【視点】

政治転換の前提は尽くされているか

――安倍・菅政権の惰性的延長を避けるために
羽原 清雅

 菅政権は2021年9月をもって終わる。代わる政権は間もなく決まる。
 それはそれでいい。だが、新政権がどのような勢力の支えで登場するか、なぜその政権が登場したか、いったい何をするのか、その結果の日本社会はどのようになって行くのか、その懸念がある。なにか、いい知恵はないか。長期にわたって、ゆったりと国情に合いつつ、この日本が国際的に生きていくベターな道はないか。戦争にくみする軍事優先の選択を避け得る能力を持った政権をどう作るか。そんな気持ちで、「政権」づくりを考えたい。

 「非」なる菅政権 菅義偉首相の退場に「当然」の情が強かった。首相辞任の表明瞬間には驚きもあったが、話題がすぐに新人事に移ったことで必然と感じた。コロナ禍のみならず、国民各層に不安感が抜けない1年間だったからだ。
 筆者は、菅首相登場直後に、この『オルタ広場』誌に「安倍非憲法的長期政権の終焉と群れ派閥の生んだ菅類似政権」(2020年9月号)、「新局面の挑戦を――安倍・菅長期体制の変革こそ」(2021年1月号)、さらに「学術会議の『排除』をめぐる『負』の歴史―強権発動のもたらすもの」(2020年10月号)、「菅首相の日本学術会議問題は妥当か―狭く短期の政治権力と広く長期の学術界の攻防」(同年11月号)を書いて、安倍と菅政権のいかがわしさと頼りなさ、その「不適任」を指摘しているので、ここでは具体的には触れない。ただ、的を外れてはいなかった、と残念に思わざるを得ない。

 菅氏が、首相に不適任だと感じたのは、長く務めた内閣官房長官としての記者会見を見続けていたからだった。①明らかに官僚が書いたペーパーを読み上げる ②記者の質問を逃げ、かわし、ごまかす ③重要事項でなくても、おのれの思いや判断、感性を見せない ④顔に眼に表情や信頼が浮かばない・・・「個性」だろうが、政治家、しかも一挙手一投足を注目される要人としてどうなのか、そんな印象が終始続いていたからだ。

 また、首相の座についてからも、政治の大局観、基本姿勢、長期展望などを語ることはなく、「国民のために働く」と首相なら言うまでもないことをいう。「自助・共助・公助」など、「自助」で生きている国民がほとんどなのだから、政治家ならまず「公助」の構えを述べ、次に「共助」もよろしく、というべき姿勢を見せない。携帯料金値下げ、不妊治療支援など良い政策ながら、首相よりも閣僚マターでは、と思わせるテーマを打ち出したり、後手後手のコロナ対策や、GOTOトラベル推進とその朝令暮改など失政ぶりを見せたり、概して感心できない運営だった。良いことは、先は見えないが、温室効果ガスの排出量ゼロ目標くらいか。

 人気取り投票でいいのか 後継の総裁候補が、若返りつつ台頭したことは望ましい。
 だが、3氏の対応には疑問も感じる。土壇場で登場した野田聖子氏については、まだわからないが、これまで女性問題や障がい者など福祉面での一味違う言動もあり、変化の新風を打ち出すことが期待されよう。

 *従来述べてきたことが、総裁選に直面して揺らぐ。これは政治家として好ましくない。
 岸田文雄氏は、安倍晋三元首相の森友問題の追及は不要、と言い出す。河野太郎氏は脱原発の主張を、閣僚時代は「封印」し、今回は「いずれゼロに」と軌道を変える。女性女系天皇についても、有識者会議を理由に先延ばしに変える。高市早苗氏は、かねての主張だった金融所得の増税化について「難しい」として見送る。
 このような重要な時期の言動の変化は、河野、岸田、高市3氏に共通するが、これは危険だ。まだ穏やかな時代はいいが、戦前の激動の時代にあったような突然の変化は、国民の危険を招く。政治家には、状況による変化は必要だろうが、保身や言い逃れ、多数派確保、何らかのプレッシャーといった平時の変わり身は、「変節」であって、本来許されない。

