【書評】

日本人よ、沖縄の心を見よ!         

                        荒木 重雄


『沖縄独立研究序説』 
真久田正 著 / (株)Ryukyu企画 発行
         定価 1000円+税


仲井真沖縄県知事がついに米軍基地名護市移転のための辺野古沿岸部埋め立てを承認した。オール沖縄での反対にもかかわらず、自民党国会議員団が圧力に屈したのにつづき、振興予算の札束に頬をひっぱたかれたかたちで、沖縄県民が真に求める基地負担の軽減は曖昧にされたままにである。
県民の意思を無視した事態のなりゆきに「21世紀の琉球処分」との声も高まっている。

 「琉球処分」。それは、いうまでもなく、中国・日本・東南アジアの中継貿易拠点として独自の文化と政治を育んできた琉球に、江戸幕府の命を受けた薩摩軍が侵攻して以来、ヤマトの支配が強化されていくなかで、明治政府によって執られた、琉球王国の伝統を廃絶して新たに沖縄県を置く、併合政策の完成をさす言葉である。

 しかし、住民の意に反したヤマトからの政策の押しつけという意味での「琉球処分」は、以後、繰り返し行われてきた。「方言札」に象徴される同化政策からはじまって、第二次大戦中は、本土決戦の「捨て石」とされ10万の沖縄住民が犠牲になった沖縄戦。戦後は、米軍領有下で「銃剣とブルドーザーによる土地接収」に苛まれ、サンフランシスコ平和条約で日本は沖縄を米軍施政権下に置き去りにしたまま主権回復。そして、72年の本土復帰も、米軍の基地自由使用と有事核持ち込み密約つきであった。

 こうした歴史を背景に、沖縄独立論や運動も幾多の変遷を経てつづいてきた。明治の琉球処分にさいしては、清国に亡命して清政府に琉球王国再興を働きかけた「脱清人」の運動や、日本の主権は認めるものの琉球王族・尚家の統治を求める「公同会運動」などが起こったが、いずれも抑え込まれた。

 米軍政下では、米軍を解放軍と捉えて、信託統治を経て独立国へと展望する気運もあったが、軍政の言論弾圧や土地接収の強行、米兵による住民への加害行為の頻発などにより、しだいに住民の期待は「平和憲法下の日本への復帰」に移っていった。だが、復帰が日程に上るにつれ、「本土並みの復帰」が果たされないことが明らかになって、「反復帰論=独立論」も急速に高まり、復帰と反復帰をめぐって激しい論争がたたかわされた。
 
この論争は、もちろん復帰の実現で終わったわけではない。その後もいっこうに解決されない基地負担や経済格差にかかわる問題が顕在化するたびに、沖縄の社会と政治に通奏低音のように流れる日本への不信と独立への志向が表に現われ、高まるのである。

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前置きが長くなったが、このような歴史も背負った著者の痛切な思いが吐露されているのが、小論で取り上げる『沖縄独立研究序説』である。
著者、真久田正氏は、1949年の石垣市生まれで、若いころは、沖縄返還協定批准に抗議して第62回国会(1971年)で仲間三人と爆竹を鳴らした「国会爆竹事件」や、その裁判で「うちなーぐち(琉球語)」を使う「うちなーぐち裁判」で勇名を馳せた人物で、といえば思い出される方もおいでかと思われるが、そのご、シンクタンクやマリーナの経営など実業にも携わり、ヨットや、おもろ語を使った文学活動などに打ち込む一方、二十一世紀同人会発行の『うるまネシア』誌上で沖縄の自立独立をめぐる評論活動を展開してきた。
 その『うるまネシア』誌上での諸論文を、自ら興した株式会社Ryukyu企画で刊行する「琉球館ブックレット」の一冊に纏めたのが本書である。

 著者が一貫して主張することは、「沖縄は独立すべきである」という一点である。
なぜ独立すべきかは、上に述べたことも併せ、改めていうまでもないだろう。
本書は、「沖縄人同士が争うのはもうやめにしようじゃないか」ではじまる。語り口は一見、ソフトである。だが、「そうでなければ自分の考えている『沖縄独立』は永遠に不可能に近いし、意味がないからである」と、底は深い。

それにつづいてこうも書かれる。
「考えてみればわが沖縄は、あるときは薩摩軍、あるときは熊本鎮台(明治政府軍)、またあるときは米軍に占領されたけれども、それでも沖縄人は今日までちゃんと生き残り、琉球文化も消滅することなく厳然と存続してきた。だったら、仮に将来(いつかわからない未来に)どこかも知れない国の軍隊が攻めてきてこの島を占領したとしても、我々にとっては結局どのみち同じことではないかと思う。[ 中略 ] つまりもし、仮に実際に外国の軍隊が沖縄に攻め込んできたら、我々は先人たちが歴史上そうしてきたように両手を広げ白旗を掲げ最初から降参すればいい。それだけの話だ。米軍が日本軍(自衛隊)に引き継がれようが、自衛隊が中国人民解放軍にとってかわろうが、どっちにしても我々『県民』にとっては大した違いはない」。

