【コラム】
宗教・民族から見た同時代世界

来年、本格化が予想されるダライ・ラマの後継者選び

荒木 重雄

 来年(2019年)は、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマの後継者選びがいよいよ本格的に始まりそうだ。
 11月末、亡命政府のあるインド北部ダラムサラで、この問題を議論する高僧たちの会議が立ち上がったと伝えられるが、それに先立つ訪日に際して、ダライ・ラマ14世は次のように語ったことが伝えられている(朝日新聞11月6日)。

 ダライ・ラマは、「ダライ・ラマ制度は古い制度」と指摘し、「私は民主主義の信奉者だ」と述べたうえで、「制度を存続させるか否かは、チベットの人たちが決めるべきこと」とし、さらに、「ローマ法王が枢機卿らによって選ばれるような制度も可能だ」とも語った。また一方、自身で後継者を選ぶ方法や、従来の輪廻転生に基づく選択肢も否定せず、すべては「チベットの人々しだいだ」と語ったと伝えられる。

 ダライ・ラマ14世は来年7月には齢84歳。数年前に見つかった前立腺がんは放射線治療で完治したとされるが、後継者選びが現実的な課題であることは確かだろう。
 こうした状況を背景に開かれた高僧たちの会議では、ダライ・ラマの意を汲んで、後継者選びの方法は、①14世の存命中に高僧が選出する ②14世自らが生前に指名する ③従来どおり死後に「生まれ変わり(転生者)」を探す、の三つの選択肢で進められることになると伝えられている。
 だが、これは大変なことである。観音菩薩の化身とされるダライ・ラマは没後、生まれ変わりの少年を後継者とする、この、数百年続いてきた伝統に基づくダライ・ラマの神秘的権威の根源じたいが揺らいでいるのである。

◆◇ 化身ラマが転生するとはなにか

 そもそも歴代のダライ・ラマが観音菩薩の化身とはどういうことなのだろうか。
 チベット仏教ではすべての生き物は輪廻転生すると考えられている。だから人も次は昆虫か鳥か獣に生まれるかもしれない。しかし、悟りを開いた菩薩などは次も次も人間に生まれ、生きとし生けるものの救済に働き続けると信じられている。観音菩薩の化身とされるダライ・ラマはその一形態だが、ダライに限らず、ダライに次ぐ権威をもつとされるパンチェン・ラマは阿弥陀如来の化身であるし、弥勒菩薩や文殊菩薩の化身もいる。
 これらを一般に「転生活仏」といいならわしているが、菩薩や如来だけでなく過去の偉大な高僧の化身もあるので「化身ラマ」(チベット語でトゥルク)とよぶのが正しいとされる。ラマは「師僧」の意。因みに、中国政府によると、チベットで化身ラマは350人を超える。

 ではその継承はどのように行なわれるのか。化身ラマが遷化すると、弟子がラマの遺言や夢告、託宣などに基づいて転生者を捜索し、候補者が見つかると、その童子に先代ラマの遺品を選び取らせるなどして前世の記憶を確認し、確かに先代ラマの生まれ変わりと確信されると、高僧たちによって化身ラマと公式に認定され、以後、名跡を継承しラマとしての厳しい英才教育を受けることになる。
 現ダライ・ラマ14世もこのような手続きで1939年に青海省で「発見」され、4歳にしてダライ・ラマに認定されている。

◆◇ そもそも転生制度は政治的な産物

 化身ラマの転生継承制度が初めて法主の選任に採用されたのは14世紀、カギュ派のカルマパ(観音菩薩の化身)の創設をもってとされる。16世紀にはゲルク派もそれに倣ってダライ・ラマを創設した。
 チベット仏教でも本来は師資相承が基本だったが、中世の一時期、権力を持つ高僧の地位を特定の氏族が世襲的に独占する、氏族による教団支配がすすみ、そのことへの教団側の対抗策として、この化身ラマ転生継承制度が、僧侶の妻帯を禁ずる戒律復興の動きとも重なって各宗派に取り入れられたと考えられる。だがそれは今度は逆に、教団側から転生者認定を通じて、転生者が属する有力氏族を自派のパトロンに組み込むシステムとして働くこととなった。

 その効果もあって、当初はゲルク派の指導者にとどまったダライ・ラマは、17世紀の5世のとき、モンゴルの豪族の後ろ盾を得てチベット全体の政治的支配者となった。が、それゆえ、以後のダライ・ラマはモンゴルと清朝の間や国内の勢力関係で揺れ続けることともなった。

◆◇ 後継問題とはすなわち中国政府との確執

 ではなぜ、いま、転生継承制の伝統まで捨てようというのか。それは、ダライ・ラマの後継選びへの中国政府の介入を警戒するがゆえである。これにはすでにチベット仏教序列第2位のパンチェン・ラマの例に示されている。
 1959年の動乱でダライ・ラマ14世がインドに去ったあとも中国に残ったパンチェン・ラマ10世が死去すると、95年、ダライ・ラマは亡命先から転生者を認定した。しかし中国政府はこれを認めず、別の少年を後継者に認定し、ダライ・ラマが認定した少年は消息を絶った。中国政府によって認定されたパンチェン・ラマ11世には住民を親中国に導くチベット民族指導者として役割が期待されていることはいうまでもない。

 2007年、中国政府は「活仏管理規定」を制定し、ダライ・ラマの後継者認定は中国政府の権限に属すると規定した。これに対し、11年、ダライ・ラマ14世は、政争の具と化した転生継承制度は自分の死とともに廃止すべきと語り、そして15年には、チベットの人々がダライ・ラマの転生者を必要とするなら、それは、「中国支配下のチベットではなく、平和な世界のどこかの国に生まれる」とまで述べている。

 10年前の2008年、中国政府の支配に反発するチベット族が、チベット自治区ラサをはじめ四川、青海、甘粛各省で大規模な抗議行動を起こし、治安部隊との衝突で数百人の死傷者をだした事件は、まだ記憶に新しいであろう。以来、中国政府は経済振興と監視・弾圧を使い分け、騒乱の再発を抑え込んできたが、この10年で150人を超えたチベット族の僧や住民の焼身自殺が、チベット族の状況と抗議の意思を示し続けている。こうした事態を背景にすすめられるダライ・ラマの後継者選びの行方に、世界の注目が集められている。

 (元桜美林大学教授・オルタ編集委員)

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