 特定の人物について語ろうとは思わないが、高市氏は十分な外交姿勢を見せる前に、電磁波パルスによる敵基地攻撃論を述べている。外交よりも軍事、先ずは先制攻撃、といった論者が、長期政権を持つ政党の総裁になろうとする舞台に立てること自体、政党のありようとして不可解である。国際情勢や政治状況を見ずに国民のリーダーを志願するのは、かつての東条英機的単眼の姿勢に通じるもので、このような選択を支援して総裁選に送り出す安倍元首相にもいかがわしさを感じざるを得ない。

 日頃、うまい主張を流して、有権者の魅力、興味を誘っておいて、いざという場面でかわしてしまう。実現を思わせて引きつけて、いざ権力の座に接近すると、違うことを言い出す。こうした手口は、政治家そのものへの期待や信頼をそいでしまう。権力の座に座り、あれこれ変更やすり替えがあってはならない。
 せめて、思い立った発言をするなら、段階的な説明を述べつつ、目標を語ることだろう。

 *菅氏は、しゃべる技能は高くないが、出馬する3人はよくしゃべる。立て板に水、の感があり、心強いかの印象も見せる。おのれの主張をよくしゃべり、自分のペースに引き込むことに長けているものの、相手の疑問をじっくりと聴き、的を射て答えることが乏しい。一方的で、ヒトラー的陶酔を思わせる。菅氏は、どの質問にもひたすら同じことを繰り返し、聞きたいことに答えないが、今回の3氏は、果たして国民の疑問、あるいは聞きたいこと、言いたいことに耳を傾け、誠意をもって応じるのか。

 *日本学術会議の人選問題は、菅氏の沈黙のままに止まっている。これは、彼の失政の最たるひとつで、許容されたかの状態のままになっている。排除された研究者はみな社会科学系の人たちで、政治に対して問題点を批判し、課題を分析、指摘して、将来的により望ましい社会の構築に役立てようという立場にある。気に入らない、ということでの排除は、学問への蔑視であり、将来のベターを作り出す経緯がない。自然科学系とは異なる使命が理解できておらず、それ自体政治家としての見識に欠ける。社会全体の将来への追求の源である学問、研究を尊重する姿勢が乏しく、年々科学研究の財政措置も減らしている実態は、これを機に改めなければなるまい。
 3人は、このような学術研究をどう考えるのか。まだ見せていないことが懸念される。

 *トータルの政治への大局観、取り組む姿勢が見えにくい。3氏とも、安倍・菅政治の踏襲イメージが強いのは、総裁選の得票を有利にするためだろうか。前任者の政治の踏襲は、安定的には当面はやむをえまい。だが、長期政権にはひずみや問題点が出てきており、たとえばいくつか目についてきた事例をあげると、これらには当然手を付けなければなるまい。
 関心は、踏襲にではなく、変革にある。

 ①従来の惰性化した国会開催や答弁時の無視・軽視的取り組み
 ②官邸主導人事による官僚の忖度の気風
 ③公文書類の隠ぺい・改ざん・削除、あるいは記録を残さない行政行為
 ④政治家に求められる犯罪的事態はもちろん、一段と高い倫理性や道義性の徹底
 ⑤身内優遇の人事や対応、その責任の徹底
 ⑥予算計上の財政的事業の厳しい扱いとフォローの強化
 ⑦省庁間の連絡強化や政策等の共有化 
 ⑧差別を底流とする沖縄基地に絡む問題を日米間で「対等」に協議するか、等々

