【コラム】
大原雄の『流儀』
映画批評『ちいさな独裁者』~衣装(軍服)とナチズム~
映画『ちいさな独裁者』(原題は、THE CAPTAIN)は、邦題が、よくない、と思う。というのは、映画は、1945年4月から5月上旬まで、ドイツ敗戦前の1ヶ月余りの期間を描く。ナチスが牛耳るドイツ側が敗色濃厚となり、4月3日、軍の部隊からはぐれ、そのまま脱走したことになる青年兵士が、無人の戦場となった荒野を逃げ惑う物語だからである。『ちいさな独裁者』では、私には、子どもの独裁者(ありえない)、あるいは、ちいさな国の権力者程度しかイメージが浮かんでこないからだ。
ドイツ国防軍を「脱走」した青年兵士(19歳、二等兵)は、ヴィリー・ヘロルトという名前で、敵からも味方からも狙われるような状態を作り出し、過酷な状況を生き抜いて行くことになるのだが、青年は、戦場で側溝に落ちたまま、乗り捨てられていた無人の軍用車両を見つけたことで、運命が、ガラッと一変する。というのは、戦場に乗り捨てられた軍用車両の車内で、ヘロルトは、スーツケースに入ったナチスの将校(大尉)の制服を見つけ出したからだ。
当時のドイツの軍隊制度では、国防軍とナチス親衛隊と二本立てであった。車内には、勲章、将校の官位を示す記章、鉄十字章(ドイツなどで中世以来使用されてきた紋章。通常は鉄十字の意匠を象っている)などが入ったトランクもあった。持ち主は、どこに行ったのか。制服や勲章を身につけることで、ヘロルトの、その後の生活は、大きく変貌することになる。というのは、彼は、「ヒトラー総統からの命令」と称する架空の任務をでっち上げ、国防軍の一兵士という軍服を脱ぎ捨て、ナチス将校の制服を纏(まと)った将校として振る舞うことを思いつくのだが、また、彼をその気にさせた「追従配下」たちもいた。
ヘロルトは、当初は、寒さしのぎくらいのつもりで、ナチス大尉の制服を着てみたのだった。ところが、荒野で将校服を纏ったヘロルトと出会ったドイツの中年敗残兵は、ヘロルトを疑わず、まぎれもないナチス大尉として認め、「所属部隊から逸れました。お供として連れてってください」と、懇願する。彼に軍用車両の運転手役を命じる。途中で立ち寄った農家では、ゴロツキ兵士が仲間と酒宴を開いていたので、「私は後方の動静を調べている。手伝ってくれ」と架空の任務を告げて、無頼たちを手なずけ、配下とする。
ヘロルトは、敗残兵、脱走兵たちの軍隊手帳に「特殊部隊H」(ヘロルト親衛隊)という新しい所属先を記入してやる。この結果、ヘロルトは、「合法的な」上官になりすますようになったことも事実だ。さらに、彷徨の途中、ヘロルトは、脱走兵を取り締まる憲兵隊にも遭遇するが、「ヒトラー総統からの直々の任務遂行中」と、嘘をつき、書類もないのに、19歳の自称大尉は偽りの身分を暴かれることもなく、検問所も突破する。「制服」の強み。
偽の若きナチスの「将校」は、そのうち、すっかり、その気になり、「総統の命令」という呪文を強調するような言動を繰り返しているうちに、ヘロルトの命令に従う年上の配下たち(いずれも、ドイツ軍の敗残兵)が増え続け、隊長気取りで、彼らを従えて戦場を移動するようになる。18歳で軍隊に入り、当時19歳の青年は、大学生の年齢。まだ、あどけなさが残るヘロルトの容貌、あるいは、ヒトラーの代行者を任じるちいさなグループのリーダーとしての言動などを踏まえて、映画『THE CAPTAIN』の配給元は、『ちいさな独裁者』というような邦題をつけたのだろうが、残念ながら、これでは、映画の本質を伝えていない、と思う。
「ちいさなヒトラー(「リトル・ヒトラー」、あるいは、「スモール・ヒトラー」。これが、私には、いちばんイメージに近い)」を描くことは、結果であって、原因ではないのではないか。この映画の性根は、過去の物語にとどまらず、現在も起こりうる本質的な問題を提起しているように思われるからだ。その本質的な問題とは何か。それは、後ほど明かそうではないか。それにしても、ロベルト・シュヴェンケ監督は、なんとも、おもしろい原作を掘り当てたものだ。
