【コラム】中国単信(37)

標語・スローガンから見える中国

趙 慶春


 標語やスローガンというものは、啓蒙や警鐘など人びとに注意を喚起し、書きつけられた文字の主旨を理解、賛成、達成(到達)させることなどを目的として作られるものと言える。たとえば犯罪防止を目的とした「みんな見ているぞ」、交通安全目的の「横断歩道 右見て左見て渡ろうね」、はたまた最近のペットブームの中で「CLEAN UP AFTER YOUR PET」などと、敢えて英語で書いてあるものさえ見かける。要するに標語やスローガンは、目を留めさせ、さらには記憶に残らせなければならないため、ただ文字を連ねるだけでは効果は薄く、それなりの仕掛けや工夫が必要となる。
 ただし、あからさまな強要に近いスローガンには逆に強い反発を招くことにもなる。
 かつて戦争の時代を経験した日本で、膨大な軍事費から窮乏に耐えるよう国民に迫り、「ぜいたくは敵だ」というスローガンが掲げられた。ところが強制的に国の方針に従わせようとしただけに、このスローガンが「ぜいたくは(す)敵だ」と一文字「す」が書き加えられたというのである。庶民の抵抗精神、反骨精神、戦争反対の意思がもののみごとに表現される結果となったことは、筆者でも知っている。

(写真1)「ぜいたくは敵だ」
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 ところでこのスローガン、中国へ旅行された方ならお気づきかもしれないが、日本とは比べものにならないほど多い。
 人びとへの教化、目的達成を重視するからにほかならず、村単位から国レベルまで、それぞれの行政府があの手この手で打ち出すだけでなく、企業なども積極的に活用している。
 これらのスローガンは多種多彩だが、以下のようないくつかの特徴があるように思える。

1)スローガンは横幕、垂幕、張り紙、のぼり、ポスター、看板など日本でもよく見られる様式のほか、壁などに直接、ペンキで書きつけているのもよく見かける。特に都市部を離れると、美観はそっちのけで、建物の壁であろうと塀であろうと、さらには建物内の廊下の壁にさえ書きつけられている。そのほか大通りの道端、団地内、企業や政府機関の敷地内にスローガン専用の掲示板もどきもよく見かける。

2)ガラス張り、しかもしっかりとした鍵付きの掲示板は共産党や政府の政策を分かりやすく訴え理解させ、従わせる内容のものに使用される。

3)掲げられたスローガンや標語がすでに時効を迎えていると思われても、それらが撤去されることはあまりない。要するに後始末が非常に悪いのだが、ここには役人の官僚主義体制からくる無責任体質がある。壁などにペンキで書いてしまったら、消すのに手間がかかるぐらいはわかると思うのだが。
 昨年12月の「メリークリスマス」の幕が真夏にまだ下げられている、などという光景も決して珍しくない。

4)中国共産党の方針や政府の政策についての宣伝、民衆教化が目的であることが多いため、全国各地で同じものを目にする。
 スローガンは文字数が限られることから、内容が圧縮、凝縮されることが多い。そのため張り出す場所によっては、とんでもない事が起きてしまう、以下のような笑うに笑えない話もある。
 毛沢東は「天の半分は女が支える」と言って、男女同権、非差別社会の実現を目指したが、実際には男女差別意識が消えなかった。そこで政府は全国に「時代不同了、男女都一様」(時代は変わった、男女は同じ)というスローガンを出させた(このスローガン、少なくとも10年前までは各地で目にすることができた)。
 ある役人がこのスローガンをトイレの入り口近くに貼り出したものだから大騒ぎになったことは言うまでもない。

(写真2)「男女平等、出産は自然に任せよう」
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5)スローガンは政府の思惑を読み取る格好の材料となる。言い換えれば、中国が抱える社会問題が反映されているわけで、社会を観察する有効な手段となる。
 たとえば人口抑制策として1979年から2015年末まで実施されてきた「一人っ子政策」でのスローガン「一人っ子の親はいい、政府の奨励で老後の保障にもなる」は、どこででも見かけたものだった。しかし、急激な少子高齢化が起こり、人口構成のバランスが崩れ、労働人口の減少などが深刻化してきており、「一人っ子政策」に終止符が打たれた。
 これに伴ってスローガンも「順次生育政策を調整、改善し、人口の長期的、均等的な発展を促進しよう」に変わった。

 以上、中国のスローガンの特色について書き出してみたが、教化、宣伝と共に強制力もそこに加わると、「一人っ子政策」などは、中国人の伝統的な生活感覚からはなかなか受け入れがたい政策でもあったことがわかる。
 なかでも前述した「政府の奨励で老後の保障にもなる」というスローガンは、多くの中国人が信じていなかったのではないだろうか。なぜなら老後保険など社会保険制度がまだ整備されていない時代(現在でも完備からはほど遠い)、ほぼすべての中国人が「子供、特に男の子をたくさん産み、育てることこそ老後の保障になる」という考えを持っていたはずだからである。
 社会保険制度もままならない現実を前にして、「失独」となってしまった、つまり「一人っ子政策」に従ったにもかかわらず、子供に先立たれてしまった親たちにとって、無責任なスローガンを掲げて一人っ子政策を推進してきた政府への怒りと、政策を大きく転換してしまった政府への強い批判と、さらには政府が打ち出す政策に対する強い猜疑心が醸成されてしまっても当然と言えるだろう。

 民衆があまり信用していないスローガンもあるとはいえ、中国が抱える社会問題が読み取れるので、以下にいくつか紹介してみよう。

(写真3)
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 上が「一人っ子政策」推進中のもの。下が「一人っ子政策」終了後、2016年から出始めたもの。いずれも日本語訳は本文中に記した。

(写真4)
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 「工事の品質を保証し、子孫に幸せを」——建築会社のスローガンだが、手抜き工事や材質などで建築物に対する疑惑が常に社会問題化していることが見え隠れしている。

(写真5)
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 「資源を保護し、発展を保障する」——高度成長期によく見られる資源の過度の利用が経済の発展を妨げていることが読み取れる。

(写真6)
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 「環境を守るのは我々の義務である」——環境汚染問題への意識喚起。

(写真7)
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 「法制の宣伝と教育を強化し、経済社会の発展に貢献しよう」——法制治国の理念を強化しようとする国の思惑が見えると同時に、中国人の法律意識の薄弱さが見え隠れしている。

(写真8)
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 「前に小さい一歩を進めば、文明への大きい一歩になる」——人類初の月着陸を果たしたアームストロング船長の名言に因んだこのスローガンは男性小便用トイレに貼られていて、マナーの悪さでたびたび指摘されてきた中国人の努力の一端が見える。

(写真9)
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 「恩を感じるとは、一種の心理態度であり、一種の品格であり、一種の芸術でもある」——拝金主義による自己中心意識の氾濫への警鐘である。

(写真10)
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 「飲むなら乗るな、乗るなら飲むな」——車の増加による急激な車社会になった中国で、安全運転、特に飲酒運転は深刻な社会問題となっている。

(写真11)塀にスローガンを直接ペンキで書き込む作業風景
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 スローガンは中国社会を理解する入口とも言え、中国に行くチャンスがあったら、是非楽しく読んでみてください。

 (女子大学教員)


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