大原雄の『流儀』

新作人形浄瑠璃は、シェイクスピア版「憲法九条」だった。

大原 雄


 先月(14年9月)、東京の国立劇場で人形浄瑠璃「不破留寿之太夫(ふあるすのたいふ)」を観た。前号のオルタで紹介した歌舞伎版「戦後レジームと集団的自衛権」の続編みたいな形になるが、同じような外題を付ければ、シェイクスピア版「憲法九条」となる。今回が、国立劇場初演という新作人形浄瑠璃。

★なぜ、「文楽」というのか

 まず、用語の説明から。私は、「文楽」という言葉を余り使わない。人形浄瑠璃は、江戸時代から続く伝統芸能で、その歴史は、ほぼ歌舞伎と同じように400年を超えている。一時は、歌舞伎と競い合うようにしながら続いてきた。

 「文楽」という言葉は、大坂の人形浄瑠璃芝居のことだが、義太夫節を地として三味線などの演奏に載せて、三人遣いの人形で演じる。幕末期に植村文楽軒というに拠る興行を経て、明治期は、「文楽座」と「彦六座」が競合し、大正期に「文楽座」が勝ち残った。以後、人形浄瑠璃芝居を「文楽」と呼ぶようになったが、幕末期以前の人形浄瑠璃を「文楽」と呼ぶのは、私には、違和感があるのである。

 大坂の人形浄瑠璃芝居は、貞享元(1684)年に竹本義太夫によって道頓堀に設立された「竹本座」に始まる。竹田出雲を座元の、近松門左衛門を座付作者に迎え、隆盛した。同じ人形浄瑠璃芝居の「豊竹座」との競合で、人形浄瑠璃全体が盛況を極めた。この大波を受けた歌舞伎は、この時期、「歌舞伎はあれども無きがごとし」と称された程、人形浄瑠璃の隆盛の蔭に押しやられてしまった。能は、武士階級が好んだ芸能、歌舞伎と人形浄瑠璃は、庶民が好んだ芸能であった。やがて、庶民の芸能として、人形浄瑠璃より歌舞伎が好まれるようになり、竹本座、豊竹座の生き残り合戦となり、結局、豊竹座は無くなり、竹本座が残った。

 「文楽」は、現在では、正式の呼称として使用されていて、能、歌舞伎、文楽として、日本の三大国劇のひとつとなっている。歴史に「もし」は、禁句だろうが、もし、文楽座が勝ち残らずに、彦六座が勝ち残っていたら、人形浄瑠璃芝居の名称は、「文楽」ではなく、「彦六」と呼ばれていたかもしれない。

 松竹が、歌舞伎同様に人形浄瑠璃興行にも手を出した時期もあったが、私企業での経営は難しいということで、結局、手を引いてしまった。人形浄瑠璃の業界は、その後もいろいろあったが、今のような国立文楽劇場(大阪)、国立劇場(東京)での興行という形態になった。運営は、財団法人文楽協会で、国、大阪府、大阪市が補助金を出しているので、橋下市長が、文楽への補助金支出について注文をつけたりして、耳目を集めたことがある。「人気」(人の気分次第か)商売だけに、経営的には、江戸時代も今も、なかなか難しいところがあるのだろう。

★「不破留寿之太夫」

 新作人形浄瑠璃「不破留寿之太夫」は、シェイクスピア原案の新作もの。元になっているのは、17世紀初頭に上演されたシェイクスピア原作の「ヘンリー4世」と「ウインザーの陽気な女房たち」。シェイクスピア学者の河合祥一郎脚本。三味線方の人間国宝・鶴澤清治作曲。主人公は「巨漢で色好みのお調子者」の、フォルスタッフ。それゆえに、付けた外題は、「不破留寿之太夫(ふあるすのたいふ)」という。フォルスタッフは、「ヘンリー4世」、「ウインザーの陽気な女房たち」の両方に登場する人物。新作人形浄瑠璃「不破留寿之太夫」には、人形浄瑠璃特有の段組(段=場面構成)の明記は、ない。

 何処かの国の、いつとも知れぬ時代(と、言いながら、17世紀初頭、まあ、日本で言えば、江戸時代開幕の頃らしい)の物語。老齢の領主(芝居には登場してはこない)、跡継ぎの春若という王子と王子の傅役の不破留寿之太夫という武士のコンビが巻き起こす笑劇(ファルス。「フォルス」タッフの由来かな?)。まあ、一種の御家騒動もの。だから、人形浄瑠璃や歌舞伎に馴染み易い。

 新作の床本(太夫たちが読むもの)の冒頭を書き写してみよう。

 「人の命はやがて消ゆる束の間の灯。誉れありといへども命果つれば益なし。真の武勇は分別にあり、戦をせぬこそ分別なり、命が物種とて、爰(ここ)に戦はぬ武士あり。戦はずして兵を屈するは上なり、百戦百勝は中なり。誉れ得んとして命捨つるは下なりと言ふ」