といった点をどのように改善を図っていくのか、政権運営の身構えが見えないのは困る。

 政権は権力である。法律的にかなえば、かなりのことはできる。だが、それを超えて、法的な妥当性の無視、逸脱、読み替えなど安直な手口も目につき、指摘も多くなされている。  
 新政権はそうした反省の措置も必要だ。政権の安定的維持や存続を望むなら、視野を広げて「非」の部分を直さなければなるまい。 

 政権のありよう 戦前の軍事政権の台頭によって、政党は自らの腐敗、堕落、権力闘争、時流追随などで、議会制度までも自らの手で解体した。厳しい時局に追い込まれるというより、自ら飛び込むような判断が、軍部主導のもとに展開された。戦争利益に与かる財閥等経済畑は物言わず、追随した。国民は、軍部、政府の報道統制、メディアの変心的報道などによって、実情やその情報、選択肢や批判などから遮断され、一途に「勝利」への道を信じた。

 このような事態はまずありえない昨今ではあるが、当時の短期政権の成立と倒閣の事情を見ると、2・26事件(1936年)以降の11政権中、近衛3回で3年弱、東条が2年10ヵ月と長期だったが、ほかの7政権は4~11ヵ月の短期だった。軍部の陸海軍大臣の就任拒否による倒閣などの事態もあったが、東条を除く軍人首相5人はいずれも短命だった。短命政権が続くのは、世情の安定が失われたときで、長期だった近衛、東条にしても、国民の期待と政治の結果が合致せず、むしろ相反しての退陣だった。こうした歴史にも学ばなければなるまい。

 たしかに、戦後の自民党、初政権についた民主党とも、1年間の短命首相を3人ずつ出してきた。病気理由もあったが、いずれにせよ安定感のない政権としての下野だった。
 政権は安定して、長めに落ち着いた状態が望ましい。とすれば、安倍政権の7年余はどうだったか。満足されての政権運営だったか。
 一言でいうなら、小選挙区制のメリットを受けて、毎回50%に達しない得票率で80%に近い議席の配分を受けてきた「一強」体制のおかげ、での政権維持であった。投票が政治に反映しないこと前提の「死に票」の山に築かれた「安定」だった。しかも、政治への発言権である投票をしない有権者が、年々増え続けているのも、有権者の責任だけではすまされず、政治環境との関係も為政者には問われなければなるまい。

 戦前の政権事情が、国民の意思を反映していなかったように、戦後も「民主主義」を信じながらも非民主的な選挙制度で生まれた「安定」政権のもとで、現実の政治のありようや政策運営を享受させられている。納得したいとしても、その前提となる土台が崩れている。
 制度が固定化したばかりに、土台が「民主」ではない民主主義下の社会で、その矛盾の論議を長く行わないままに、国民、有権者はならされているのだ。戦前よりはいい。しかし、国民が、長く続く非論理的な「民主主義」の陥穽に落ち込んだままに生かされているのはどうか。

 こうした土台のおかしさを、国民はもちろん、政治家も自分たちを押し上げてくれている選挙制度ではあっても、その矛盾に目を向けるべきなのだ。
 総裁候補者は、この制度を動かすことは不可能であっても、選挙制度のおかしさと、不投票の有権者の激増を含めて、謙虚でなければなるまい。

 「あれかし」の姿はあるのか 首相になる人物は本来、政権与党ばかりを見ていてはその資格がない。形は最大政党の党首であるが、その任務は国民全体に目を配ることが望まれるし、そうなければならない。少なくとも、その姿勢がなければ、国民多数の支持を得たことにはならない。
 現状では、自民党所属の国会議員と党員幹部の信任を取り付ければ、総裁、そして首相になって、全国民を統治する立場になる。実態は狭い範囲からの選出だが、その実権は国民全体に及ぶ。従って、首相の言動が一党派にとどまることであっても、結果的には国民全体に及ぶわけで、だからこそ首相は党派的であってはならず、国民相手に十二分に説明し、支持を得る努力をしなければならない。その点が忘れられがちだが、首相たる者、その自覚を持たなければならないのだが、今度の総裁候補者にその意識があるか。

