【視点】

旧統一教会問題をめぐる政治状況

――付・安倍晋三元首相と旧教会の関わり

羽原 清雅

* 旧統一教会問題をめぐる政治状況
 安倍晋三元首相襲撃から4ヵ月余。世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の扱いをめぐって、政界が揺らぎ続けている。岸田政権は内外に多くの課題を抱えながら、この問題で活路を見出せず、動揺を重ね、支持率の低下を招いている。
 その周辺をにらみながら、政治が元信者や今も信者として行動して苦境にとどまる人々をどのように扱うのか、注視したい。失敗すれば、教団をホッとさせ、信者周辺の人々をまたも奈落の底に突き落とすことになる。
 さらに問題なのは、現時点で政府、国会で検討されているのは、宗教法人としての旧統一教会に対する解散命令、規制強化の問題だが、それだけではこの大きな問題が片付くことはない。
 というのは、この教団に関連する団体は、規制の対象にはならず、本体の旧統一教会が解散したとしても、その信者やシンパが関連団体に吸収され、集金機能などが温存される懸念があるからだ。「地下に潜り、活動が陰湿化し見えなくなる」と救済に当たる弁護士たちも指摘する。この教団の周辺には、勝共連合、世界日報をはじめ世界平和女性連合、世界平和連合、天宙平和連合、平和大使協議会、国際平和学術協会、世界平和青年学生連合、全国大学学生原理研究会などの大手の団体のほか、地方にはその各支部的団体が張り巡らされている。「知らなかった」という議員らの言い逃れが横行するのも、このような平和・世界・国際・家庭・教育といったわかりにくいがイメージのいい名称が使われていることにも一因があるようだ。
 したがって、教団自体の機能が弱まっても、関連団体は教団の指示に沿い、それぞれに分散して生き残りを図ることは十分可能なのだ。そのため、地方での動向をつかみ、関連団体の実態を把握することが新たな政治課題になってくることは明白だといえよう。根の深さへの認識がまだまだ足りない。
 駆け引きでは済まされない「反社会」活動との闘いであり、各政党の責任はもちろん、与野党政治家一人ひとりの倫理観を問うことにもなる。国民多数が首をかしげる集団に対して、擁護を重ねる政治のありようでいいのか。「知らなかった」で通るというのか。
 いくつかの視点から、この問題をめぐる動きを見直しておきたい。

A.岸田文雄首相をめぐる政治状況
B.なお続く教会被害の声
C.法的な検討課題
D.日本の宗教と政治の過去
E.「推薦確認書」「政策協定」の疑惑
F.安倍晋三元首相と教会との関わり

A.岸田文雄首相をめぐる政治状況
*課題 7月8日安倍氏の惨劇と山上徹也の逮捕。同10日参院選での自民党勝利。同14日安倍氏国葬の首相表明と反発の盛り上がり。そして、背景となる教団とその関連団体の浮上、教団と自民党国会議員ら多数の結びつきの表面化。
 8月10日内閣改造と自民党役員人事で、教団関係のある閣僚や副大臣、政務官多数。同22日首相、茂木敏充自民党幹事長の「教団縁切り宣言」。9月8日自民党の教団関係議員179人公表、だがその後も追加の議員名が相次ぐ。同27日国葬、そして法的根拠、経費予算が問題化。10月3日臨時国会召集、12月10日まで。同4日岸田首相就任1年。
 このような政治スケジュールの進む中、政権の抱える課題は多く、円安更新、物価高騰、新型コロナ対応、投資・需要喚起の経済政策、ロシア・ウクライナ戦争や対中国、対北朝鮮問題など、手腕を問われる案件が山積する。

 25年までの「黄金の3年間」としてその間衆参選挙がなく、安定した政治が行われるとの風評が流れた。が、それどころではない。松野博一官房長官自身が、安倍派幹部との会合で「来年選挙かもしれない。常在戦場だ。サミット(23年5月広島市)後に何があってもおかしくない」(9月20日)と言うほどだ。政権側の脅しではあるが、それが話題として盛り上がらないのだから、政権の力量がかなり乏しいということだろう。
 
*党内事情 岸田首相の足場の弱さ。支える派閥は、安倍派(97)、茂木派(54)、麻生派(53)、そして4番手の自派(43)だが、その支援の取り組みが弱い。
 念頭に「ポスト岸田」の問題がある。安倍派は旧統一教会と最も親密で、いわば最大のターゲットだが、萩生田光一、下村博文、無理ながら世耕弘成、次世代の西村康稔、加藤勝信各氏らが覇を競い、派閥維持だけでも容易ではない。萩生田、下村両氏には教団との深い結びつきがあり、再浮上には難関がある。
 茂木敏充幹事長は、久しぶりの旧田中派再起のチャンスとして、表立たないよう安倍派の動きをにらむ。麻生派の麻生太郎氏は、岸田に距離を置く二階俊博氏とともに引退のうわさが立ち、過去の人寸前。同派の河野太郎氏がスタンドプレーを重ねながら、虎視眈々だが、宰相的力量は不明。岸田派の林芳正外相も、衆院に来たものの答弁などは冴えず、こちらも実力が見えてこない。
 つまり、どんぐりの背比べ状態で、突出すれば叩かれかねず、いきおい岸田支援も批判も弱く、政権持続に心もとなさを漂わせる。政権側からすれば、良いような悪いようなバランスに乗った形で、安倍氏のにらみからは解かれたものの、自立感がない。ひとつ間違えば、危機を招きかねない。
 加えて、岸田氏自身の不評もある。安定した人柄、安倍的強引さを見せないことはいいが、「聞く」努力はあっても、それを生かす措置がとれず、また「丁寧な説明」とはいえ、国会答弁は同じことの繰り返しばかりで、野党もいら立つほど。さらに、教団問題、円安対応、核禁問題などには慎重だが、原発の新増設、軍事対応、党側の求める予算案増額などには乗り気を見せ、慎重と決断が両極にある。長期展望も相変わらず見せず、「言葉」に深みを感じさせない。政権周辺の失態も絶えず、その処理への批判も続く。