ここまで退いた沖縄独立論である。綺麗事の大義などかなぐり捨て、日本を含む周辺の国々の利害や思惑など脇に置き、純粋に、沖縄人を主体に、沖縄人が生き残る道はなにかに絞り込んだ、独立をめぐる思想や状況、課題が語られていく。
それはまた、私たち日本人の沖縄への思いや認識が、たとえ良心的なものであろうとも、いかに自分たちの都合やイデオロギーに偏ったものであるかを炙り出す。

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著者の、明快に見えながら晦渋に満ちた、逡巡するように見えながら毅然とメッセージを載せた、ニヒルでありながらポジティブで、ポジティブでありながらシニックな語り口と、そうして語られる状況分析や展望は、この論考がウチナーンチュ(沖縄人)がウチナーンチュに向けて語られている性格上、ヤマトーンチュ(日本人)には思いの及ばない含意のあろうこととも併せて、その内容の手際よい紹介や論評など筆者の乏しい筆力には余るもので、ぜひ本書を実際に手に取ってほしいと勧めるしかないが、著者が繰り返し強調するところは、独立できる客観的な条件があるかどうかではなく、沖縄は独立すべきであり、だから独立を志し、独立への道をあらんかぎりの智慧と努力を傾注して探るべきであるということである。

そこで著者は、「独立したらイモ・裸足の時代に戻る」との恫喝に抗して、沖縄国独立への道筋や経済的自立を含む国のかたちについて、国旗・国歌・通貨から福祉・教育、さらにはカジノ・軍隊・徴兵制まで、さまざま考えをめぐらすのだが、たとえばある章では、近い将来、道州制が導入され、沖縄は奄美と合わせて「琉球(沖縄)州」に再編されるとの仮説を立てて、州から独立国へのシュミレーション・ゲームを次のように展開する。

納税拒否を州知事が宣言、州議会も条例議決 ⇒ 日本政府は督促・追徴金請求から銀行口座・財産の差し押さえまで手を尽くすが効を奏さず、最終手段の報復措置として琉球(沖縄)州への地方交付税・国庫補助金などを全面カット ⇒ 補助金カットを理由に州は独立を宣言 ⇒ 琉球国憲法(仮)を制定し、立法・行政・司法機構を抜本改革、大幅な民営化移行 ⇒ 米軍基地については、日本政府の補助金カットで基地関係費も未払いになるので、施設への電気・水道・ガスなどの供給停止、港湾・空港・道路などの使用禁止。米軍はやむなく撤退 ⇒ 基地跡地に内外から優良企業を誘致し、失業した基地従業員や公務員の雇用確保。さらに余った土地に企業的農場やオートサーキット場・野球場・サッカー場などを設置。
こうした法律・制度改定のうえで地の利を活かして港湾・空港を活用した観光や貿易の振興。さらには日本の国有財産や企業資産の合法的接収にまで筆はすすむ。

要約してしまえば味もそっけもないが、原著ではこれらの過程が、目からウロコの独創的なアイデアを交えて具体的かつ綿密に語られていて、それじたい読者の知的興味を刺激すること間違いないが、沖縄に限らず、自立を志す地域を大いに励ます智慧に溢れている。
もちろん、リアリティーには問題もあろう。だが、実現可能性の検証より、独立への意志さえ確かなら方法は創り出せる、いや、創り出さなければならない、という著者の渾身のメッセージをこそ汲み取るべきであろう。

本書では、著者が独立を志向する動機の一端に次のような絶望感も窺がわれる。すなわち、人口で沖縄は日本の1%の投票権しかない。衆議院や参議院の定数ではそれ以下である。そんな沖縄の声が日本の「議会制民主主義」のなかで通るわけがない。

筆者はこの言葉を目にしたとき、同時に、福島原発事故で故郷を追われ、生活を奪われている人々のことも思った。彼らも同じような無力感・疎外感・絶望感に閉ざされていることだろう。それは、原爆の被爆者、水俣病やイタイイタイ病の被害者とて同じであろう。多数の寄り添う者がなければ、これらの人々は、強者・多数者の論理がまかり通る「議会制民主主義」なる政治のなかで、無力な少数者として差別され切り捨てられるままである。

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沖縄が独立できる客観的な条件があるかどうかが問題ではない。ここまで理不尽に扱われてきた歴史と現状から、沖縄は独立すべきだし、独立するための条件は、沖縄人自身が主体的に創りだせばよい。独立を求める沖縄人の心情・情念・意志・覚悟こそが最重要である。これこそが著者が強く訴えるところである。

じつは、3年前、『オルタ』にかかわる数人で那覇市に大田昌秀元知事を訪ね話を伺ったことがあった(第86号参照)。その折、筆者が沖縄独立論について意見を尋ねたのに対し、元知事は否定をしなかったことが、筆者には少なからず衝撃的であった。70年前後、筆者は当時の沖縄独立論に少なからぬ共感を寄せていたからである。
大田氏との会談では、だが、独立論にはそれ以上、踏み込まず、話題は次に移っていった。その場を支配していたのは、やはり、沖縄の人々の心情よりは、沖縄をめぐる「客観的」な、政治的・経済的・歴史的状況、とりわけ対米関係への関心であったからであろう。