 こうした立場に立つ総理・総裁たらんとする者は、取り敢えずの人気投票や、発言の変更などにばかり目を向けていてはいけない。そのためには、視野を広げる努力が求められる。
 現状では、総理・総裁を目指す者の ①本人の努力 ②擁立する派閥内の育成 ③政党としての育成 ④周辺や関係者・団体の努力・・・それすら不十分である。
 だから、しっかりと安定した政策などの開陳が見られない。候補者本人にしても、視野が広がらず、自己研鑽でさえ不十分な姿で登場する。首相・総裁が力量不足で、短期に下野せざるを得ないのも当然だ。

 菅氏の場合、5派閥とも自派候補を用意していないからこそ、無責任な相乗りになった。各派相乗りだったから、どこも責任にも反省にも言及しない。党員はいざ知らず、国民には迷惑な話である。
 今回も岸田氏は一応別としても、候補者があちこち駆け回って頼み歩く。各派もそれに動揺して結束できない。「総裁擁立」という派閥本来の存在理由を失って、擁立可能な人材を長期的に育て、政治スタンスや指針、政策などを構築し、その路線を派閥議員が共有して、時に臨む、そんな機能も経験もなくしてしまっている。だから、出たとこ勝負の思いつきで動く。言動の変化に、十分な説明も、反省や恥じらいもない。

 安倍氏でいえば、小中高大一貫校育ち、しかも政治家の世襲を受け、社会的視野が狭いままで突き進んだ。視野狭窄のままに日本会議的な部分に傾斜し、森友、加計、桜を見る会の事例のように、その権力行使においても、有権者が納得できない言動でも許される、と権力の思い違いを重ねた。一国の首相として国民を説得し、極力広くまとめていく姿勢が乏しかった。独断と偏見も、権力を握れば許容されるとでも考えたのだろうか。首相としての風格を問われていること自体が理解できないでいる。

 大政党が世襲によって3割もの国会議員を議席につかせる国会では、若くして広い経験を持ちえない可能性もあり、苦境にある人々、異論を唱える野党の主張、利害関係の複雑な問題、短期と長期の取り組みの可否など、その結論、決定が十二分に検討、論議されたうえでのことであるのか、不安にもなる。要は、視野狭窄と信頼醸成自体への不信感、である。 

 「昭和研究会」の試み かつて、近衛文麿の政権作りに当たった「昭和研究会」(1936~40)があった。新体制運動、政党解体による一国一党の新党計画、国民総動員体制、さらに大政翼賛会結成への地ならし的活動など、東条政権に引き継ぐ土壌を培った、いわば失敗、失政を招いた組織だった。
 しかし、そこに学ぶことがあった。この研究会の果たした「非」の部分を承知しつつ、それでも政治環境作りの試みがあったことは心にとめていいのではないだろうか。7、80代以上の読者でないと、この人名に実感が伴わないだろうが、一部を列挙しておこう。

 当時の激動のなかで、近衛の旧一高時代の仲間である後藤隆之助が結成した。①憲法の範囲内で国内改革をする ②既成政党を排撃する ③ファシズムに反対する、の3原則のもとに、蝋山政道をブレーンとして、佐々弘雄(朝日新聞)、高橋亀吉(経済評論家)、清水幾太郎(のち学習院教授)らが発足時から関与、常任委員には唐沢俊樹(内務省)、後藤文夫(同)、賀屋興宣(大蔵省)、東畑精一(農業経済学者)、佐々、高橋、後藤ら、委員に青木一男(大蔵省)、有田八郎(外務省)、石黒忠篤(農林省)、大河内正敏(理研)、風見章(近衛内閣書記官長)、膳桂之助(日本団体生命社長)、津島寿一(大蔵省)、古野伊之助(同盟通信社長)、村田省三(大阪商船社長)、湯沢三千男(内務省)、吉野信次(東北興業社長)などの名があった。