この映画は、たまたま拾ったナチス将校の軍服を纏(まと)ったひとりの若きドイツ国防軍の脱走兵が、「ヒトラーの命令」という呪文を唱えながら、追従してきた配下たちを親衛隊として引き連れて、戦場を彷徨い、次第にリーダーとして成り上って行く。その過程で彼らはナチスも顔負けの極悪な殺戮行為にのめり込んで行くさまを描き出す。
★ ところが、フィクションではなく……
映画の主人公・ヘロルトは、1945年4月28日、ドイツ軍司令官の命令によりドイツ軍事警察に、配下とともに逮捕される。ヘロルトが拘束されている間に、赤軍がベルリンまで進攻したため、1945年4月30日、ヒトラーは自殺する。ヘロルトは、自らの行為を認めたので、5月3日、海軍軍事裁判所での裁判の結果、釈放されるが、ヘロルトは、「ヴェアヴォルフ(Werwolf)作戦」への参加を求められる。「ヴェアヴォルフ(Werwolf)作戦」とは、第二次世界大戦末期のナチスの軍事計画で、連合国軍に占領された地域に入り込み、連合国軍に抵抗するゲリラ戦のことをいう。
ヘロルトは、軍隊への復帰を嫌い、ヴィルヘルムスハーフェン(北海に面し、軍港として栄えた港湾都市)へ逃亡する。そのまま敗戦まで潜伏していたが、パンの盗んだことで、連合軍のイギリス海兵隊員に捕まる。ヘロルトの物語は、イギリスの軍事法廷で、ようやく全貌が明らかにされることになる。
その結果、1946年8月29日、ヘロルトには、死刑判決が下される。最後まで引き連れていた配下たち5人と一緒に、ヘロルトは、1946年11月14日、ギロチンで処刑された。21歳であった。この映画の原作は、実話をベースにしている、という。映画では、次々と信じられないようなエピソードがスクリーンに描き出されるが、ドイツの敗戦直前の混乱期に実際にあった実話の映画化である、というから、驚きだ。興味深い映画の紹介は後段に譲るとして、今回の「大原雄の『流儀』」の趣向を設定しておきたい。なぜ、このようなことが起こったのか。映画を踏まえて、考えてみようというのが、今回の趣向である。趣向のキーワードは、「衣装(制服)」である。
★衣装(軍服)とナチズム
古今東西、上意下達(じょういかたつ)の指揮命令系統を何よりも優先する階級社会である軍隊では、それを「可視化する装置」が必要である。将校(将・佐・尉)、下士官、兵などに、一目で官位がわかるような制服(軍服)を着用させる。つまり、官位で、軍隊は類型化され、指揮命令系統の可視化(明瞭化)を図る。出来が良かろうと悪かろうと、大尉は大尉。ナチス・ドイツ軍でも、それは徹底していたことだろう。
一兵士から大尉に「昇格」したヘロルトは、制服(軍服)の魔力の効き目を実感したに違いない。ナチス親衛隊を真似た、ヘロルト親衛隊を構成し、リーダーとなった若き脱走兵は、ヒトラーもどきの権力の甘い味に酔いしれ、傲慢な行動が許される「ちいさなヒトラー」(「ちいさな総統」)へ、と変貌して行く。映画が描き出す世界は、戦場で配下を指揮するナチスの将校にとって、その地位にふさわしい能力や実績が必要不可欠なのではなく、衣装(制服)に象徴される「外観」(見た目)こそが、必要だということを証明する。
「○○ファースト」を唱え、自国へ移民が入り込まないように国境に壁を作り、自国の利益のみを優先する貿易を実現しようとする、どこかの権力者も、「見た目」を与えられている権力者に過ぎない。それに、ひたすら尻尾を振り、追随(追従? ノーベル平和賞への推薦など、露骨な「お追従」としか思えない)するだけの極東の権力者など、これも「見た目権力者」だろう。悪夢の権力者。夢よ、覚めよ。
ロベルト・シュヴェンケ監督は、これは第二次世界大戦という70年以上前の個別特定の物語ではなく、もっと、普遍的な物語として描いているのではないか。どの時代にあっても、権力者は、横暴であり、それゆえに、やがて、腐敗し、滅びて行く。権力の源泉は、決して由緒あるものではなく、見た目さえ整えば、誰にでも使える程度のものに過ぎない。見た目を飾る衣装こそが、権力の源泉になっている。らしさの世界。
衣装は、人物を類型化させる。その衣装が、今の世界をただ見た目を覆って、カムフラージュしているだけの「民主主義」というものではないのか。ナチスの原型は、今も、世界を徘徊している。ロベルト・シュヴェンケ監督は、エンドロールに、次のような文字を映し出させた。「彼らは私たちだ。私たちは彼らだ。過去は現在なのだ。」