*不祥事連発 8月の内閣改造は、教団汚染をぬぐう狙いだったが、それどころか閣僚から政務官にまで汚染が広がっており、政権のもろさをあらためて鮮明にした。任命権者の岸田首相は「閣僚、議員個々の問題で、彼らに説明責任を」とかわすばかり。
山際大志郎経済再生担当相辞任(更迭) 教団関係のネパール、ナイジェリアでの会合出席は記憶になかった、統一教会総裁に会ったが忘れていた、など明らかなウソで自滅。問題ある甘利明前幹事長の押しがあり、留任翌日に教団関係を吐露するなど、人格を疑わせた。
 辞任後、党に戻りコロナ対策本部長に就任したのは、教団との関係に深い疑惑のある萩生田政調会長の判断だというから驚く。教団対応に社会全般が注視する中での まさかの人事。反社会的集団温存策にもなる人事を許容する岸田首相とともに不評は増すばかりだ。

細田博之衆院議長 教団との深い関係、女性記者への言いより、選挙制度の不当発言などでも記者会見もせず、教団関係の説明は紙一枚の配布でかわすなど、三権の長にあらざる言動ながら、居座るばかり。
寺田稔総務相 税務署長の経験を生かして脱税の疑惑。死者名の政治資金報告書も。国会での追及にも十分答えず、居座る。政治資金問題担当の閣僚である。首相とは広島と派閥の仲間で、池田元首相ゆかりの人物。
秋葉賢也復興相 政治資金に関わる納税疑惑を追及されるが、居座り。
世耕弘成参院自民党幹事長 本会議で「この団体の教義に賛同する議員は一人もいない」「安倍元首相はこの教団とは真逆の考え方」「信者数万という一宗教団体が政策決定に影響を与えることはない」などと実態を顧みない発言ばかり。良識の府参院の要人でいいのか。
石井準一参院議運委員長 テレビ中継での時間厳守の予算委で「(時間通りに終わった)野党はだらしない」と言って審議妨害のうえ、陳謝。
葉梨康弘法相(更迭) 「法相は朝、死刑のはんこを押し、昼のニュースのトップになるのはそういう時だけという地味な役職」など、人間ひとりの生命を左右する気軽さを何度も見せて更迭に。警察官僚上がりの本音を見せたか。法相程度の閣僚には不満だ、とのおごりか。首相の任命責任もさることながら、山際問題とともに決断のなさ、遅さが問われた。

*世論の動向 新聞、テレビの世論調査の判断はどうか。世論調査は各社によって当然異なる数字を示すが、その傾向としては同じ流れを示す。したがって、ひとつの「民意」の表明として注目に値しよう。
 朝日新聞による22年2月以降の内閣支持率を見ると、45(不支持率30)、50(25)、55(29)、59(25)%と上昇(不支持率は徐々に低落)、7月以降は57(25)、47(39)、41(47)、40(50)%と低落(不支持率は徐々に上昇)する。上昇と下降の結節点は安倍氏の死去によって旧統一教会関連の事実が判明し始めた結果といえよう。

 個別の反応を見ておこう。
①「旧教会に対する自民党の対応」は「不十分 65%(十分12%)」(NHK9月)
② 「自民党と旧教会の関係」は「断ち切れない81%(断ち切れる12%)」(朝日9月)
③「細田衆院議長の説明」は「不十分74%(十分12%)」(朝日10月)
④「(裁判所は)旧教会解散を請求すべき」は「すべき82%(必要ない9%)」(毎日10月)
⑤「自民党は(旧教会との関係を)地方議員にまで広げよ」は「74.8%」(共同10月)
⑥「(旧教会が議員に求めた推薦確認書を)自民党は調査すべき」は「82.4%」(共同10月)
というように、世論調査は自民党政権の取り組みに不満を示し、より明らかにされることを要望、推薦確認書の隠ぺいの有無、地方議員の実態確認をも求めている。

B.なお続く教会被害の声
政府は旧教会による被害相談を受けているが、まだまだ続いている。その実態は・・・
 ・消費者生活センター 2012年度―22年9月までの相談件数 1165件
            22年7月8日以降急増し、9月末で285件
 ・警察関係      2022年9月5日―30日 37都道府県警に約200件
                    (金銭的被害、身体的被害、誹謗中傷など)
 ・法務・消費者庁各省庁連絡会議 (9月5日―10月31日)相談 2367件
    内訳は金銭トラブルが7割近い1615件で、親族間の問題、心の悩みなど。   
 ・旧統一教会が教団や信者らの不法行為責任を認めた民事訴訟の判決は22件あり、損害賠償金額は少なくとも約14億円にのぼる。これらが質問権の対象になる。
 ・宗教2世らによるオンライン署名 9月27日まで  7万655筆
                  10月19日まで  13万筆突破