 また昭和研究会には、いろいろな関連団体があり、そこには、やはり多彩な人材が関与していた。世界政策研究会《古垣鉄郎(朝日新聞、のちNHK会長)、石田礼助(三井物産、のち国鉄総裁)、芦田均(外務省、のち首相)、伊藤正徳(評論家)のほかに、蝋山、後藤隆、有田、佐々ら》。文化研究会《加田哲二(慶大教授、東亜共同体論者)、三枝博音(哲学、科学史家)、中島健藏(評論家)、笠信太郎(朝日新聞)、矢部貞治(政治学者)、清水、佐々、笠ら》。教育問題研究会阿部重孝(東大教授)、木村正義(文部省)、城戸幡太郎(教育学)、児玉九十(明星学苑)、下村宏(朝日新聞)、関口泰(同)、前田多門(同)ら》。七日会《橋本清之助(のち翼賛政治会事務局長)、千葉三郎(のち衆院議員=自民)、岸道三(近衛首相秘書官)ら》。昭和同人会(稲葉修三(評論家)、宇都宮徳馬(のち衆参議員=自民ほか)、羽生三七(のち衆院議員=社会)、和田耕作(のち衆院議員=民社)、笠ら)。壮年団《丸山鶴吉(内務省、警視総監)、大島正徳(公民教育者)、近衛、両後藤ら》。
 時局懇談会《麻生久(社大党)、風見、佐々、古野、後藤隆ら》。国民運動研究会《羽生,後藤隆ら》。昭和塾《理事に両後藤、佐々、蝋山ら、顧問に有馬頼寧(衆院議員、農民運動、のち大政翼賛会事務総長)、結城豊太郎(商工会議所会頭)ら、幹事に尾崎秀実(朝日新聞、ゾルゲ事件関与)、岸ら》。以上は、酒井三郎著『昭和研究会―ある知識人集団の軌跡』(1979年刊)によっている。

 近衛政権が念頭にあるので、全体に右の実力者、専門家、活動家が多いが、事務局には左派運動に入っていた者、戦後社会党の議員になった者などもいた。
 この会合は、手弁当で出費はしていないようだったことが特筆されよう。近衛による社会状況の安定を図りたい、との気持ちが強かった、という。
 ただ、時流には負けて、壮年団は大政翼賛会の下部組織とされ、若者の昭和塾は近衛親衛隊とみられ、昭和研究会の解散が大政翼賛会の発足につながる印象を与えていた。

 ここで言いたいのは、この研究会がかなり広い視野で世界情勢を討議し、深い歴史の背景を見て、和平の方向を探る機能を持っていた、という点である。論議の内容、方向性や結末は評価しないが、ファシズム反対など3つの原則に沿って、時流迎合的、あるいは極端な思想の持主などは選ばなかったようだ。このような百数十人、あるいは二百人強というような専門家が集まる機能は、方向性を誤らない限りは参考になるだろう。

 また、このような試みに、寄付を寄せる経済人などがいたことも参考になる。私的財産の形成に走りがちな現在、甘い期待はできないが、総裁候補者に接近して私的な利益を得ようとするのではなく、日本の将来を多角的に研究するといった、大きな狙いを持つ人物や団体が生まれないものか。
 政治家も、選挙資金集めに奔走せず、外部を意識して言動を揺るがすことのない、日本の将来を大きく、長期的に考えるくらいの人材は出ないものか。岸田氏、河野氏らが、そのような努力を重ねたうえで、総裁選に登場するならば、世論の動向も大きく変わって来るに違いない。

 野党の責任 自民党独占のようなこの政治状況を作り出している、その責任のかなりの部分は野党、とくに比較多数を握る立憲民主党にある。「自民一強」を作り出している小選挙区制度に批判もせず、異論もたてずに容認している以上、この最大野党は、有権者の期待を集める努力と工夫が必要だ。自民党の跳梁に対して、黙殺されがちな状況に反発する同党だが、それは選挙制度自体に目を向けず、自己改革のない、天に唾する言動に過ぎない。