★衣装劇としての歌舞伎
衣装といえば、歌舞伎は、登場人物を衣装や化粧、扮装で類型化させる演出を好む芸能だ。歌舞伎は、様式美、類型化などを好む、一種の「衣装劇」の一面を持っている、と言えるだろう。例えば、肌の色。色男は、白塗り。捌き役は、砥粉塗り。悪役は、赤っ面。芝居の進行を待たなくても、登場人物の肌の色を見れば、その人物の性根は、観客には即座に判るようになっている。こういう芝居は、世界的にも珍しいのではないのか。
歌舞伎は、「女」も類型化させる。歌舞伎には、女性は参加しない。女性を排除しているわけではなく、もともと歌舞伎役者は女ばかりで構成されていた時代がある。400年も昔。歌舞伎は、女たちばかりで発生した。しかし、官能的なことを嫌う権力者が、禁止した。女(遊女)歌舞伎から若衆歌舞伎へ、そして現在のような野郎歌舞伎へと、権力者による規制に押されて、歌舞伎界から女性は排除されてきた。女性のいない世界はないから、芝居の登場人物としては、女性、あるいは女性役が必要になる。その必要性に押されて、成年男子(野郎)が、女性を演じるようになった。女形(おやま)の誕生である。
明治期になり、権力者による女優の排除はなくなったにもかかわらず、今も、歌舞伎の舞台には女性が立つことはない。女形の魅力が、歌舞伎の妖しい魅力になり、女性を舞台から不要としたのだ。その上、歌舞伎の舞台も、長年、男の体格サイズに合わせて、作られてきたから、にわかに女優が歌舞伎の舞台に登場しても、まさに、「規格に合わない」という物理的、即物的な問題が生じてくる。つまり、歌舞伎では、「女」も類型化されて、男が演じることが前提とされている、というわけだ。
さらに、衣装の類型化。衣装といえば、「赤姫(あかひめ)」という「装置」に触れなければならない。歌舞伎では、典型的な姫君の役を演じる時は、基本的に女形の役者は、赤地の衣装をつける。だから、姫君役を称して、「赤姫(あかひめ)」という。赤姫の中でも代表的な大きな役が三つあり、それを「三姫」という。『本朝廿四孝』の八重垣(やえがき)姫、『祇園祭礼信仰記』、通称『金閣寺』の雪姫、『鎌倉三代記』の時姫である。衣装が先行し、姫君という役柄が、個別の姫の個性に関係なく、様式美溢れる衣装で規定される、というわけだ。
★「赤姫」の衣装
赤姫では、例えば、八重垣姫(やえがきひめ)。『本朝廿四孝』という芝居に登場する長尾家の姫君だ。『本朝廿四孝』は、戦国時代の武将たち、武田信玄と上杉謙信(劇中では長尾謙信を名乗る)との戦いの物語や中国の「二十四孝」の故事などを元に構成した近松半二らによる「時代物」(歴史物)の「義太夫狂言」(古典歌舞伎)。信玄と謙信は、将軍・足利義輝暗殺の犯人捜査を命じられたことにより、それぞれ息子の武田勝頼、娘の八重垣姫を婚約させ、3年間の休戦を約する。八重垣姫が、身分を偽って謙信の館に入り込んだ武田勝頼に恋心を訴える、通称「十種香(じゅしゅこう)」という場面、謙信からの追手の存在を勝頼に知らせようとする八重垣姫に狐の霊力が乗り移り、奇跡が起こる、通称「狐火(きつねび)」という場面が、よく上演される。
「赤姫」の衣装は、例えば、次のようなものである。赤地に金や銀の糸で、四季の花々や雲形、流れ水に扇が散らされた模様などを刺繍した振袖(ふりそで)と打掛(うちかけ)を着る。この衣裳のお陰で、姫君は、皆、「赤姫」と呼ばれ、また、姫君役の通称ともなった。「赤」という色は、姫君の容姿、個性、人柄に関係なく、お姫様役の純情で可憐な風情を共通して表現している。
衣裳に加えて、赤姫の「扮装」にも触れてみたい。姫君役が使用する、典型的な鬘(かつら)が「吹輪(ふきわ)」。髷の中に「鼓(つづみ)」とよばれる飾りを入れ、前面には銀の花簪(はなかんざし)をつけることで、華やかさを出す。また耳のあたりから下がっている毛を「姫ジケ」といい、襟元(えりもと)を細く見せる効果がある。
姫君の基本スタイルは、座っている時は袖を見せるように両手を胸の辺りまであげて、横に伸ばしている姿勢である。指は、袖からなるべく出さないようにする。これらは、男性である女形の「無骨な」手や体格を隠して、女性らしくおしとやかに見せるための工夫でもある。