C.法的な検討課題
 教団規制の施策について、政府は①法務省を軸とする各省庁連絡会議 ②消費者庁の有識者検討会議 ③自公、立憲、維新4党による与野党協議 の三方で検討を進めている。
①の論議の中心は、この反社会的な宗教法人をどう解散させるか、                   
②の問題は、不当献金規制についての法整備が軸になる提言のまとめ
③は各党内での検討を持ち寄って、被害救済策をはかる対応
というものだが、まとめ作業は難航している。
 
 岸田首相は、信者たちの救済新法について「今国会提出に努力」と表明した(11月8日)。永岡文科相も11日、教団への質問権行使、年内の調査着手を表明、裁判所への解散命令請求を視野に手続きを進める方向を示したが、順調に進むかどうか。
 内閣支持率の低下、野党や支援弁護士ら、信者たちのいら立ちがあり、公明党党首との会談でやっと踏み切った。理由として、教団被害者らに会って「凄惨な経験を直接聞いた。政治家として胸が引き裂かれる思いがした」と述べた。いいことである。だが、安倍氏の事件から4ヵ月、「やっと、なのか」と思わざるを得ない。社会底辺の苦境にたどり着く遅さ、政治家としての鈍ささえ感じる。野党と協議する自民党側の「引き伸ばし作戦」のような対応に業を煮やしたとすれば、自民党の交渉議員らの党略性、反社会に向き合う社会正義の感覚の鈍さが極度だということなのか。

*「教会解散」 
 旧統一教会を解散できるか、このカギは、宗教法人法の「法令に違反し、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為」をした宗教法人が対象になる。信教の自由(憲法20条)に配慮して<法令違反がある><著しく><明らかに>などの厳しい制約が付けられている。
 その段取りも重装備だ。①調査の実施(権限の行使を認める) ②宗教法人審議会の承認  
 ③法人に報告を求め、質問する(「報告徴収・質問権」/宗教施設内に立ち入り質問することなどは法人の同意が必要) ④裁判所に申請 ⑤裁判の判断――の手順が必要だ。
 質問権の行使にも、宗教法人の行為について「組織性・悪質性・継続性」が認められなければならない。そうした手続きが満たされると、命令が下され、法人格がはく奪され、現行の法人税の免除などが打ち切られて、資金面などで活動が抑制されることになる。

 ただ、懸念されるのは①教団が誠実に内情を明らかにするかどうか ②解散した場合、地下に潜っての活動を続けることになったりしないか ③関連団体に対応できない、それでも民事裁判で組織的不法行為の責任が認められたことがあるが、広範、巧妙な活動にまで対応できるか、などの問題はあるようだ。

 このように、日本の宗教団体に対する姿勢は寛大である。したがって、その数も18万544件にのぼり、信者数も全人口を超える1億8310万7772人とされる。総人口の1.5倍になる。寛大な宗教の自由政策は守られた方がいい。だが、宗教法人の名を借りて、反社会的に信者らをだましてカネ集めに走るような存在も、過去にわずかながらあった。それが1995年ころのオウム真理教、明覚寺に解散命令の出された2件である。悪質ながら用意周到にして、狡猾な宗教も例外的には存在する。
 このような場合、それらの宗教を放任すべきではない。このけじめは重要で、政府や国会の与野党に委ねられるのだが、党利党略的な姿勢での見解の不一致と、その法令の緩やかな規制をいいことに、悪質性高い旧統一教会を喜ばせる状況を作ってはならない。ここで許すことになれば、信者周辺の苦渋や犠牲はさらに継続されることになる。
 
*長きにわたった「法令違反」の誤解 岸田首相が、教団に「解散命令」を出すには「法令」違反の行為が必要だとして、その法令違反は「刑法」のみで、「民法」は入らないと国会で答弁。だが、その翌日には朝令暮改で、「刑法と民法での違反が含まれる」という趣旨に一転させた。過去2例の解散命令が刑法違反だったので、と言いわけを述べた。
 だが、それはおかしい。オウム真理教の解散命令の際に、判例として「刑法等の実定法規の定める禁止規範または命令規範に違反」と明示されていた。

 読み落としたのは文科省の文化庁宗務課の責任だろう。「等」には当然民法の違反も入る。事情として、課員はわずか8人、法律の専門家不在、などを挙げたが、要は日ごろからの不勉強が祟ったのだろう。「教団幹部で刑事事件に問われた人はいない。解散命令は難しい」と説明した文化庁官僚までいたのだから、この教会寄りの思い込みは恐ろしい。
統一教会が名称変更の希望を示した当初には、問題の多いこの教会の変更申請を阻んでいたが、2015年の下村博文文科相時に名称変更が認められた。これも、下村氏の教団接近の疑惑に加えて、文化庁の「忖度」が疑われることにもなっている。なにしろ、名称変更によって悪いイメージが隠された結果、新たな信者獲得、献金事例の増加を可能にしたのだから、その罪は重い。宗教に対する許容度の広さと、反社会的宗教活動の放置放任とが混濁するような宗教行政であってはならない。
 首相も前例のないような恥をかいたが、後述する公明党にも言えることだろう。

