【コラム】神社の源流を訪ねて(64)

春を告げる野焼き祭りと「神無月」

栗原 猛

◆日韓2つの神事

 済州島の野焼き祭りは1997年からといわれるので、つい最近始まった神事のように思えるが、正確なところは不明だが縄文時代から家畜が食べる草のために、山間地帯で枯れたススキなどを燃やしていたといわれる。
 先だって、野焼きの会場である島の中央にある韓拏山の西側にある、ビョル・オルムの近くを通った。小高い丘で、ススキが強風に吹き付けられていた。外はマイナス10度で車を降りると、風が強く立っていられないほどだった。          

 野焼き祭りは、晩冬から啓蟄(けいちつ)の時期に行われ、寄生虫を退治して、若い良質の芽を生えさせるという行事である。火の燃え方に工夫を凝らし、花火を上げ、多くの屋台が出るなど、伝統をすっかりお祭りの形に模様替えしたのが、97年からの「済州野焼き祭り」で、春一番を告げる神事にもなっている。
 民俗博物館で済州島の野焼きの映像を見せてもらいながら、野焼きの言い伝えなどの説明を受けた。済州島の良、高、夫の三つの姓のそれぞれ祖先となる3神人は、後に紹介することになるが、海を渡って(日本からとの説もある)きた3人の姫と、彼女らが持ってきた五穀の種を撒いて楽しく暮らしていた。ところが不自由のない生活を楽しんでいたので、すっかり怠け者になってしまう。秋になると食糧が不足するようになり、そこで、三姓穴の火を炊いてお祈りしたところ、強風が起き野原を焼いてしまう。ところが春になると、焼けた野原では穀物がよく育つようになり、3神人は今度は心を入れ替えて働き、済州島は長く平和な島になった、という話である。

 もともと済州島では、農閑期には山間地帯で牧畜が盛んで、晩冬から春先にかけて、野焼きをして害虫などを退治すると、若い良質の牧草が生えてくるということが知られていたようだ。野焼きは日本でも行われており、済州市と国際交流都市である別府市「扇山火まつり」をはじめ、奈良の「若草山焼き」、伊豆の「大室山焼き」、一関市の「藤沢野焼き祭り」などは、春の神事として知られ、それぞれ済州市と姉妹都市を結んでいる。野焼きの神事も済州島と、かかわりがあることがうかがえる。

 神事と言えばもう一つ、「神無月」の行事が済州島にもある。日本では10月には全国の神々が出雲に集まるので、「神有月」になる。一方、その他の地域は神が出雲に行ってしまうので、「神無月」である。          
 済州島にも、神々も「大寒」の4日後から、「入春」の3日前までの8日間で、この期間は「古い旬と新しい旬の間」という意味で「新旧間」と呼ばれ、毎年1月25日から2月1日がそれに当たる。       
 日本の神々の島と呼ばれる対馬では、神無月の期間は、神々がいなくなるので、「オヒデリサマ」と呼ばれる対馬固有の神が里近くに来て島民生活を守り、終わると山に帰えるのを送って行くという神事がある。                 

「新旧間」は、地上にいる全ての神が天上へ昇って留守になるので、普段、人間の体内にいる「三尸虫(さんしちゅう)という虫が、この期間だけは人間界で起きたあらゆることを天上にいる玉皇上帝に、逐一報告することになっている。そこで人々は報告されないように、夜は一か所に集まって一晩中寝ないで過ごし、三尸虫が玉皇上帝に報告に行かないようにするという神事だ。神無月と庚申信仰(こうしん)の行事が一緒になったような神事とされる。                      

 庚申信仰は道教の説く「三尸説(さんしせつ)」をもとに、仏教をはじめ密教、神道、修験道、道教、呪術的な医学や、日本の民間信仰が絡み広まったとされる。済州島では今でもこの新旧間に、普段は神に遠慮してできなかった引っ越しや、家の修理などをする風習が残っている。           
以上

(2024.3.20)
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