、今回、法律になると「生活困窮者就労訓練事業の認定」となった。この1年で3党合意で成立した民主党政権が自公政権の再復活によって基調に大きな変化が引き起こされたのだ。
斉藤事務局長は、「資料の『ガイドライン(案)』は、厚労省の福祉基盤課が検討会を設けて三菱UFJの研究所が事務局になってまとめたものだが、その趣旨に、中間的就労は福祉的就労と一般就労の間という説明のしかたがされている。同時にもうひとつは階段を上っていけない方については、社会参加をし続ける社会的居場所がいわれている。中間的就労については、生活困窮者支援は就労担当者による就労プログラムを必ずつくることになっている。各職場に就労支援担当者をおいて、そこで就労支援のプログラムを立て、そして半年ごとにアセスメントを行う。生活困窮者の大きな柱は、この相談支援事業で、法律では頭に自立がつき自立相談支援事業という名称になっている。要するに障害者総合支援法の事業のなかで障害者の就労事業は就労移行事業と就労継続事業。継続事業はAとBがあって、Aは雇用関係をもった場合、Bは雇用関係のないところ、このように3つに分かれた体系になっている。これに連動するかたちで生活困窮者制度は設計されている。結局、生活困窮者に対する就労支援制度も福祉サービス制度でしかないということがわかるので、ヨーロッパにあるような社会連帯経済の分野での継続支援としての社会的企業での就労といったような、そういう政策とは質が全然違う。その段階をとびこえる大きな決断を政治家や官僚のなかで誰かがやらない限りは日本の制度は行きづまったままで止まってしまう」と批判した。
斉藤氏は、「この制度の最大の問題点は、中間的就労に関する以外は人件費補助がある。就労準備支援についてもそうだし、その他の相談支援や家計の相談支援、そういう事業をやるスタッフに対して国がお金を出してその事業を応援しようというしくみになっている。ところが、中間的就労に関してはビタ一文出しませんと。先ほど自主事業という話が出ましたけれど、それはそのまま全部、民間事業の側でやってくださいと。これでは熱心な人はやりますけど、それ以上には広がっていかない。あきらめることなく、ヨーロッパや韓国で行われてきた動きを日本が絶対取り入れるべきだと強く進言して私たちの運動が実態的にそういう場をどんどん広げていくことで示していきたい」と締めくくった。
この言説は私のメモからの復元だが、改めて6月8日の社保審の生活困窮者自立支援及び生活保護部会の「あり方に関する論点整理」に重ねて、今後の見直しの中で「多様な働き方」として<連帯型>を繰り入れることは当事者にとって依然として必須の分野である。「仕事を人に合わせる取り組み」によって当事者の労働参加のソーシャルファーム型を直接つくりだすことは、支援する者のために支援講座を増殖させている今の当事者にとって、入口はあっても出口のない仕組みよりも実効性は高い。今、当事者には「障害者委託訓練受講生募集中」の大きなカラーポスターに〔パソコン・事務作業、日常清掃業務、軽食喫茶業務〕の「受講料は無料」の支援がうたわれるが「訓練手当・交通費・昼食代等の支援はありません」はあまりにもきつく重い。入口はあっても出口までの生活費用はまったく保障されない。また出口を仮に出ても1年以内の離職者続出の短期や不安定雇用ではトランポリンのように舞い上がり滑り落ちる中で疲労と落胆をかくせないのも事実だ。
そのことについて、炭谷茂ソーシャルファームジャパン代表は「私は日本で2,000ヵ所ぐらいの設立が必要だと訴えてきたがまだ100にも満たない。韓国が1,500ヵ所を越える認定社会的企業をつくりだしたのは私には自信になった」と韓国から来日した金キソブ氏に語った[註5]。炭谷氏は「超党派のソーシャルファーム議員連盟でこの秋口から積極的な動きを展開したい」と語っている。
もちろん、<連帯型>も高齢化社会の深まりや若者就労へのパーソナルサポートの創出をうけて早くから<支援型>との事業ミックスを各地で深めている。とりわけ若者支援の中でつくりだされた「みまもり、よりそう」スタイルは、きわめて<連帯型>に近いもので共感を広げたが、制度化の中で次第にスタッフと当事者の二分法による<支援型>に形を変えていった。さらにそこに市場からの参入によって「悪しきA型」が跋扈する「福祉の市場化」が進行した。
思えば、反貧困ネットワーク事務局長の湯浅誠は2011年の共同連全国大会にメッセージを寄せている。
“現在、「一人ひとりを包摂する社会」特命チームの座長代理、内閣官房の社会的包摂推進室長を勤めており、先日8月10日に「緊急政策提言」を取りまとめました。今後の施策に反映させていきたいと思っています。