*消費者契約法の限界 河野太郎消費者庁担当相(デジタル相)のもとで、8月下旬に設置された有識者検討会議。教会被害者救済に当たってきた紀藤正樹弁護士、検事と衆院議員の経験を持つ菅野(旧姓山尾)志桜里弁護士らが入るなど、概して広い視野での論議を重ねた。ただ、役所の管轄の消費者契約法を超えた宗教法人法に及ぶ問題も多く、限界はあった。
 7回の会議を経て報告書をまとめ、①宗教法人法による教団の解散命令を視野に、教団への質問権に基づく調査を求める ②マインドコントロール下の不当な寄付、献金に法規制をかけることを提言 ③霊感商法の取消権の延長、対象範囲の拡大(現5年) ④専門的な支援窓口の設置 ④宗教2世らへの虐待保護と支援の規定など、を提起した。今後、消費者庁での法制化に移り、早い立法化が求められるとともに、宗教法人法などの改正に向けての調整が行われる。すでに、法務、文科、警察の専従チームも動き出した。

*与野党協議の行方 国会で与野党協議の場が持たれたことは評価できよう。従来なら、多数を占める自民党は野党の主張など「聞きおくだけ」なのだが、弱みのある現状では応じざるをえなかった。公明党も、野党攻撃の手の内を知っておきたかった。
 だが、協議の行方は定まらず、12月10日の国会閉会までにまとめ切れるかの不安が残っている。ただ、教会解散の方向はすでに底流になっており、各党一致の法案ができなければ、野党のだらしなさが、また自民党の教会密着ぶりが取りざたされ、被害者周辺だけが今まで通りに放置されることになる。与野党とも、その悪評を受けてもいいのか。
 立憲、維新の両野党は「悪質献金被害者救済法案」で一致、今国会に提出済みだ。自民党の折衝窓口の宮崎正久氏は埼玉出身で沖縄に移住した弁護士で、以前は地位協定の全面改定、普天間基地の県外移設、オスプレイの県内配置見直しなどを主張して立候補したが、のちに転向した人物。そのためか、今度の折衝では、自民党の意向に従わざるをえない立場だ。
 対立のひとつは、「マインドコントロール」の定義明文化で、確かにこの概念の法制化は難しく、与野党で知恵を出し合えるかどうか。また、公明党としては宗教の核心的な問題に触れることでもあり、慎重に構えており、自民党には友党への配慮もあるようだ。

*公明党の悶え 宗教法人創価学会に立脚する公明党は、同じ宗教法人の旧統一教会の行状に怒りつつ、だが宗教法人全体に影響するような事態は回避しなければならない立場にある。宗教法人規制強化の方向に向かうと、学会、自党へのダメージも想定されるが、かといって表立っての「教団の解散反対」は選挙の結果に影響しかねず、言えない。「乱用は厳に慎むべきだ」と警戒するが、苦しい立場ではある。 

 ただ、そのわりに抜けたところも見せる。岸田首相の朝令暮改答弁、つまり教団解散の前提になる法令違反は刑法のみ、としたのを民法も含まれると訂正した問題で、公明党幹部が「とんでもない話だ」と怒ったのだ(10月19日)。慌てた首相は28日に山口奈津男、石井啓一、高木陽介ら幹部と会食の場を持ち、和解を図っている。
 だが、創価学会、公明党は、自らの身にも関わりのあるオウム真理教解散という事態にあたって、本来なら、その解散命令の判決に「刑法等」とあって、民法の事例が含まれることをしっかり調べておくべきだった。大きな手抜かりを犯していたといえよう。
 右往左往する前に、自分らの宗教組織は、反社会的で悪質な霊感商法や多額の献金などを課す教団とは違うのだ、という厳しい一線を徹底しておけばよかった。

D.日本の宗教と政治の過去
 古今東西、宗教と政治の関わりは難しい。
 戦前の日本は、戦時下の1940(昭和15)年4月に宗教団体法を施行、神道13教派、仏教28宗派、キリスト教2教団に統合し、宗教の国家管理を可能にしている。
戦時下本の前段では、すでに中国大陸侵出が始まっており、満州への武装移民団416人の派遣(32年)、初の天理村開拓団の満州出発(34年)があり、37年には文相が宗教、教化団体の代表に挙国一致運動の展開を要請、国民精神総動員について宗教界奮起の檄を飛ばした。翌年には、文部省は神儒仏3教代表と、この運動と中国大陸での布教活動について協議している。
 そして、神仏キリスト教などの宗教団体が興亜宗教同盟を結成(42年)、大日本仏教会は聖旨奉戴の護国法要を、日本基督教団は聖旨奉戴の基督教大会を全国17ヵ所で開催(43年)、神仏基30万の宗教者による大日本戦時宗教報国会を結成(44年)するなど、主な宗教団体はみな国家に追従し、戦争謳歌に踏み切っている。「生命第一」であるはずの宗教が国家と癒着して戦争の美化・礼賛・督励に走る。その責任は重く、歴史として長く問われなければならない。
その一方で、国の方針に逆らった宗教団体は厳しく弾圧された。
 大本教の出口王仁三郎ら30余人は不敬罪、治安維持法違反で逮捕(35年)、内務省は翌年に解散命令を出し、本殿を強制的に破壊した。創価学会の前身創価教育学会も弾圧されて、リーダーの牧口常三郎、戸田城聖らが検挙され、牧口は獄死している。