しかし、最近の沖縄メディアの論調や読者の声などを見ると、独立への志向や、沖縄人のアイデンティティー重視への傾斜が顕著である。事態はそこまで煮詰まってきているということだろうか。
たとえば、自民党県連幹事長や知事・国会議員の選対本部長も務め、沖縄保守政治家のドンと目される翁長雄志・那覇市長でさえ、いまや保革の対立を超えてアイデンティティーで中央の政策と闘うべきだと語っている(『沖縄タイムス』2013年12月8日号)。彼は、オスプレイ配備反対運動で沖縄に向けられた、「沖縄を甘やかすな」という官僚の言葉や「本土でいやだと言っているのだから沖縄で受け入れるしかないだろう。不毛な議論はやめよう」と吐いた自民党国会議員の言葉を引いて、「県民にはいつでも怒りの声を上げるマグマがある」と述べている。

近年の沖縄で目につくことは、「差別」という言葉が頻繁に使われることである。それは、日米安保条約による米軍の駐留を欠かせぬ条件のひとつに日本は平和を享受してきながら、その基地負担を一方的に沖縄に押しつけ、さらに加えて、その事実を本土の人々が意識すらしない、その構造と本土の人々の無理解・無関心に対してである。
少数者に一方的に負担を強いる差別が構造化され、国民の大多数は自らが差別している意識すらない、そのような状況で、公正を訴える声が届かないと痛感した少数者が拠り所をアイデンティティーに求めざるをえなくなったとき、その人々の無念の心情と意志が分離独立に向かうには、さほどの距離はない。

沖縄の人々の独立をめぐる意識調査は多くない。そこにはある種のタブー感覚も働いたのだろう。だが、ともに琉球大学の調査で、独立を求める人が1996年には3%にも満たなかったのが、2007年の調査では20.6%に増えている。この数字も大きいとはいえなくとも、同じ調査で、「日本人である以上に沖縄人」という意識をもつ人は41.6%に及ぶ。そのごの調査については筆者は情報をもたないが、この間の経緯を考えれば数字の一層の増加は想像に難くはない。

昨2013年には沖縄独立を学術的に展望する「琉球民族独立総合研究学会」が創設され、近く「琉球独立協議会」も発足するという。その趨勢のなかで最近は、沖縄独立をテーマとするシンポジウム・講演会なども頻繁に開かれ、多くの聴衆を集めている。しかも、そこでの議論が、国連など国際社会を視野に、とりわけ世界の先住民族・少数民族との連帯を重視していることも注目に値しよう。
沖縄の自己決定権の行使のひとつとして独立が、いま、ある現実性をもって見直されていることは確かである。

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先にも触れたように、本書はウチナーンチュがウチナーンチュに問い、励ますべく書かれたものだが、筆者たちヤマトーンチュへのメッセージは、ヤマトーンチュとしての思い上がりや思惑や、「客観的」にどうのこうのとの「したり顔」を離れ、沖縄人の心を見よ、沖縄人の情念を見よ、真っ直ぐにそれを見よ、とのことであると思われる。
だが、本書で沖縄人の心の襞の一端を包み隠さず示した著者は、昨年の1月、本書の刊行を前に鬼籍に入った。

「オルタ」読者にはぜひ読んでほしいことに加えて、小部数の地方出版であることから、入手の便に発行所を下に記しておく。

株式会社Ryukyu企画(琉球館)
〒901-2226 宜野湾市嘉数4-17-16
Tel 098-943-6945
Fax 098-943-6947

本書に書かれたことではないが、筆者が最近、成り行きを注目していることのひとつに最後に触れておきたい。それは、沖縄県竹富町の教科書採択をめぐる問題である。竹富町は八重山地区で唯一、中学校の公民教科書に育鵬社のそれではなく東京書籍版を採用している。それに対して文部科学省が育鵬社版の採択を迫っているのである。
先の大戦で軍の強制による集団自決を含め10万余の住民が犠牲となった沖縄県民の感情として、天皇・国家中心主義を謳い改憲志向の著しい育鵬社版教科書に違和感があるのは道理といえよう。しかし文科省は沖縄県教育委員会に、同町へ是正要求を出すよう指示したのである。
だが、県教育委員会は、①地方教育行政法は自治体独自の採択権を認めている②町が採択したのは検定に合格した教科書であり、教育現場に混乱は生じていない、とのまっとうな理由で、是正要求を出さない方針を固めた。しかし、国との真っ向対立を避けるため、「結論」とはせず「経過を見る」としている。
県教委によるこの対応はまさに沖縄人の矜持を示すものであり、同時にまた、沖縄人の智慧の柔軟性・したたかさを示すものでもあろう。
文科省は、県教委にさらに圧力をかけるか、竹富町に直接、是正を強要するか、検討中という。この事例も、沖縄人の心に思いの及ばぬ日本国家権力の驕りと硬直性を示す典型例のひとつだろう。(筆者は元桜美林大学教授)


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