【コラム】槿と桜(17)
旧暦(太陰太陽暦)と韓国人
韓国人には旧暦への違和感はなく、むしろ日常生活の中にごく自然に溶け込んでいます。
ですから韓国での年中行事などを紹介したり、説明したりする際には、どうしても旧暦についても一緒に説明する必要が出てくる場合があります。
日本でも旧暦が日常生活に溶け込んでいた時代があったはずですが、今では本当に遠い存在になってしまったようです。
日本では、明治5年(1872年)12月3日を明治6年1月1日(1873年1月1日)としました。この日から明治政府はそれまでの太陰太陽暦=旧暦を廃止し、太陽暦(グレゴリオ暦)=新暦を採用し始めました。
つまり旧暦の明治5年12月2日が太陽暦の1872年12月31日に当たったからで、かなり強引に旧暦から新暦に転換したようです。こうして旧暦の明治5年は1月1日から12月2日までしか存在しなくなってしまい、明治5年は通常の1年分の日数から28日間が消えてしまいました。現在でしたら大騒ぎになったことでしょう。
しかも旧暦から新暦への転換をまったくと言っていいほど国民に啓蒙、宣伝をしなかったようです。なにしろ布告から施行までわずか23日間しかなかったのですから、国民に丁寧に説明することなど、最初から無理だったわけで、大変乱暴なやり方だったと言えます。
ですから福沢諭吉が『改暦辨』を素早く書き上げ、新旧の暦の差異を丁寧に説明して、納得させようとしたことは理解できます。福沢諭吉は新暦採用推進論者でした。
それでも大きな混乱が起きたと言われています。
混乱だけでなく大きな損害を被ったのが印刷業界だったそうです。なにしろ翌年の暦はすべて印刷が終わっていたのですから。
金銭的な損害は金融業界にも及んだそうです。
月末決算が当然だった当時、12月2日までしかなく「月末」がなくなってしまい、年末も消えてしまったのですから踏み倒されてしまったというわけです。
また農民も大いに困ったということです。これまではすべて農暦に照らして農作業を進めていたのですから。
このように大きな混乱の中で日本は今から140年以上も前に新暦採用に踏み切りました。
では韓国では旧暦から新暦への転換はいつだったのでしょうか。
よく日本統治時代に新暦が強制されたと思っている韓国人が多いのですが、実は日本の統治が始まる1910年以前の1895年の「乙未改革(いつびかいかく、을미개혁)」で「太陰暦」(旧暦)を廃止して「太陽暦」(新暦)の採用を決めていました。韓国は日本に遅れることわずか20数年で、旧暦から新暦への転換を実行していたのです。ただあまり知られず、普及しなかっただけなのです。
こうして民間で普及しないまま1910年から日本統治が始まり、新暦採用が有無を言わせず実施され、1945年までの35年間は表向きには旧暦は完全に姿を消してしまいました。なにしろお正月も旧暦の正月に餅を作ったり、先祖への法要である「茶礼」(チャレ、차례)を行ったり、正月の行事をすると処罰されたのですから。
ところが日本統治時代が終わっても韓国政府は新暦を旧暦に戻すことはありませんでした。政府としては当然だったろうと思います。世界との友好関係を築いていかなければならないときに、きわめて限定的な旧暦を採用しているわけにはいかなかったでしょうから。
しかし韓国人の心情としては年中行事などが新暦で行われることへの大きな抵抗感がありました。だからでしょう、積極的に旧暦での行事に戻すようになりました。
旧暦から新暦への転換がはかられた韓国と日本ですが、韓国では人びとの旧暦への愛着はうねりとなって大きくなっていったのに対し、日本は次第に限定的、個別的となり日本人の旧暦への愛着は次第に薄らいでいってしまったようです。
その意味では韓国と日本は正反対のコースを歩んだように私には見えます。
その一つの現われが、旧暦の正月「ソルラル、설날」が盧泰愚(ノテウ、노태우)大統領時代の1989年に政府公認とされたことでしょう。わずか26年ほど前に国民の総意として、いわば“先祖返り”を実現し、今では韓国人にとって、旧暦の正月こそ正月であり、国民の祝日として旧暦1月1日を挟んだ3日間がお休みとなっています。
ところで合理性を指向すると、旧暦というのはかなり厄介なものかもしれません。たとえばお正月ですが、昨年 2015年の正月は新暦で言うと2月19日が「1月1日」(ソルラル)でした。そして今年は2月8日がそれに当たります。
ちなみに昨年から2020年までの旧暦正月を新暦と対照してみますと、次のようになります。
2015年2月19日 2016年2月8日 2017年1月28日
2018年2月16日 2019年2月5日 2020年1月25日