こうしてみてくると、姫君役者は、「赤姫という制服」に身を包んでいることが、よく判るだろう。「吹輪」という鬘は、一種の「勲章」か。姫君の個々の個性は関係なく、赤姫という「階級」が、姫君という存在を規定する。そう考えれば、赤姫軍団は、ナチスの親衛隊と同じような官能性を含んだ制服軍団になるかもしれない。衣装劇としての歌舞伎、衣装は、登場人物たちを類型化する。
★「国崩し」の扮装
扮装といえば、「国崩し」。敵役の中でもとりわけ大物で、一国一城を揺るがし乗っ取りをたくらむといったお家騒動の首謀者の役柄を「国崩し」という。歌舞伎の舞台では、「国崩し」は、ちいさな独裁者であることが多い。敵役とはいえ眼力などの凄みや立派さが求められ、芝居の上でもしどころ(演技)が多いので、座頭(ざがしら)格や主役級の役者が、この役を勤める。代表的な役には『祇園祭礼信仰記』の松永大膳、『新薄雪物語』の秋月大膳、『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』の仁木弾正(にっきだんじょう)など。
「国崩し」の役者の衣装は、豪華絢爛で、扮装の特徴は、鬘は髪が長く垂れ下がった「王子」、あるいは燕が羽を広げたように横へ張り出した「燕手(えんで)」が主に用いられる。このうち、「王子」は、長い髪を後ろに垂らし、また耳の下あたりからも「シケ」とよばれる毛を垂らしている。異様とも言える髪型が、超人的な雰囲気を表しているのだ。赤姫の「吹き輪」も、国崩しの「王子」という鬘も、制服につける勲章のようなものに見えてくる。
映画『ちいさな独裁者』の主人公ヘロルトは、まさに「国崩し」の役どころ。ナチスの制服は、髪が長く垂れ下がった鬘の「王子」と同じ役割を持っているのではないのか。「王子」こそ、「国崩し」の制服であろう。
★再び、映画「ちいさな独裁者」
ヴィリー・ヘロルトは、1925年、ドイツ東部のケムニッツ近くの小さな町で生まれた。父親の煙突掃除職人の見習いとして職についた後、1943年、18歳で軍隊に入り、ドイツ国防軍の空挺兵になった。1945年4月3日、敗戦の数週間前、部隊からはぐれてしまい、そのまま脱走、無人の荒野を一人で彷徨(さすら)った。孤独な19歳だった。
当時、ドイツでは、数千人の兵が、脱走兵や敗残兵となって、迷走していた、という。ヘロルトが、乗り捨てられた軍用車両に遭遇したことは、すでに述べた。制服を身につけ、途中で出会った敗残兵たちを配下とし、行動を共にした。ヘロルトは、ちいさな総統気分で、一時、80人も引き連れていたらしい。ヘロルトは、「総統」という擬似体験を積み重ねて行くうちに、次第に権威主義的な態度に慣れてくる。その結果、ナチスの上位の将校に出くわしても、彼は、堂々と対応することができるようになる。
ナチスは、ドイツ北西部のエムスラント(ドイツ北西部、オランダ国境と接した地方)に15カ所の収容所を設け、そのうち、6カ所は、ドイツ国防軍の逃亡兵や不服従・不品行を咎められた兵士たちを捕まえては、収容していた、という。1945年4月11日、ヘロルト一行は、第二収容所のアシェンドルフに到着した。第二収容所は、エムスラント収容所アシェンドルフ湿原支所といい、荒れた湿原にポツンと建てられた粗末な収容所だった。
この収容所には、ドイツ国防軍の脱走兵らが収容されていた。本来、この収容所の規模は、1,000人程度収容だったが、当時は連合国軍の進攻に伴い、放棄された周辺の収容所から移送された人々で、およそ3,000人に膨れ上がっていた。収容者の「処遇」というか、「処理」が、収容所の最大の問題であったようだ。混乱の中で収容所の秩序はすでに失われつつあった。
翌12日には、ヘロルトたちは、収容者たちに深さ1.8メートルの穴を掘らせ、対空砲で彼らを処刑し始めた。12日は、その日の深夜までに、98人の兵士が処刑された、という。処刑の打ち上げの酒宴さえ開く勢いだ。「深夜の酒宴」。気分は高揚。ハイの状態なのだろう。処刑こそが、収容所の秩序を回復する方法だ、とヘロルトは、認識していたようだ。