 この宗教団体法は終戦とともに廃止、憲法は信教の自由をうたい、51年の宗教法人法に生まれ変わった。ただ、団体法施行によって、国家になびいた宗教団体が見返りとして受けた所得税、地租の免除措置は生き残った。宗教団体のカネに引きずられる弱さを見せるとともに、国家権力に追随しがちな姿を示した戦前だったが、戦後の宗教政策はあつもの(羹)に懲りてなます(膾)を吹くかのように、宗教法人には手を触れないようになっていった。
 そのような風潮になって、信教の自由のもと規制はなくなり、反社会的教団までが繁殖することになり、<宗教の自由>社会が一部歪むことにもなった。いわば、いかがわしい教義の団体が多くの犠牲者を生んでも抑止策を欠き、今度の統一教会騒ぎの背景にもなった。

自民党は多くの教団がらみの議員を長きにわたって生み出した結果、その罪悪を隠ぺいし、結果的に教団擁護の姿勢になりかねなくなっている。また、歴史的な悪夢をとどめるはずの公明党は過剰に抵抗すれば、悪質教団温存に手を貸すことにもなりかねない立場に置かれた。「悪は悪、苦界にある者は救う」の原則を持ち切れるかどうか、の瀬戸際にある。

E.「推薦確認書」「政策協定」の疑惑
 政治と宗教は分離されなければならない。相互の立場を理解し合い、過度の接触を避け、癒着や追随を回避し、互いに自立していなければならない。とはいえ、創価学会と公明党、日本会議の神道などと自民党の関わりのように、宗教団体の選挙支援をはじめいろいろな関り方がある。ある部分に共通する基盤や課題があるのだから、接点が生まれることはやむをえまい。ただ、一線を越えず、第三者から見ておかしさや疑問を生じない自制は必要だ。

 そこで問題になったのは、選挙時の自民党議員に対する旧統一教会の「公認確認書」と、いわゆる「政策協定」の問題である。しかもその底流に、教団側の「票」の提供や選挙支援などのバーターとして、献金獲得に走る信者らへの信用を担保する自民党側の「広告塔」の役割、という関係がある。
 具体的に明らかにされたのは、教団の関連団体である「世界平和連合」「平和大使協議会」に対して、「憲法改正、安全保障体制の強化」「家庭教育支援法と青少年健全育成基本法制定」「LGBT問題、同性婚合法化の慎重な扱い」「日韓トンネルの実現推進」「共産主義勢力の攻勢阻止」などの教団側の主張を取り組むことを求め、「推薦確認書」という文書に署名をさせる、というもの。事実上の政策協定に当たる性質がある。
 教団とその関連団体は、これらの主張を進めるためにセミナーを開くなどで、政治に関わる活動に取り組む。こうした運動を通じて、信者らが献金を集めるなどの活動を展開する。そのために政治家への信用、その知名度などを利用して活動しやすくすることを狙う。一方、政治家は献身的で報酬などを求めない信者らによる選挙支援を期待する。
 自民党側は、党の政策に重なることがもともと多く、特定の団体に影響されることもない、と主張する。だが、実際には教団側に近い議員らがそれらの政策や方針に異様に力を入れ、異なる主張に対して激しく抵抗する場面があり、すでに冷静な議論を妨げる状況も出ている。党内には、意見の分かれるLGBT問題などもあり、教団の後押しや推薦確認書の拘束による政策決定などは、国民、そして党員自体でさえ納得できない不信を抱くことにもなる。
 このような議員活動を拘束する形態は好ましくない。背後に悪質性の高い団体のテコ入れがあり、議員がその傀儡として動くイメージは議会活動において、しかも議席の多数を占める与党内において、そのもたらす陰湿さ、不明朗さ、いかがわしさは許すべきではない。

 しかも、政治と宗教の自立性の観点から見て、本質的に好ましいことではない。
 岸田首相は当初、「実態掌握に努めたい」と国会で述べたが、のちに「それぞれの議員が調査、報告、説明を尽くす」というお得意の濁し方に変わった。ことの面倒さに気づき、はぐらかしに変わった、としか思えない。
 実際に署名をしたと認めたのはこれまでに、斎藤洋明衆院議員(新潟3区・麻生派)、大串正樹デジタル兼内閣府消費者担当副大臣(比例近畿・谷垣系)、江島潔参院議員(山口・安倍派)、山田賢司外務副大臣(兵庫7区・麻生派)らの名が挙がる。推薦状を受け取ったが署名をしなかった木原誠二官房副長官(東京20区・岸田派)もいる。下村博文元文科相(東京11区・安倍派)も推薦状を受けたと報道されるが、署名したかは不明だ。教団関係者には「数十人の署名がある」との声もある。

 政界は、自民党の宇野、海部、宮沢時代に波乱を招き、久々に登場した非自民の細川、羽田、そして社会党村山政権を経て、自民統治を取り戻して橋本、小淵、森とあえいだあと、改革をうたう小泉、そして短期の安倍、福田、麻生時代となり、さらに野党念願の鳩山、菅、野田3政権が倒壊した結果、その後再起の安倍長期政権、菅、さらに岸田の各氏と続いた。宮沢政権から間もなく30年、問題は人材を育成しない長期政権の自民党にもある。加えて、政治状況にとって基本的な欠陥を持つ小選挙区制に甘え9回の衆院選を経ても、反省のない与野党の責任はきわめて重い。政治の世界から、長期にわたって、状況の変化に対する長期展望、対応力が見えなくなった。政権願望者には、短期に周辺の多数派工作に注力するばかりで、未来をどう伸長させるかの夢を語る力を失い、学ぶ意欲もない。

