■【オルタ広場の視点】
政治家の責任、覚悟とはどういうことか ―小児麻痺ワクチンと戦った古井喜実厚相
安倍、菅政権はトップダウン政治だと言われるが、菅政権の国会答弁は迷走気味で、官邸の意思決定にもほころびが目立つ。コロナ禍の対応も官邸主導が発揮されているようには見えない。今や官邸人事局の廃止論まで出ているが、政治はまず資質を磨き、責任や覚悟の大事さを自己認識することが先決ではなかろうか。
◆ 大蔵省接待汚職事件がきっかけ
官邸機能の強化と官邸主導政治、トップダウンなどは同義語で、たどると2001年の省庁再編に行きつく。当時、省庁間のセクショナリズムを打破して時代の要請に対応するには、首相官邸の機能強化しかないという議論が盛り上がった。行政改革会議を仕切ったのは橋本龍太郎政権である。表向きにはあまり言われなかったが、霞が関の影響力が強大になり、自民党内にも官の傲慢ぶりには批判が強かった。天下りなどの人事を要求して政権を揺さぶり、政治改革案も巧妙に字句を替え骨抜きにするなどもあったらしい。
1998年に大蔵省接待汚職事件が発覚すると、官批判は一気に強まり官邸機能強化論を後押しする。ある首相経験者は「今だから言えるが、意にそぐわないと、法案の準備を遅らせたり、外交日程を差し替えたり倒閣まがいのこともやられたよ」と述懐する。橋本行革を継いだ小泉純一郎政権は独特の政治手法で郵政改革に取り組み、官邸主導政治を固めたと言われる。
安倍晋三―菅義偉政権になると、同じ官邸主導でも官邸内の「身内」が政策を決め、人事局も加わって霞が関に忖度文化を広げた。
新型コロナウイルス禍ではトップの経験、冷静な判断力、説明力など総合力が大事になるが、自民党のある長老は「官僚の答弁書を棒読みする前首相と現首相を見ていると、心もとなくなる」といった。
◆ 政治に不可欠な総合調整力
これまでの政策決定システムは、ボトムアップ方式といわれる。各段階で議論し調整を積み上げていくので、時間はかかるが誤りは少ないとされた。戦前、政治が軍部に壟断され戦争を回避できなかった反省から、内閣の統一を図るために首相を「内閣の首長」とし、三権分立を前提に国務大臣の任免権を付与。また首相(党総裁)は第一党の代表が選ばれるので、力量次第で相当のことができるようになったとされる。その上に一強多弱の与野党構図と、霞が関の人事権掌握も加わり、いまや首相の立場は「独裁者」といわれるほどとされる。
そこで人事局などは廃止しろという声もあるが、トップダウン、ボトムアップにはそれぞれ長所と短所、功と罪があるので、早急な廃止論はここでは取らない。大事なのはまず政治が資質や経験、責任力などに磨きをかけることにあると思われる。
◆ 一日一食の人も「自助」か
苦学力行、雪国から徒手空拳で道を開いた菅氏と、同じ雪国、新潟出身の田中角栄氏は同じ首相でもかなり違いがある。菅政権は「自助 共助 公助」の新自由主義路線の立場だが、田中政権には弱者に対する目配りがあったように思われる。一日一食を手にするのもやっとという人達に、「自助」「個人の責任」にこだわるのは民主主義政治の宰相にふさわしいかどうか。旅行・観光・飲食業界の救援ももちろん大事だが、その日の生活にも事欠く人々にも、政治や行政は目を向けなければならないだろう。
そこで60年も前に小児麻痺ポリオの蔓延を防ぐために、社会主義国ソ連などからワクチンを緊急輸入して、最悪の事態を防いだ古井喜実厚相(現厚労相)の決断に至る経緯は、政治家の責任の重さと覚悟の大事さが知られ、身が引き締まる。
1960年、古井氏は池田内閣の厚相につくと、小児麻痺ポリオ(急性灰白髄炎=脊髄性小児麻痺)の原因になるポリオウイルスが5歳以下に流行する。対策にはソークワクチンの予防接種か、生ワクチンの試験投与があった。ところ日本では生ワクチンが不足し、各地でお母さん方が市や保健所に押し掛ける大きな社会問題になった。
◆ 政治は責任を取る勇気と覚悟を
生ワクチンを使用するには、綿密な検定と実験が大前提である。生ワクチンは生きた菌なので一歩誤れば取り返しのつかない事態になる。国内生産を急ぐことも大事だが、待っていたら大流行に間に合わないので古井氏は悩んだ。そこで英国のファイザー社などから、生ワクチンを取り寄せて試験的に使い、祈る気持ちでいたら犠牲者は出ない。それを見た専門家も「厚相がやりたいというのなら、やらしてみたら」という空気になったという。
古井氏は「これは自分が決断しなければいけない。しかし失敗したら取り返しのつかないことになる。大臣や政治家を辞めたぐらいで責任が取れるわけではない」と、随分悩んだという。秘書官と浜離宮や日枝神社を歩き、愛宕山に上ったりして腹が座るまで考え続けた。そしてやろうと決心して、記者会見で「どんなことが起ころうと責任はすべて私にある」と言って退路を断った。
ロシア(当時のソ連)などから、緊急に1,342万人分のポリオワクチンを輸入して蔓延は防げた。後に古井氏は「しくじれば厚相はおろか政界を辞めても追いつかない。非常の時には非常なことをするしかない。良いことは思い切って断行する勇気が必要なんだ。このような難しい病気は日ごろから研究しておくことが欠かせない」と、語っている。この問題は後に松山善三監督が『われ一粒の麦なれど』というタイトルで映画された。
(元共同通信編集委員)
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