 野党の連携も必要だろうが、野党政権作りの政策などを打ち出してみても(不要とはいわないが)、有権者の多くは信用しない。各種の世論調査が示すように、野党の支持率は変わらず低迷し続けているではないか。
 今やるべきは、先ず党内の運営を替えて、目標もまずは衆院選での与野党伯仲の状況をつくることで、その間に野党側政権が具体的に、何を掲げて政権を目指すか、を国民の目線で示すことだろう。一気に政権を取り、ただちに夢のような社会をつくるのだ、などといえば、いよいよ政権から遠のく。地道ながら挑戦的な安定、さまざまな障壁を超える方策と力量、まっとうな官僚基盤の活用、日本の置かれた特性のもとに考える対外政策のありよう・・・そのような姿勢をまずは作らない限り、政権などは来ない。

 民主党時代の3代3年の政権挫折の過ちを総括して、具体的に反省していないからこそ、伸びないままなのだ。その歴史から目を背けている限り、万年野党の遠吠えを重ねているしかあるまい。

 そのためには、せめて三つのことが必要だろう。
 ひとつは、党の政策機能だけではなく、昭和研究会とは言わないが、党外各層の専門家を集めたブレーンシステムを持ち、短期、長期のあるべき内外の政治の姿について侃々諤々の論議を求め、党関係者の智力、判断能力を拡げていくこと。かつて、総評などの知恵を借りている時代も長かったが、イデオロギーにとどまらない思考を党内に蓄積すべきだろう。

 第二に、自民党の政権に取って代わろうという以上、すぐさま変えられるわけがない。したがって、自民党的政府の政策や取り組みをよく学び、どの時点まで踏襲しつつ、どうなれば変革の時期が持てるか、といった実務を検討しておくことだ。過渡期は重要である。

 第三は、党組織の充実が必要だ。何とか全国に党組織ができたようだが、国民との接触能力を持たない限り、頭数をそろえれば政権が持てることなどありえない。国から出る政治資金を党中央部で使うのではなく、党幹部は極力資金繰りに勤めて、地方のネット作りとキャンペーン活動を活性化させることだ。週1回、月1回は全ての国会、地方の議員が街頭に立つくらいの意欲を見せなければ、政権など望むべくもない。
 自民党の強さは、地域にあり、人間関係にある。これに学ぶくらいの度量を持ちたい。

 国民民主党、社民党にも、同様のことを言いたいが、現状でそこまでのことは望めまい。
 国民民主党が連合の言いなりになり、その意向に従うばかりであれば、民社=同盟関係や、社会党右派と同様の姿になるのではないか。自立した大きなスタンスが見たい。
 共産党は、今後も政権党たり得まいが、地方議会を中心に地域の抱える問題への取り組みは独自の力量もあり、それはそれで望ましかろう。

 (元朝日新聞政治部長)

編集事務局注:過去の掲載分は以下リンクしています。
・「安倍非憲法的長期政権の終焉と群れ派閥の生んだ菅類似政権」(2020年9月号)https://www.alter-magazine.jp/index.php?go=kahyM8、
・「新局面の挑戦を――安倍・菅長期体制の変革こそ」(2021年1月号)、https://www.alter-magazine.jp/index.php?go=iWeUmg
・「学術会議の『排除』をめぐる『負』の歴史―強権発動のもたらすもの」(2020年10月号)、https://www.alter-magazine.jp/index.php?go=fJQpr1
・「菅首相の日本学術会議問題は妥当か―狭く短期の政治権力と広く長期の学術界の攻防」(同年11月号)https://www.alter-magazine.jp/index.php?go=4bGfaQ

(2021.09.20)
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