【コラム】宗教・民族から見た同時代世界

政権獲得のため血塗られた歴史を秘めたヒンドゥー寺院が落成

荒木 重雄

 遂にやったか! が、筆者の感想である。
 ヒンドゥー教徒とイスラム教徒が長年に亘って所有権を争ってきたインド北部アヨーディヤの土地に、ヒンドゥー寺院が建設され、4月からの総選挙を前に、1月末、盛大な落成式が催されたのである。
 与党インド人民党(BJP)幹部やヒンドゥー教聖職者、現地で人気の高い映画俳優などが居並ぶ中で、モディ首相がラーマ神像に供物を捧げ、「今はインドの時代だ。皆がこのときを待ち望んできた。我々はもう止まらない」と謳い上げた。
 寺院は面積約1万926平方メートル、総工費約180億ルピー(約320億円)で、岩や大理石で築き上げた豪壮な建物である。
 じつはこの寺院、頗るいわくつきなのである。

◆現政権と聖地の深い関わり

 インドには、1925年創設のRSS(民族奉仕団もしくは民族義勇団)とよばれるヒンドゥー至上主義組織がある。創設以来、反イスラムを掲げ、暴力を辞さぬしかたで、さまざまに宗教紛争を挑発したり介入したりしてきた。全国に1千万人超の団員を擁する大組織で、このRSSを中心に、そこから派生したヒンドゥー教聖職者中心のVHP(世界ヒンドゥー協会)や、その傘下に血の気の多い若者を集めたバジュラング・ダル(ハヌマーンの軍隊)など地域ごとの組織を置いて、ヒンドゥー・ナショナリズム勢力が形づくられている。このグループの政治組織が、他ならぬ、現政権党、インド人民党(BJP)である。

 BJPの創設は1980年だが、独立以来、宗教的融和に基づく「政教分離」と「少数者への配慮」を国是としてきたインドで、「ヒンドゥーこそ至高」「多数派ヒンドゥーの力で強力な国家を」と唱えるBJPは政治の本流とは見做されず、84年の選挙では下院選出議席543の内、僅か2議席獲得と、低迷を続けていたが、そこで打った大博奕が、アヨーディヤ事件であった。

 北インドのアヨーディヤという町は、古代叙事詩『ラーマーヤナ』の主人公ラーマ王子(ヒンドゥー教の主神の一つヴィシュヌ神の化身)の誕生の地とされている。そこに16世紀に建立されたバーブリ・マスジッドとよばれるイスラムのモスク(礼拝堂)があった。それに対して、「ここはヒンドゥーの聖地だからそのモスクを壊してラーマを祀るヒンドゥー寺院を建てよう」というキャンペーンを展開したのである。

 90年秋、ヒンドゥー至上主義派は数万人の支持者をアヨーディヤに動員し、モスク破壊を企てた。だが、治安部隊と衝突して怪我人がでた。一旦、流血の騒ぎなどが起こるとすっかり興奮するのがインドの大衆の常である。ヒンドゥー対ムスリムの宗教暴動が全国に亙って巻き起こり、数万人の死傷者がでた。「宗教暴動」とはいえ、多数派ヒンドゥー大衆による少数派イスラム住民への一方的な攻撃である。

 この騒乱と興奮をヒンドゥー教徒の結集に結びつけて、BJPは、翌91年の選挙で119議席を獲得する大躍進をとげた。これに味をしめたヒンドゥー至上主義派は92年に再びモスク破壊の大動員を図り、ついにモスクを破壊した。再び宗教暴動が全国に広がり、前回に増す犠牲者をうんだ。次の選挙でBJPは162議席を得て第一党にのし上がる。こうして、紆余曲折を経ながらも、98年にはついにBJPが政権を手に入れたのである。

 アヨーディヤと政治権力との血塗られた関係はさらに続く。2002年、モスク破壊後も列車を仕立ててアヨーディヤへ通うヒンドゥー至上主義活動家と沿線のイスラム住民との衝突をきっかけに、グジャラート州の各地でヒンドゥー大衆によるイスラム住民への攻撃が起こり、暴行、略奪、放火で2千人に及ぶイスラム教徒が犠牲になった。問題は、国内外からの非難にもかかわらず、このような異常事態が二か月以上も続いていたことである。手をこまねいてというより、これをヒンドゥー教徒結集の好機と捉えたBJP州政府の意図的な放置と見るのが、当時のインドの知識層やメディアの多くが共有する見解であった。その当時のグジャラート州首相が、RSS幹部出身のナレンドラ・モディ現首相である。

◆聖地で観光収益と国威高揚

 BJPは2004年、一旦、下野するが、14年、モディ人気も与って政権復帰する。以来10年を経ての、このたびの総選挙である。この間、モディ政権がしてきたことといえば、経済発展の一方で、ヒンドゥー神話の称揚や、歴史教育の改竄、映画館での国歌斉唱の強要、イスラム教徒が多数派の州の自治権剥奪や、イスラム教徒に不利な国民登録制度の制定などである。ヒンドゥー強硬派が力を得て、キリスト教会襲撃や、イスラム教徒の改宗強要、ヒンドゥーが神聖視する牛を食べたと疑われたイスラム住民が集団暴行を受けて殺害されるなどの事態も進行した。
 
 こうした流れのなかで、インド最高裁判所は19年、係争中であったアヨーディヤのモスク跡地を事実上政府の管轄とする判決を下して、ラーマ寺院建設に道を開いた。これが、冒頭に述べた落成式のシーンにつながるのである。一方、裁判所は、破壊されたモスクも目立つ場所に再建する手配をするよう行政を促したが、地元当局が提案した再建用地はモスクがあった場所から約25キロも離れた辺鄙な地で、資金的な支援もないため、建設工事は始まってもいない。

 モディ政権は、アヨーディヤを、国内外から年1億人を集める国際観光地に再開発して、観光収益と併せ、ヒンドゥー教称揚と国威高揚のメッカとする計画を立案中という。

(2024.3.20)
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