 舞台下手に黒マントほか、全身黒づくめの衣装を着た老人(老騎士?)が現れる。太夫の語りは、この老人のモノローグなのか。不破留寿之太夫の思いなのか。誰なんだろう、この老人は? 筋書の登場人物にも記載がない。

 それにしても、いつの時代とも知れぬ、どこかの国とは。かえって、時空を超えている。まるで、戦争放棄で平和を守れ、平和を守る集団的自衛権を持てと、論議中の、どこかの国の現代劇ではないのか。

★桜の木の下には…

 「己こそ賢者なりと豪語して酒に酔ひ臥し、長閑けき春の星月夜、小夜鳴き鳥の囀りを掻き消さんばかりの高鼾」と、桜の巨木の根っこで眠りほうけている巨漢を紹介するのは、正体不明の老人。これからの芝居の案内役になるつもりなのか。

 それにしても、この巨漢、容貌怪異につき、要注意。薄い頭に金髪、黒い眉と髭。太鼓腹の上にある胸には、やはり金髪の胸毛。耳にはピアス(シェイクスピアもピアス好きだったらしい)、臍には、星形の「へそピ」(臍用のピアス?)を付けている。

 この酔いどれ男こそ、不破留寿之太夫。この芝居の主人公。この男の話に耳を傾けてみよう。

 自分は侍、「天下無双の兵」だという。領主は、死にかけた老爺、世継は、大うつけ。バカ君の世話係が自分だ。いたって、酒好き。居酒屋の女房、蕎麦屋の女房に同じ付け文をして、只酒に与ろうと思い付いた。

 桜の巨木に登っていた青年が降りてきた。「杏里の国の世継、春若」と名乗る。敵国を欺くために、うつけの真似をしているが、「いざ時来たらば」名君になると嘯く(信長のような男か)。今宵は、百両の大金を持った役人がひとりで通りかかるそうだから、追い剥ぎをしようと傅役の家来に持ち掛ける有様。

 巨漢の付け文を貰った居酒屋と蕎麦屋の女房、お早とお花が、それぞれ、時を同じゅうして、上手と下手から現れる。お互い、幼馴染で気心が知れているから、届いた付け文について、どうしたものか、相談しようという心算。見せあえば、同文同報通知。BCCの電子メールと同じ。宛名以外は、以下同文。卒業証書みたい。愛しい人への誠意も愛情もない、腹が立つ、とふたりは怒り出す。

 桜の巨木の下の死体ならぬ「酔体」の巨漢を見つけて、意趣返しを思いつく。お花は隠れ、お早が、巨漢を攻める。男騙しの色仕掛け。男の胸元に返書を滑り込ませる。次いで現れたお花が、同じように男の胸に返書を差し込む。

 恋のしがらみ蔦かづら。女同士の喧嘩に見せかけて、ふたりは巨漢を叩き合う。不破留寿之太夫の顔は腫れ上がり、頬は、紅葉か杜若。赤、紫に染まり行く。腫れた頬が付けられて、滑稽顔。

 このくだりは、「妹背山婦女庭訓」の「道行恋苧環」をモデルに、不破留寿之太夫を求馬(もとめ)に見立て、ふたりの女房をお三輪と橘姫と想定、古典劇の三角関係になぞらえて、作劇したという。

★星月夜

 やがて、件の旅人、役人が来る。金を奪い取り、「思ひがけなくて手に入る百両。こいつは春から縁起がええわ」と芝居(黙阿弥の「三人吉三」)の名科白。般若の面を付けた鬼面の男が現れ、不破留寿之太夫が旅人から奪ったばかりの金を奪われてしまった。

★居酒屋

 居酒屋の女房と蕎麦屋の女房がホステス役。客は、不破留寿之太夫の家来たち。鬼面を外した春若も先回り、先回り。

 遅れて来た不破留寿之太夫は、居酒屋に屯している連中相手に法螺の武勇伝を語り出す。こりゃ、講談師より巧い。話しているうちに、立ち回りの相手の賊の人数が増えて行く。ひとりが、二人、四人、八人、十六人、五十人、百人、と語るたびに、倍倍ゲーム。百一人目に負け、金も取られた。「千一夜物語」並み?の「迷調子」。

 不破留寿之太夫のあまりの嘘に春若は、鬼面を付けて見せる。驚くと思いきや、不破留寿之太夫は、蛙の面に◯◯。ハナから鬼面の男を領主の世継の春若と見抜いていて、「ご無礼なきよう逃げたまで」と、ほざく。嘘つきは、どこまでも嘘つき。「ヤクザは見栄で生きているから平気で嘘をつく」(直木賞受賞第一作・黒川博行「後妻業」より)。見栄張りは、ヤクザばかりではない。武士も嘘つき、◎◎も嘘つき。