日本では、社会的排除の問題が「排除」の課題として捉えられにくく、恩恵的・救済的課題、もっと言えば「お金のかかる」課題と捉えられる傾向が強く、社会全体の「あたりまえ」になるにはまだまだ時間がかかると感じています。しかし、このままではこの社会に持続可能性がないこともはっきりしていて、避けては通れない、避けてはいけない課題だろうとも思っています。「あたりまえ」のはずのことを「あたりまえ」にしていくためには、数々の工夫が必要です。ときには搦め手から攻めることも必要になるでしょう。柔軟に、かつしたたかに、多様な方面から、あの手この手で、一歩ずつ進めていくことが重要と思います。”
埼玉で開かれた労働者協同組合(労協)の「いま、『協同』が創る2012全国集会」で、この湯浅の「まだまだ時間がかかる」について、斎藤共同連事務局長との印象的な議論を思い出す。それは自公の政権交代が起こった以上、多数派の同意・黙認のもとに進める制度が必要だとする意見だった。当時の厚労省もまた「中間的就労」の考え自体を自治体が理解するかがキーだとの見解を語っていた。
しかし韓国の社会的企業育成法は、<支援型>の自活センターでは貧困の連鎖は脱却できないとして超党派で<連帯型>が成立した。日本ではその決断ができず「緊急雇用対策費」でお茶をにごしてきた。その意味で、村木厚子元厚生労働省社会・援護局長が推進した「福祉から労働へ」への流れが止まったことが問題なのだ。そして今再び「生活困窮者自立支援法」の見直し議論の時期は近づいている。
ところで、米澤旦の新書『社会的企業への新しい見方―社会政策のなかのサードセクター』(ミネルヴァ書房)が5月に出た。「ポスト福祉多元主義時代を見据えた提案」と帯にうたわれた力作を共有したい。
米澤は、この本の序章「サードセクター研究の行き詰まりをどのように乗り越えるか」を自負をもって語っている。福祉国家から福祉多元主義へ、そして今はその後の時代に入り、サードセクターは流動化していると。つまり、「セクター境界の曖昧化」と「セクター内部の多様性」の顕在化である。その結果、セクター本質主義的な把握法として<独立モデル>が起こるが、そのことには批判的である。
米澤は、佐藤慶幸の「ボランタリー・アソシエーション」論や上野千鶴子の「協セクター」論には先験的な優位性で語るという同質的な性格があるとする。それと異なる見方に<媒介モデル>があり、資源や目的が混合的であるとしてサードセクターの多様性は柔軟に捉えられるとしている。しかし、<媒介モデル>も認識論的問題の不十分さなど課題を抱えているとしている。圧倒的なグローバル時代に揺らいでいるサードセクターを観察してきたリアリスト米澤が、そのように捉えるのは至極当然に思われる。それに対し、かつて<独立モデル>をくぐった私には別の考え方や感じ方をしてきた。
◆ 互酬を基礎にした交換・再配分の関係方式を
鮮やかに思い出すのは2009年に第1回日韓社会的企業セミナーがソウルで開かれた際の、ベルギーから来たドウフルニの発言である。「韓国では社会的企業育成法ができたことを歓迎する。これから市場と自治体、政府、および我々のような非営利の組織がタイアップするハイブリッドな社会的企業をつくっていこう」と呼びかけた。これに対して、ドゥレ生協連合会常務理事の金キソブは、「事業はハイブリッド型で進めるだけでは出発点にならない。むしろ我々が確認すべきものは互酬を基礎にした交換・再配分の関係方式を探し求めることだ」と反論した[註6]。まさにEUに拡がった<媒介モデル>に対するアジアの<独立モデル>からの異論であった。
国家と市場がわがもの顔でのし歩いた20世紀、これに対し互酬・互恵は、その価値・原則に立った不屈の意思と実践なしには育たない。そこにリアリティとロマンチズムがあった。原州に半世紀かけて「互酬を基礎にした交換・再配分の共同社会経済ネットワーク」を育ててきた韓国市民社会は、その先達たちのおもいを大事にして「社会的経済」を育てている。彼らが「新しい労働」をどのように捉えようとして苦闘したかは『進歩と改革』誌の6月号で詳述した[註5]。そこには米澤がいう同質体質でなく、いかに<異質な視点からの交叉>を共有し合ったかが明らかである。<独立モデル>や<連帯型>には同質なのもあるが、ステークホルダー論から異質性を交差し合った「新しい労働」で互酬型に組み直すために汗を流している。
19世紀のロバート・オーエンの<協同村>をエンゲルスは空想的としたが、それは形を変えてモンドラゴンやボローニア、トレントやモントリオールに互酬を基礎とする共生の政治・経済・社会を育てている。ギデンズの「第三の道」を受けたブレアが2000年に鳴り物入りで推進した協同組合法大改革が実現に至らなかったのは、イギリス社会の協同組合の国家と市場とのごちゃごちゃの<ハイブリッド>化の結果であった。