 政治権力は、その仕込みに長い準備を必要とし、民意をとらえるだけの幅の広さを有し、長期の展望を描けなければ、政治を貧困化し、短期に終わるしかない。そのような素養のない権力志向者ばかりのもとにある国民は不幸だ。だが、そのような未熟のままの権力者に苦しむのは有権者である国民で、投票権を持つ国民が育つことも併せて重要だろう。
 昨今の権力の探究者は、この利害や思考の複雑化、多党化した社会への思いが及ばず、おのれの権力周辺の維持など目先のみにしか思いが及んでいない。強引で、民意を読み取れない政治が横行する一方、これに対抗すべき野党の存在が必要だが、それも経験不足、視野狭窄、政権準備の皆無状態であれば、変革を求める政治を阻まれよう。
 あきれる有権者は、このような状態に選挙権を放棄し、いまや投票率は50%以下、二人にひとりは棄権というところが増えてきている。民主主義の危機である。国力総体の低下が進むなかで、ささやかなあがきがどこまで続けられるのだろうか。ヒトラー、ムソリーニ台頭の歴史が頭に浮かぶ。

F.安倍晋三元首相と教会の関わり
 最後になったが、安倍晋三元首相の旧統一教会以来の長く、深い結びつきに触れておきたい。岸田首相の、安倍氏と細田博之衆院議長についてはこの問題がらみで触れたくない気持ちもわかる。多数の政界人には、安倍氏と旧教会の濃厚な関わりは知られており、いまさら、その功罪に触れたくないし、自分に及びかねない負の部分に及んではかなわん、といった自民党内の気配がある。カサブタのうえからこすりあげたくない気分なのだ。それが、この教団を締め上げず、なんとか傷を隠し、無難に収めたい姿が現れてくる。
 ただそのことは、悪質性の教団を生き続けさせ、被害者を増殖し続けることにつながる。

*教団の問題性 この教団が1958年に日本に持ち込まれて60余年。国際勝共連合を設けて右翼や岸信介らに接近、さらに今の安倍派の前身福田派を生んだ福田赳夫氏に近づき、晋三氏の父晋太郎氏を経て現在の安倍派に至るまで、半世紀を超える一貫した関係がある。その間、学生たちに学業、家庭を捨てさせた原理運動、霊感商法など悪質な資金集め、次いで家庭を破壊するまでの高額な献金集め、そうした裏の活動をスパイ防止法、青少年や家庭のありよう、「平和」を冠した活動などを重ねて、自民党などに食い込み、政治の表舞台に浮上して今日に至っている。
 その間のすさまじい集金力が、信者家族らの血と汗の歳月を物語っている。
 しかも、その教義で日本の軍国時代の非を咎めつつ償いを説き、北朝鮮ともつながりながら「反共」をうたって自民党内に足場を築く。貧窮のアフリカで学校を作り、教育の普及に努める名目で外務省に表彰され、それが内外に信頼と感謝を生み、次の段階に進む。政府を、政権党を、「美名」を使って引き寄せ、その信頼性、カモフラージュ技術をもって資金を稼ぎ、政界に潜り込んでさらに影響を増殖する術策は、極めて巧妙である。
 岸元首相時代に種をまき、政権党の大派閥のもとに、その手口を巧みに使いこなして拡張を続けてきた旧統一教会とその関連団体は今なお、地方自治体や議会などに浸透し続ける。
 しかも、その抑制については、責任なしとは言えないにも拘らず、わが身を守って教団側をかばうかの自民党、あるいは宗教政党ながらその体質、姿勢の違いは明白だとしながら、どこか腰の引けた公明党、その両党が「数」を持って権力を握る。その「数」で押される野党の追及も不安が残る。そこに、安倍晋三氏の実態を見出さなければならない。
 
*安倍元首相の生涯と教団 安倍氏の死がもたらしたのは、この教団の体質の暴露であった。この教団を追い続ける鈴木エイト氏の話や著述(「自民党の統一教会汚染」)をはじめ、新聞報道、テレビ等での各方面の論議、週刊誌や各種雑誌などの情報をもとに、教団における安倍氏の存在を探っておきたい。

 まずは安倍氏の軌跡を追おう。彼は政治家世襲の一族に生まれ、成蹊学園の小中高大卒後、短期の留学と神戸製鋼勤務を経て、1982年に父晋太郎外相秘書官、91年父親の死去により93年衆院初当選。学校は同じ系列のみ、ほぼ政治関係の世界のみ、生活は豊かで、子育て経験もなく、一般社会との触れ合い経験は少なかった。
 政界入りしてからも、いわば順風満帆。選挙は10回連続トップ当選。3回目の2000年森喜朗内閣で早くも官房副長官、次の小泉内閣でも留任、03年9月山崎拓幹事長の辞任で小泉氏は後任に安倍氏を抜擢、同年11月の衆院選は自民党過半数割れながらも留任に。04年の参院選敗退で辞任するが、幹事長代理として党務は継続。早世により政権の座を逃した晋太郎氏の安倍派の幹部だった森、小泉両氏に、晋三氏を育て、庇護する気分があったことが、彼の異常なほどのスピーディーな上昇ぶりにつながった。そのことは逆に、晋三氏の恵まれた生い立ちに続く上昇気流の中で、視野・思考の「狭さ」を招くことにもなったものか。
 安倍政治に見られる視野狭窄、つまり野党黙殺、お友達政権、国会軽視、反対意見軽視などの協調性よりも自己主張の浸透を迫る傾向は、政治的な包容力の乏しさを示すことにもなった。そしてその狭さが、相性がよく、支援母体になった日本会議、そして勝共連合や旧統一教会といったごく一部の同調勢力との接近を強めたのではないか。
 国際的にも、強大な力を得た政治家が多様な意見を聞かず、一定の頑固な論理と「数」のもとに親衛隊的なグループを形成し、時にデマゴギーを駆使して権勢を誇った例は少なくない。その事例からすれば、安倍氏の存在は軽度のものではあったが。