一つとして同じ日がないことがわかります。つまり太陽暦のように固定していないのです。そのためか万事が合理的になってきていると思える日本の方には、旧暦は不便なもので、わかりにくいと映るようです。
現在、日本はもちろんですが韓国でも、地球が太陽を一周すると1年、日数は365日(4年に1度は366日)とする太陽暦が使われています。公共性のある行事なのに毎年、日にちが大きくずれ込むのは都合が悪いからです。太陽暦の良いところは、季節とカレンダーが一致していて、春夏秋冬がカレンダーとずれることがないことです(正確には1年を約365.242199日≒365日5時間48分45秒強で、4年に1度、1年が366日(閏年)となり、2月が29日までとなる)。
一方、「太陰太陽暦」は、月の満ち欠けを基本としています。その月が地球を一周する周期は29.5日ですから、1年はおよそ354日となり、「太陽暦」とは1年で11日、3年で約1カ月、季節がズレてしまいます。そこで二十四節気(にじゅうしせっき、24절기)というものを取り入れました。冬至から次の冬至までを24に区切ったもので、「大寒」「立春」「春分」「穀雨」「立夏」「夏至」などこれからの季節の移り変わりを教えてくれるもので、日本の方にも一部はなじみがあると思います。
この二十四節気は太陽の運行に照らしていますから、月の周期を基にした「太陰暦」と太陽の周期を基にした「太陽暦」の組み合わせですので「太陰太陽暦」と呼ばれるわけです。
韓国では正月(설날、旧暦1月1日)と秋夕(추석、旧暦8月15日)が、年中行事の中でも最大の行事で、祝日とされているほか、小正月(정월대보름、旧暦1月15日)、寒食(한식、冬至から105日目)、釈迦誕生日(석가탄신일、旧暦4月8日)、端午(단오、旧暦5月5日)など、すべて旧暦で行なわれます。
旧暦に関わってついでに書きますと、日本の方にわかりにくいのが年齢の数え方です。
日本にも「満○歳」と「数え○歳」という区別があり、今でもお年寄りは「数えで○歳」などと言うこともありますが、一般的には「満年齢」が使われていると思います。
ところが韓国では「満○歳」と数えることはむしろ珍しく、たいてい「数え年」での年齢になります。ですから誕生したら1歳で、お正月がくると2歳になります。つまり2015年9月1日に生まれた子供は、その時点で1歳となり、2016年1月1日には2歳となります。そして2016年9月1日に2歳となります。日本でしたら初めての誕生日がやってきてようやく満1歳となります。
ただここまでなら日本の方にも、まだわかってもらえるのですが、旧暦が絡んでくるとかなり説明が厄介になります。
まず、今でも役所に誕生日を旧暦の日付で登録する人もそれなりにいることです。
新暦ではいつになるのか暦で調べなければわかりませんし、当然、日にちが異なります。しかも毎年、違った日にちになってしまいます。
そしてもう一つは、旧暦には「閏月」があって、1年が12カ月ではなく、13カ月あるときが出てきます。
たとえば私の友人に閏月の生まれがいますが、彼女の誕生日は数年に1度しか回ってこないことになります。ちょうど閏年の2月29日生まれの人が4年に一度しか誕生日が回ってこないのと同じ現象です。
韓国で「数え○歳」が行き渡っているのは、この旧暦に現れる閏月とも絡んでいて、正月が来たら1歳加えるという考え方が定着している一つの理由だと考えます。
少々長くなってしまいました。この誕生日のことはまた機会を改めて書くことにして、 今回のまとめです。
韓国で旧暦がまだ生活の中に溶け込んでいるのは、これまでの伝統を守ろうとする意識だけではないと思います。
普段は離れていても、年中行事には必ず家族や親戚など自分たちの身内が集まり、その行事や季節に合った料理を家族の者が一緒になって作り、全員がにぎやかにそれらを食べて飲んで楽しく過ごすという家族や一族の輪(和)を何よりも大切にしているからだと思います。
そして「立春」「春分」「穀雨」「夏至」などの言葉が示すように、季節の移り変わりを自然が織りなす変化と一体になって感じ取れる喜びがあるからだろうと思っています。
旧暦には不合理な面もあります。しかしその“大まかさ”“不合理性”に付随しているゆとり、スローテンポこそ、利便性や合理性をひたすら追求し続ける私たちの日常で、もっとも見失ってきてしまったものだったのではないでしょうか。
韓国人が旧暦にこだわるのは、私の勝手な思いですが、あるいは近代社会が失ってしまった大切な何かがあることを旧暦の中に求めているからなのかもしれません。
(筆者は大妻女子大学助教)