米澤の「新しい見方」が、観察からではなく「新しい労働」の実践の烈火に焼かれて輝くことを期待したい。
なぜなら安倍内閣を支える日本会議は、現憲法を排し、明治維新の天皇中心の国家体制への回帰願望が強いが、その下からの「地方から都市へ」の草の根運動に、「日本を愛する臣民」の立場からの<公共論>がある[註7]。それは今、人口減から地方都市消滅、超高齢化社会到来の中で、個別の<支援型>では見通し不明の中で、昨年7月、「我が事・丸ごと」地域共生社会実現本部を立ちあげる中でその形が突出して表出されたように思われる。これは憲法改正論議に先立つ、子ども・高齢者・障害者などすべての人々が地域、暮らし、生きがいを共に創ろうとする翼賛体制への支援と監視の地域づくりの提案であった。社会的包摂議論に弱かった日本の市民社会は、<支援型>を飲み込んで「我が事・丸ごと」地域共生社会実現へ向かう草の根臣民保守の流れにほとんど対案を持ち合わせていないのではないか。
◆ 髙橋貞樹の「同情融和運動の虚偽と無効」に対する批判の先駆性
ここで思い出すのは、1990年代、沖浦和光によって再発掘された髙橋貞樹の『被差別部落一千年史』(岩波文庫)のことである。私は「日本のサバルタンの課題―社会的事業所の法制化―」[註8]で、90年も前に、当時の社会的排除にあう被差別部落民を「<無告の民>―自分たちの苦しみを告げる所のない人々」とした規定は、日本のサバルタン論の先駆であるだけでなく、山川均の大衆運動に依拠した共同戦線の思潮と西光万吉の「人の世に熱あれ、人間に光りあれ」の水平社宣言とを熱く結び、水平運動のめざす「差別なき社会―人間が人間を尊敬する社会―を創造する」実践の有機的知識人として活動したことに高く評価した。今日的に重要な点は<支援型>は「同情融和」論とどこが違うのかという点にあろう。
『阪神大震災以降に誕生した多くのNPOの公益性や協同組合の共益性が「差別なき社会―人間が人間を尊敬する社会―を創造する」市民の公・共性をどれだけ深めたか、が問われています。なぜなら高橋は「有産中産のすでに市民化しつつあるものの市民化運動は、…これならば、ただ人権の宣言を蒸し直してこれを神聖化するだけでよい」「市民化の水平線が抽象的になることは、明治4年の解放令による政治上の水平線と同断である」といいきっています。「サバルタン論を欠いた市民社会論」批判の先駆的な言説がここにみられます。
その視点から、内務省が解放令で部落改善といったのを水平運動の時は地方改善と呼び、その時行った事業が「専任改善係の設置、形式的な訓練訓示論告、従業員養成、人材登用、表彰事業補助奨励、融和促進機関、講習会、講演会、協議会、懇談会、文芸活動写真その他の宣伝、職業紹介、神社、寺院の共通、学校及び公共団体の共通等であって、これによって大胆にも差別撤廃を図ろうとする。さらに内容充実として言うところは、改善機関設置、地方整理、教育奨励、生活改善、衛生施設、文化的施設、産業奨励、移住移転、中心人物養成、指導者住宅等である」と官主導の社会政策を批判します。ここには当事者主権をおき忘れ、上から目線の運動に協力「同情運動の虚偽と無効」に対する批判があります。全国水平社はそうした「同情融和」をけって6千部落300万人の部落民自身の行動として起ったことを強調しています。』[註8]
第34回共同連全国大会は9月に滋賀県で開かれるが、「社会的包摂と社会的事業所」をテーマに、米澤は宮本太郎と記念対談する。シンポジウム「日本における社会的連帯経済実現のために」と合わせ<連帯型>の実践報告も注目される。立命館大学びわこ・草津キャンバスプリズムハウスで9月2日13時から開催される。翌4日の8つの分科会議論と合わせてオルタ読者と福祉制度に関わる人の参加をすすめたい。
[註1]拙稿「社会的企業の展開―日韓市民交流とその比較」(大原社研2013)
[註2]『労働統合型社会的企業の可能性―障害者就労における社会的包摂へのアプローチ』(ミネルヴァ書房2011)
[註3]「社会的事業所」特集(『福祉労働』137号 2012.12)
[註4]拙稿「生活困窮者の〈労働の場〉を考える」(『進歩と改革』2013.8)
[註5]拙稿「〈生活の労働〉再発見を基礎に異質な視点からの交叉を共有し合う」(『進歩と改革』2017.6
)
[註6]拙稿 連合総研・社会組織研究委員会での「韓国における市民社会・社会的企業」2014.7
[註7]『日本会議の正体』青木理(平凡社新書)2016.7
[註8] LA CITTA FUTURA(東京グラムシ会)第48号 2010.8
(共同連/共生型経済推進フォーラム)
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