*教団との関係を追う 教祖文鮮明は1989(平成元)年7月8日、韓国での説教で日本の政治に関して「国会議員との関係強化」に言及、「国会内で教会をつくる」「国会議員の秘書を輩出する」「体制の形成を国会内を中心としてやる。そのような組織体制を整えなければならないだろう」と述べて、さらに「自民党の安倍派などを中心にして、クボキ(勝共連合初代会長久保木修己)を中心に超党派的にそうした議員たちを結成し、その数を徐々に増やしていかないといけない」と将来を意識した方向を示している(毎日新聞11月7日付)。これは文鮮明の韓国語の発言録から見つけ出した同紙の特ダネである。

 平成元年といえば、1月に昭和天皇が死去、政界をはじめ各界に関わるリクルート事件が政治不信を招き、6月に竹下登首相が総辞職、後継の宇野宗佑首相はスキャンダルを抱えての7月参院選で惨敗して2ヵ月足らずで退陣、年間3人目の首相海部俊樹が生まれるという激動の時期だった。税率3%の消費税が4月にスタート、11月には総評が解散して連合が発足。国際的には4、6月に天安門事件、10月には東欧の民主化運動が進み、11月にはベルリンの壁が撤去されるなど、内外ともに大波乱の年だった。
 文鮮明がこうした時期を狙い、計画的、戦術的に対日工作に乗りだしたといえる。
 時の安倍派の会長は元外相の安倍晋太郎氏。このような相手の長期計画を感知しないままに、「勝共」の仲間程度の感覚で、うまくのせられて今日の事態を招来した、といえよう。 

 「教団と友好関係にあった祖父の岸信介元首相や、教会員を自民党国会議員の秘書として紹介し各議員を教団のセミナーへ勧誘していたとされる父親の安倍晋太郎元外相とは異なり、安倍晋三にはそれまで統一教会に一定距離を置いていた形跡がある」と、長年この教団を追う鈴木エイト氏は書く。
 教団批判を続ける有田芳生氏も06年ころの晋三氏から直接聞いた話として、教会側からいろいろ接触、面会を求めてくるが、「わたしは会わないですよ」と述べた、という。
 それはそうだろう。05、06年といえば、彼は内閣官房副長官、自民党幹事長、05年には官房長官の要職を経験しており、その必要やゆとりはなかっただろう。

 だが、晋三氏が首相就任の1週間後の06年10月3日、文鮮明は日本人の信者幹部に「安倍氏の秘書室長に何度会ったか」と問い、「2度です」と答えると「3回、もう一度会わなければいけない」と指示した、という。これは、毎日新聞(11月8日付)の報道で、「秘書室長」とは側近の、当時自民党幹事長の中川秀直氏と推測、中川氏に取材すると「記憶にもないし、会ったこともない」と秘書を通じて回答された、という。
 これは、文鮮明の発言録に記載されていたもので、真偽は不明ながら、文鮮明が日本の政局、安倍氏の動向にかなりの関心を持ち、日本の政界に接近しようとする強い意志を感じる。

 安倍氏が、すでに教会や関連団体と関わりを持っていたことはわかっている。鈴木氏によると、05年5月に自民党本部で開かれた「過激な性教育・ジェンダー教育を考えるシンポジウム」に安倍氏と教会に近い言動の山谷えり子氏の二人がパネリスト、安倍側近で教会との関係の根深さが判明した萩生田光一氏が司会だった。みんな、長い付き合いなのだ。
 この教団を追い続ける鈴木氏は、05、06年ころの男女共同参画社会基本法に反対する教会内部文書に「安倍晋三官房長官と山谷えり子内閣府政務官でチェックできるように関係省庁、議員に働きかける」と書かれていることに目を付けた。
 さらに疑うなら、05年10月には教団関連の「天宙平和連合」(UPF)の広島大会への祝電に続き、06年5月の同連合が福岡で開催した「祖国郷土日本大会」には内閣官房長官になって間もない彼が肩書付きの祝電を送った。ちなみにこのとき、元法相保岡興治氏も祝電を送り、彼はこの教団の顧問弁護士と事務所を共同経営していた。なお、この大会時に、2500組の合同結婚式が行われていた(「世界日報」)。
 全国霊感商法対策弁護士連絡会はこの時すでに「統一教会の活動にお墨付きを与えるな」との記者会見をし、安倍氏に公開質問状を送っている。彼には、「知らなかった」とは言えない過去の結びつきがあった。