ヘロルトは収容所および地元のナチス党組織の幹部らに「総統は自分に全権を与えた」と偽り、「野戦裁判所」という臨時の簡易な裁判所を設置して、収容所の秩序の回復を図ると宣言した。すでに事態を収拾する能力を失っていた上、不祥事に対する中央からの処罰を恐れていた収容所や地元のナチス党組織の幹部らは、「総統の命令」で活動しているというヘロルトの虚言を疑おうとはしなかった。彼らも、ほかに有効な秩序回復方法を思いつかなかったようだ。
こうして、ヘロルト親衛隊による収容所の支配が始まった。ヘロルトは、このように、収容所でも君臨し、ヒトラー総統の命令だと言って、脱走兵、敗残兵らの処刑を続けた。4月15日から18日にかけて、ヘロルトらは、収容所を完全に掌握した、という。すっかり、独裁者気分だったことだろう。法的な手続きを無視したヘロルトの処刑方法は、残虐、かつ、効率的だ。極めて「生産性」が高い(どこかで聞いた言葉だ)、とでも思っていたかもしれない(戦後、収容所跡を発掘すると、195人分の遺骨が回収された、という)。こうした残虐な場面をロベルト・シュヴェンケ監督は、悲惨さを細部までリアルに再現し続ける。収容所の場面は、この映画の中で、最大の見せ場だろう。
4月19日、連合国軍のイギリス空軍が収容所を爆撃し、収容施設の建物を破壊した。この際、生き残っていた収容者のほとんどが脱走した。ヘロルト一行も収容所支配を放棄し、街中でも数々の犯罪を重ねながら逃避行に入った。4月20日には、連合軍の到着に備えて自宅に白旗を掲げていた農夫を逮捕して、街中で公開絞首刑に処した。再び野戦裁判所の設置を宣言すると、2人の男性を逮捕し、処刑した。4月25日には、地元の刑務所に収監されていた外国人5人の身柄を引き取り、スパイ容疑者として数分間の裁判で形式的に裁き、墓穴を掘らせた後に射殺した。ヘロルトたちは、逃避行中も市民までをも対象に殺戮を続けながら、戦場を彷徨し続けたのだ。
映画は、対空砲を後部に引きながら荒野を走る大型トラックにふんぞり返っているヘロルトの姿を描く。荒野を行くうちに、トラックは、ガソリン切れになり、5人の配下たちに紐でトラックを引かせる様子などが、映画全体を象徴するような印象的なショットとなっていた。
映画は、2017年2月から4月にかけて、ポーランドの古都・ヴロツワフ(歴史上、何度も支配者が代わった街)近郊とドイツのゲルリッツ(スラブ語で「燃やされた土地」という意味。昔、町を切り開く際に土地が焼かれたことに由来する、という)周辺でロケ撮影がなされた。
★ スクリーンの外側に
ヒトラー総統が率いたナチスは、ダイナミックなシステムで、多くの人々を巻き込んで、ヨーロッパを侵攻して行った。思想的にナチスに協力した確信犯もいれば、日和見主義でナチスに参加して行った人もいた。傍観的な立場で、見て見ぬ振りをするうちに、悪の暴走を許してしまった人々もいた。もちろん、ナチスに抗い戦った人々もいた。しかし、ナチスの悪行を支えていた人々は、みなさんの隣人でもある日和見主義や傍観主義の、小市民たちではなかったのか。社会の末端にいる「加害者」。それは、日本の戦前の社会にもいただろうし、今の日本にも、いるだろう。あなたもそうかもしれないし、私もそうかもしれない。極限状況の中で、ヘロルトと同じ立場に立たされることがあるかもしれない。
この映画に登場するヴィリー・ヘロルトという青年は、1925年9月11日生まれ。ドイツ国防軍(空軍)の二等兵で、1946年8月29日、20歳の時、死刑判決が下り、同年11月14日、「戦争犯罪人」として処刑された。享年21。あだ名を「エムスラントの処刑人」と呼ばれた、という。
そう、映画は、ヴィリー・ヘロルトという青年の物語だが、スクリーンの外側に広がる世界は、あなたも、私も、今、生きている世界に繋がっている、ということに気がつくことだろう。どこの権力者であれ、権力の源泉は、「制服」に象徴されるような、根拠のない擬制システムに由来するだけなのではないのか。
※注)映画『ちいさな独裁者』の上映館については、インターネットで検索するなどして、是非、見てください。
(ジャーナリスト(元NHK社会部記者)、日本ペンクラブ理事、「オルタ広場」編集委員)
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