【オルタ広場の視点】

政治における「剛毅木訥」と「巧言令色」
― 聞かれなくなった「政治家の志」

栗原 猛

 奇異に思われるかもしれないが、群馬県の赤城山のふもとの小学校時代に、孔子の言行録である論語を学んだ。戦後しばらくたっていたが、われ十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲するところに従えども矩(のり)を超えず―。

  ◆ 人間学を養った

 先生がまず朗々と読み、後について皆が大声を張り上げた。今、時々口ずさむと、いくつになっても人間は進歩していないなと気付かされ、元気をくれるから不思議である。今から2500年以上前の人が、10年ごとに目標を定め、孜々として自らを鍛えたということは驚くべきことで、だから釈迦とともに、人類の師父と呼ばれるのだろう。
 孔子は自分の理想を政治に生かそうと諸国を回ったが、結局、孔子の理想を受け入れてくれる国はなかった。そして郷里に帰って子弟の教育に当たる。

 数年前の夏、思い立ってお線香を持って山東省曲阜市にある孔子のお墓を訪ねた。関西空港から中国・青島まで空路で、そこから徐州行きの列車に乗る。曲阜市の孔子のお墓のある広大な公園内は蝉しぐれで、夏休みでお母さんに連れられた子供たちが大勢、訪れている。近くの広大な孔子廟もにぎわっている。人々から尊敬されていることがうかがえる。

 論語の暗唱で先生が何度も繰り返したのは、「巧言令色鮮(すくなし)仁」「剛毅木訥は仁に近し」だった。
 「巧言令色鮮仁」とは、うまいことを言ったりおもねることだから、子供心に好きになれなかった。今はやりの忖度にも同じ響きが感じられる。みな剛毅木訥派で巧言令色鮮仁派はいなかった。先生が比べて教えたのは、「大人になっても嘘やうまいことを言ってごまかしたりしてはいけないよ」という人間学だったのだろう。

  ◆ 政党、政治家の質低下

 そこで政治の世界に目を転じると、荒涼たる光景である。巧言令色派が幅を利かせている。世の中の風潮がそうなってしまったのか、トップリーダーが巧言令色派を好きなのか、それは分からない。しかし国会周辺や霞が関では、巧言令色派は羽振りがよく、骨っぽい直言居士や剛毅木訥派は遠ざけられるという話をよく聞く。

 コロナの緊急事態宣言で国民に忍耐、我慢を訴えているのに、会食や夜の銀座に出没する与党議員。国会での首相の虚偽答弁や議員の選挙違反、収賄事件などは、自民党1強体制の中での権力のおごりそのものではないか。統治構造の劣化、政治家の質の低下を印象付ける事件はまだ続きそうだ。元首相の女性を軽視する発言も飛び出した。謝罪し離党し議員を辞職すれば済むという問題ではない。党の公認証書を渡し資金を配分した政党のトップにも説明責任とか結果責任はあるのではないか。
 米、英、独、中、露ではコロナ禍の切り札、ワクチンの開発が進んでいるのに、日本では大きく遅れているが、これはなぜなのか。

  ◆ 統治システムの劣化

 コロナ禍は日本の統治構造の危機をさらけ出した感じである。不思議なことには、少子高齢化、貧富の格差拡大、雇用の悪化、生産性の低下といった、長期的な数値や構造問題が悪化し、統治システムの劣化が各所に噴出しても、与党自民党に対する支持率が下がらず安泰である。世論調査では政策に批判が指摘されても、政党の支持率に反映されない。立憲をはじめ野党には与党への対応に、どこかおかしなところがあるのではないか。早く発見して克服してほしいところである。大きく勢力が減らすことがなければ、自民党は緊張感のないまま、あぐらをかき続けることになる。

 日本は1990年代初めに小選挙区制導入、政党交付金の創設など「政治改革」を行った。自民党が分裂して過半数を失った結果成立した93年の非自民細川政権や、94年の自社さ連立政権が誕生する。2009年には政権交代があり、12年まで民主党政権が続く。
 その後も健全な形で2大政党政治が続いていれば、互いに緊張関係が生まれて、もう少し国家、国民のための政治が生まれていたと思われる。ともあれ自民党が政権を失ったのも民主党政権が長続きしなかったのも、国民の信頼を欠いたからであろう。

 不信の原点は、世界で一番高いとされる歳費が税金から払われ、いくつもの特権を持っている国会議員が、国民、国家のことを考え行動しているとは映らなかったためだと思われる。いまや世襲議員にとって日常活動は、先祖からの「家業」を引き継ぐことにあるとさえ言われる。その世襲議員は国会議員の三分の二を越えているという。

  ◆ 廉直と公正

 少し前には「内閣支持率ばかり気にしているようでは、本当の政治はできない。国民が嫌がることでも岩盤を穿つように粘り強く説明し説得する気概が大事だ」と口にする政治家が与党にも野党にもいたものである。
 戦前、高等文官試験に合格すると、張養浩(元時代の宰相など3つの要職を務めた)の著書『三事忠告』を読まされたと、生前、後藤田正晴副総理は言っていた。張養浩がこの中で強調していることは、政治家にも行政に携わる人にも大事なのは「廉直と公正」だということである。「脚下照顧」という有名な古語があるが、菅政治に今必要なものは、政治の原点に立ち返って「権力の自制と誠実さ」、「廉直と公平」を取り戻すことではないか。

 (元共同通信編集委員)
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