*深まる教会関係 07年9月、安倍氏は参院選で過半数の議席を取れず、病気もあって辞職する。教育基本法改正、改憲のための国民投票法制定、防衛省昇格などを達成した1年間の政権であり、満足感はあっただろう。その中での選挙後退と病気は手痛かった。病後、参院選敗退の悔しさから選挙への布石の重要さを痛感、それが教団への本格的な接近につながったのではないか、と思われる。
 民主党政権下で自民党が野党になっていた2010年2月、教団の広報委員長で国際勝共連合事務総長の阿部正寿設立の「世界戦略総合研究所」のシンポジウムの講師として、安倍氏は「保守再生」を講演している。8月には、同教会会長梶栗玄太郎の長男で、のちに勝共連合、世界平和連合、天宙平和連合など各種の教会関連団体のトップとなる梶栗正義、元教会会長小山田秀生らと会った写真が残されている。野党の気楽さ、があったか。 
 翌年12月には元教会長の長男で、文鮮明の孫と祝福結婚を挙げた大塚洪孝を自民党本部に招いている。文春などによると、12年4月、先の世界戦略研の阿部ら幹部と会い、安倍夫妻、側近官僚今井尚哉らと高尾山に登り、捲土重来を祈願したという。
 さらにこのころ、つまり民主党政権下の安倍氏は世界戦略研主催の集会とシンポジウムに出て、講師とパネリストを務めた。このような党の要人が親密な関係を続ければ、自民党内に伝わり、次第に公然化して、関係を深めて恥じない風潮が定着するのも、その可否は別として無理からぬことだろう。

 安倍氏は療養後、各方面から再起を促され、激励を受けていたが、その強力な支えのひとつが教団関係だった。この私的な交流が着々と実を結び、14年末には2回目の首相の座に返り咲いた。以後、6回の国政選挙に勝ち、歴史的な長期政権を手にしたのだ。

 選挙が近づくと、安倍首相も、教団も動く。13年の参院選、14年の衆院選での自民党勝利を経て、15年8月には教団に近い安倍派の下村博文文科相のもとで、教団がかねて改称を狙っていた「世界基督教統一神霊協会」の名称を「世界平和統一家庭連合」に変えることに成功した。この改称により、悪印象の広がった教団イメージを抑え、新しい団体を名乗ることで活動をしやすくすることになり、それがまた新たな被害者を生み出すことにもなる。下村文科相がこの名称変更の前後に、文化庁の担当者の説明を受ける場が持たれたことで、教団に便宜を供与した疑惑が出て、今も黒い霧に隠されたままだ。
 この年9月には、与野党激突のうえに安保関連法案が成立、この法案に反対し、安倍政治を批判する学生のグループ(SEALDs・自由と民主主義のための学生緊急行動)が活動を始めた。すると、16年1月には保守系の学生グループ(UNITEユナイト・国際勝共連合大学生遊説隊)が各地で遊説活動に取り組んだ。「共産党に騙されるな」「安保法制賛成」「改憲支持」など、近づく参院選を意識した活動で、全国約30ヵ所に支部ができたという(鈴木エイト氏)。鈴木氏はその取材によって、この母体は「統一教会の2世信者が動員された組織」だったとみている。

*選挙に采配振るう 16年7月の参院選を前に、教会会長徳野英治、韓国から来た全国祝福家庭総連合会総会長の妻を首相官邸に招いている。そして、宮島喜文候補の票が足りないと頼まれると、教団の組織票を回すよう手配し、関連団体「世界平和連合」の推薦を得て当選を確保した。もっとも6年後、安倍氏の秘書官だった井上義行氏が出るとなると、宮島の応援要請を蹴って井上に票を回し、当選に結びつけている。宮島は出馬を断念した。このケースだけを見ても、安倍氏と教団の関係が透けて見えよう。
 教団の浸透を警戒する300人の弁護士たち全国弁連は、18年には「政治家の皆さん、」家庭連合(旧統一教会)からの支援を受けないで下さい」との声明をまとめ、議員会館内に配って歩いた。翌年9月には、愛知県国際展示場での「孝情文化祝福フェスティバル中部大会」に向けて、この教団関係の集会、式典などの出席、祝辞や祝電などをやめるよう呼びかけ、この反社会的な行動に加わらないよう、細かい注意点を示している。
 それでも、黙殺されていたのだ。

 ところで、教団のメリットはなにか。自民党内の強大な派閥を握り、官僚を抑える宰相に親しく交われる教団は、安倍派にとどまらず、党内に広く手を広げていく。教団とその関連団体は各地に関連組織を持つため、地元の情報は入るし、無報酬での選挙支援を指示できるし、信者らは日夜の選挙に忠誠を尽くす。議員も立候補予定者も、教団の裏側にあるカネ目当ての活動や信者の苦しみ、党の理念に反する教義などに目をつむり、あるいは考えようともせず、「票田」開拓に飛びつく。権力に対する見えない信頼が広がるのだ。

 山上徹也による襲撃の端緒になったのが、安倍氏のビデオメッセージだった。これは、前述のUPF日本支部会長の梶栗正義がUPF主催の韓国での「希望前進大会」への祝辞を安倍氏に頼み、いったんは断られたが、トランプ大統領の出演が決まると、こんどは応諾するという経緯があった。
 大会は9月12日、安倍氏の首相を辞任した17日の直前。このメッセージの内容は、UPFの活動を礼賛、韓鶴子総裁を祝福するものだった。「家庭は社会の自然かつ基礎的集団単位としての普遍的価値を持っている。偏った価値観を社会革命運動として展開する動きに警戒しましょう」などと、教団の姿勢に迎合的な姿勢も見せている。
 全国弁連は17日付で、安倍氏に公開質問状を内容証明郵便で出したが、安倍氏の国会事務所は受け取りを拒否した。
 また、この安倍氏のビデオメッセージの報道を見た山上徹也は、再度の襲撃を決行することになった。
(11月13日現在/元朝日新聞政治部長)

(2022.11.20)
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