 お城からの使者が慌ただしく、王子・春若を訪ねてくる。老領主、俄に体調崩す、春若様に急ぎ登城を、との報。親父に叱られるのではと、春若と不破留寿之太夫は、親父面談の稽古。最初は、不破留寿之太夫が領主役。途中から交代、春若が領主役。すると、春若は、不破留寿之太夫の日頃の悪行を挙げ連ね、「所払い」を命じる。

 やがて、城から第二便の使いがくる。「只今、ご領主様ご逝去」。不破留寿之太夫は、春若が領主になったことを悟る。傅役の自分は、領主の側近。出世間違いなしとはしゃぐが、春若は、「そちは即刻所払いじゃ」と、稽古の時の科白を冷たく繰り返すばかり。

 その理由は?
 「太り過ぎじゃ」と、春若。「楽をして暮らす時代は終われり」。春若は、馬に乗り城へ。
 残され、一人立ち尽くす不破留寿之太夫。

 以下独白。
 「春若は、名誉ある領主になったが、名誉など所詮浮世の泡沫。つまらぬもんぢゃ。名誉にこだわって戦なんぞして、手足を失ったらどうする。(中略) 名誉とは何ぢゃ。言葉ぢゃ。言葉は空気ぢゃ。空しいものぢゃ。やがて時が来れば、戦など愚かしいとわかる時代もやって来やう。国と国とが争わぬ時代もやって来やう」(原文ママ)。

 やがて、不破留寿之太夫の人形からは、「左遣」(人形の左手担当)が離れ、主遣(メインの人形遣)と足遣(両脚担当)の「ふたり遣」の演出になって本舞台から客席に降りたち、花道ならぬ、西の歩みの通路を、客席の間を縫うように歩み去って行く。舞台上手には、冒頭に姿を現したまま、行方不明だった老人が佇んでいるばかり(居酒屋の群衆の中にもいたらしい)。
 この老人こそ、江戸時代の紗翁(シェイクスピア)か。

★不破留寿之太夫は、憲法九条なのではないのか

 「戦争をしようとする国家にとって、不戦を貫くフォルスタッフはいなくなってほしい存在なのだ」とは、脚本を書いたシェイクスピア学者の河合祥一郎の解説。ならば、不破留寿之太夫は、まるで、憲法九条なのではないのか。シェイクスピア版「憲法九条」の物語。最後に不破留寿之太夫は、言う。「杏里の国とはおさらばして、別の国で愉快にやるまで。どこで暮らさうと同じことぢゃ。ガハハハ」。

 世継のうつけ者の若君・春若と不破留寿之太夫の関係は、好戦と反戦の関係。「国体に取り込まれて戦争に突き進んでいく」春若、「どうすることもできない一庶民」不破留寿之太夫の対比をこの新作人形浄瑠璃は、シェイクスピアと共に、伝えている。

★新作人形浄瑠璃初演にチャレンジした人々

 人形造形は、石井みつるが担当。17世紀初頭、江戸時代開幕期の想定。衣装は、和洋折衷の創作衣装。例えば、たっつけ袴とニッカボッカの類似性などに注目をし、独自に作った。居酒屋の女房などの衣装は、和風の打掛をベースにスラッシュカット(縦に切れ目を入れ、下着を覗かせる縫製)を組み合わせた。主人公の巨漢は、ピアスを付けるなどお洒落で、おへそに星形の「へそピ」も付けている。実は、シェイクスピアも、ピアス好き。肖像画には、ピアスを付けたものもあるという。大道具(セット)も、担当。人形浄瑠璃の「定式」とは、大分趣きが違うが、それなりに独自の世界を醸し出した。

 義太夫は、英大夫、呂勢大夫、咲甫大夫、靖大夫。

 人形遣は、三人遣の全員が、顔を隠しているので、主遣が顔を出しているいつもの演出と感じが違う。人形遣が後ろに下ったような感じになり、いつもより人形たちの存在感が大きくなった。不破留寿之太夫は、勘十郎。春若は、和生。お早は、簑二郎。お花は、一輔。旅人(役人)は、紋臣。居酒屋亭主は、勘市。蕎麦屋亭主は、玉佳。

 三味線ほかの楽器演奏。清治、藤蔵、清志郎、龍爾、清公。作曲の鶴澤清治の活躍を見ると、人形浄瑠璃では、三味線方が、コンサートマスターや演出家の役割も果たすことが判る。

 贅言:私がいわゆる「赤毛もの」(翻訳・翻案もの)の人形浄瑠璃を観るのは、同じくシェイクスピア原案の「天変斯止嵐后晴(てんぺすとあらしのちはれ)」を09年9月、国立劇場で観て以来だが、古典伝承芸能の典型のような歌舞伎や人形浄瑠璃では、ときどき、こういう試みをするので、普通の人形浄瑠璃は鑑賞が難しくてと、敬遠している人たちも、おもしろそうだと気が向いたら、是非とも劇場に脚を運んでいただきたい。人形浄瑠璃に溶け込んだシェイクスピアに出会えるだろう。

 (筆者はジャーナリスト、元NHK社会部記者、元日本ペンクラブ理事)


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